第四十三話(87) 手掛かり
時代や地域によって異なるが、大昔から『働く貴族は貴族じゃない』という言葉が存在するが、庶民からすれば遊んでいるだけで何もしていないように見える貴族でも、実際は外交で重要な役割を果たしているものだ。
そのことを無視して、思い込みで貴族を敵対視するのは危険でもある。王政打倒を安直に考える者は、倒した後のことを考えていないので、そこで市民にとっては危険思想だと忌避されてしまうのだ。
ただし、バドリウス・ジス・アストリヌス外交官のように船に乗ってまで仕事をする王族は非常に珍しい。造船技術が進歩しているといっても、海難事故に遭う危険性が常について回るからだ。
「ユリスは国王になられましたが、それは本意だったのですか?」
「いいえ。妥協案に応じる他なかったのです」
バドリウス外交官が納得する。
「やはりそうですか。王宮がハクタの海上ルートを手放す理由はありませんからね。同族支配とはいえ、三国に分かれたわけですから、問題がないということはないと思っていました。しかし、他に選択肢がなかったのなら仕方がありませんね」
ユリスが苦悩を明かす。
「ただ、選択肢がなくなるまで事態を放置していたというのは否定できません。それは若さや経験不足ということではなく、ひとえに私の力不足だったのでしょう。こうなった以上は、以前よりも更によくするしかありませんけどね」
バドリウス外交官が尊敬の眼差しを向ける。
「ユリスは思った通りのお方のようだ。現状を把握されていて、己の力量も正確に分析されている。過信することなく弱点を克服していくというのは、伯父上の兵法にも通じる部分があります」
ユリスが照れもせず、真顔で礼を述べる。
「お褒めに預かり光栄です」
その表情を見て、バドリウス外交官が話を変える。
「そうでした。王妃陛下のことでしたね。コルピアス閣下からの伝令により、話は伺っております。しかし、こうして勇んで来たものの、お力になれることは何もないというのが正直なところです。お伝えできることといえば、此度の件については、当方は一切関与していないというくらいしかありません。それでも何かできないかと考え、昨日お供した者を全員連れてきましたので、気兼ねなく聴取してください」
ユリスが一息つく。
「何て申していいのか、心から感謝いたします。それ以上の言葉はございません」
バドリウス外交官が訊ねる。
「会ったばかりの私の言葉を信じたというのですか?」
ユリスが頷く。
「それ以上の保証がどこにありましょう?」
そこで二人は握手を交わすのだった。
「しかしユリス、これから会う人物には気をつけてくださいね」
「これから会うとは?」
「クルダナ国のウーベ・コルーナですよ」
「会う約束はしていませんが?」
「向こうから会いにくるでしょう」
ユリスは理解できない様子だ。
バドリウス外交官が説明する。
「クルナダ人は何でも真似したがるのです。私が陛下に会いに行ったことを知れば、必ずや会いにくることでしょう。コルーナ氏に限らず、昔からクルナダの人間はそういうところがあるのですよ。それだけではありません。自分たちに価値があるように思わせるため、必要以上に己を大きく見せ、気位が高く、そのくせ会えば下手に出て、相手の身分が低ければ尊大に振る舞うのです。また、表ではいい顔を見せますが、その裏では金を無心することしか考えていないというのもクルダナ人の特徴です。加害者であった過去を忘れて、被害者だったことばかり主張して金品を要求するのが、いい例ですね」
オーヒン人の特徴そのものだった。
「しかし、あくまで私見ですが、此度の件に関しては関与していないと思うのです」
「よければ、その根拠をお聞かせ願えますか?」
バドリウス外交官が思い出しながら説明する。
「先ほど述べた通り、コルーナ氏は私の行動を真似てコルピアス邸を訪れたというのが一番の理由です。二人を邸から連れ出すには計画性が欠けているように思われます。その場で思いついて出来るような犯行ではありません。聞くところによると、王妃は昼食会に出席するために、午後には邸を出る予定だったというではありませんか。その点を考慮すると、午後になって現れたコルーナ氏には、犯行は不可能だと思われるのです」
昼食会が中止になったのは、ゲミニ・コルヴス財務官が原因だ。ウーベ・コルーナによる計画的な犯行だとすると、ゲティス国王陛下の父親も犯行に関与していたということになる。流石にそれは飛躍しすぎだろう。
「しかし急ぎ過ぎる結論というのも、あまりよくないのかもしれませんね。排除した可能性の中に真実が隠されているかもしれませんからね。いたずらに捜査をかく乱させてもいけませんから、この辺にしておきましょう。というのも、昨日は美術品の搬送作業などで業者の出入りも多く、慌ただしい一日だったようです。クルナダ国からの輸入品もあったようで、どこでコルーナ氏と繋がるか分かりませんからね」
その言葉を受けて、ユリスが護衛のローマンに訊ねる。
「出入り業者のチェックは充分だったのか?」
「はい。ハプスから『問題なかった』と報告を受けております」
ローマンはユリスへの報告を忘れていたようだ。
「しかしハプスが自ら調べたわけではなかろう」
ローマンが答える。
「はい。コルピアス邸の警備兵が行ったと聞いております。ですが、盗難防止のため、出入り業者の検査は厳重に行われていた模様です。荷馬車の中もしっかり調べていたようで、それをハプスが観察しておりましたので、間違いはないと思われます」
ユリスが落胆した。
そこでミクロスが声を上げる。
「陛下、気になることがあるので、捜査に復帰してもいいですか?」
「ああ、許可するが、気になることというのは?」
「確認を取ってから報告します」
そう言って、客人に挨拶もせずに出て行ってしまった。
「会談の途中に失礼いたしました」
代わりにユリスが謝罪した。
バドリウス外交官は気にした素振りを見せない。
「ユリスは若い人材を積極的に登用しているのですね」
「年配者が煩わしいというわけではないのですが、長旅で体力が必要ということもあり、そのような人選になりました」
若い国王と若い外交官が微笑み合う。
「それは新たなカイドル国の特色になりそうですね。オーヒン国は、新しい国王は若いですが、七政官は皆ご年配で占められている。その家臣も年配者なら、後継者までご年配です。会う人会う人、みな昔の話をしたがる。お年寄りを敬うのは大事なことですし、年功序列も悪くありません。しかし、若者から頭角を現す機会を奪っては、組織全体の利益を損なう恐れも出てくる。それが、どうもオーヒン人らしくない考え方のように思うのです」
そこで一旦言葉を切り、思い出すように考える。
「しかし何人ものオーヒン人と会って感じたのですが、やはりその考え方もまたオーヒン人の特徴のようにも思えます。それはつまり公益よりも私益を優先するということです。何事においても自分を優先してしまうということですね。ただし、私益を追求するのも決して悪いことではありません。現に、商売で成功し、国民は潤っているわけですからね。すべての人間が私益を求めれば、自ずとそれが公益となるという考えなのでしょう。ですが、それは商売の理念であって、政治の理念ではありません」
全員がガルディア帝国から来た若い外交官の話に真剣だった。
「五年ほど前から毎年カグマン島を訪れていますが、オーヒン国はその度に人口が増えていると感じています。それは出生率が上がったとか、死亡率が下がったからではなく、クルナダ国からの移民が増えているからだと思われます。なぜ私益が政治に向かないかというと、カグマン島には四つの国があり、そこでオーヒン人が私益を優先してしまうと、必ずや農地を求めて、他の国に対して争いを仕掛けてくるからなのです。それで潤うのはオーヒン人だけではありませんか。手荒な真似を求めているわけではありませんが、制裁とはいかないまでも、統制は行っていただきたいのです。我々が望むのは公益であって、オーヒン人とクルナダ人だけが潤う私益ではありませんからね」
口調は穏やかだが、要求は厳しいものだ。
「バドは、なぜそれほどまでにカグマン島に興味をお持ちなのですか?」
「千年先、二千年先の未来のためと言ったら笑いますかね?」
誰も笑わなかった。
「すいません。現実の話をしましょう。それは常に脅威にさらされているからです。なぜ広大な土地を治めているのに怯える必要があるのかとお思いでしょうが、こうしている今もウルキア帝国との間には緊迫した状況があるからなのです」
大陸の西側一帯を治めているのがガルディア帝国で、東側一帯を治めているのがウルキア帝国だ。同じくらいの領土を持ち、同じくらいの軍事力があると聞いたことがある。そして何度も戦争を起こしている国でもある。
また、その原因は宗教であるともいわれている。ウルキア帝国は地教を信仰しているのに対し、ガルディア帝国は太教を信仰しているのが対立の原因だ。元を辿れば同じであるはずなのに、互いにとっては異教徒となってしまうのである。
さらに複雑なのは太教にも様々な宗派が存在していることだ。その一部の太教徒が聖地を取り戻そうとして戦争になるわけだが、僕から見たら両者の言い分に納得する部分があるので曖昧な態度になってしまうのである。
迫害された歴史があるのだから、その土地を取り戻したいと思う気持ちは分かるし、そこに生を受けた者にとっては過去のことだから、自分が生まれた土地を守りたいという気持ちも分かるといった具合である。
しかし最も重要なのは、支配地域の境界線上に聖地が存在することだろう。こればかりは信仰を持たなければ理解できないことだ。僕のように、国が国教と定めているから信仰している、というような人間には理解に苦しむ話だ。
バドリウス外交官が演説を続ける。
「我々の国というのは、大国同士の戦争が終われば、今度は領土内で戦争が始まり、それが終わると、また大国同士で戦争が始まるという、それを繰り返すだけの歴史なのです。そういう意味でも、カグマン島の戦後三十年というのはもっと評価されてもいいことなのです。しかし、オーヒン国の発展には、どうも不穏な空気を感じるんですね。仮に、仮にですが、カグマン島をオーヒン人が支配したら、それだけで大陸にまで影響を及ぼすような気がしてしまうのです。どういうことかと言いますと、我々がウルキアと戦争をしている最中に、背中から刺されるような悪夢を想像してしまうのですよ。友人の振りをして、裏切るのがクルナダ人のやり方ですからね」
その『背中から刺される』というのはどこかで聞いた言い回しだ。確かぺガスから聞いたのだ。嘘か真か分からないが、滅亡したカイドル帝国の皇帝であるジュリオス三世は、剣聖モンクルスに敗れたのではなく、何者かに背中を刺されて死んだという話だ。
「クルナダは支援国として条約を結びながら、ウルキアとも密約を交わすような国なのです。戦況を見守りながら、どちらが勝ってもいいような位置取りをします。日和見主義が徹底しているのですよ。だからこそ、陛下にカグマン島の平定をお願いしたいのです。実を言いますと、私はユリスのことを調べ尽しています。五年間見てきた結果によって、あなたのことを最後まで信じることができると思ったのですからね」
確かにユリスのことを熟知しているような対応だった。
「いや、王妃陛下のことで、それどころではないのに、つい熱くなってしまいました。自分のことばかり話してしまい、これではオーヒン人のことを笑えませんね。このような事態の最中、心中を察することができず、誠に申し訳ありませんでした」
ユリスが礼を述べる。
「お心遣い感謝いたします。殿下のことは、ハクタにいたエムル・テレスコから先に伺っておりましたが、話に聞いていた通りの方でした。いつか会ってお話しせねばならないと思っておりましたので、こうしてお会いできたことに感謝しております」
バドリウス外交官が訊ねる。
「エムルは私のことをどのように評しておりましたか?」
「趣味を持たず、とにかく政治の話しかされない方だと」
「それは、あまり面白い男ではありませんね」
バドリウス外交官の自虐にユリスが微笑む。
「私たちフェニックス家の人間とジス家は遠縁でもありますし、これからも良好な関係を維持していきたいと思っております。本来ならばこちらから謁見を申し込まなければならない間柄であることも存じております。一番は私が海を渡って皇帝陛下の元に伺えればよろしいのですが、しばらくは島を留守にするわけにもいきません。ですが、落ち着いたら外交官を派遣したいと考えておりますので、その時分は何卒よろしくお願い申し上げます」
バドリウス外交官がしっかりと頷く。
「陛下のお気持ちは、私の方から伯父上に伝えておきましょう」
そこで扉が叩かれ、外から重要度の高い合図が送られてきた。
「陛下、甲種の伝令が入りました」
今回も伝えたのは僕だ。
「開けてよい」
扉を開けて、伝令兵を中に入れる。
「ご報告申し上げます。たった今、クルナダ国のウーベ・コルーナ様がお見えになりました。陛下にお会いしたいとの要望でございます。現在、お客様は表門に停車中の馬車に待機してございます」
バドリウス外交官がニヤリとする。
「私の言った通りでございましょう?」
ユリスが苦笑する。
「そのようですね」
バドリウス外交官が立ち上がる。
「一言挨拶を済ませてから帰ることにいたしましょう」
ユリスも立ち上がる。
「本日はわざわざご足労いただき誠にありがとうございました」
「今度は何か趣味の話も用意した方がいいようですね」
「楽しみにしています」
「それでは、またの機会に」
バドリウス外交官が手を差し出し、ユリスが握り返すのだった。
「メンザ、バドをお送りして、コルーナ氏をお出迎えしろ」
「承知いたしました」
それから間もなくして、スタム官長がウーベ・コルーナ特使を連れて戻ってきた。バドリウス外交官の場合と異なる点は、護衛兵の入室が許されないことだ。そこに国と国との上下関係が表れるのである。
「お初にお目に掛かります。小官はクルナダ国の特使を務めるウーベ・コルーナと申します」
跪いて挨拶するのも上下関係の表れだ。
「どうぞ、お掛けになってください」
ウーベ・コルーナは老齢の太った男だった。礼服を着ているものの、印象としては隠居した商人のご老体といった感じだ。派手な装飾品を身に着けているのは、豊かな国であることをアピールしているかのようだ。特徴はニワトリのようなトサカ頭だろうか。
「アネルエ王妃陛下の件で、陛下は小官に嫌疑を持たれていることと存じますが、当方は一切関与していないことをお伝えしたく、本日こうして馳せ参じたわけでございます。一刻も早く見つかるよう、心から願っております」
ユリスが断りを入れる。
「疑うというわけではなく、協力を願えればと思っているのです」
コルーナ特使がすぐに言葉を返す。
「本心を隠される必要はございません。アネルエ王妃陛下の出身国で在られるジマ国と弊国とは、三十年前に断交し、それが現在も続いているという状態でございます。より正確に表すならば、停戦状態でございますな。言うなれば、陛下は我々の敵国の王女とご成婚されたわけでございます。その事実だけでも、弊国にとっては複雑な感情を抱かせるに充分ではございませんか。それ故、本音で語ることが望ましいと思われるのです」
コルーナ特使はユリスに返答の機会すら与えない。
「此度の件は、考えれば考えるほど奇怪で、何が起こったのかまるで分かりませぬ。しかし、その日コルピアス邸に小官が居合わせたことを考え合わせれば、一つの疑惑を持たざるを得なくなるのです。それは何者かが、弊国に罪を着せようとしているのではないかということでございます。根拠のない陰謀は、世迷言や被害妄想と一緒でございますが、貴国と弊国の繊細で不確かな関係性を考慮すれば、無視できぬことと存じます」
ユリスが訊ねる。
「その何者とは、どういった人物を指すのですか?」
コルーナ特使は表情を変えずに答える。
「本心を隠さないことは大事でありますが、こと陰謀論においては、証拠もなしに語ることはできませぬ。こうして老いてしまうと、世迷言や被害妄想の他に、老人の戯言が加わってしまいますからな。しかし商売の世界では、競合する商売敵があると、互いにデマを流して邪魔をすることがございます。つまり、デマを流して得をする者が存在するということでございますな。此度の件でいえば、弊国を陥れて得をする国を考えれば分かるやもしれません」




