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ロマン・ストーリー 剣に導かれし者たち  作者: 灰庭論
第二章 戦士の資質編
86/244

第四十二話(86) 王妃の行方

 翌朝、夜明け前に起きて、コルピアス邸に向かう準備を進めていたところ、出発する前にカイケル・コルピアス軍務官が細君を伴って領事館へと来訪してきた。そこですぐに貴賓室へお連れすることにした。


 僕とぺガスが扉の横に立って室内警護を務めていると、ミクロスとルパスに警護されたユリスがスタム官長を伴って現れた。そして、そのままコルピアス閣下の挨拶を無視して椅子に腰掛けるのだった。


「陛下」


 コルピアス閣下はすがるような声を出すが、着席の許可すらもらえないので、この老夫婦は立ち尽くしたままオドオドした様子を見せることしかできないでいた。ケール夫人が泣き腫らした目をハンカチで覆っていたのが悲愴感を際立たせている。


 閣下の赤茶色の髪には白髪が混じっており、もうすぐ退官という年齢だ。それが今回の事件が起こったことで責任を取らされるので、その熊のような巨躯きょくが小さく見えるほど可哀想に思えた。


「陛下、どうか、お許しくださいませ。小官にも何が起こったのか分からぬのでございます」

「そちの邸の中で人がいなくなったというのに分からぬと申すのか?」

「申し訳ございません」


 ユリスは同情しない。


「それでよく軍務官の職が務まるものだ。それとも何か? オーヒン国の軍務官は自分の命さえ無事ならば、それでよいと申すか? それでは幼子が兵士の真似事をして遊ぶ軍隊ごっこと変わらぬではないか」


 コルピアス軍務官が頭を下げる。


「面目次第もございませぬ」


 そこでケール夫人が半歩前に出る。


「陛下、どうか、お察しくださいませ。わたくしどもも心を痛めているのでございます。アネルエ王妃陛下は、それはもう、我が子同然のように可愛がっていたのでございます。これほど悲しみの情を抱いたことはございません」


 コルピアス軍務官が夫人を労わる。

 しかしユリスは可哀想な老夫婦を見ても情にほだされることはなかった。

 ユリスがスタム官長に訊ねる。


「官馬車の用意はできているか?」

「はい。ご用意しております」


 ユリスが頷く。


「これから家捜しを行う」


 コルピアス軍務官が虚を衝かれた顔になる。


「しかし陛下、邸内はすでに調べが終わっております」

「この期に及んで、そちはまだ余に信じろと申すか?」

「これは失礼いたしました」

「家臣の者を連れて行くので徹底的に検めさせてもらおう」


 こうしてユリスは百人の警護兵を引き連れてコルピアス邸に向かうのだった。礼服ではなく軍服に着替えたことから警戒レベルの高さが窺えた。これで鎧を身に纏えば交戦中となるので、有事の一歩手前の状態にあるということだ。


 山の手にある貴族街を取り囲むように演習地があるのだが、コルピアス邸はその中心に軍事拠点となるように建てられていた。軍事演習や、新兵の訓練や、市警になる兵士は、ここの演習地で鍛錬を積むわけである。


 騎馬となる馬を鍛える牧場もあり、立派な兵舎が何棟も建てられていて、そこには数千人単位で訓練する兵士の姿が確認できた。総数は定かではないが、十万人を超える行軍も可能であるように思われた。


 貴族街はもちろんだが、この演習地一帯も、普段ならば許可証がなければ通行できない地域である。それだけにコルピアス邸に賊が入ったというのは、やはり可能性としては低いように思われた。


 また、話に聞いていたようにコルピアス邸も厳重で、大人の身長で三人分くらいありそうな高い石壁が邸の周囲を囲っていたので、昼間に賊が誰にも見られずに壁を乗り越えて侵入することは不可能だということが分かった。


 昨日は百人の護衛隊が周囲を見張っていたという話なので、ローマンやハプスに見落としがあったとは考えられないわけである。しかも昨日から交代制で見張りを続けているので、必然的に今も邸の中にいると思われるわけだ。


 それにしても、このような事件が起こらなければ訓練中の兵士を見ることはなかったわけで、オーヒン国の軍事力を知る機会は訪れなかったはずだ。それは許可をもらった昨日と様子が違うことにローマンも驚いていた。



 コルピアス邸に到着すると、すぐにミクロスは一緒に連れてきた百人いる護衛兵の半数に周辺の見張りを命じた。昨日から交代で見張りをしていた兵士たちに休息と食事を与えるのも護衛隊長の仕事というわけだ。


「それではミクロス、始めてくれ」


 ユリスの合図で邸の中の捜索が始まった。五十人の護衛兵がミクロスの指示に従って動き出した。ユリスの護衛はローマンとぺガスに任せて、僕も捜索隊に加わって邸の中を見て回ることとなった。


 邸の中は大きく二つのブロックに分かれており、南棟がコルピアス家の居住スペースになっていて、北棟は軍務官が執務を行うスペースとなっていた。二つの棟は一本の廊下で繋がっているが、どちらの入り口にも見張りが立てられていた。


 話に聞いていた通り、他にも二十人近くの警備兵が常駐していたので、不審な人物が侵入すればすぐに騒ぎになるはずである。これでは仮に王妃陛下自らが邸からの脱出を試みても、警備兵に見つからないように邸を抜け出すのは不可能だろう。



「北棟の捜索が終わりましたが異常はありませんでした」


 ミクロスが貴賓室にいるユリスに報告した。そこにはコルピアス夫妻もいたのだが、結果を聞くまでもないという感じで表情一つ変わらなかった。それからすぐに南棟の捜索に向かった。



「陛下、寝室への立ち入りを警備兵に拒否されましたが、どうしたらよろしいでしょうか?」


 十以上もある部屋を調べ尽して、残るは寝室しか残っていなかったのだが、そこで部屋に入ることを止められたので、ミクロスはユリスにお伺いを立てることにしたのだ。そこは前日もローマンが立ち入りを禁じられた部屋だった。


「分かりました。小官が案内いたしましょう」


 ユリスが答える前にコルピアス軍務官が立ち上がった。僕もミクロスの後について行き、寝室を見せてもらうことにした。こういう事件でも起きなければ他国の上級貴族の寝室を訪れる機会などなかったはずだ。



「さあ、入るがいい」


 二階の日当たりのいい場所に位置する寝室は、一歩足を踏み入れただけで空気が違うと感じた。それはケール夫人の趣向なのか、見たことのない色の濃い花が活けられていたからなのかもしれない。


 また、床に敷かれた絨毯が心地よかった。まだ誰も踏んでいないかのような感触で、実際には経験したことがないが、まるで羊の背中を歩いているような気がした。それが寝っ転がっても余裕があるほどの大きさだから驚くしかなかった。


 それにしても広い居室だった。寝室が内部屋となっているのだが、合わせれば百人の兵士が同時に食事をすることができるほどの空間があった。しかし、寒い時期だと部屋を暖めるのに苦労しそうなので考えものである。


「美術品には触れぬように」


 大きな壺の中を覗き込んだミクロスがコルピアス軍務官に注意された。子どもが入れそうな壺だったので、中を覗きたくなる気持ちは分かった。他にも様々な舶来品が陳列されていたが、僕には名前も価値も分からぬものばかりだった。


「寝台も調べてみるがいい」


 そこで捜索が空振りに終わったことが分かった。


「ジジ、引き揚げるぞ」


 誰をモデルにした彫刻なのか、どこで手に入れた茶器なのか、どこの国で使われていた兜なのか、何ていう名前の宝石なのか、ガラス道具の用途は何か、そんなことを質問してみたかったが、そんな事態ではないので口にすることが出来なかった。



「結果から申し上げますと、この邸に王妃陛下とエルマはいませんでした」


 貴賓室に戻ってから、ミクロスがユリスに報告した。他にも僕の他にコルピアス夫妻と、ローマンと、ルパスがいたが、誰も口を開かず、ユリスの言葉を待つのだった。報告を受けたユリスは茫然自失となっていた。


「陛下、まだ諦めることはありません」


 ミクロスはある程度予想していたかのような口ぶりだ。


「邸の中にいないということは、訪問客の中に失踪に関与している者がいるわけですから、そこを辿って見つければいいんです。出入りがあった者が限られているわけですから、そう難しくはないでしょう」


 やはりユリスはショックで、いつものように頭が回らなくなっていたようだ。


「そうか、そうであったな。私としたことが、どうやら失念していたようだ」


 日が高くなってから見るユリスの顔を改めると、顔色が悪くなっていることが分かった。


「コルピアス閣下、昨日の訪問客をお教えください」

「それが、その……」


 寝室を見せてくれた時と変わって、ひどく歯切れが悪かった。


「何を躊躇われておるのです?」


 コルピアス軍務官が恐縮する。


「陛下、それだけはご勘弁願えないでしょうか? 名を明かせば、疑いが掛けられるということでございます。そうなると先方様にご迷惑をお掛けすることになりまする。これは機密でもありますし、どうか、回答を控えさせていただきたいのでございます」


 ユリスが睨みつける。


「その言葉がどのような意味を持つかお分かりになられた上で申されたのですか? 閣下はアネルエの身と客人の名誉を天秤に掛けられたのですよ? まだ、その方は、ご自分のお立場を理解されていないようだ」


 そこでケール夫人がご主人に言葉を掛ける。


「どうか、アネルエの身を一番に考えてくださいませ。わたくしからのお願いです」


 その言葉を受けて、コルピアス軍務官が決心する。


「これは私奴が間違っておりました。深くお詫び申し上げます。昨日は訪問客が午前と午後に一組ずつおりました。初めにお会いしたのはガルディア帝国の外交官で在られるバドリウス・ジス・アストリヌス様でございます」


 ユリスの顔が緊張で強張った。それも無理のない話で、ガルディア帝国といえば大陸の北半分を治める大帝国だからだ。その外交官がわざわざ会いに来たというのだから、心中穏やかではいられないはずである。


 ガルディア帝国がその気になれば、カグマン島は半年も掛からずに制圧されるともいわれている。実際は大陸との狭間にあるカグマン海が防壁になっているので分からないが、単純に十倍から二十倍の戦力差があるという話だ。


「午後にお会いしたのはクルダナ国の特使で在られるウーベ・コルーナ様でございます」


 こちらも驚くべき人物だ。クルナダ国というのは大陸から突き出た半島にある国で、カグマン島から最も近い外国のことである。一説には、オーヒン国の人口増加はクルナダ国から渡来したものだとする見方もある。


 地形の関係で大陸の情勢に左右されやすく、コロコロと支配者が変わり、民族単位で移住が行われるため、条約を締結する時には、ひと際用心する必要があるともいわれている。


 現在は友好国だが、過去にはフェニックス家とも交戦したと聞いたことがある。それと、確かアネルエ王妃陛下の出身国であるジマ国がクルナダ国の近くにあったはずだ。


「陛下、いかがされるおつもりでございますか?」


 コルピアス軍務官の言葉にユリスが唸る。


「閣下が苦慮されたお気持ちはよく分かりました」


 ユリスも渋面を浮かべる。


「こちらも充分配慮する必要がありそうですね」


 その時、不意にアネルエ王妃陛下の父上の顔を思い浮かべたが、ひょっとしたらユリスも僕と同じように思い出したのかもしれない。ユリスにとっては義父に当たる人だからだ。


「配慮はしますが、捜索の手を弛めるつもりはありません。相手が重要な貿易国であったとしても、忌々しき事態であることに変わりませんからね。捜査協力という形で接触を試みるつもりではありますが、貴国に迷惑を掛けないことだけはお約束いたしましょう」


 そこでユリスが立ち上がった。

 それに合わせてコルピアス夫妻も立ち上がる。


「陛下、一日でも早く王妃陛下が戻られることを心より願っております。そのためには我々も捜査協力を惜しむつもりはございません。何か要望があれば、直接小官が承ります故、お申し付けくださいませ」


 ケール夫人も挨拶する。


「わたくしもアネルエ様のご無事を心から願っております」


 いつものユリスならきちんとした返礼をするのだが、この時は何も言わずに退室するのだった。その足で官馬車に乗り込み、急いで領事館へ戻った。そこで改めて捜査会議を開くことになっていたからだ。



「ルパスはどうした?」


 会議室に集まったのはユリスと、スタム官長と、ミクロスと、ローマンと、パナスの五人だけだったので、それでユリスが訊ねたわけだ。僕とぺガスはいつものように戸口の横に立って室内警護を命じられていた。


「コルピアス邸に残って聞き取り調査を続けています」


 ミクロスの答えにユリスは黙って頷いた。


「貴君は訪問客が王妃の失踪に関与していると言っていたが、それは今も変わらないか?」


 ミクロスが答える。


「まだ状況確認している最中なので『疑いがある』という段階ですね」

「今後、どのような捜査方針が望ましいと考えているのだ?」

「まずは二組の訪問客に事情聴取するのが先だと思っています」


 そこでユリスが黙ったのは外交問題に発展することを危惧しているからだろう。

 ミクロスが提案する。


「ただ、二組の滞在先は聞いていますし、出国するまで日にちがあると言っていたので、ルパスの報告を待ってから動くのも遅くはないとも考えています。というのも、二人の人間を邸から連れ出すのは簡単ではありませんからね。相手が外国の外交官や特使で、出迎えや見送りの際も厳戒態勢だったと聞いています。そのような状況下で二人もの人間を誘拐できたかというと疑問が残ります。ただ、それでも土産物を持たせるために荷馬車を貸し出したっていうのは気になりますけどね」


 対外的にオーヒン国はガルディア帝国に物を差し出す立場である一方、クルナダ国からは送られる立場だ。物流ラインを確保するために便宜を図るというのは当たり前の話である。我が国でいえばハクタ州がその役割を担っていたのだ。


 そこで扉が叩かれ、外から重要度の高い合図が送られてきた。


「陛下、甲種の伝令が入りました」


 伝えるのは僕の役目だった。


「開けてよい」


 扉を開けて、伝令兵を中に入れる。


「ご報告申し上げます。たった今、ガルディア帝国のバドリウス・ジス・アストリヌス様がお見えになりました。陛下にお会いしたいとの要望でございます。現在、お客様は表門に停車中の馬車に待機してございます」


 ユリスがスタム官長に命じる。


「メンザ、今すぐお出迎いして貴賓室に通してくれ。余は礼服に着替えてくる」



 スタム官長が会談に同席して、ミクロスとローマンがユリスの警護をして、僕とぺガスが引き続き室内警護をすることになった。ただし、今回の会談にはガルディア帝国の警護兵も同席することになっている。


「どうぞ、お掛け下さい」


 一通りの挨拶を済ませた後、対面式での会談が始まった。


「若い若いとは聞いていましたが、本当にお若いようですね」


 それがユリスの第一印象だった。僕もキャリアを積んだ年配の外交官だと勝手に想像していたので意外だった。バドリウス・ジス・アストリヌスはユリスよりも年少に見え、子どものような笑顔を見せる男だった。


 見た目はユリスが女性的な顔立ちなのに対して、外交官の方は雄々しい面立ちだ。短髪がよく似合い、鍛え上げられた肉体も美しかった。芝居でアウス・レオス大王を演じれば、きっと様になることだろう。


「そう言うユリスも若いではありませんか」


 そこでバドリウス外交官が失言したかのように顔を顰める。


「あっ、いきなり失礼しました。ユリスと呼んでも?」


 ユリスが微笑みながら頷く。


「ええ、構いませんよ」

「では、私のことも『バド』と呼んでください。親しい者は皆そう呼んでいます」


 バドリウス外交官はユリスが好むタイプの人物だ。


「ユリスに親近感を抱くのには理由があるんです。ご存知かと思われますが、私の伯父上が国王で、それで私もユリスと同じように、王族がやらない仕事をやっていますからね。これほど境遇が似ている者は他にありません。ただ、現在は国王になられたので変わりましたが」


 ユリスが訊ねる。


「なぜ、外交官という危険な仕事をされようと思ったのですか?」


「私の場合は伯父上の命令です。とても用心深いお方で、重要な仕事を身内以外の者に任せられないのです。他にも候補の者はいましたが、船に乗るのも怖がるものですから、私が引き受けました」


 そこでバドリウス外交官が微笑む。


「他の者は泳げないどころか、どうして船が浮くのかも分かっていませんからね」


 そこでユリスも微笑むのだった。

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