第四十一話(85) 誘拐
警備兵の報告を受けて、ユリスが立ち上がった。
「どういうことだ? ローマンはどうした!」
その言葉に警備兵が狼狽える。
「分かりません」
ユリスが激昂する。
「貴様では話にならん。伝令兵を今すぐここに呼べ!」
すぐに警備兵が伝令兵を呼びに行った。
しかしユリスは待っているのも我慢できない様子で、貴賓室から出て行こうとする。
それを止めたのはスタム官長だ。
「陛下、どうか落ち着いて、この場でお待ちください」
「どうして落ち着いていられるというのだ!」
これほど取り乱したユリスを見るのは初めてだった。
その間に、警備兵が伝令兵を連れて戻ってくる。
「お連れいたしました」
警備兵が連れてきたのはローマンが率いる護衛隊の副長をしているハプスだ。
「王妃に何があった?」
その場で跪いて、ハプスが答える。
「何者かに連れ去られてしまいました」
「それはもうすでに聞いておる!」
ユリスの怒声にハプスが怯えた。
「状況を説明しろ!」
ハプスが生唾を飲み込む。
「王妃のお供でコルピアス邸へお伺いしたところ、家人が目を離された隙に、忽然と姿を消してしまわれたのでございます。何者かに連れ去られたと思われますが、しかし邸の警護は万全でございました」
ユリスが怒声を浴びせる。
「何が万全なものか! 姿を消しただと? 手抜かりがあったに決まっているではないか」
「申し訳ございません」
ハプスが顔を伏せた。
「ローマンはどうしたというのだ?」
「目下、捜索を続けております」
「すぐに来るように伝えるのだ」
「はっ」
ハプスは逃げるように、その場を後にした。
それからユリスは警備兵にも指示を出す。
「ミクロスとルパスをここに連れてきてくれ。今すぐにだ」
「かしこまりました」
続いて警備兵も足早に退室した。
それからユリスは落ち着きを取り戻すことなく、室内を右往左往するのだった。
スタム官長が頃合いを見計らってユリスに話し掛ける。
「陛下、どうか、お掛けになってお待ちくださいませ。コルピアス家といえば、七政官の一人で、軍部や警備局を束ねる軍務官のカイケル・コルピアス閣下のお邸でございます。とりわけ警護が厳重で、賊に侵入を許すなど考えられませぬ。これは何か、きっと行き違いが生じてしまったのでございましょう。郊外に広大な敷地をお持ちですし、連絡に不備を招いたやもしれませぬ。まずはローマン護衛隊長を信じてお待ちくださるよう、心からお願い申し上げます」
ユリスが吐き捨てる。
「気休めは結構だ」
と言いつつ、椅子に座り直すのだった。
スタム官長がぺガスに命じる。
「陛下に茶をお持ちしろ」
「はい」
ぺガスが退室した。
そこでユリスが思い立つ。
「メンザ、馬車を用意してくれ」
その言葉にスタム官長が慌てる。
「どちらにお出掛けになられるというのでございますか?」
「無論、コルピアス邸だが」
「それは断じてなりませぬ」
「そちは余に何もするなと申すのか?」
スタム官長は引かぬ構えだ。
「まだ事態を把握しきれていない状況でございます。万一のことを考えて、ここは陛下に留まってもらわねばなりません。此度の問題が、陛下を誘き出すための策略やもしれません故、どうか、しばしお待ちくださるよう、お願い申し上げます」
まだ、どのような状況でアネルエ王妃が行方不明になったのか分からない状況なので、スタム官長の判断は適切といえるだろう。警護が手薄な王妃を誘拐して、それでユリスを誘き出そうとしているとも考えられるからだ。
しばらくして、ミクロスとルパスが戻ってきた。ローマンがまだ戻ってきていないので、スタム官長は二人に食事を命じて会議室で待つように指示を出した。これは夜勤に備えろという、軍隊経験の長い官長らしい時間の使い方だ。
「陛下、ローマンが戻られました」
会議室に移動して、そこでローマンからの報告を聞くことになった。出席者はユリスと、スタム官長と、ミクロスと、ルパスと、ローマンと、ハプスの六人だ。僕とぺガスは扉の横に立って室内警護の仕事を命じられた。
もうすでに日が沈んでいるので室内には蝋燭に火が点けられていた。その明かりが集まった者たちの顔に陰影を浮かび上がらせて、とても重たい雰囲気をもたらしているのである。そんな中で、ローマンが事件について報告する。
「アネルエ王妃陛下の警護には充分な数の護衛兵が同行しておりました。しかしコルピアス閣下はオーヒン国の七政官ということもあり、門で囲う邸の中まで立ち入らせてもらうことができなかったのでございます。許可が出たのは小官と召使いのエルマだけでしたので、そこで護衛兵をハプスに任せて、アネルエ王妃陛下と邸へと伺ったのです。その間、百人の護衛兵に邸を囲う石壁を等間隔に見張らせるように指示を出しておきました」
部下のハプスが頷いて聞いている。
「アネルエ王妃陛下の応対をされていたのは、細君のケール様でございました。むかし大変お世話になった方だそうで、しきりと感謝していたのが印象的でございました。カイケル・コルピアス閣下も御在宅ではございましたが、その日は我々の他にも前々から予定の入っていた訪問客があったようでして、なかなか姿を現しませんでした。しかし王妃陛下は閣下にもご挨拶するために訪問客が帰られるのを待たれたのです。そんな折、伝令兵から本日の昼食会が中止になったという報せが入り、そこでケール様から食事のお誘いがあり、それを王妃陛下は快く招待をお受けになられました。エルマと小官も同席を許され、それは身に余る歓待でございました」
こんな時でも貴族への敬意を怠らないのがローマンらしかった。
「食事の前に閣下と再会を果たすことができたのでございますが、ご両人とも大変感激されまして、お子を亡くされていたカイケル・コルピアス閣下は、我が子と再会できたかのように涙ぐむのでございます。昼食会が終わると、また別の訪問客とお会いになられるということで、すぐに閣下は別間へと向かわれました。そこでケール様が今度は茶にお誘いになり、庭へとお連れして、大陸から伝わったという大変珍しい酸桃を頂くこととなったのです」
大陸といっても、かなり遠方から伝わった果物だ。
「変事が起こったのは茶会の時でございます。木陰でお茶を飲みながら、ケール様が閣下ご自慢の狩猟犬を連れてきたのでございますが、その犬がアネルエ様との再会に大変興奮した様子で、勢いよく懐かれたのでございます。その拍子に王妃陛下は茶を溢され、御召し物を汚されてしまわれました。そこで滞在していた時に着ていた礼服が残っているということで、ケール様のご厚意により、邸に戻って着替えることになったのです」
そこでローマンが悔恨の念を滲ませる。
「しかし、小官は応接間で待っていたのですが、いつまで経っても姿を現さないではありませんか。しばらくして不審に思ったケール様が様子を見に行かれたのですが、そこで失踪したことが分かったのでございます」
着替えは召使いにやらせる仕事なので、貴族のケール夫人はその場にいなかったのだろう。
「そこで一大事となり、コルピアス閣下が賓客との応対を打ち切って、自ら指揮を執って王妃陛下の捜索に当たられたのでございます。しかし、それにも拘わらず、邸中を隈なく捜しましたが、見つけることはできませんでした。邸の中には二十人を超える護衛兵が常駐しておりましたが、お着替えをされていた部屋から出てきた姿を見た者は一人もおりませんでした。邸の出入り口を見張る者も複数いたにも拘わらず、誰一人として見た者はいないのでございます。敷地の外を見張らせていたハプスも同様で、怪しい者が侵入した形跡はないと断言しております。念には念を入れて、小官も邸中を調べ尽しましたが、やはり見つけることはできませんでした」
ユリスが深いため息をつく。
「ならば、コルピアス家の家人が関与している以外に答えはないではないか」
ローマンにとっては信じがたい結論のようである。
「ですが、ご両人ともたいそう気に病んでおられました」
ユリスが言い放つ。
「貴様の心証は事象をあやふやなものにするだけだ」
「失礼いたしました」
ローマンは謝罪することしかできなかった。
ユリスがスタム官長に命令する。
「メンザ、明日の朝までに官馬車を用意してくれ。日の出と共にコルピアス邸に向かう。本当は今すぐにでも行かねばならないのだが、警護の問題もあるだろう。余が配慮したのだから、黙って従ってくれるな?」
スタム官長が何も言わずに頷いた。
間髪入れずにユリスがミクロスに訊ねる。
「捜査の方はどうなっている?」
ミクロスが渋面を浮かべる。
「それが、あまりいい報せではありません。むかし行商人を狙った犯罪組織を一緒に捕まえていた仲間がいたんですが、そいつらから聞いた話によると、ハドラ領で雇われていた私兵を何人も港で見たと言うんですよ。オレたち兵士というのは、敵と味方の顔を区別するため、とにかく外見の特徴を記憶することを一番に叩き込まれます。ドラコが一緒に組むようなやつらですから、能力は疑いようがありません。そいつらが言うには、大陸の貿易船に乗り込んでいたというんですね。それが今から二日前という話なので、ひょっとしたらすでに出国している可能性があります。これが事実ならば、ハドラは常に我々の行動を予測した上で先を行っているということになります」
ユリスが後悔の念を浮かべる。
「オーヒン国の港をマークしなかったのは私の責任だな。張り込むように指示を出すべきだった。私もドラコのように捜査のために私兵を雇えば良かったのだ。敵対者となった彼から学ぶようでは、いつまで経っても捕まえることなどできぬはずだ」
ミクロスが訊ねる。
「これからどうしますか? オレはユリスが大陸に行けと命令してくれるなら、今すぐにでも行ってやりますよ。そして、必ずハドラの野郎を連れて帰ります。国外に逃亡して油断しているところを捕まえてやりましょう」
ユリスが苦渋の決断を下す。
「意気込んでいるところをすまないが、今は王妃の捜索が最優先だ。捜査を一時中断して、私の側に仕えてくれ。今の私には貴君の助言が必要なのだ。コルピアス邸への護衛を貴君に任せたい」
それからスタム官長にも指示を出す。
「メンザはここで情報の管理を行ってくれ。伝令を受け取るには貴官の所在が確かであることが不可欠だ。ゲティス国王が訪れてくるかもしれないが、貴官が私の代わりとなって対応してもらいたい」
これはスタム官長にしかできない仕事だ。
「承知いたしました」
スタム官長も心得ていたようである。
「それでは各自、仕事に戻ってくれ」
そこで会議が終了したが、ミクロスには夜明けまでにユリスを護衛するための人員配置やルートの確認などの作業があった。それを一人でやるには無理があるので、結局はスタム官長の助力によって編隊が組まれるのだった。
僕とルパスとぺガスとローマンも明日の警備内容を把握する必要があったので、一緒に会議室で作業を行ったのだが、一通り仕事を終えた後で、スタム官長が深刻な顔つきでミクロスに相談を持ち掛けた。
「この場にいる者で頼めるのは貴君しかいないようだ」
スタム官長が声を潜める。
「陛下のお耳に入れる前に、どうしても話しておかなければならないことがある。分かっていることと思うが、王妃が姿を消したとなれば、それが仮に明日無事に発見されたとしても、何事もなかったかのようにすることはできない。一日でも陛下のお側から離れてしまえば、二度と昨日までと同じように扱うわけにはいかぬのだからな。このようなことを話さなければならないのは心苦しいのだが、それでも誰かが陛下に申し上げねばなるまい」
そこでミクロスがボサボサの頭を掻きむしった。
好奇心の強いぺガスが訊ねる。
「どういうことですか?」
スタム官長が説明する。
「それは王妃陛下が無事に戻られたとしても、時を経ずしてご懐妊の兆候が見られた場合、それが陛下のお子か確認できないのが問題となる。それが確かに実子であっても、疑念を抱かせることがあってはならぬのだ」
それが王族に課せられた決まりのようなものだ。これは倫理観ではなく、後継者問題という王政に関わる規則なので真剣に考えなければならないのである。国王や王妃が不自由に見えるのは、そういう決まりごとがあるからなのかもしれない。
「では、どのようにすればよいのでしょうか?」
ぺガスの問いにスタム官長が答える。
「少なくとも半年以上、いや、一年間は交接を控えさせることだ。その場合は王妃の寝室への立ち入りも禁止せねばならないのが決まりだ。しかし、王妃陛下が失踪するなど前例がない故、それを適用してよいものか判断が難しいところだな。代替案として側室を設けることも可能ではあるが、そうなると今度は宗教が絡む問題となる。旧カイドル国では認められても、カグマン国の国教では禁止されておるのだ。それを国王陛下自らが禁忌を犯すわけにもいくまい」
そこで話を聞いていたローマンが涙声を出す。
「申し訳ございません」
スタム官長が無機質に答える。
「貴君の責任だけではあるまい。護衛を邸に入れなかったコルピアス閣下の方が問題だ。これは謝罪だけで済まされることではないからな。閣下はもちろんであるが、オーヒン国にも相応の罰が下されるであろう。こうなった以上は、不可侵条約に修正を加えねばならなくなる。いかなる場所においても、警備や警護を可能とせねばならないのだ。それを拒否する権限を与えてしまったから、このような事態を招いたのだからな」
またしても法律の問題で立ち塞がれてしまったわけだ。
そこでぺガスが疑問を口にする。
「しかし、オフィウ王妃陛下が嫡男のマクス王子を連れてきた例がありますし、警護の目が届かない空白期間があったとしても、七政院の承認か、議会で認められれば何も問題はないんじゃありませんか?」
スタム官長が首を振る。
「それで国が三つに分裂する事態を招いたのだ」
それには一同沈黙するしかなかった。
スタム官長が改まる。
「リプス警護隊長にお願いしたいのは、この場で話したことを陛下にお伝えしていただくことだ。それができるのは貴君以外に考えられぬからな。どうだろう? 引き受けていただけるかな?」
ミクロスが大きな鼻をかく。
「いや、お断りいたします。それは位階の低いオレの仕事じゃありませんよ。官邸にはフィルゴ・アレス補佐官がいるので、フィルゴに頼むのが筋ってもんですからね。おそらくですが、カイドル国の人事も刷新されるでしょうから、それも含めて様子を見させてください」
スタム官長が頷く。
「そうか、そういうことならば、すべて貴君に任せた方がよさそうだ」
スタム官長はユリスの側近が僕たちのようなキャリアの浅い若造ばかりなので心配していたのだろう。改めて、百人力のドラコを失ったことに深い喪失感を抱いた。現に王妃をお守りすることができなかったので非力と思われても仕方がないのである。




