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ロマン・ストーリー 剣に導かれし者たち  作者: 灰庭論
第二章 戦士の資質編
82/244

第三十八話(82) 急襲

 昼前に山頂へと辿り着いた後、休まずに降坂した時だった。


「敵襲だ!」


 どうやら後方の本隊が矢による急襲を受けたようである。

 場所は急斜面の馬車道で、隊列が直線に伸びている箇所だった。

 僕は先行部隊を指揮していたので、振り返っても状況を確認することができなかった。

 その時、馬の啼き声が山中に響き渡った。


「危ないっ!」

「避けろ!」


 声を聞いたのと同時に、乗っている馬と共に路傍へと移動した。

 他の者も慌てて馬車道から避難している。

 見ると、暴れた馬車馬が勢いをつけて、こちらに向かって坂道を駆けてきていた。

 間一髪で躱す者もいれば、落馬して急斜面を滑り落ちていく者もいる。

 目の前の降坂を馬車が勢いよく通り過ぎていった。

 馭者の姿はなかった。

 馬車が向かっている先には、直角に近い崖がある。

 矢を受けた馬は止まりそうになかった。

 僕たち護衛兵が見ている前で、官馬車は崖の下へと転落していった。

 しかし、今はそれどころではなかった。

 襲撃を受けたので、敵兵の確認が急務である。

 幸いにして、現場に混乱はなかった。

 なぜなら、すべては想定内だからであった。



「ジジ!」


 後方部隊に同行していたぺガスが馬を走らせてきた。


「状況は?」


 ぺガスが報告する。


「賊は弓兵が二人で、ミクロスとルパスが追い掛けていった」


 ルパス・ミルゴはミクロスの補佐をしている足の速い新兵上がりの若い男だ。カグマン国に所属していたのだが、ミクロスが見込んで、ユリスに頼み込んで引き抜いたのだ。その二人が賊を追い掛けたのなら逃げ延びるのは不可能だ。


「怪我人は?」

「いません」

「分かった。こちらも状況を確認したら、すぐに出発する」

「了解しました」

「何かあったら報告してくれ」


 崖下を覗くと馬車が大破していた。ここまで官馬車を牽いてきた馬には申し訳ないが、崖から転落して死んだ馬はその場に放置するしかなかった。



「二人とも無事で何よりだった」


 峠の麓にあるダブン村の公館で僕とぺガスを出迎えてくれたのはユリスだった。夜明け前にオザン村を発った時は商人の格好をしていたのだが、執務室にいる現在の彼は、いつものように官服に着替えていた。


 ミクロスの発案で、官馬車での峠越えを止めて、商人の荷馬車を買い取って、ローマンが馭者に扮して移動したというわけである。旅の行程の中でも峠越えが一番の難所だったので用心することにしたわけだ。


「官馬車と御旗を山中に放置してきてしまいました」


 それは大事な報告だった。

 ユリスは気にした素振りを見せない。


「仕方ないさ、旗のために大事な兵士を危険にさらすわけにもいかないからね」


 官馬車や王家の御旗を粗末に扱うと重罪として罰せられるが、ユリスは法律のために法律を守らせるような人ではなかった。状況を鑑みてから裁量を決めることができる優秀な法律家でもあるのだ。


「しかし、ミクロスの予想が現実になるとは思わなかったよ」


 ユリスはミクロスの案に反対していたのだ。カイドル国の国王が商人の格好をして自国の領土に入ることに抵抗があったらしく、それを粘り強く説得したのがミクロスだった。最後はローマンに助言を求めて渋々了承するという経緯があった。


「ここへ来たら礼を言ってやらねばならんな」


 そこでぺガスが訊ねる。


「どうしてユリスは一度決断したことを変えることができたのですか?」


 そこで陛下が述懐する。


「ジジと知り合ったばかりの頃の私ならば、官馬車をダミーとして利用することや、官服以外の姿で人前に立つことはしなかっただろう。ましてや、現在の私はカイドル国の国王になったわけだからね。しかし、今の私には妻であるアネルエがいる。それで考えを改めることができたんだ」


 王妃のおかげだ。


「一人ならば馬車から脱出できるだろうが、王妃が一緒ならばそういうわけにもいかないだろう? 彼女がいることで、自分以外の人間のことを、自分のことと同じように考えられるようになったんだ。それだけでも結婚というのが、どれだけ素晴らしいものか分かるだろう? いや、ペガスは既に婚約しているんだったね」


 そこでユリスが僕の方を見る。


「ジジも早く素敵な女性を見つけなくてはいけないよ。なぜなら私が独り身だったとして、今回の襲撃を受けて無事でいられる確証はなかったんだからね。助かったとしても兵士を犠牲にしていたかもしれないんだ。つまりどういうことかというと、アネルエを守るつもりで行動したことが、実は私や兵士を守ったという結果になったわけだよ。妻を持つということは、巡り巡って、自分の命を守るための行動になるわけさ」


 ユリスが帰国を急いだのは季節の変わり目に備えたのではなく、アネルエ王妃のためだったのかもしれない。それは、もしも王妃がご懐妊すると馬車での移動が危険となってしまうからだ。それで妊娠する前に急いだのだと思う。



 それから間もなくして、ミクロスとルパスが無事に戻ってきた。その足でユリスの元へ向かって、それから湯浴みをした後に、ペガスを含めて四人だけで夕食を摂ることにした。


 公館の貴賓室を宛がわれ、今夜は四人で泊まることになった。といっても、夜中は二人ずつ交代でユリスを警護しなければならないので、あくまで仕事がしやすいようにと用意してもらっただけだ。


 ルパスと一緒に食事をするのは初めてのことだった。背が高く、線は細いが、足の筋肉はしっかりと鍛え上げられていた。驚異的な脚力を持つが、弓を構えながら走って矢を放つのも得意なので、攻撃能力も高い。


 ただし向上心があるということは野心的でもあるので、通常はそういう者をいきなり国王陛下に近づけるのは危険なのだが、上官の職務怠慢を報告して重労働に回された経歴を持っていることを知り、ユリス自ら護衛隊に引き上げたわけである。


 部下に持つと気を抜けないが、上司に持つと頼れる男だ。組織を腐らせないようにするためには欠かせない人材といえるだろう。また、上官のいる前では許可なく発言しないというのも、ミクロスにとっては好印象だったようだ。


「ルパス、料理の感想くらいは好きに言ってもいいんだぞ?」


 ミクロスの言葉に首を振る。


「いいえ。私の家は料理に対して感想を述べることを禁じていました。ですから『美味しい』とか『不味い』とか言ってはならないのです。『食事を頂くというのは、感謝を捧げる以外に言葉を発してはいけませんよ』というのが母親の言葉でしたからね」


 かなり信仰心の篤い家で育てられたようだ。宗派とまではいかないが、地域によっては厳しい戒律や厳格な教育など、大陸に残る原典から色濃く受け継いだ人たちが存在しているのだ。『信仰心が根付いている地域ほどメシは不味い』というのもその表れである。


「しかしだな、言葉にしなくても、『美味い』とか『不味い』とかの感覚はあるんだろう?」


 ルパスが首を振る。


「ありません。『甘い』とか『辛い』という感覚はありますけどね」

「真面目に言ってるのか?」


 ルパスが頷く。


「大真面目です。『美味しい』とか『不味い』という感覚は、食べ物を粗末にする行為に繋がる恐れがありますからね。だからそういう感覚を持たない方がいいのです。『頂く食事に優劣はありませんよ』というのが母親の言葉ですからね」


 ミクロスが反論する。


「でもよ、不味い料理を『美味しくしてやろう』っていう気持ちが、最終的に食べ物を粗末にしないで済むようになるんじゃないのか? 食の発展というのかな、工夫次第で色んな物が食えるようになるわけだからな」


 ルパスが頷く。


「はい。一足す一の答えは二ですが、答えが二になる問題は引き算を使えば無限に存在しますからね。答えが『食べ物を粗末にしない』というのであれば、色んな問題があっても構わないのです」


 信仰心は篤いが、頭が固いというわけではなさそうだ。話しぶりは穏やかで、女性的な顔立ちをしているのだが、その優しそうな顔で、全力で走りながら矢を射るのだから、想像しただけでも震えてしまう。


「あっ、そうだ」


 そこで思い出す。


「ところで、賊の身元は分かったの?」


 最近はこちらから訊ねないと教えてくれないので直接聞くことにしている。

 ミクロスが仕事の顔になる。


「いや、勝手に崖から落ちて死んじまったからな。こっちも生け捕りにしたかったからよ、追い詰めるような追い方はしなかったんだぜ? せめて一言でも吐かせれば、どこから来たのか分かったんだけどさ。でも証拠品は手に入れたんだ」


 そこで立ち上がる。


「ちょうどいいや。ジジにも確認してもらうか」


 そう言って、寝室へ行って、矢を持って戻ってきた。


「これちょっと見てくれよ」


 僕に矢を渡してから、ミクロスは席に着いた。


「この矢だけど見覚えないか? オレ様はその場にいなかったけど、リンゴ園でユリスが殺されそうになった事件があったろう? その時に現場に残されていた矢に似てると思わないか?」


 あの時はドラコも犯行に使われた矢が特徴的であることを指摘していた。


「うん。間違いないと思う。あの時の矢と一緒だね」


 ミクロスが深く頷く。


「ということは、一年半前の暗殺未遂の実行犯が、今回の襲撃犯だったかもしれないわけだ」

「ドラコは関与していないということでいいの?」

「それはまだ分からないけどな」

「どうしてさ?」

「分かってるのは、暗殺犯の凶器が一緒だったっていうだけだからだよ」

「でも、あの時ドラコは弓なんか持ってなかったよ?」


 そこでミクロスが大きな鼻をかいて説明する。


「今だから思えるんだろうけど、ドラコが暗殺未遂の現場にいて、それで矢の攻撃を許しただけではなく、射手の姿も確認できなかったというのは、どう考えてもおかしいんだよな。ドラコほどの男なら、そんなヘマはしないはずなんだ」


 そこで深いため息をついた。


「ジジ、お前が優しい男だっていうのは誰よりも知っているつもりだ。だから気持ちを切り替えるのも大変だっていうことは分かっている。しかしな、そろそろ吹っ切ってくれないと、お前を捜査現場で使いづらいんだよ」


 それはミクロスからのお願いだった。でも僕はまだ、ドラコが王族の暗殺に関わっていると思いたくない自分がいるのだ。名前だけ利用されているとか、いくらでも可能性は残っているからである。


「でも、疑問は残りますよね?」


 そこで口を挟んだのはペガスだ。


「ドラコが二つの暗殺未遂事件に関与しているにしてはお粗末なんです。だって、どっちも結局は失敗しているわけでしょう? 二回も狙って二回とも失敗するなんて、ドラコの計画なら有り得ないですよ。我々が峠越えをすることを知っているということは、実行犯らは尾行していたに違いありません。それなのにターゲットが馬車に乗り込む姿を確認せずに作戦を実行したわけですよね? 一年半以上も執拗に暗殺する機会を窺っていたにしては、肝心の作戦内容がやはりお粗末なんです」


 ミクロスが反論する。


「それはオレ様が奴らの狙いを見事に見抜いてやったからだろう?」


 ぺガスも反論する。


「ドラコならば、こちらにミクロス隊長がいることも知っているので、作戦を見抜かれることも見抜くと思います。それにドラコなら、こちらの手勢が百人しかいないと把握しているなら、倍以上の数で奇襲を掛けてくると思うんです」


 ミクロスが一息つく。


「それもそうだな。ドラコに囚われていたのはジジではなく、オレ様の方だったのかもしれないな。割り切ろうと強く思うあまり、冷静な判断ができなくなっていたようだ」


 昔のミクロスなら認めなかったろう。


「しかし、そうなると増々分からなくなるな。明日からは護衛隊の数が五百人になるだろう? オーヒン国から先は交代制で千人以上が隊列を組むんだ。新都に近づくにつれて出迎えも多くなるし、つまりユリスを狙うなら今日しかなかったわけだ」


 ミクロスが腕を組む。


「だとしたら王宮を襲撃した奴らの目的は何なんだ? 王族の血縁者を一人残らず殺したいわけではなく、選別して殺しているということになるじゃないか。誰がその選別、つまり処刑リストを作っているというんだ? 一つだけ確かなのは、その処刑リストに名前がない人物が黒幕ってことだが」


 そこでミクロスは口を噤んでしまった。口にはしないが、この場にいる四人全員、同じ人物の顔を思い浮かべたはずだ。


 それは、事件が起こって誰が一番得をしたか、ということだ。オフィウ派が排除されて、カグマン国の要職をユリス派で固めることができたので、どうしてもユリス・デルフィアスと答えざるを得ない状況なのである。


「よし、そろそろ仕事の時間だ。オレ様とルパスは先に休ませてもらうぞ」


 言われた通り、ユリスの居室の前で警護することになったが、頭の中は疑惑で溢れ返っていた。それはドラコに命令を下せるのはユリスしかおらず、ドラコが命令を聞き入れるのもユリスしかいないからである。


 ひょっとしたら、テレスコ長官の息子のヴォルベも協力者かもしれない。少年が積極的に加担して、ドラコやランバの逃亡を手伝った可能性もあるわけだ。それすら、ユリスや父親のエムルの指示かもしれないのである。


 ドラコの人間性を考えると、それが最も納得できる結論でもあった。またユリスの人間性に関しても、彼ほど破天荒な王族はいないので、黒幕説を除外できないのである。


 三国分割がオフィウ王妃陛下の提案だったことに疑問は残るが、それが許容できる問題だとしたら、次なる計画も準備されている可能性がある。それはハクタ国をこのまま手放すとは思えないからだ。


 島の東側というのは地理的に重要で、大陸諸国との貿易や防衛を考えると、オーヒン国やハクタ国に任せるのはリスクが高いからである。ひょっとしたら、もうすでにユリスとドラコは戦争の準備を始めているのかもしれない。


 ドラコがソレインとガレットのサン兄妹に武器を作らせたり、部族に弓を仕込んだりしているのがその証拠だ。ユリスは戦争を望むような人間には見えないが、虐げられている者のために立ち上がることができる人間であることは確かだ。


 もしもユリスに共感できるような大義があるならば、ドラコは望んで協力を惜しまないはずだ。ミクロスや僕に隠しているのは、開戦の準備をしていることを、敵国に悟らせないためなのかもしれない。


 色々考えて、戦争の可能性が見えたことに、妙に得心する自分がいる。戦争になったら、どうしたらいいのだろうか。ハクタ国とは絶対に戦うことなどできない。そこには僕のことを友達と言ってくれたマクス陛下がいるからである。

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