第三十五話(79) お告げ
それから六日間、僕は一日中マクス王子と山や川に行って遊び回った。木札を使った数字ゲームも随分と上達したつもりなのに、どうやっても王子に勝てなくて、つい感情的になる自分がいた。
王都を出てから十一日目の朝、いつものようにマクス王子と一緒に朝の礼拝を行うためにオルバ教会に行ったのだが、その途中にある墓所で、オフィウ王妃陛下が見知らぬ人物と会っている姿を目撃した。
「王子、陛下と一緒にいる人は誰ですか?」
「ぼやけていてよく見えないな」
辺りは朝靄が立ち込めていた。
「あれが誰か知ってる人はいますか?」
王子の護衛に訊ねても首を振るばかりだった。
「ちょっと行ってきますね」
近づいて行くと、だんだんと顔がはっきりと見えてきた。
話し声が聞こえてくる距離までもう少しだ。
そこでオフィウ王妃の話し相手の顔が見えた。
それは、もう一人のマクス王子だった。
しかし双子の兄弟がいるとは聞いていない。
振り返ると、本物のマクス王子が僕の後ろに立っていた。
「あれはパパだよ」
つまり先代のオルバ・フェニックス国王陛下で、三十年前に亡くなられた王様が目の前にいるということだ。マクス王子に似ているのは、崩御した年齢で時が止まり、老いることなく現れたからだろう。
おぼろげながら僕にも見覚えがあるのは、ハクタ市の役所にオルバ王の石像が展示されていたのを見た記憶があるからだ。目の前にいる幻は、まるでその石像に命が吹き込まれて、ここまで歩いてきたかのように思えた。
ちなみに死んだ王様を「陛下」と呼ばなければならないのは、敬称を用いないとオフィウの逆鱗に触れるからだ。先王妃のオフィウを「王妃」と呼ぶのも同じ理由だ。ユリスですら配慮しているのだから、他の者たちも従うしかないというわけだ。
「――ありがたきお言葉、感謝いたします。これからもマクスのことをお守りくださいませ」
どうやらオフィウは亡きオルバ王からお告げを授かったようだ。
「オフィウや、太子を頼んだぞ」
そう言って、オルバは背を向けて歩き始めると姿を消してしまった。その現象を目の前で見ていたローマンとぺガスは、ただただ驚いているばかりだった。それも仕方のないことで、多くの者が同時に目撃したので幻覚や幻聴では説明できないからである。
「お前たち、聞いたね? いや、ワシ以外の者には見えていたはずだよ?」
オフィウの言葉にローマンが答える。
「はい。間違いございません。しかと見届けました」
僕の耳には届かなかったが、ローマンらがお告げを聞いているなら間違いはない。
「よしっ、お前たちが証人だ。今すぐ旧都へ戻るよ」
旧都という言葉に引っ掛かったが、それを問い質せるはずもなく、急いで王都に向けて出発する準備に取り掛かった。今から出れば日没前には到着できるはずである。つまり今日か明日には体制が決するということだ。
「早速だけど会議の準備をしておくれ」
王宮に到着すると、すぐにオフィウはローマンに指示を出した。それから議事堂内にある特別室に移動して、ユリスら王族が集まるのを待つのだった。僕とぺガスは警護ではなく、証人としての立ち会いを求められたので一緒に待機することとなった。
今回七つしかない席に座ったのは、オフィウ・フェニックスとマクス・フェニックス、フィン・フェニックスとフィンス・フェニックス、ユリス・デルフィアスとアネルエ・デルフィアスの六人だけだった。
その六人の王族会議によって、新しい国王が決められるわけである。前回との違いは、国王候補が二人になったので集まった親族による同意が不可欠になったということだ。つまり全員の賛成がなければ新国王が即位されることはないということだ。
ちなみに王族の一人であるクミン・フェニックスはこの日も不在のままだった。それが問題視されていないところを見ると、クミンの投票を無効扱いとして会議が進められるようだ。
「それではまず初めに王妃陛下のお話を伺いましょうか」
王族会議の進行はユリスが務めた。六人の王族の他にもテレスコ長官やタリアス国防副長官やミクロス護衛隊長やローマン護衛副隊長も同席していたが、彼らも僕と同じように、壁際に立ったまま、口を挟まずに会議を見守るだけだった。
本来ならミクロスや僕はもちろんだが、副長官ですら王族会議に立ち会うことは許されないのだから、フェニックス家の歴史の中で、今日ほど特殊な状況もないだろう。それでも、ここにキルギアス兄弟がいないことに違和感を覚えるのだった。
「ユリスや、初めに言っとくが、これから話すことはワシの言葉じゃないよ。これはオルバ・フェニックス国王陛下からの勅語なんだ。そのことをくれぐれも肝に銘じるんだよ。いいね? ワシがデタラメを言っているわけじゃないことは、お前さんが信頼している部下が証明してくれたんだ。それで今さら信用できないなんて言わせないよ。なにせ、こっちは十日以上も昼夜を問わず監視されていたわけだからね」
そこでオフィウがローマンに訊ねる。
「ローマンや、どうなんだい? 古株のお前さんはオルバ王の顔を知っているはずだろう? お前さんの口からみんなに伝えておくれよ。今朝、ワシにお告げを授けたお方は誰だったんだい? はっきり言っておやり」
僕の隣に立っているローマンが答える。
「三十年前に亡くなられたオルバ・フェニックス国王陛下に間違いございません」
オフィウがさらに訊ねる。
「裏切り者のダリス・ハドラと会わなかったこともお前さんが証明してくれるんだろう?」
ローマンが頷く。
「ダリス・ハドラ神祇官はもちろんでございますが、王妃陛下は他の方ともお会いすることはございませんでした。お付きの護衛を通じて外部と接触するようなことがなかったのも確かでございます」
オフィウが訊ねる。
「ジジや、お前さんも証言してくれるね?」
緊張で心臓が胸の皮を破いて飛び出してきそうだ。
「はい。私もマクス王子に似た男性が現れたのを、この目で見ました。それをマクス王子と一緒に目撃したので、お二人が別人であることは間違いございません。ただし、お告げは聞いていないので、内容に関しては証言できないと申し上げておきます」
オフィウが嬉しそうに頷く。
「ジジは本当に正直な子だ。それでいいんだよ」
さらに訊ねる。
「ぺガスもその場にいたんだったね?」
隣のぺガスが背筋を伸ばす。
「はい。幻と、いえ、オルバ国王陛下と交わされた会話はすべて記憶してございます」
オフィウが笑う。
「『幻』とはおかしな表現だね。正しくは『聖霊』なんだが。まぁ、いいだろう」
そこでユリスに向き直る。
「今朝、国王陛下はワシの元へ現れて、このように仰られた。『国王の不在は国家に深刻な問題をもたらす』とね。だからといって、『仮にフィンスを即位させても、国政を任せられる年齢に達していないので、政情不安を解消できない』と断言されたよ。ユリスが摂政を行った場合も同じさ。そうなるとカイドル州を他の者に任せなければならなくなるからね。王族が狙われて次々と殺された今、誰がカイドル州を統治できるというんだい? 王族以外の者を長官にでもしようものなら、裏切られて土地を盗まれるかもしれないじゃないか。『謀反を起こされたら、お前たちの力では出兵しても取り返せるか分からない』とも言っていたんだ。そうなると三十年前に逆戻りしてしまうかもしれないじゃないか」
そこでオフィウが草茶を飲んで一息入れる。
「ユリスや、今は王族同士が争っている場合ではないんだよ。疑ったり非難したり、足を引っ張り合ったりするのは何の得にもなりはしないからね。それこそワシらを陥れようとしている奴らの思うつぼじゃないか。ここはユリスとフィンスとマクスの若い三人が力を合わせて乗り切らなければならない難局なんだ。それにはどうすればいいかというと、三人がそれぞれ三つの州を統べる王となればいいのさ。それがオルバ王のご神託というわけだ」
そこでオフィウが訊ねる。
「ローマンとぺガスや、ワシの話に嘘はないね?」
古株のローマンから答える。
「はい。間違いございません」
続いてぺガスも断言する。
「はい。分割統治という言葉を使っておられました」
オフィウがユリスの方に向き直る。
「ユリスや、ワシに企みがないのは分かってもらえただろう? これは聖霊となった先王からのご神託なんだ。ワシらはそのお言葉に従うだけなんだよ。いや、これは譲るわけにはいかないんだ。なにしろ神に逆らうことになるんだからね。フィンスをカグマン王と認めようじゃないか。ユリス、お前さんはカイドル王だ。それも認めよう。ただし、お前たち二人がマクスをハクタ王と認めるのが条件だけどね。その条件を飲まなければ、ワシらは議決を否認させてもらうよ」
すべて事前にぺガスから聞かされた話と一緒だった。答え合わせをするつもりで耳を傾けていたが、どうやらオフィウはそこに己の私欲をねじ込むような真似はしなかったようである。それだけに、その言葉の意味合いは大きかった。
「ユリスや、まさかオルバ王のお言葉を軽んずるつもりはないだろうね? そんなことは、このワシが許さないよ。どんなことがあったって、ご神託だけは守らせてみせるんだ。どういうことか分かるかい? マクスを認めない限り、新しい国王は生まれないということさ」
難しい顔をしているユリスが口を開く。
「少しだけ時間をください」
オフィウが首を振る。
「結論を先延ばしにしても何も変わりゃしないんだよ?」
「一日だけお願いします」
オフィウが鼻で笑う。
「ふんっ。まあ、いいだろう。ワシらを除け者にして、他の者たちと話し合いたいということだね? それならそうとはっきり言えばいいだろうに。時間をやるから、よく考えてみることだね。オルバ王は『三人で力を合わせるように』と言ったんだからね」
そこでオフィウが立ち上がり、マクス王子に手を引かれて退室するのだった。
「王妃陛下の見張りはどうされますか?」
オフィウが退去したのを見届けた後、テレスコ長官がユリスに確認を求めた。
「いや、もういいだろう。それよりエルムとサッジは空いた席に掛けてくれ」
指示を受けた二人が椅子に腰掛けた。ミクロスとローマンはユリスの側に移動して、僕とぺガスは扉の左右に分かれて、そこで会議を見守ることとなった。扉の外にも見張りを立たせているので移動させられずに済んだというわけである。
これからフェニックス家のみならず、我が国の将来が決まる会議が始まろうとしているわけで、その瞬間に立ち会えることに胸の高鳴りを抑えることができなかった。政治とは、不思議な高揚感を抱くもののようだ。
ユリスが進行する。
「早速だが、サッジ、貴官の意見を聞かせてくれないか?」
サッジ・タリアス国防副長官が前のめりになる。
「大変恐縮ではありますが、私見を述べさせていただきますと、殿下、此度の件は決して悪い話ではございませんぞ。カイドル州では法律一つ通すにも王都の七政院の認可が必要で、その悪習に頭を悩まれていたのは、他でもない殿下ご自身ではございませんか。重ねて、今は王家存亡の危機でもあります故、血縁者をお守りいただくのも立派な責務でございます。王族復帰のみならず、殿下御自ら国王に即位されるのであれば、我々家臣にとって、これほど心強いことはございません」
公の場でマクス王子を偽者だと言えるのは王族のユリスくらいなので、タリアス副長官も言葉選びに気を遣っている様子だ。マクス王子に疑問があっても、身内で争っている場合ではないというのが副長官の主張である。
しかし、それこそがオフィウ・フェニックスの罠ではないかと疑っているのがユリスというわけだ。だからこそ決断できずにいるわけである。といっても偽者が国王になるかもしれないので、慎重になるのは当たり前の話でもあった。
ユリスが話を振る。
「エムル、貴官の意見も聞かせてくれないか?」
エムル・テレスコ州都長官が答える。
「恐縮ではありますが、小官はタリアス閣下の意見には反対でございます。わざわざ国を三つに分ける必然性を感じません。それは国力を低下させるだけのように思われるからであります。軍事力や経済力も異なります故、そうなると分離独立後に均衡が保たれるとは思えないのでございます。しかしながら、それを承知の上で、タリアス長官は上申されたというのも存じ上げております。しからば、オフィウ王妃陛下が後に引かぬ構えでございます故、ここは小官も建設的に考える他にないというわけにございます」
州都長官も国の分割は避けられないと見ているようだ。
「何か具体的な策はあるか?」
ユリスの問いに、州都長官が答える。
「ここは好機と捉え、人事の刷新を行われてはいかがでございましょうか? 内乱を未然に防ぐために、ハクタの兵力を削ぎ落し、王都の防衛に当たらせるのです。この機を逃せば、兵力を移す口実を設けるのは至難でございます故、先手を打たれる前に急がねばなりません。なにしろハクタの新王宮にはキンチ国防長官がおりますからな」
ユリスが懸念する。
「しかしハクタはこの島の重要な軍事拠点だ。大陸の外敵のみならず、オーヒン国の侵攻を防ぐ防衛ラインにもなっている。現在は友好関係にあっても、十年後や二十年後も同じような関係を維持しているとは限らないからな。内乱を危惧して、戦略上において最適とされる兵の配置をこちらから崩すというのもおかしな話ではないか。そのことを誰よりも把握しているのはハクタ州の州都長官でもあるエムル、貴官ではないのか?」
州都長官が畏まる。
「仰られた通りでございます。ですが、殿下、ハクタを独立させて国王を即位させるということは、ハクタ軍の全指揮権もマクス王子に委ねるということでございます。となれば、有事の際、殿下やフィンス王太子のご指示が通らないこともあるやもしれません」
そこでサッジ・タリアス国防副長官が口を挟む。
「三国に分割した分国統治が既定路線として避けられぬのならば、ここは新たな防衛ラインを築く必要がございます。ハクタを味方と思い込むのは、いささか人が善すぎるかと思われる故、最悪のシナリオも想定しておくに越したことはございません。それはつまり、ハクタ国がオーヒン国と軍事同盟を結ぶことや、あるいは大陸の貿易国と勝手に同盟を結んでしまうことですな。そうなれば有事の際、我々カグマン軍とテレスコ閣下率いるハクタ軍が剣を交えるということにもなり兼ねませんぞ。ま、もっとも、その場合、小官に勝ち目はござらんが」
ユリスは老兵の自虐に反応しなかった。
「なるほど。独立後は干渉も許されないわけだな」
今まで事の重大さを認識できなかったが、単純にマクス王子が王様になるというだけではなく、ハクタ人とカグマン人が外国人同士になってしまうかもしれないわけだ。異なる法律ができて、入国にも許可が必要になるかもしれないのである。
それでもメリットもあって、それは広大なカイドル領をユリスの支配下に収めることができる点だ。それはユリスの望む国造りができるということでもある。つまり、王宮にお伺いを立てずに法律を定めることができるということだ。
ただし、ユリスはまだ決断したわけではないようだ。オフィウ王妃が三国分割以外を認めないのならば、現状の王政を維持するという保留の選択も可能だからである。亡くなったコルバ王政を続けるという、かなり奇抜な方法だが、選択肢がないよりはマシだろう。
「軍部の再編は考えておこう。他にはないか?」
ユリスが州都長官に訊ねた。
「襲撃を受けた荘園でございますが、それらの土地をハクタの領地にさせないことも肝要かと存じます。領主を失った土地はカグマンとカイドル、それぞれ近い方の領地とし、領主や村長の任命権を国王陛下が行うと定めるのです」
国防副長官が疑問を投げかける。
「マクチ村のような峠のこちら側にある村はどうされるおつもりですかな? 周りがハクタ領では、そこだけカグマン領に組み込むには無理がありますぞ? 行政の手が行き届かなくては村民からの不満も募りましょう。サービスを満足に受けられずに税金だけ納めろというのは通らぬ時代ですからな」
州都長官が首を振る。
「もうすでにマクチ村は廃村になったとの報告を受けておりますが」
国防副長官が溜息を漏らす。
「そうでござったか」
ユリスが憂う。
「しかし三国が独立すると、ハクタ領内での事件捜査もままならなくなるのだろうね。そうなるとマクチ村に容疑者であるダリス・ハドラが逃げ込んだとしても、こちらは手出しができなくなるわけだ。そうならないためにも、捜査権の確保と人材を派遣してでも人を住まわせる必要があるかもしれないな」
問題が山積しているように思われた。国を分割するということは、あらゆることに対して最悪の状況を想定するということのようである。それが国政を担う彼ら政治家の仕事の原点でもあるわけだ。
そこでユリスが思い出す。
「そうだ。その後、捜査に進展はあったか?」
ミクロスが答える。
「今日入ったばかりの情報ですが、王宮で事件があった三日後、峠の麓にあるオザン村でランバ・キグスが宿泊していたとの報告を受けました。ご存知の通り、ランバはドラコ・キルギアスの忠実なる腹心です。事件から三日後なので、王宮の襲撃にも係わっている可能性がありますね。ドラコの指名手配が一日遅れでしたので、検問に引っ掛からなかったのです。部隊を引き連れていたというので、おそらくドラコも一緒でしょう。それともう一つお伝えしなくてはならないのが、彼らと一緒にヴォルベ・テレスコも同行していたということです。彼の州都札が使われ、テレスコ州都長官から預かったという信書も携えていたそうです。それで簡単に峠を越えることができたのです」
その言葉に、ヴォルベの父親であるエムル・テレスコが天を仰いだ。




