第三十三話(77) 二人の王子
手を挙げたのは、僕のかつての上官だったモノス・セロス騎馬隊長だ。
「王妃陛下、誠に恐縮ではありますが、発言の許可を願えないでしょうか?」
オフィウが首を捻る。
「その声は誰だい? 名乗ってから好きに話すといいよ」
そこでセロス隊長が立ち上がる。
「小官はモノス・セロス騎馬隊長であります。発言の機会をいただき誠に感謝します。先ほどからタリアス国防副長官の話を拝聴させていただきましたが、どうやら閣下は、この事態を受けて正常な判断を失ったと思われます。デルフィアス殿下と親しい間柄であることは存じ上げておりますが、殿下に容疑が掛かった以上は、ここは私情を挟むべきではないと考えます」
国防副長官に対する失礼な言い草から、彼が勝負に出たことが分かった。
「そこで誠に恐縮ではありますが、一つ提案させて頂きたいことがございます。それは事件調査の責任者を変えていただきたいのです。ご存知のことと思われますが、ミクロス・リプスはカイドル州に属している騎士の称号を持たぬ一兵士に過ぎませぬ。加えて殿下の直属の部下であり、実行犯として容疑が掛かっているドラコ・キルギアスとは共に功を築いた間柄。そのような者に謀反に関わる事件調査を任せるのは疑問を抱かずにはおられません。その点、僭越ではありますが、小官ならば利害や私情を絡むことはございません故、第三者の立場で捜査をすることが可能でございます。殿下の御為にも、まずは容疑を晴らすことに心血を注がれてはいかがかと考えました」
オフィウが訊ねる。
「お前さんは後継者問題をどう考えているんだい?」
セロス隊長が即答する。
「それは私どもが口を挟める問題ではございません。我々臣民は唯一の王族で在らせられるオフィウ王妃陛下とマクス王太子殿下のお言葉に従うだけでございます。小官が仮に国防副長官の立場にあっても、その答えが変わることはございません」
オフィウが嬉しそうな顔をする。
「名前はなんだったかね? もう一度聞かせておくれ」
「モノス・セロス騎馬隊長であります」
「よし、その声は覚えた。今度は忘れないでおくよ」
「光栄至極にございます」
オフィウが満足そうに頷く。
「モノスを捜査責任者に任命しようじゃないか。しかし現在の責任者を更迭なんかしないんだ。ワシは独裁や粛清は好きじゃないからね。それでは優しすぎるかもしれないが、ユリスにも州都長官の仕事を続けさせてあげるよ。仕事をしながらゆっくり容疑を晴らせばいい」
そこで王妃陛下が立ち上がる。
「ワシが一人で決めてもいいんだ。でもそういうのは好きじゃなくてね。だからどうだい? ここは一つ、集まってもらったお前さんたち全員の拍手でもって、マクスを国王と認めようじゃないか」
その言葉を受けて、モノス・セロス騎馬隊長が真っ先に立ち上がって拍手をするのだった。当然、後列に座った彼の部下たちも続けて意思統一を表した。それからすぐにオフィウの護衛兵たちも拍手をしながら立ち上がった。
二つのグループに遅れたが、副陣営隊長のグループも足並みを揃えた。さらに様子を窺っていたハクタ州の上級士官のグループも後に続いた。ここで議事堂に会した半数の人間が承認したことになる。
残るは三つのグループだが、先に動いたのは官邸の要職に就いているグループだった。ここで抵抗するのは無駄だと諦めたのか、首都長官が隣にいるサッジ・タリアス国防副長官と会話を交わして、拍手と起立を促すのだった。
残るは前列にアネルエが座るカイドル州のグループだが、全員がユリスの方を注視している状態だった。ここまでくると抵抗することに意味はないように思われるが、ユリスは拳を握りしめたまま微動だにしなかった。
「殿下!」
そこで声と共に演壇の反対側にある後方の出入り口の扉が開かれた。
「お連れしましたぞ!」
エムル・テレスコ州都長官の登場で拍手が鳴り止んだ。
場内にいる全員の目が後方の扉に向けられた。
「さぁ、お入りくださいませ」
テレスコ長官に促されて現れたのは一人の少年だった。女性のような顔立ちをしていて、どことなくユリスに感じが似ていた。その少年が片脚を引きずって、ゆっくりと演壇に近づいてくるのだった。
「会いたかった」
ユリスが少年を抱きしめる。
「よく勇気を出して会いにきてくれたね」
少年がコクリと頷く。
「殿下のことを信じてみようという気になったのです」
そこでユリスが少年の身体を議席の方に向ける。
「紹介しよう。こちらの方はフィンス・フェニックス王太子だ」
その言葉に会場全体がどよめいた。
サッジ・タリアス国防副長官が死人を見たかのように驚く。
「コルバ王のご嫡男ではございませんか!」
そこで会場の至る所で私語が交わされ騒然となった。
ユリスとフィンスも言葉を交わすが、僕の耳には聞こえなかった。
壁際に座っているミクロスがニヤニヤしている。
モノス・セロス騎馬隊長はフィンスに疑いの目を向けていた。
オフィウがマクスに耳打ちする。
そこでマクスが怖い顔をして立ち上がるのだった。
「黙れ! 静かにしろ! ママが喋れないじゃないか!」
マクスの一喝で場内が静まり返った。
一方で、オフィウは落ち着いていた。
「ユリスや、その足を引きずって歩く子どもがフィンス王子であることは間違いないのかい?」
ユリスは自信に溢れた顔をしている。
「間違いございません。彼こそが正真正銘、唯一無二の王太子様でございます」
オフィウは納得していない。
「どこに証拠があるっていうんだい? フィンスは幼児の頃、そう、あれは十年以上も前に母親と一緒に死んでしまったんだ。国王のコルバだって嘆き悲しんでいたではないか。いや、お前さんだって生きていないことは知っているはずだよ?」
そこでユリスが扉口に立つテレスコ長官の方を確認する。
「お入りくださいませ」
長官に呼ばれて現れたのは三十代の美しい女性だった。
「おお、なんということでございましょう!」
サッジ、タリアス国防副長官が興奮する。
「フィン正妃陛下ではございませんか!」
オフィウ王妃陛下と違って、その女性からは気品が漂っていた。
タリアス副長官だけではなく、年配の高官は涙を流して喜びを表していた。
ユリスがフィン正妃の手の甲に口づけをする。
「お久し振りでございます」
正妃が微笑む。
「ユリスは大きくなられましたね。憶えていますか? 私よりも小さかったのですよ?」
ユリスが微笑みを返す。
「昨日のことのように憶えていますとも。陛下は以前よりもお美しくなられましたね」
オフィウが取り乱す。
「その者はフィンだというのかい? そんなわけがないよ。騙されているんだ」
ユリスが述懐する。
「ちょっと待ってください。私もテレスコ長官から打ち明けられた昨夜まで、お二人が生きているとは思ってもみませんでしたから、オフィウ陛下のお気持ちはよく分かります。しかし『騙されている』とは一体どういった料簡でございましょうか? これはフェニックス家のみならず、我が国においても大変喜ばしいことなのですよ? 嬉しくて涙することはあっても、険しい顔になる理由はないのです。それではまるで招かれざる客を前にしているように見えますからね」
オフィウは引き下がらない。
「いいだろう。成人していたフィンが本物であることは間違いなさそうだからね。でも息子のフィンスはどうなんだい? 三つの時に死んでしまったんだよ? 顔を見たって本物かどうかなんて分かりっこないじゃないか」
「それはおかしな話ですね。だったら、あなたの息子はどのようにしてオルバ王の実子であることを証明したというのですか? フィンスは十年もの間、テレスコ長官の保護下にあったのですよ? それだけで証拠は充分だと思いますけどね」
オフィウが訝しげな表情を浮かべる。
「エムル・テレスコが誠実な男であることは知っているさ。でも随分と都合のいい話だと思わないかい? 父親のコルバが死んで、後を継ぐはずだったパナスの坊やが殺されたんだ。そこへ十年以上前に死んだ嫡男が現れるんだからね。実行犯はユリスの部下で、捜査を実行犯の仲間に任せて、生存者の口からはユリス、お前さんの名前が出ているんだ。それにエムル・テレスコの細君は、確かフィンの妹だったはずだろう? これだけの事実が並んでいるのに謀反と無関係だと白を切るのは、ちょいとばかし虫がよすぎるというものさ」
すべてがユリスの思い通りになっているのは事実だ。
「ワシを騙そうとしたってそうはいかないんだ。目は見えなくても、声を聞けば悪意が含まれていることが分かるんだからね。ワシらを疑う前に、まずは己が疑われていることを自覚して、その疑いを晴らすことから始めることだ。とてもじゃないが、それまでは認めるわけにはいかないよ。老いぼれても、ワシは兄王の女なんだからね」
そう言うと、マクス王子に手を取られて退去するのであった。そこで解散となり、ユリスはフィンとフィンスの母子を伴って議事堂内の隣部屋へ移動するのだった。そこは七つの椅子しか置かれていない七政院の官吏だけが入室を許される特別室である。
ぺガスとローマンが扉の外を見張り、ミクロスと僕で部屋の内側を見張ることとなった。七つの椅子にはユリス、アネルエ、フィン正妃、フィンス王太子、テレスコ州都長官、タリアス国防副長官の六人が座った。
ユリスが妻のアネルエを従弟のフィンスとその母親のフィンに紹介して、タリアス国防副長官が正妃と再会できたことに喜びを表し、それからしばらく老兵の思い出話を聞かされることとなった。
「――サッジ、そろそろ私にも話をさせてくれないか?」
ユリスの言葉にタリアス副長官が恐縮する。
「はっ、これは失礼いたしました」
ユリスが仕切り直す。
「そもそも、正妃はなぜ十年以上もの間、姿を隠されていたのですか?」
フィンに訊ねたが、答えたのは息子のフィンスだった。
「それについては私に答えさせてください。見ての通り、私は生まれつき片脚の自由が利きません。王家では病気の跡取りは後継者に相応しくないということで殺されてしまう場合がありますよね? それで母上は自ら死人となって私の命を救ったのです。それは国王である父を欺く行為でもありました。ですから今の今まで表に出ることができなかったのです。殿下、どうか、お願いですから、母上や、匿ってくれたテレスコ長官を責めないでやってほしいのです」
ユリスが深く頷く。
「責めるなどとんでもない。私こそ感謝しているのですからね。フィンスがいなければ、フェニックス家の血脈は悪意による陰謀によって終わっていたかもしれませんでした。どうかお二人とも、ご自分を責めることなきよう、お願いいたします」
フィン正妃が微笑む。
「ユリスは真の名君になられたのですね。お噂は隠れ家にまで伝わっておりましたよ」
褒められたユリスが嬉しそうだ。
「それにしても悪い風習でございますな」
サッジ・タリアスが呟いた。
「確かに、未だに『自分の身を守れぬ者に王の資格はない』という言葉を盲信している者がおるのは否定できませぬが、それは戦で君主が直接武器を交えて勝敗を決めていた大昔の言葉でございますからな。今は戦場を知らぬ軍閥貴族の倅が政治力だけで出世する世の中で、どうして王家の者にだけその言葉を向けられましょうか? 他者を批判するならば、まずは己を律しなければならないということが分かっておらぬのです」
サッジ・タリアスもテレスコ長官と同じく剣聖モンクルスの門徒だと聞いたことがある。
フィンス王太子が諭す。
「しかしながら、脚の不自由な私を守るということは、それだけ兵士の命を危険にさらすリスクが高まるということでもあります。戦える身体というだけではなく、退避するにも手間が多くなってしまうのは事実ですからね」
そこでユリスが戸口に立つミクロスに話し掛ける。
「前に聞いたジェンババの話をもう一度聞かせてくれないか?」
ミクロスはユリスに報告していたようだ。
「はい。剣聖モンクルスの好敵手だった軍師ジェンババですが、どうやら彼も足が不自由だったみたいですね。それでも世界一と謳われた剣の達人と互角の勝負をしてカイドル国を守ったのですから、やはり確実に時代が変わったのでしょう。つまり戦い方や守り方というものが常に変化しているということなんでしょうね」
ユリスが深く頷く。
「私もカイドル州に赴任して驚いたのは、成果主義が根付いているということだった。成功報酬を約束すれば、きっちりと約束を果たす者が多いという印象がある。だから何も知らない私がカイドル州を治めることができたのだ。それはカイドルという歴史ある国を治めてこられた歴代の偉大なる王たちの功績でもあるんだ。そのことを教えてくれたのは、今は亡きブルドン王だった」
そこでフィンス王太子に優しく語り掛ける。
「だから太子も一人で全部やらなければいけないなどと考える必要はないんですよ。非力な部分を補うにはどうしたらいいのか? それを考えれば良いのです。あなたにはすでにエルムやサッジという強い味方がついているのですからね」
フィンス王太子が微笑む。
「そうでしたね。私は心のどこかで、初めから名君であらねばならないと思い込んでいたようです。しかしそれは思い上がりで、多くを学ばないことには成果など上げられないということに思い至りませんでした」
そこで周りの者を見渡す。
「望まれたのならば、父上の後を継がせていただきたいと思っております。私も父上のような、平和な世の中を築きたいと思っているからです。それには皆様のお知恵が必要です。どうか、私に力をお貸しください」
十三歳とは思えないくらい落ち着いていた。
「よく決意してくれましたね」
それでも母親に褒められると、少年は幼子のようにはにかむのだった。
「しかし、事はそう簡単ではございませんぞ」
サッジ・タリアスが懸念を伝える。
「ご遺体を引き取られに来られた七政院のご遺族からは、後任者への任命を急くようにとの要望がございましたからな。デルフィアス殿下との謁見を申し込まれておられますが、皆、当然のように任命されるものと思っている者ばかりでございます。その門閥貴族の多くはオフィウ王妃陛下と昵懇の間柄故、このまま何事もなくフィンス王太子が即位されたとしても、王政を行う上では障害となり得るかと思われます。かといって、七政院なくして広大な領土を治めるのは不可能だと申し上げる他ありません」
そこでエムル・テレスコ州都長官が発言する。
「お恥ずかしい話ではございますが、現在、小官が統治しているハクタ州も、完全には掌握しきれていないというのが正直なところでございます。官邸派とオフィウ王妃陛下擁する新王宮派の二派に分かれてしまっておりますからな。市街地を警備する兵士と新王宮を護衛する兵士は交流もなく、本来なら味方であるはずなのに、互いに罵り合う関係が見られることもございます。新王宮の建設が始まってからというもの、指揮系統の異なる軍隊が二つ存在するようになったのが原因でしょうな」
サッジ・タリアスが付け加える。
「殿下、先ほどのマクス王子への承認要求を憶えておられますか? あのようにして同調圧力を加えるのがオフィウ王妃陛下のやり口なのですよ。先に賛同する者を優遇し、最後まで抵抗する者を冷遇するのです。一見すると公平な多数決のように見えますが、少数派を排除していくやり方なので恐怖政治と変わりないのでございます。恥ずかしながら、私も部下の家族を守るためには同意せざるを得ませんでした」
ユリスが首を振る。
「気にすることはない。あれが私への当てつけだということはすぐに分かったさ。しかし、そのパフォーマンスのおかげでフィンス王子の到着が間に合ったのだから、今は感謝しているくらいだ。誰が頼りになるかハッキリしたしね」
老兵のサッジが怖い顔をする。
「殿下、お気をつけくださいませ。あのモノス・セロス騎馬隊長はドラコ・キルギアスに兵法を仕込んだと嘯くような男ですからな。他人の功を盗む者は、人を道具としか思わぬような輩でございます。王妃陛下がいつものように捜査本部を二つにしてしまわれたが、気をつけなければ功を急ぐあの男に不十分な証拠で容疑を固められ、もう一つの捜査本部から逮捕命令が出る恐れがありますぞ」




