第三十二話(76) 三人の生存者
議事堂で一言も喋らなかったマクス・フェニックスが新しい国王になるかもしれないが、彼がこの日やったことは、老いた母親の杖代わりなっただけである。そんな彼に、この難局を乗り越える力があるようには見えなかった。
居室に戻られたユリスに慌てた様子は見られなかったが、かといってオフィウの計画を阻止する秘策があるようにも見えなかった。このままではフェニックス家だけではなく、国もオフィウの手に落ちてしまいかねない状況だ。
翌日、ミクロスの要請で兵舎の病室で行われる尋問に同席することとなった。生き残った三人は全員が頭部を殴打されたようで、そのまま意識を失った状態で発見されたと聞いている。
「まずは名前と誰の警護をしていたのか聞かせてください」
寝台の上で上体を起こした六十過ぎの男に、ミクロスが穏やかな口調で問い掛けた。
「カラロス・フィロスだ。陛下が亡くなられた後、王宮から離れていたのだが、パナス王太子の警護を要請されたので戻ってきたのだ。しかし引き受けるべきではなかった。太子様をお守りすることができなかったのは、この老いぼれの責任だからな。好きに罰するがいい」
ミクロスが大きな鼻をこする。
「罰するのはオレたちの仕事じゃありませんが、しばらくご不便をお掛けするのは許してやってください。というのも、王宮内部での裏切りが発覚しましてね。こっちは誰が味方で誰が敵かさっぱり分からない状態なんですよ」
老兵が頷く。
「それは承知しておる。私もユリス・デルフィアスの裏切りは予想できなかった」
「なぜ殿下が裏切ったとお思いですか?」
「それはこの目で見て、この耳で聞いたからな」
「誰を見たというのですか?」
「ドラコ・キルギアスだ」
「殿下が関係しているというのは?」
「奴が『ユリス擁する、我に大義あり』と宣ったのだ」
僕たちがもう少し早く王宮に突入していればドラコと再会できたということだ。
「一体全体、どういう状況だったのですか?」
カラロス・フィロスが包帯を巻いた頭を手で押さえる。
「あれはハドラ神祇官が主導して非常事態宣言を発令した直後のことだった。七政院の官吏たちは安心しきった顔をして、それぞれの職務室に引き揚げていった。そこで私も王家の居室で事態の収拾を待つことにしたのだが、居室へ行ってみると、すでに太子様と王妃様はキルギアスによって殺された後であった。私は咎めることしかできず、先ほどの言葉を聞いたところで、後ろから頭を殴られたというわけだ」
老兵の頭に巻いた包帯には血が滲んでいた。
「ドラコ・キルギアスはどこから現れたというのですか?」
「さぁな。考えられるとしたら議事堂の隠し通路だろう」
「不可能ではないわけですね?」
「不可能ではないが、内部にいる協力者の手助けが必要だ」
「協力者で思い当たる人はいますか?」
「不自然な行動を取ったのはダリス・ハドラだけじゃな」
考えるではなく、感じたことをそのまま口にした感じだ。
「分かりました。それではまた後で話を伺いにきます」
「ちょっと待たれ。キルギアスは捕えたのだろうな?」
ミクロスが苦々しい顔をする。
「目下捜索中です」
それから隣の病室に移り、二人目の生存者から事情を聞くことにした。
「それでは名前と誰の警護をしていたのか教えてください」
寝台に横たわる線の細い老人が答える。
「ピチェス・ピクタ。陛下が亡くなられるまで王宮で料理番をしていましたです、はい」
「警護ではないわけですね?」
「はい。王太子様の料理を作るようにと呼ばれたんです、はい」
「誰に頭を殴られたか憶えていますか?」
「いえ、後ろから殴られたようなので憶えていませんです、はい」
「直前の状況を教えてください」
老人が目を閉じて思い出す。
「非常事態宣言を発動するとかで、慌ただしかったのは憶えています、はい。私は念のためにと思いまして、非常食の準備を始めました。すると居室で叫び声が聞こえたんです、はい。駆けつけると、王妃様と王太子様が兵士に捕まっていました。すぐにフィロス様が駆けつけてきたのですが、どうすることもできませんでした、はい。フィロス様が殴打され、私も逃げたところを捕まり、その場で頭を殴られてしまったんです。それからは憶えていませんです、はい」
ミクロスが訊ねる。
「居室で賊と鉢合わせした時、何か会話のようなものはありましたか?」
ピチェス・ピクタが目を閉じて思い出す。
「フィロス様は賊の顔を知っているようでございました。『キルギアス』と呼びつけたのを憶えています、はい。それからそのキルギアスは、ユリス殿下の名前を出して王太子様を殺害しました」
フィロスの方からは、料理番の姿は見えていなかったということなのだろう。
ミクロスが締める。
「そうですか、それではまた後ほど話を伺いにきます」
それから隣の病室に移り、三人目の生存者から話を聞くことにした。
「それでは名前と誰の警護をしていたのか教えてください」
寝台の縁に腰掛けた老人が頷く。
「アバス・ボレアス。パナス王太子の馭者として王宮に呼び戻された」
見たところ先の二人よりも傷は浅いようである。
「気を失う前の状況を憶えていますか?」
馭者が頷く。
「居室で悲鳴が上がったので駆けつけると、一足先にフィロスがいて、兵士と会話をしているのが聞こえた。そこで兵士の名が『キルギアス』だということが分かり、ユリス殿下が謀反を起こしたということが分かった。憶えているのはそれだけだ。フィロスも私も前ばかりに気を取られていて、後ろに賊がいることに思い至らなかったのだ。老いてしまったのだろう。以前なら考えられないような失態を演じたわけだな。いや、老いのせいにすべきではないな。力がなかったのだ」
そこでミクロスの私室となった士官室に行き、二人で話をすることにした。
「三人ともドラコと遭遇して、直後に殴られて意識を失ったわけだね」
ミクロスが首を捻る。
「それだと議事堂に鍵が掛かっていた説明がつかないんだよな」
「でも三人とも嘘をついているようには見えなかったけどね」
ミクロスがニヤッとする。
「その反対の可能性もあるけどな」
「どういうこと?」
「三人とも嘘をついているかもしれないってことさ」
「三人で口裏を合わせているということ? そんなのあり得ないよ」
「なんでだ?」
「三人とも王宮の仕事を立派に勤め上げた人たちじゃないか」
「そうなんだよな」
「命を張ることはあっても襲撃犯に協力なんかするものか」
「うむ」
ミクロスが唸った。
「でも、鍵の問題は置いておくとして、三人の話が本当だったら大変なことだよね? だってドラコが実行犯で、ユリスが首謀者ってことになるんだもん。いや、それも考えられないんだけど、どうしたらいいのかな?」
ミクロスに判断を委ねるしかなかった。
「ユリスに任せるしかないだろう」
ミクロスはユリスに判断を委ねるようだ。
「報告は早い方がいいな」
ということで、王宮に行って居室にいるユリスの元へ向かった。しかし王族の居室は立ち入り禁止なので、官吏が使っていた執務室で報告することにした。事情聴取の内容を伝えたのはミクロスだ。
「つまり何者かが私に罪をかぶせようとしているわけだ」
ユリスは自分に容疑が掛かっても冷静だった。
ミクロスが訊ねる。
「どうしますか?」
「ドラコ・キルギアスを指名手配してくれ」
ユリスは躊躇しなかった。
「分かりました」
ミクロスも感情的に反論することはなかった。しかし二人の顔には虚しさが感じられた。僕も同じである。もう、共に過ごした、あの頃のドラコは帰ってこない。
「三人の生存者についてはどうしますか? オレの感覚ですが、これ以上詳しく話を聞こうとしても、同じ話を繰り返すだけだと思いますよ。かといって容疑が晴れたわけじゃありませんけどね」
ユリスが即断する。
「彼らには手厚い看護が必要だ。彼らの聴取内容を隠しておくことはできないからな。私に容疑が掛かった以上、処罰すれば口封じをしたとも受け取られかねない。まずは怪我を治してもらって、それからのことは、その時を待ってから考えよう」
そこで引き揚げようとした僕たちをユリスが呼び止める。
「ミクロスはどう考えているんだ? ドラコはどこまで関わっていると思う?」
しばらく間ができた。
「オレが思うに、今回のクーデターはドラコなしでは不可能だったと思いますよ。なにしろすべてにおいて手際が良すぎますからね。マクチ村の時と同じように、作戦参謀はドラコで間違いありません。でも、ドラコだけでは不可能なのも事実です。アイツは王宮に隠し通路があるなんて知りませんからね。鍵の管理や、非常事態宣言が発動されたらどうなるのかって、そういうのを全部把握していないと今回の作戦は立てられないんです」
やはりダリスか?
「神祇官のダリス・ハドラが犯人の一味であることは間違いありませんが、彼と接点を持ち、ハドラの情報を元に作戦を立てたのかっていうと、それも首を捻りたくなります。ハドラを信じて作戦を立てるのはリスクが大きいですからね。作戦を立てるにも、作戦を実行するにも、信頼が大事なんです。ドラコとハドラにそんな信頼関係があるとは思えません」
ドラコとハドラに接点がないのは僕たちが一番よく知っている。
「となると、両者を結び付ける絶対的な存在、つまり黒幕がいるはずなんですよね。その黒幕が今回の作戦の草案を作ったのかもしれません。王宮内部や都の構造や、官邸や市警の動きまで完璧に把握した人物が、今回の作戦を思いついたんですよ。そういう閃きや発想ができる人物は自ずと限られてきます。まず王宮に出入りしたことがある者で間違いないでしょうね」
ユリスも除外できないわけだ。
「ドラコの目的は分かりませんが、その者には神祇官であるハドラを裏切らせることができるほど崇高なる理念があることは疑いようがありません。そうなると厄介なのが戦争になった場合です。どれだけの手駒を保有しているのか分かりませんが、兵士は死ぬ気で向かってきますよ。倍の戦力でもひっくり返される可能性があります。局地戦なら勝つ保証なんてなくなるでしょうね。なにしろ相手の軍師はドラコ・キルギアスですから」
すでにミクロスは戦争の覚悟ができているようだ。
「今と同じ話を、本日の捜査会議でもしてくれないか?」
「それはユリスの口から話した方がいいかもしれませんね」
「私が話すのか?」
「はい。その方が兵士の士気が上がりますから」
「分かった。それならば助言に従おう」
そこで僕の方から訊ねてみる。
「ユリス、あの、新しい国王についてですが、次の国王は誰になるんですか?」
窮地のユリスが苦悶の表情を浮かべる。
「すまない。君たちに隠し事をするつもりはないが、まだ確信を持って言えることは何もないんだ。早くには今夜にでも決まってしまうだろうが、それまでは私も運命を待つ身でしかなくてね」
それ以上は追及できなかった。そもそも僕のような護衛が王族の問題に立ち入ってはいけないのだ。だからミクロスは一切話題にしないわけだ。ユリスと近いところで仕事をしているうちに、僕は勘違いし始めていたようである。
それから日没前に二回目の捜査会議が開かれるということで、議事堂に前日と同じ顔ぶれが招集された。ただしエルム・テレスコ長官は不在であった。
この日もミクロスが捜査状況を説明したのだが、僕はすでに知っている内容ばかり、つまりドラコの行方や、ハドラ神祇官の所在も掴めていないということだ。
しかし他の者にとっては初耳なので、容疑者としてユリスの名が挙がると、声には出さないものの、明らかに疑いの目を向ける者も現れるのだった。
ミクロスの報告が終わると、ユリスは自身の容疑について潔白を主張し、それが王宮にいる我々を動揺させる罠であると説明し、改めて真相解明に努めるよう強く命じるのだった。
「ユリスや、このババにも少しだけ話をさせてくれんかね?」
ユリスの演説が終わったのを見計らってオフィウが立ち上がった。
「ええ、もちろんですとも。それを止める権利は、私にはありません」
ユリスがフェアな対応をした。
「それは良かった。マクスや、ワシを演壇の上に連れてっておくれ」
マクス王子が立ち上がり、老いた母親を壇上に上がらせて、さっきまでユリスが座っていた議長席に座らせるのだった。護衛が椅子を運び、マクスも王妃陛下の隣に腰を下ろした。その間、ユリスは椅子を勧められたが断って、立ったままその様子を見つめていた。
「ユリスや、犯人捜しは大事だけどね、それよりも先に決めなければならないことがあるんじゃないのかい? そうだよ、今、この国には国王がいないんだから、それを先に決めないといけないのさ。王様が決まらないことには、新しい七政院の任命だって出来ないんだから、さっさと決めなければいけないだろう?」
またしても正論。
「といってもね、七政院の承認といったって、それは形だけであって、後継者は先王の遺言で決まっているんだ。遺言に残されたパナス王太子が不幸に遭ったのだから、後はもう、唯一の後継者であるマクスが王様になるしかないじゃないか」
隣の席に座っている王子はずっと手遊びをして退屈そうにしていた。
「ユリスや、お前さんは王族復帰を望むだろうが、それだって国王が決めることなんだから、どうしたって新しい王様が必要になるのさ。マクスの他に太子がいないのだから、無理にでもやらせるしかないんだ。ワシらだって、こんな事態は望んじゃいなかったが、これ以上の王の不在は許されないからね、仕方ないのさ」
議事堂内にいるすべての目がユリスに向けられた。
「仰っていることはご尤もですが、少しばかりお時間を頂けないでしょうか?」
オフィウが首を振る。
「なんの時間がいるというんだい? 正式にはだね、ワシとマクスの他にフェニックス家の人間は残っちゃいないんだ。結論を先延ばしにする意味がないじゃないか。ワシとマクスの独断で決めるのも可能なんだよ?」
そこで老境のサッジ・タリアス国防副長官が挙手する。
「王妃陛下、大変恐縮ではありますが、この老兵に発言の許可を頂けないでしょうか?」
オフィウが声のした方に耳を傾ける。
「その声はサッジだね? いい機会だ。お前さんの意見を聞かせておくれよ」
老兵が立ち上がる。
「僭越ながら失礼いたします。フェニックス家の歴史は記録に残っているだけでも三百年以上はあり、その間に様々な事態に直面して乗り越えてきたことは、王妃陛下もご承知のことと存じ上げます。中でも三百年前に祖先を飢饉から救ったモルス・フェニックス王は三十歳で即位されて、それから百二十年もの間、王政が続いたと記録されております。人間の寿命を遥かに超えた記録なので疑問を挟む者もおりますが、これには歴としたわけがございます。それは敵国による侵攻の契機を与えないため、亡くなられた後も、国民に崩御の報せをせず、モルス王政を続けたのでございますな。ここは一つ、それに倣って、オルバ王政を続けてはいかがでございましょうか?」
オフィウが首を振る。
「王妃と王太子の首が斬られて盗まれてしまったんだよ? 二人の顔を知る者に後継者が死んだ証拠を握られたんだ。宣伝に使われたり、言いふらされたりしたらお終いじゃないか。隠し通せるもんか」
サッジ・タリアスが頷く。
「それでは、こうされてはいかがでございましょう? フェニックス家にはわずか一日だけの王もおりました。ですからマクス王子が即位された後、デルフィアス殿下の王族復帰を承認し、それからユリス王太子に王位を譲られてはいかがでございましょうか?」
オフィウがニヤッとする。
「前置きが長かったが、それがお前さんの本音だね? 冗談じゃないよ。差し出がましいにもほどがあるっていうんだ。身の程を弁えたらどうなんだい? ユリスには謀反の疑いがあることを忘れちゃいけないよ。否認しただけで容疑が晴れたわけじゃないんだからね」
そこで別の男が挙手するのだった。




