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ロマン・ストーリー 剣に導かれし者たち  作者: 灰庭論
第二章 戦士の資質編
74/244

第三十話(74) 変事

 それからユリスが政治や遷都に関する話題を訊ねてみるのだが、マクスは答弁を避けて、固く口を閉じながら母親が戻ってくるのを待つのだった。それはユリスにとって初めてではなかったようで、特に気にした素振りを見せなかった。


「ママ!」


 戸口に姿を現した王妃陛下を見つけて、マクス王子が立ち上がって小躍りした。


「客人の前で、そう呼んではいけないと教わらなかったかい?」

「ああ、そうだった。確かにそんなことを言われた記憶があるよ」

「賢い子だね。憶えているならそれでいいんだよ」


 マクスが母親の手を取って、ユリスの正面に座らせるのだった。彼はとても心が優しく、老人を労わる心を持っており、本来は陽気で一緒にいるだけで楽しい男なのだろう。


「ところで、護衛を下げて何を話していたというんだい?」


 オフィウが隣に座る息子に訊ねた。


「なんだったかな?」

「母親に内緒の話じゃないだろうね?」

「そんなこと、あるわけないだろう? あれ? なんだったかな?」


 思い出せないマクスの代わりにユリスが答える。


「投票のことやパナス王太子のことですよ」

「それなら護衛を下げる必要はなかったんじゃないのかい?」


 ユリスは何も答えなかった。


「それでマクスや、お前はなんて答えたんだい?」

「何も答えなかったよ。質問もよく分からないんだ」

「そうかい。本当にお前は賢い子だね。それでいいのさ」


 褒められた三十男の王子が嬉しそうだ。


「これから王都へ行くからね。ママは大事な話があるから、お前はご飯を食べてくるんだ。腹いっぱい食べなくちゃいけないよ。途中でお腹が空いても馬車を停めるわけにはいかないからね」


 音だけを頼りにマクスが退室したの確認してから、オフィウが口を開く。


「ユリスや、お前さんほど聡明な男なら分かるだろうに。息子に何を聞いても満足に答えられやしないのさ。いや、お前さんがわざとやっているのは分かっているんだ。昔からワシら親子を疑っているのを隠しもしないんだからね」


 ユリスが難しい顔をして、オフィウをじっと見つめている。


「どうか信じておくれよ。ワシら親子は潮風を感じるこの場所で、いつまでも静かに暮らしていたいだけなのさ。それ以上を望むなんてことがあるわけないじゃないか。あの子が死ぬまで幸せに暮らせたら、それでいいんだよ」


 それでもユリスの表情は変わらなかった。


「どうしたら信じてくれるというのだろうね?」


 そこでユリスが訊き返す。


「それには意思を示していただく必要がありますね。パナス王太子が即位した場合、摂政を置くことになりますが、そこで政治参加するのか否か、明確に答えていただきたいのです。まずは誰を推挙するのかを答えていただきたい」


 オフィウが即答する。


「もちろんパナス王太子に決まってるじゃないか。ワシが孫のように可愛がっていることを知らないのかい? 王太子以外に考えられないじゃないか。摂政だって?

とんでもない。そんなことがマクスに務まるわけがないじゃないか」


 ユリスが否定する。


「マクスではなく、オフィウ、あなたが口出しするのではないかと私は訊いているのです」


 ハクタの魔女が笑う。


「この老婆に何ができるとお思いか? そう思われているのなら約束しようじゃないか。ワシら親子はパナス王太子に投票し、ユリスや、お前さんが摂政を行うというのなら、それを全面的に支持すると誓わせてもらうよ」


 老女が祈りを捧げる。


「同じことを教会で口にすることだってできるんだ。それで信じてもらえるなら、それより目出度いことなんてないじゃないか。だからお願いだよ。パナス坊やのことは頼んだからね。できれば一緒に暮らせるようにしてくれると嬉しいんだけどね」


 ユリスが間を取る。


「それに関しては後でゆっくり考えるとしましょう。それより発言に嘘がないことをもう一度だけ確認させてください。パナス王太子に投票し、摂政に参加しないことを約束していただけるんですよね? 間違いありませんか?」


 オフィウ王妃陛下が頷く。


「ああ、それで間違いないよ。だから、どうかお願いするよ。ワシが死んでも、マクスだけは食べ物に不自由しないようにしておくれ。あの子を守ると誓ってくれるのが、たった一つの条件だ。それくらいはいいだろう?」


 ユリスが了承する。


「分かりました。マクスのことは任せてください。しかし約束を破るようなことがあれば、どうなるか分かりませんよ? 私にも新しい家族ができましたし、もう、黙って家族が殺されるのを待つつもりはありませんからね。ここにいる者たちが証人です」


 ユリスは母親の死がオフィウと関係していると思い込んでいるので必要以上に警戒しているが、僕の目には子煩悩の老婆にしか見えなかった。実際のところは分からないが、それほど危険な人物ではないというのが僕の印象だ。


 それよりもユリスの駆け引きの方に驚いてしまった。出会ったばかりの頃は軟な印象があったが、現在のユリスは守られているのではなく、守るために戦っているように見える。それはまるで、ドラコのように。



「ジジ、オレたちは先に王宮へ向かうぞ」


 ユリスやオフィウの警護をテレスコ長官に任せて、ミクロスとぺガスと僕の三人は王都に先乗りすることとなった。襲撃計画の情報を掴んでいるので、ユリスの身に危険がないか偵察しようというわけである。


「よし、少しばかり休むとするか」


 ミクロスが休憩所に選んだのは畜産が盛んなダブン村だ。ちょうど王都までの中間地点にあるので、全速力で走らせてきた馬をここで交代させると、半日の更に半分で到着できるわけである。


「隊長、俺たちこれからどうなるんでしょうかね?」


 いつからかぺガスはミクロスのことを役職で呼ぶようになっていた。


「近いうちに分かるはずだ」


 僕たち三人は河原で服を脱いで水浴びをしているところだ。


「いや、ひょっとしたらオレたちは、とんでもない勝ち馬に乗ってるのかもしれないぞ? だってそうだろう? パナス王太子が国王になれば、ユリスが摂政として国政を取り仕切るわけだ。そうなればオレたちだって五長官職を拝命できるかもしれないんだからな」


 それを聞いてもぺガスは素直に喜ばなかった。


「なんだよ、嬉しくないのかよ? ああ、そうか、ドラコのことか。いや、確かにドラコのおかげでユリスの側にお仕えすることができたんだから感謝してるさ。だがな、オレらが忠誠を誓っているのはユリスであって、ドラコではないということを忘れちゃいけねぇんだ」


 これは正しい。


「それにオレ様は最近のユリスを見直したんだ。ただの優男だと思っていたが、あれは案外と骨のある男だぜ? 命を張るだけの価値があると思っちまったんだな。それはどういうことかといったら、相応の見返りが期待できるってことだ」


 ミクロスは打算的ではなくて現実的なのだ。


「でも隊長、今ここにドラコが現れたらどうするつもりですか?」


 ぺガスの疑問にミクロスが悩む。


「ヤツの大義がさっぱり見えてこないからな。ドラコのやり方を、つまり法を越えたやり方で悪を裁くってヤツだが、それを是としてしまうと、その後に新しい国を作っても、結局は同じやり方で打倒されちまうわけだ。だから賢い方法とはいえねぇんだよ」


 これも正しい。


「その点、ユリスには希望が持てるんだ。要職への平民登用を躊躇しないからな。兵士の士気も上がるし、それが国防意識にも繋がるわけだ。爺様や父親やブルドン王の影響もあるんだろうが、ユリスは間違いなく三百年に一人の王様、じゃなくて政治家になれる男だ」


 かつてドラコも『ユリスは絶対に守らないといけない男』だと言っていた。彼と出会わなければ、今ごろ僕たちは左遷先のカイドル州で幽霊調査の仕事を命じられていたことだろう。


 平民以下から人材登用できる能力主義を持つ貴族の出現など奇跡のようなものだ。僕たちにできることは、いきなり国をひっくり返すことではなく、ユリスのような人物を支持しながら少しずつ変化させることなのだ。


「隊長がそこまで分かっているのに、なぜドラコは反旗を翻したのですか?」


 その質問の答えは僕も気になるところだ。


「考えられる可能性は、ドラコがユリスから密命を受けているケースだな」


 やはりミクロスも僕と同じことを考えていたようだ。


「しかし、ユリスがそこまでの野心家だと思えないのも事実だがな。それに事実だとしたら、オレたちにも本当のことを言わずに黙っているわけだろう? だとしたら相当な役者だぜ? ユリスは切れ者だが、そういう狡猾さはないと思うんだよ」


 ミクロスが乾いた髪をかき上げる。


「そろそろ行くとするか。ドラコに関しては敵になっている可能性の方が高いからな。ここからはいつ襲われるか分からないんだから、充分に気をつけるんだぞ? 行軍じゃないんだから、矢が飛んで来たら固まらずに散り散りになって逃げるんだ。移動中は逃走ルートを頭の中で思い描いておけよ? 足止めさせようと思うな。馬を途中で捨ててでも逃げ延びるんだ。オレたちの任務はユリスに報告することだからな」


 ということで、僕たち三人は新しい馬を走らせて王都へ急いだ。地均しされた道なので、馬が怪我をするリスクも低く、快調に飛ばすことができた。移動のスペシャリストであるミクロスがいるので、昼前には王都の遠景を捉えることができるはずだ。



「おい、なんだよ、あれ?」


 ミクロスが馬上で叫ぶ。


「戦争じゃねぇだろうな?」


 見ると、都のあちこちから黒煙が立ち上っていた。


「急ぐぞ!」


 都まで飛ばしに飛ばした。

 新兵のぺガスも遅れまいと必死についてくる。

 都の入り口の検問所まで辿り着いた。

 そこにいるだけで喧騒が伝わってくる。


「カイドル州、州都長官の護衛隊長をしているミクロス・リプスだ」


 そう言って、警備兵に州都札を見せた。


「これは一体、何事だ?」


 警備兵が恐縮する。


「はっ、火事であります」

「至る所に煙が立ってるじゃないか?」

「はっ、おそらく放火ではないかと思われます」

「犯人を捕らえたか?」

「そういった報告は受けておりません」

「他の者はどうした?」

「消火作業に当たっております」


 そこでミクロスが馬から降りる。


「すまないが、馬を預かってくれ」

「はっ、了解しました」


 ミクロスが指示を出す。


「ここからは歩いて行くぞ」


 そこで僕とぺガスも馬から降りることにした。


 街の中に入ると、人々はパニックに陥っていた。

 慌てて逃げる者や、消火に向かう者が入り乱れている。

 すでに全焼した家屋もあった。

 時間差で火が点けられているようである。


「王宮は大丈夫かな?」


 喧騒で聞こえなかったのか、ミクロスは答えてくれなかった。

 見たところ、王宮から煙は上がっていなかった。

 しかし、燃えた後かもしれないので安心はできなかった。

 市場を通り抜けようとしているが、屋台がぐちゃぐちゃである。

 火の手はないが、混乱に乗じて犯罪が発生しているようだ。

 悲嘆に暮れた人の顔は見ていられなかった。

 工場からも出火している。

 しかし火災現場が複数あるので消火作業すら行われていなかった。

 警備兵も住民を避難させるだけで精いっぱいだ。

 僕たちも先を急ぐことしかできなかった。

 人波をかき分けて、王宮が見えるところまで辿り着いた。

 広場では怪我を負った人たちが寝かされて手当てを受けている。

 死体もあった。

 しかし外傷や防御創は見られないので、戦闘があったわけではなさそうである。

 王宮のある丘を駆けあがった。


 表門の前には大勢の人が押し寄せていた。

 おそらく行き場を失った人たちだろう。

 家を失った者もいるに違いない。

 仕事を失った者もいるだろう。

 今日食べる食べ物すらない人もいる。

 その人たちを兵士が必死に押し返しているところだ。

 ミクロスが正面から中へ入るのを諦めた。

 西側通用口に回り、そこで門番に州都札を見せてから鉄扉を潜った。

 外門の内側は驚くほど静かだった。

 正面にある御前広場の方に回ることにした。

 そこに二千から三千の新兵が無言で待機しているのだった。

 命令があるまで待っている状態なのだろう。


「おい、ペガスじゃねぇか」


 新兵の一人が声を掛けてきた。


「誰だアイツ?」


 ミクロスの問いにぺガスが答える。


「カレオ・ラペルタ陣営隊長の息子のカニスです」

「あれで貴族の息子かよ」


 ニヤニヤしながら、そのカニスが近寄ってくる。


「どうしてぺガスがここにいるんだ? お前たち島流しになったはずだろう?」


 憎たらしい顔をした少年だ。

 広場にいる全員の注目を集めている。


「お前、なに勝手に話し掛けてんだ? 新兵なら黙って座っとけや」


 そう言って、ミクロスがカニスを小突くのだった。


「僕が誰だか知らないようだな」


 カニスは余裕だった。


「陣営隊長の息子だろう? その無能な親父はどこにいんだよ?」


 カニスの顔が変わる。


「言ったね? 上級士官に対する暴言だ。これは処分の対象だよ?」


 ミクロスが胸倉を掴む。


「いいから、お前のボンクラ親父をさっさと呼んでこいよ」


 ミクロスは恫喝が通じるような男ではなかった。


「どうなっても知らないぞ? 言いつけてやるんだ」


 そう言って、カニスが士官室のある兵舎へと走って行った。

 それからすぐにカレオ・ラペルタ陣営隊長を連れてくるのだった。


「ミクロス・リプス、どうしてお前がここにいる?」


 高圧的な立ち居振る舞いは新兵時代に接した時のままだった。


「それより教えてください。こんなところで兵士を遊ばせて何をしているというのです?」

「口の利き方に気をつけたまえ」

「外の状況を知らないんですか?」


 ミクロスは意に介さなかった。


「非常事態宣言を発動しておる」

「王宮の中は大丈夫か?」

「どうしてお前に説明せねばならんのだ?」

「ならば説明を拒否されたとユリス・デルフィアス殿下に報告するまでだ」

「わ、分かった」


 階級に拘る人なので、すぐに態度を軟化させた。


「現在、王宮には七政院のお歴々が集まっておられる。みな私兵を雇われておられるので警護は万全だ。さらに非常事態宣言を発動したので、誰も中に入ることはできないのだ。まっ、もっとも、賊が侵入を試みても、この場で食い止めてみせるがな」


 ミクロスが考える。


「王宮の門を閉じてどれくらい経つ?」

「もうすぐ一時間になる」


 一日を二十四分割した時の砂時計一本分の時間だ。


「今すぐ門を開けるんだ」

「一時間は開けるなとのご命令だ」


 ミクロスがラペルタ隊長の首を絞める。


「コイツを切り落とされたくなかったら、さっさと開けるんだな」


 王宮内に異変が起こっていなければ、僕たちの方が処分されるだろう。

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