第二十九話(73) フェニックス家の後継者問題
その夜、ユリス夫妻とテレスコ長官夫妻の四人で食事をしたのだが、内輪で行うということで、警護はミクロス一人で、僕とぺガスには暇が与えられた。そこでぺガスが王家の人間関係についておさらいをしたいと言うので付き合うことにした。
僕たち三人には官邸内にある立派な客室が与えられていた。部屋に入った瞬間、とんでもない勢いで出世していると実感した。
特に新兵のぺガスは半年も経たずに五長官職の警護に抜擢されたのだから異例の大出世である。
「僕もきちんと把握しているわけじゃないんだ」
「それでいいよ。ジジが知っていることだけで構わないから」
ぺガスは蒸し鶏と菜っ葉を挟んだパンを食べながら話を聞くつもりのようだ。
「自分で調べたわけじゃないから、聞き間違えや勘違いしている部分があるかもしれない」
「うん。後でちゃんと自分で調べるから、とりあえず教えてほしい」
テーブルを挟んで向かい合うぺガスが口をモグモグさせながら返事をした。
「十三代目の国王だったジルバ・フェニックスは、平民のモンクルスに全軍の指揮権を与えたことで有名な王様だ。だからジルバがいなければ、剣聖モンクルスは存在しなかったといっても過言ではない。そのジルバには三人の子どもがいて、それがオルバとコルバの兄弟と妹のノバラさ。ジルバの死後、長兄のオルバが十四代目の国王になったのが三十年前で、暗殺されたのも即位した年というから、在位期間は一年に満たなかったという話だ。それからコルバが十五代目の国王になって三十年の在位が続いたわけだ」
退屈な話なので苦茶で眠気を覚ましつつ続ける。
「コルバに初めて子を授かったのが今から十五年前だ。それがクミン・フェニックスで、二年後に世継ぎとなる男の子が生まれた。だけどフィンス・フェニックスは生まれつき足が不自由だったんだ。病気を持つ世継ぎは殺されるというから、そうさせないために死んだことにして、母子ともども身を隠したんだろうね」
現在も二人は死んだことになっている。
「その後、パヴァン王妃が正妻となり、パナス王太子が生まれたのが今から五年前のことだ」
ここからは他者の想像も含まれる。
「世継ぎがパナス王太子だけなら何も問題はなかったんだ。コルバ国王も頭を悩ます必要もなかっただろう。ところが兄王の正妻が一人息子を連れて現れたことで後継者問題が起こってしまったんだ。しかも二十年くらい前にひょっこりと姿を現したというから、誰もその息子が先代である兄王の忘れ形見だとは思わなかったそうだよ」
いわゆる『ハクタの魔女』のことだ。
「でも本物なら直系の世継ぎなわけだから、それで扱いに困ったという話さ。一説には、兄王の正妻であるオフィウがマクス王子を連れてきたから、現職のコルバ国王は結婚を急いだのではないかといわれているね。兄王の死後十年もの空白期間があったから、マクス王子が本当にオルバの実子かどうか確かめる術がなかったわけだ」
ここからは僕の想像も含まれる。
「コルバ国王が結婚を急がなかったのは、ユリス・デルフィアスの存在が大きかったと思う。ノバラ・フェニックスの一人息子である甥のユリスに国王の座を譲ろうとしていたんじゃないのかな。だからユリスと争うことになる子どもを作らなかったんだ。だってユリスほど優れた資質を持つ指導者はいないからね。オフィウとマクスの二人が現れなかったら、ユリスが十六代目の新国王に即位しても不思議ではなかったというわけさ」
ペガスと二人きりだから話せるが、その可能性は冗談でも人前で口にできることではなかった。それは国王候補である幼いパナス王太子の死を暗示するものだからだ。
ぺガスが訊ねる。
「つまり王宮が襲撃されて得をするのはマクス王子だけではないということだね?」
彼は恐れを知らない男のようだ。
「それってユリスがドラコを動かしてるって言いたいの?」
ぺガスが首を振る。
「単に可能性の話だよ。ミクロスが言うように、ドラコが事件の作戦を指揮しているのは、その手際の良さからまず間違いないんだ。でもドラコには王宮を襲撃するという絵は描けないと思うんだ。そうなると、納得させられるだけの大義を抱かせることができるのはユリスしかいないと思ってさ」
そこは盲点だった。確かにぺガスの言う通り、ユリスならばドラコの一連の行動に説明がつく。今までその可能性に思い至らなかったのは、ユリスにはそんな野望がないと信じ切っていたからである。
考えてみれば、旧カイドル帝国を治めるために若くして独立した男なのだから野心があってもおかしくないわけだ。理由は分からないが、秘密裏にドラコを使って王宮の腐敗を正そうとしているとも考えられるわけである。
ぺガスが訊ねる。
「オフィウ・フェニックスについて他に知ってることはないの?」
彼女に関する情報は少なかった。
「それなら僕じゃなくて、長官の息子であるヴォルベとフィンス王子に聞いた方が詳しいことを知ることができるんじゃないかな? 僕は彼女が『ハクタの魔女』と呼ばれていることすら知らなかったわけだからね」
翌朝、僕たち三人はユリスの護衛で長官室に呼ばれたのだが、そのオフィウ・フェニックスのことで一悶着あった。会いに行くように説得するテレスコ長官に対して、ユリスは断固拒否するのである。
「殿下、気が進まないのは承知しておりますが、現在も王妃陛下であることに変わりありません故、こちらから会いに伺うというのが礼儀でございますぞ。どうか、ご再考の上、足をお運びいただきますよう、お願い申し上げます」
長椅子に身を沈めているユリスが丸めた手の親指を噛む。
「王妃なわけないじゃないか。婚姻の記録が残っていないのなら、認めてはいけなかったんだ。終戦間際の混乱を言い訳にしてはいけないよ。国にとって何よりも大事な証文なんだからね。存在しないなんてあり得ないんだ」
向かい合って座っているテレスコ長官が弱り顔だ。
「オフィウ王妃陛下が殿下の伯父上からご寵愛を受けておられたのは、この私の目から見ても確かでございました。それ故、世継ぎを身籠っておられても不思議ではないというのが当時を知る者による結論でございます」
ユリスは納得していない。
「オフィウが本物か否かは疑っていないさ。しかしマクスが伯父上の実子であるかは分からないはずだ。オフィウを王妃と認めるということは、マクスを国王候補にしてしまうということなんだよ? パナス王太子に何かあったらどうするつもりなんだ?」
返答に窮するテレスコ長官を見て、ユリスが冷静になる。
「すまない。エルムに言っても仕方がないんだったね。これは七政院がうまく機能していない証拠でもあるんだ。出自不明な者が七政院の承認だけで国王候補になってしまうんだからね。これ以上の欠陥はないよ。この機会に、そのことを正そうとも思っているんだ」
テレスコ長官が訊ねる。
「王族に復帰なさるおつもりでございますか?」
ユリスは首を振る。
「そこまでは考えていないよ。第一、父方のデルフィアス姓に誇りを抱いているからね」
テレスコ長官が遠い目をする。
「お父上は偉大な方でございましたな。終戦直後のカイドル州を統治するのは、国王の仕事よりも難儀であるのは誰もが知るところでありました。若くして亡くなられましたが、ご子息が立派に後を継がれたことを知ったら、さぞお喜びになるでしょう」
カイドル州の初代長官は赴任先で暗殺されたと聞いたことがある。
「僕のことはいいんだ。それよりもパナス王太子のことが心配でね。お目に掛かったことはないが、状況に応じて僕が摂政として補佐してもいいと考えてはいるんだ。もちろん状況を充分に確認してからになるが」
テレスコ長官が嬉しそうな顔をする。
「さようでございますか。それが最善かもしれませぬな」
ユリスが憂う。
「王太子には僕のようにはなってほしくないからね。とにかく、あの悪魔の老婆を若い母子に近づけてはいけないんだ。あの女が現れてからフェニックス家の人間はみんな具合が悪くなって早死にするようになったんだからさ」
ユリスにしては珍しい言動を見せた。母親のノバラ・フェニックスを早くに亡くしているので、おそらく母親の死にオフィウが関わっていると思っているのだろう。真偽は不明だが、彼女を拒否する理由はそれが関係していると推察できた。
「倅が似たようなことを口にしたことがありますが、殿下の影響でございましたか」
ユリスが苦笑する。
「それはすまなかったね。でもヴォルベは見どころのある男だぞ。前に会った時は確か八つか九つだったと思うが、生涯を通してフェニックス家の御旗に忠誠を誓うと宣言したのだからね。その時の顔は父親と同じ目をしていたから、今でもハッキリと憶えているんだ」
テレスコ長官が相好を崩す。
「ありがたきお言葉、感謝いたします」
「会えないのは残念だったな」
長官が額の汗を拭う。
「申し訳ございません」
「エルムが謝ることではないさ。何か事情があるのだろう。父親に迷惑を掛けないために黙っているのかもしれないし、戻って来ても頭ごなしに叱るのではなく、よく話を聞いてみることだ。ただし母親を心配させるのは良くないけどね」
どうやらヴォルベ・テレスコは家出をしているようである。
「さて、建設中の新しい王宮も気になることだし、遅くならないうちに行くとしようか」
ユリスの言葉に、テレスコ長官の声が上ずる。
「殿下、それでは王妃陛下とお会いになっていただけるということでございますかな?」
ユリスは渋々といった顔をする。
「仕方ないじゃないか。ここはハクタ州でエムルが治めている土地なのだ。他の者の要請ならば突っぱねることもできるけど、エルムの顔に泥を塗るわけにもいかないからね。我慢するよ。ただし出されたものには口をつけない。それだけは譲れないからね」
テレスコ長官が立ち上がる。
「結構ですとも。それでは早速準備いたしましょう」
ということで、市街地の中心にある州都官邸から山の手にある貴族街へと移動して、オルバ元国王の妃であるオフィウ・フェニックスとマクス・フェニックスの母子に会いに行くこととなった。
二週間以上前に、ケンタスを尾行する途中で貴族街を訪れていたのだが、その時は日が沈んでいたので新王宮の姿を目にすることはできなかった。そういうこともあり、実際に訪れたのは、かれこれ一年半振りのことだった。
急こう配の岩山を利用した天然の城塞は堅牢な印象を与え、以前よりも防災対策がしっかりと施されていると見受けられた。岩肌の土を調べてみたが、良質なので水害や地震による被害は最小限に収まりそうでもある。
また、新王宮へ至る麓の森林には新設の兵舎が立ち並び、牧場も併設されていて、有事への対応も万全といった印象だ。ハクタ州は半漁半兵なので総数は把握できないが、兵舎の数から察するに、常駐の兵士だけでも一万人はいそうである。
「おお、ユリスや、ユリスが私に会いにきてくれたというのだね?」
新王宮に到着した僕たちを表門で出迎えたのは法服を纏った老女だった。
「ユリスなのかい? 本当にユリス・デルフィアスだというんだね? 目が悪いのはお前さんも知ってるだろう? こうして目の前にしても見分けがつかないんだよ。よかったら、その美しい顔を触らせておくれよ」
目をつぶって恐る恐る歩いてくる老女がオフィウ・フェニックスのようだ。そして付き添っている三十歳前後の男がマクス王子なのだろう。相手が王妃陛下なので、護衛のミクロスもユリスに近づいてくる二人を制止させるわけにもいかなかった。
新王宮の入り口に馬車を横付けしており、警備上、囮となっていた後続車からも警備隊長や副長が降りてきて、二人の再会を見守るのだった。オフィウ側の警護も五十人以上いたが、持ち場から動く者は一人もいなかった。
「ユリス、どうしたというんだい? そのきれいな声を聞かせておくれよ」
法服の老女が手を差し出すと、ユリスがその手をしっかりと握るのだった。
「ここにいます。僕なら、ここにいますよ」
つぶった老女の目から涙が流れる。
「ああ、まさしく、ユリスだよ。ユリスが会いにきてくれたというんだね」
そう言って、顔に触れるのだった。
「そうそう、この耳の形。ユリスは耳まで凛々しいのさ」
老女が少女のように微笑んだ。
「長らくご挨拶もできませんで申し訳ございませんでした」
ユリスの謝罪にオフィウは何度も首を振った。その姿を見て、オフィウ側の警備兵だけ感極まっている様子だ。誰もが故郷の母親を見ている顔になっている。その現場の温度差が異様な印象をもたらしていた。
それとは別に、僕たち三人は態度を軟化させたユリスに戸惑わずにはいられなかった。先ほどまで『悪魔の女』と公言していた相手に情けを掛けたからである。しかし、それこそがユリス・デルフィアスの人間性だった。
か弱い人を目の前にしてしまうと、どうしても慈悲、つまり思いやりや優しさを抱かずにはいられないわけである。差し出された手を振り払うような真似は、ユリスには一生涯できないことなのだ。
それからユリスが奥さんのアネルエをオフィウとマクスに紹介して、それが済むとテレスコ長官が案内役を務めて新王宮の施設内部を説明し、オルバ教会と名付けられた教会で祈りを捧げてから、貴賓室に通されるのだった。
そこで軽く雑談をした後、オフィウがアネルエを大層気に入り、若い頃に着ていた服をプレゼントしたいということで、二人で王妃陛下の居室へと移動した。召使いのエルマが付き添っているが、ユリスはローマンとぺガスに見張りを命じた。
「マクスと話があるので席を外してくれないか?」
ユリスがマクス王子の護衛に退室を命じた。
「恐れながら、それはできない規則となっております」
「それはすまなかったね。エルム、君から命じてくれ」
テレスコ長官がユリスの命令に従う。
「殿下は王子と内々で話がしたいそうだ。今すぐ退室するように」
「はっ!」
ハクタ州の長官から直接命じられるまで勝手に動くことができないのがハクタ州の護衛の仕事だ。指揮系統を乱さないために必要な手間というわけである。もしもそこでユリスの命令に従っていたら、この場でクビになっていたはずだ。
それにしても、マクス・フェニックスは落ち着きがなかった。正確に言うと、母親のオフィウがいなくなってからオドオドし始めた感じだ。入り口に立っている僕の方をチラチラと確認し、母親の帰りを今か今かと待っている様子である。
マクス王子は典型的な中年太りで、顎の下や脇に肉をだぶつかせていた。喉が異常に渇いているようで、すぐにコップの水を空にしては、大汗を流し、その汗を握りしめている布で拭うのだった。それが父王のオルバにそっくりという話だ。
僕も初対面のはずなのに以前から知っているような感覚に囚われるのは、ハクタ市の役所に展示されているオルバ王の胸像を見ているからなのかもしれない。昔をよく知る人によると、マクス少年はそのオルバ王の石像とそっくりに成長したという話だ。
「マクス、久し振りだね」
ユリスに声を掛けられても、王子はうまく返事ができないのだった。
「変わりはないかい?」
王子は目を合わせようともしなかった。
「王子、殿下からのご挨拶でございます故、返答をされてはいかがでございますか?」
テレスコ長官が促した。
「ああ、うん」
王子が喉の調子を整える。
「こちらは何も、何も問題はありません」
マクスがオルバの実子なら、ユリスとは従兄弟同士の関係ということになる。しかも年齢だけではなく、後継者順位でもマクスの方が上なのだ。それにも拘わらず、王子はユリスの家来のような言動を見せるのだった。
「それなら良かった。それはそうと、新しい国王についてだけどね、投票の前に君の意見を聞いておきたいと思ったんだ。君にも投票権があるわけだから、自分の意見だってあるわけだろう? 是非、聞かせてくれないか?」
マクス王子が生え際の後退した額の汗を拭う。
「それはママが決めることだから、ママに聞いた方がいいと思うよ」
ユリスが質問する。
「パナス王太子については、どう思っているんだい?」
「よく知らないから、それもママに聞くといいよ」
ユリスが質問を重ねる。
「お母上が摂政に関わるという話は聞いているかい?」
「もう、やめてくれよ」
そこでマクスがイライラする。
「分かるだろう? ボクは何も知らないんだ。どうしてユリスは、いつもボクをそうやっていじめるんだ? ボクが何をしたっていうんだ? 昔からそうじゃないか。質問ばっかりで、泣くまでやめてくれなかった」
その様子を見て、マクス王子は貴族ではないと思った。彼は僕と同じ側の人間である。そういうのは歯と姿勢を見れば一目瞭然だ。彼は貴族出身でもなければ、成り上がり貴族でもなかった。間違いなく替え玉である。




