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ロマン・ストーリー 剣に導かれし者たち  作者: 灰庭論
第二章 戦士の資質編
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第二十八話(72) 戦士の覚醒

 何が起こったのか、自分でも分からなかった。

 身体が勝手に動く感覚は、生まれて初めてである。

 長剣を振り上げたドラコに、僕は槍を突き刺したのだ。

 紙一重だった。

 いや、長剣と槍の違いが勝敗を分けたのだろう。

 槍の穂先が一瞬だけ早く相手に届いたのだ。

 直後にドラコの長剣が、僕の鼻先をかすめて空を斬った。

 しかし、突き刺したはずのドラコは、どこかへ消えてしまった。

 一瞬のうちに姿を消してしまったのである。



「ジジ!」


 振り返って、身構える。


「おい、バカ! オレだよ、オレ」


 ミクロスが、僕が歩いてきた道から走ってきた。

 その顔を見た瞬間、全身の力が抜けて、立っていられなくなった。


「おい、大丈夫かよ」


 全身に筋肉痛のような痛みを感じる。


「ジジ、しっかりしろっ」


 ミクロスが地べたに膝をついて僕を抱きかかえてくれた。


「何があった?」

「ドラコを、殺したんだ」


 喋ることだけは出来るようだ。


「お前が見たのは幻だ」

「幻?」

「ああ、ぺガスが言っていた。幻は霧や雨の時に見るんだってよ。だから心配で来たんだ」

「じゃあ、ドラコは? 僕はドラコを槍で突き刺したんだ」

「穂先を見てみろ。どこにも血がついてないじゃないか」


 ミクロスに物証を見せられて、やっと現実に戻ることができた。


「自分の力で立てるか?」

「うん」


 現実に返っても、全身の痛みは残ったままだ。


「よく殺したな。殺らなきゃ、殺られていたぜ。心臓が止まっちまうんだとよ」

「うん。死ぬかと思ったよ。身体が勝手に動いてくれたんだ」


 ミクロスがニヤリとする。


「それが本能ってヤツだ。相手がドラコだろうと、それでいいんだよ。いや、そうじゃなきゃいけないんだ。躊躇なんかしなくていい。殺されると思ったんだろう? だったら殺らなきゃダメだ。殺されちゃ、生きられないんだからな」


 そこでミクロスが背中を見せて腰を屈める。


「掴まれ。歩けないんだろう?」

「ごめん」


 甘えることにした。


「気にすんな。戦場トレーニングみたいなもんだ」


 ミクロスは大柄な僕を担いでずんずんと歩いて行くのだった。

 気がつくと、辺りはすっかり霧が晴れていた。

 立ったまま、しばらく気を失っていたのかもしれない。

 そんな経験も生まれて初めてだった。


「ねぇ、ミクロス、三人の兵士が行方不明なんだ」

「お前を捜す途中で一人見つけた。外傷はなかったよ」


 つまり幻に殺されたということだ。


「ジジ!」


 古い検問所の小屋の前にぺガスがいた。

 そこで背中から下ろしてもらう。


「ありがとう」

「いいってことよ」


 ぺガスが駆け寄ってくる。


「ジジ、大丈夫だったかい?」

「うん」


 ミクロスがニヤッとする。


「コイツ、ドラコに勝ったんだぜ?」

「ドラコの幻? そいつは凄いな。俺だったら死んでたかも」

「当たり前だ」


 ミクロスはこういう時でも生意気な言動は許さなかった。

 気になることがあったので、それを二人に説明することにした。


「勝ったといっても、ドラコは槍を持っている僕に真正面からイノシシのように突進してきたんだ。しかも目の前にきてから、そこでやっと剣を振り上げるものだから、隙ができるというわけさ。あれは確かにドラコだったけど、風に舞うドラコの戦い方ではなかったよ。つまり、僕の頭で作られたドラコなんだ」


 ミクロスが考え込む。


「しかし本当に幻を見るとはな」

「俺の言った通りでしょう?」


 ぺガスが得意げだ。


「うるせえ」


 ミクロスが一喝した。


「捜すって決めたのはオレ様だ。オレの手柄を横取りするんじゃねぇ。お前はジジを連れて演習地に戻れ。オレたちは三人の遺体、いや、まだ生きてるかもしれないが、残りを見つけてから戻る。ユリスにはお前たちの方から報告してくれ。昼までには戻るから、ハクタに行く準備もしておくんだ」


 そう言って、小屋で待機していた兵士を連れて森の奥へ捜索しに行った。



「ありがとう」


 ぺガスが馬上の僕を見上げる。


「礼なんかいいよ。幻を消し去ったのはジジじゃないか。アレは本当に自分との闘いなんだ。俺は二回見たけどさ、一回目は打ち負かすことで勝ち切り、二回目は逃げのびることで勝つことができたんだ。どちらも戦場では必要な判断だ。ジジは自分に勝ったんだよ」


 確かに本物のドラコ相手では万に一つも勝てない。


「僕はドラコを殺せる人間だったんだね。幻と出会わなければ、そんなこと想像することもできなかっただろうな。それが肉体の痛みよりも苦しくてさ、今も胸が締めつけられるように痛いんだ」


 ぺガスが笑う。


「ふふっ、仕方ないよ。ケンなんか俺を殺しちゃったんだぜ? しかも殺した後にケロッとしてやがるんだ。少しはジジを見習って悩んでほしいくらいだよ。だからアイツに比べれば、ジジはまともだよ」


 ケンタスは正当防衛の普遍性を知っている男なので、僕のように悩むことはないだろう。


「でもさ、俺はこうも考えてしまうんだ。ケンタスは躊躇なくどんな幻でも殺せるけど、ドラコが幻を見たらどうだろうってさ。兄ちゃんは優しいから、ケンやジジの幻を見ると殺せないと思うんだ。そこが似た者兄弟の決定的な違いでもある。それだけに今の兄ちゃんが何を考えているのか分からなくなっちゃうんだよな。だってテロという手段でユリスの命を狙うなんて考えられないじゃないか」


 僕がドラコの幻を殺すことができたのは、そのことも関係しているのかもしれない。彼がそんなことするはずないと思ったから反撃することができたわけだ。つまりそれは、ドラコが間違ったことをしている、と思っているということだ。



「また幻が出たというのか」


 演習地にある兵舎の士官室でユリスに報告を行った直後の言葉だ。


「被害は?」

「一名の死亡が確認されています。残りの二名はミクロスが目下捜索中です」


 ユリスが考え込む。


「今のところ、勝つか逃げるかした者だけが死なずに済んでいるのだな」


 これは当たり前の雑感のように思われるが、決して当たり前ではなかった。なぜなら、それこそが戦争のすべてだからである。始まる前に勝敗は決している、というのが戦争なので、引き際を感じ取る能力が不可欠なのだ。


 勝つか逃げるかの判断ができずに、ずるずると戦局を引き延ばせば、無抵抗の市民をも無残に死なせることになる。国力とは人力である、ということを忘れては、戦う意味すら見失ってしまうというわけだ。


 特に島国の人間は、大陸による数の暴力には絶対に逆らえない、ということを肝に銘じておく必要があるのだ。局地戦で勝っても、大局で勝った歴史など存在しないからだ。今後起こり得るとしても、それは『造船技術が発達するまでだろう』と前にドラコが言っていた。


「ミクロスが到着次第、出発する」


 それから間もなくしてミクロスが部下と共に帰ってきたのだが、消息不明だった二名も結局は遺体となって運ばれてきた。二名とも外傷はなく、ショック死のような状態で死んでいたとのことだ。


 そこですぐに合同葬が行われ、ユリスが弔辞を述べたのだが、死因については伏せられた状態で伝えられた。幻についての噂は知っているだろうが、まだ正式に発表していないということで、ユリスも追従したわけである。


 オーヒン国駐留の国境警備隊とはここでお別れだ。引き続いて行われた解散式でユリスが労をねぎらい、これから交代で同行するハクタ州の新兵には気を引き締めるように強い言葉で訴えた。


 ハクタの州都までは半日も掛からないということもあり、千人を超える新兵が演習を兼ねて随行することとなった。人員が増えたということもあり、僕はユリスの護衛に復帰して、シンガリの部隊はウルスの指揮下に戻された。


 昼過ぎに出発して、日没前にはハクタ州の州都官邸に到着した。解散式は行わず、随行した新兵たちはすぐにガサ村へと帰った。僕も新兵時代は何度も王都とハクタ州を往復させられたことなので、その徒労感は痛いほどよく分かるのだった。



「殿下、お久し振りでございます」


 ユリスの護衛でミクロスとぺガスと僕は州都官邸の長官室に来ていた。他にはアネルエと召使いのエルマも一緒である。僕たちを出迎えてくれたのは州都長官のエムル・テレスコだ。クミン・フェニックス王女を預けてある別邸の所有者でもある。


 久し振りに見た長官は以前と容姿が変わっていなかった。五十前後の年齢のはずだが、実戦で鍛え上げられた肉体は現在も維持したままだった。そこが軍閥出身の貴族とは大きく違う点だ。


 綺麗に剃り上げた頭を見れば、それだけで腕のいい刃物の研ぎ師がいるというのが分かる。武器や防具の手入れも怠らないように指導しているということで、やはり戦争を経験した人の心構えは兵士として勉強になる。


 ちなみにハクタの州都官邸だが、僕たちが勤めているカイドル州のそれよりも大きくて広くて立派だった。木造と違って全棟石造りなのも見逃せない違いだ。これは単純に資源と人口と税収が違うからなのかもしれない。


「殿下、挨拶が遅れましたが、ご結婚おめでとうございます。殿下をこの腕に抱いていたのは、つい最近のことと思っておりましたが、月日の流れは早いものですな。天上のお母上も、さぞお喜びのことでしょう」


 ユリスが照れる。


「エムル、そういう挨拶はよさないか。恥ずかしいだろう?」


 と言いつつ、久し振りに見る笑顔はとても嬉しそうだった。


「アネルエ様、ご結婚おめでとうございます。ご挨拶が遅れたことをお詫び申し上げます。殿下は早くに母上様を亡くされて、お寂しい思いをされてきた男でございます。どうか、末永くお慕いくださるよう、切にお願い申し上げます」


 アネルエは長旅の疲れを感じさせない笑顔を見せるのだった。


「閣下のお話は何度も伺っておりまして、殿下、いえ、主人ともども、こうしてお目に掛かれる日を心待ちにしておりました。至らぬ身でございます故、ご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申し上げます」


 それからエムルはユリス夫妻を夕食に招待し、そこで閣下は奥さんを紹介すると言って、二人が快く返事をし、部屋の外にいる警備兵を呼びつけ、二人を貴賓室へお連れするようにと命じるのだった。


「殿下、明日の警備について話があるので、護衛の三人をお借りしてもよろしいかな?」

「それは結構ですが、引き抜きだけはやめてくださいよ。とても優秀な者たちですからね」


 ここまで上機嫌なユリスは見たことがなかった。



「ミクロス・リプスとジジの両名は前に会っているな?」


 部屋から誰もいなくなると、エムルは急に小声で話し始めた。

 ミクロスが代表して答える。


「はい。ドラコ・キルギアスとチームを組んでいます」

「すまないが、ペガス・ピップルと二人きりで話があるので席を外してもらいたい」


 そこでぺガスが口を挟む。


「長官、お話の途中、大変恐縮ではございますが、発言の許可を願えないでしょうか?」

「よろしい」


 ぺガスが緊張している。


「それでは失礼して申し上げます。長官がこれから話されることについては理解しております。それについて私たちの間に秘密はないので、ミクロスとジジの両名に同席の許可を願えないでしょうか?」


 長官が念を押す。


「他に知っている者は?」

「ケンタス・キルギアスとボボの二人だけです」

「ユリスは?」

「まだ報告しておりません」

「よろしい。同席を許可しよう」


 そこでエムルが相好を崩す。


「私の他に人がいない時は難しい言葉を使う必要はないぞ? 私も若い頃から言葉遣いを散々バカにされてきたからな。そういうのは出世を気にする下級貴族ほどうるさいのだ。下を見て笑っているうちは上に上がれないものだ。いや、上に上がる気力を持てぬから下を見て憂さを晴らすのだろう」


 王都よりハクタの兵士の方が優秀だと実感していたが、上官に大きな違いがありそうだ。


「さて、どういう経緯があったのか聞かせてもらおうか」


 そこでぺガスが、クミン王女との出会いや、王宮に危機が迫っていることや、ケンタスが連れ出した理由について、すべて説明するのだった。エムルはクミン王女から聞いた話と答え合わせをするように頷いて聞いていた。


「では、王女は君たちが正体を知っているとは知らぬということなのだな?」

「はい」

「隠した理由は?」


 ぺガスが言いづらそうにする。


「それは、その、王女とケンタスが、その、恋仲というか、いえ、ケンタスが一方的に思いを寄せていると思われるからです。ただ、そのケンタスについても、ちゃんと意思を確かめたわけではありませんので、ただの邪推かもしれませんが」


 本来なら身分違いの非現実的なバカげた話なのだが、エムルは笑う人ではなかった。


「妻の姉君が陛下の妃だったお方でな。早くに亡くなったとされているが、本当のところは命を狙われたところを、妻の命に従って救い出して保護したのだ。つまり私も動機や方法は違うが、ケンタス・キルギアスと同じことをした経験を持つのだ」


 エムルは平民から五長官職の下級貴族に成り上がっただけではなく、王妃の妹と結婚して王家の一員となったわけだ。これが異例中の異例であることは、他に例がないことで証明されているようなものである。


「それにしても王妃のみならず、その実子であるクミン王女まで同じ命運を辿るとは思いもせなんだ。しかし、これを歴史の悲劇として言い切るのはまだ早い。なぜなら終わったのではなく、これから始まろうとしているのだからな」


 ペガスが訊ねる。


「クミン王女が姿を消したのだから、王宮は騒然としたのではないでしょうか?」


 エムル・テレスコが即座に否定する。


「いや、これがパナス・フェニックス王子ならば国家の一大事だっただろうが、本家筋から外れた未婚の王女では悲しむ者がいないというのが王宮なのだ。王女にしても、日頃から無断で王宮から抜け出すことを繰り返していたので、今さら問題にはならぬということだ。このような事態に備えて奇行を繰り返していたとしたら大したものだが、それは本人に確かめてみないことには分からぬことだ。七政院の官僚たちとしては、陛下が存命中の時は王女も人事に口を挟んでいたので、案外といなくなったことで喜んでいるかもしれんな」


 パナス・フェニックスとは王太子のことで、このまま順調にいけば十六代目の国王に即位されるお方である。問題は年齢が五歳ということで、兄王の忘れ形見であるマクス・フェニックスと後継者争いが繰り広げられているという話だ。


「一先ずこの件は私が預かろう。妻の家族に関わっている問題だからな。それでよいな?」


 ぺガスが答える。


「はい。分かりました」


 ミクロスが訊ねる。


「ユリスへの報告はどうしますか?」

「それも私に任せるのだ」

「分かりました」


 今度はエルムが訊ねる。


「それにしてもドラコが王宮の襲撃を企てているというのは間違いないのだろうな?」


 長年に渡って兵士を観察してきた州都長官ですら信じられないようだ。

 ミクロスが答える。


「新兵時代からドラコと一緒に戦ってきたパウルス・コールスから聞いた話です。ヤツがオレに嘘をついたならば、その程度の間柄だったと諦めるしかありません。しかし金で動くヤツじゃないということは、このオレが保証しますよ」


 エルムが頷く。


「その件も私が預かろう。お前たちはユリスの護衛に集中するように」


 そこで退室の許可が出た。

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