第二十五話(69) コルヴス家との会談
翌日の正午にゲミニとゲティスのコルヴス親子が兵舎にやって来た。初夏を過ぎたということもあり、父親の方は以前会った時よりも肌が焼けているが、息子のゲティスは蒼白い顔のままだった。
父親の方はこれから宴に行きそうな礼服姿で、息子の方は以前と同じく法服を纏っていた。精力旺盛なゲミニに対して、ゲティスは淡白そうな印象があり、何もかもが正反対のように見える親子だった。
この日も僕は入り口の見張りについていた。ミクロスとぺガスも前日と同じ仕事である。違う点は、セトゥス親子と違って、コルヴス親子は父親の方がユリスに近い位置に座っていることだ。
そこでゲミニは先ほどから一人で昔話を語っているのである。戦争中は物資が不足して困窮したとか、戦争の経験がその後のビジネスの成功に繋がったとか、もう一度だけ故郷の土を踏んでみたいとか、そんなことをずっと話していた。
アント・セトゥスは息子を前に出して積極的に話をするように仕向けたのに対して、ゲミニは息子に一言も喋らそうとはしなかった。それでもゲティスは父親の会話を穏やかな顔で聞いていたので不満はないようである。
サウル・セトゥスとゲティス・コルヴスの二人の国王候補を見たわけだが、どちらもタイプが違う父親の印象が強すぎて、二人とも国王としては物足りなく感じてしまった。どちらも摂政に頼らなければいけないというのが共通点だろうか。
「いや、すっかり話し込んでしまいましたな。昔からの悪いクセで、これでは帰ってから、また倅にうるさく言われるでしょうな。これ以上、殿下を退屈にさせてもいけませんので、そろそろ本題へと参りましょうか」
引き続き、父親のゲミニが会談をリードする。
「昨日お会いになられたセトゥス閣下の話ですがな、殿下、あれはまったくの誤解でございますぞ。領土問題で票が割れたとお聞きになったと思いますが、小官には領土拡大政策などという、ありもしない野心はこれっぽっちもございません。サイギョク村一帯の土地がオーヒン領になりはしましたが、それは土地を守る安全保障上の問題を解決するための最善策だったのでございます。兵士を常駐させるには、それしか方法がありませんでしたからな。それに土地の移譲に伴い、多額の上納金を納めるという取り決めも交わされております。不作であっても納めなければならないのですから、貴国にとってはこれほど楽な統治、いや、これは失敬。改めますが、弊国にとっては、これほど負担の大きい条約は建国して三十年経ちますが、初めてのことなのでございます。貴国との関係を悪化させないためにも、やむを得ず応じた部分もございます故、その点を心に留めていただくよう、お願い申し上げます」
そこで息子のゲティスが口を開く。
「父上、いい機会ですので殿下に相談されてはいかがでしょうか?」
息子の提案に、父親が決断する。
「うむ、そうだな。殿下の御前で恥をさらすことになるが、それも仕方あるまい。実を申しますとな、土地に関する話し合いを推し進めていたのは、前任者のデモン・フィウクスなのでございます。ご存知のことと思いますが、現在はデモン・マエレオスという名の男になっております。そやつが条約締結を批判するセトゥス家の後押しをして、対立を生み出しているというわけでございまして、マエレオス領の領主になった途端に、我が国の領土拡大に異を唱える変わり身の早さは、知恵者のように思われますが、過去の己をも欺く悪魔的な変身。それは決して信用できるものではございません。殿下には賢明なる判断をご決断くださるよう、お願い申し上げます」
こうなるとコルヴス家に肩入れしたくなるところだが、ことはそう単純な話ではなさそうだ。デモン・マエレオスはカグマン国の人間になったので、現在の彼は我が国に有利になるように働きかけている、とも見て取れるからだ。
デモンは恐ろしい男ではあるが、セトゥス家のサウル国王候補は、和平を望む実直な男でもある。その点を考慮すれば、単純にセトゥス家に実権を握らせるように力添えしたような気もするし、後はユリスがどう考えるかだ。
「随分とお困りの様子でございますね」
悩んでいるユリスを見て、息子のゲティスが不安そうに呟く。
「それは奥方様の件で、デモン・マエレオス閣下に借りがあるとお考えになっているからでございましょうか? 確かにマエレオス閣下がいなければ良縁に恵まれることはなかったやもしれません。しかし、巡り合わせというものは、神に感謝するものではございませんか」
父親のゲミニがすかさず窘める。
「これこれ、殿下に対して高説を垂れるでない」
ゲティスがハッとする。
「失礼いたしました。お詫び申し上げます」
ユリスは気にしていない様子だ。
「いいえ。ご子息の仰った通り、神に感謝しなければなりませんね。実のところ、それは現在の心境でもあるのです。オークス・ブルドンに会うのはいいのですが、両家のどちらかを選ぶことは、私にはできませんからね。ですから『神の御心に従う』という心境になっているのです。そもそも私は二国間条約の締結に関わっていませんからね。カイドル州の領土が割譲されたというのに調印式に立ち会うことすらできなかったのです。そんな私に期待されるだけの影響力があるかどうかも疑わしい次第でありまして」
ゲミニが慌てる。
「ご謙遜はほどほどにしていただかなければ多くの者が困りますぞ。ブルドン家の一票はオーヒン国のみならず、島の将来を左右する重たい一票になりますからな。是非とも殿下に協力願いたいのですよ」
それでもユリスの態度は変わらない。
「亡きブルドン王のご子息とは話してみたいと思っていましたから予定通り会いますが、そこで選挙の話をするかは分かりませんね。今は『約束できない』ということだけを約束したいと思います。決して決断を拒んでいるわけではありませんよ」
そこでユリスが珍しく険しい顔をする。
「それは自衛でもあるのです。私がブルドン家に候補者の一人を強く推薦したところで、二回目の投票で四票と三票に分かれるとは限りませんからね。結果が想定通りいかなかった場合、その後の外交でしこりができる可能性があります。その不確定な要素がある限りは、私はどちらか一方の支援に回るつもりはありません。いえ、二人の候補者を共に支援していると言った方がいいでしょうね。都合がいいように思われるかもしれませんが、それ以外の選択がないので当然の帰結となるわけです」
なぜかゲミニが嬉しそうな顔をする。
「いやはや、聡明なお方だ。これでは致し方ありませんな」
息子のゲティスも納得する。
「神の御心次第ということですね」
それからコルヴス親子を見送った後、ユリスは執務室へ行き、文書をしたため、それをミクロスに託して、セトゥス家に届けさせるのだった。おそらくだが、両家に対して同じスタンスを取るということを改めて伝えるものなのだろう。
しかし、これで本格的にオーヒン国の新国王が誰になるのか分からなくなったわけだ。といっても大方の予想はゲティス・コルヴスで、サウル・セトゥスは対抗馬という位置づけは変わらないはずだ。元々イワン・フィウクスが本命だったのだから。
「いやぁ、これはこれは、まさか殿下にお目に掛かれる日が来るとは思っていませんでしたよ。本当はね、手土産にブドウ酒を持ってきて、直接手渡そうと思ったんですが、警備に止められちゃいましてね、持ってかれちゃいました」
翌日になって現れたオークス・ブルドンはとにかく陽気な男だった。前に会った時よりもさらに太ったように見えるのは、顎の下にもう一段お肉がついたからだろう。
新・御三家で息子を同行させなかったのはオークスだけだが、噂によると不仲が原因らしい。
「お父上には生前、大変お世話になりました」
ユリスが感謝の気持ちを述べた。
「もう五年も前になりますが、カイドル州の州都長官になりたての私は本当に何も知らない子どもだったのです。自分が何をすればいいのか、また、部下に何をさせればいいのかも分かりませんでした。そんな時、わざわざ州都官邸までいらしてくださったのがお父上でした。その時に『民の声に耳を傾けなさい』というお言葉をお父上からいただきました。それから公益事業について学び直して、なんとかここまでやって来られたのです。マークス・ブルドン王に出会わなければ、今の私は存在していなかったでしょう。戦中から戦後に掛けて、インフラ整備の重要性を説いたお父上は、オーヒン国のみならず、我々にとっても偉大なる島民なのです」
その言葉を受けて、父王を亡くしたばかりのオークスは涙を流した。
「有り難きお言葉、感謝いたします。親父も、殿下にそんなことを言われたら、きっと大喜びするに違いありません。こっちに帰ってきてからも、ことあるごとに殿下のことを心配なさっていましたからね」
僕まで涙を流すところだった。
「殿下、一つお訊ねしてもよろしいでしょうか?」
オークスが声を潜めた。
「なんでしょう?」
「失礼ではございますが、護衛されている三人は信頼できる者たちでございましょうか?」
「それは職務に懸けて、この私が保証します」
オークスがさらに訊ねる。
「ここの会話が外に漏れ聞こえるということはございますでしょうか?」
「よほど大きな声を出さない限りは、聞かれる心配はありません」
オークスが一息ついて、意を決する。
「お人払いすれば外の者に怪しまれる故、このまま申し上げます。実は、二年前に親父が病に臥してから監視されるようになりまして、こうして一人になれたのは、その時以来のことなのでございます。この状況を甘んじて受け入れなければならないのは、もちろん私に非があります。若い頃から王太子として扱われて、チヤホヤされたまま、酒と女に溺れてしまいましたからね。そんな男に親父を責める資格はありません。しかしながら、親父は人を信用しすぎました。いや、私が父の元で、もう少し早く政治を学んでいれば、このような状況にはならなかったでしょう。親父が周りの者に利用されていると気がついた時には、もう手遅れだったのです」
今の時点では、彼の被害妄想という可能性も考えられる。
「信じがたい話でしょうが、明日になればハッキリします。なぜなら、次の国王はコルヴス家で決まりですからね。一回目の投票で決まらないことや、二回目で私がコルヴス家に投票することは、初めから決まっていたことなのです。私が支持したという既成事実が必要だったわけですね。言う通りにしなければ、私だけではなく、息子のルークスの命も狙われてしまいます。反対票に転じれば、こうして殿下に助けた求めたことも疑われてしまうので、どうしたってコルヴス家に投じなければならないのです」
ずっと酒に酔った振りをしてきたわけだ。
「幸いにして、息子は私に似て道楽にしか興味がありません。政治に興味を持っていたら、早くに殺されていたことでしょう。もちろん死んだ親父に国政を任せきっていた私に問題があるんですけどね。アレは女房の大切な忘れ形見です。ですから、どんなことがあっても守ってやらなければいけないのですよ。息子から見たら、病の爺様を放っておいた冷酷な父親だと思っているでしょうが、それでいいのです。それしか守る方法はありませんでしたからね。すべては家族を守る準備を怠った私一人の責任です。親父が弱るまで忠実な臣下の振りをしていた者たちの本性を見破ることができませんでしたからね。奴らときたら、親父に対しては私の世襲に賛成し、さらには死んだ後も力になると誓いながら、同時に欺いていたというわけです」
そこでオークス・ブルドンが改まる。
「殿下に一つお願いがあります」
「私にできることならば、お受けしましょう」
ユリスが請け合った。
「私の身に何か起こった場合、息子に真実を話していただきたいのです。ただ一言、『お前の父親は息子を愛していた』と。その一言さえあれば、家族に大切にされていたと実感を得て生涯を送ることができるでしょう。命の危機が去るのは、いつのことになるか分かりません。ですから、私の口から伝えるわけにはいかないのです。かといって、この気持ちを息子に信じさせるには手立てがありませんし、今の私には殿下におすがりするしかないのです」
ユリスが提案する。
「亡命されてはいかがですか? ゲミニ・コルヴスも王族でありながら亡命されたわけですからね」
オークスが首を振って拒絶する。
「それでは殿下にご迷惑、いや、殿下のお命をも狙われかねません。なにしろ敵はコルヴス家だけとは限りませんからね。その背後に、もっと大きな力を持った組織、いやいや、個人かもしれませんが、名を隠した存在がいるやもしれませんので、動くに動けないのです。せっかくの申し出を断るなど、失礼極まりない話ではございますが、私や親父と違って、ルークスにとってはオーヒン国が祖国になるわけですからね。息子が決めるべきことを、私が決めてはいけないというのも一つの理由です」
ユリスが頷く。
「それは、私の方こそ思慮に欠けていました」
と言いつつも、ユリスは完全にオークスの話を信じ切っている様子ではなかった。なぜなら、彼の話だけでは陰謀論にすぎない可能性も残されているからだ。
「承知しました。小声で話してばかりいると不審がられるので陽気な話をしましょう」
そこで気遣いを見せるのもユリスらしい配慮の仕方だった。ここで情報を精査することはできないので、瞬時に切り替えたわけだ。
それからブドウ酒の話をして、途中でユリスが酒を頼み、それを酌み交わして会談を終えるのだった。貴賓室を出る頃には、オークスは酔いが回っているように見えたが、本当に酔っていたかどうかまでは分からなかった。
その後、ミクロスはルークス・ブルドンと出会った経緯を報告するために執務室に行ったので、僕とぺガスは兵舎の泊り部屋に帰って、そこでこれまでに感じたことについての意見交換をすることにした。
「ルー様がブルドン王の孫だったとは思わなかった」
ぺガスがルークス・ブルドンとの出会いを回顧する。
「確かに父親の悪口というか、愚痴を言ってたのは憶えてる。ブルドン王が監禁されていて、それを父親の計略だと思い込んでいたんだ。でも実際は父親のオークスがそう見えるように見せ掛けていたわけだね」
ミクロスがいない時のぺガスはとてもリラックスしていた。
「ねぇ、ジジ。それよりも俺はドラコのことが分からなくなってさ、困ってるんだ」
ぺガスとはすでに情報を共有していた。
「このところドラコのことばかり考えているんだ。だってそうだろう? 俺やケンにカグマン国の絶対的な階級社会を批判して、王政や院政まで反対していた男が、ユリスのことは絶対に守らないといけないって言ったんだ。で、その後に王族を狙ったクーデターの首謀者になってるんだもんな。まるっきり反対のことをしているわけだから、これで頭が混乱しない方がおかしいんだよ」
確かに、かつてドラコは『貴族の子どもは幼い頃から読み書きや算術ができるので優秀であることに変わりはないけど、改革者や革新者はいつどこで生まれるか予測できないからチャンスの間口を広げておく必要がある』と語っていた。
さらに『絶対的な階級社会では、そういう突然変異の異才・奇才が外国へ行き、やがては敵対国や競争国の助力となってしまうので、人材の流出は危険でもある』と僕たちに力説していたのである。
というのも『現在は差別されるような職業も、時代が変わったり進んだりすれば高い地位になり得る可能性もあるので、安易に職業差別をしては長期的に見るとやはり国益に反する』とも付け加えていたのだ。
国を思えばこそ、『身一つで成り上がることができない絶対的な階級社会は進歩の妨げになる』というのがドラコの考え方だったはずだ。その言葉にケンタスも含めて、僕たちは強い影響を受けたのである。
それがユリスのことを『絶対に守らないといけない存在だ』と断言したから分からなくなるのだ。僕たちはユリスのことを大切に思っているし、兵士なので守るのは当たり前なのだが、王政の絶対的な維持まで誓ったわけではなのである。
ドラコが何を考えているのか、会って話がしたかった。
「ドラコに会いたいな」
ぺガスも同じ思いのようだ。




