第二十四話(68) セトゥス家の国王候補
領事館に隣接した兵舎の食堂でミクロスと一緒に食事を食べているところにぺガス・ピップルが現れた。彼はケンタスの幼なじみだが、同時に僕にとっても子どもの頃から一緒に過ごしてきた弟のような存在だ。
「おうっ、やっとお出ましか」
ミクロスは舎弟と再会できて嬉しそうな顔をした。
「どうも、ご無沙汰しております」
ぺガスは恐縮しきりだ。
彼を立たせたまま、ミクロスは会話を続ける。
「あれ? ケンタスとボボは一緒じゃないのか?」
「いません」
「まさかお前、一人だけ助かったんじゃないだろうな?」
「そのまさかです」
「それでよく顔を出せたな?」
「いや、『来い』って言うから来たんですよ」
「あん?」
「すいません」
新兵の時に知り合って、その時から二人の関係は変わっていない。ミクロスが構いたがりで、それをぺガスが疎ましく感じているという、そんな関係だ。
「ペガよ。お前、これからどうするんだ?」
「それが、その、どうすればいいのか分からなくて、とりあえず王都に戻ろうかと」
「いや、帰らなくていい」
「というと?」
「オレ様の子分にしてやるよ」
「ど、どういう意味ですか?」
「二年間お前を預かることにした」
「そ、そんなことが出来るんですか?」
「オレ様を誰だと思ってるんだ」
「す、すいません」
ミクロスがニンマリとする。
「いい先輩を持って、お前は本当に運がいいヤツだ」
「あ、ありがとうございます」
ぺガスの笑顔は明らかに引きつっていた。
「と、ところで、その大きな鼻はどうされたんですか?」
「ああ、これか? そうだな。きっと神様が嫉妬したんだろうな」
「ど、どういう意味ですか?」
「オレ様だけ欠点がないのも不公平だから、これで帳尻を合わせたんだろう」
「な、なるほど」
「才能に恵まれるって大変だと思ったろう?」
「そ、そうですね」
「平凡なお前が羨ましいよ」
それからユリスが到着するまで、二人のお喋りは止まらなかった。といっても内容はミクロスの武勇伝なので、彼が一方的に話をして、ぺガスが大袈裟に相槌を打ちながら称賛するという、とても窮屈な会話であった。
「デルフィアス長官が副長室でお待ちです」
ユリスが予定通りに到着したようだ。ぺガスは自分も呼ばれているか分からないということで同行することを遠慮したのだが、ミクロスが腕を引っ張って強引に連れ出したので、三人で長官に会いに行くこととなった。
「失礼します」
「やぁ、三人とも元気そうじゃないか」
副長室の椅子に座っているユリスも長旅の疲れを感じさせない美しい顔のままだった。
「ユリスの方こそ元気そうで安心しました」
ドラコがいれば長旅の労を丁寧な言葉で気遣うのだが、ミクロスはそういった挨拶が苦手なのでフランクな会話になる。また、そういった対応を喜ばしく感じるのもユリスの奇特な、いや、特異な部分であった。
「三日ほどマエレオス領で休むことができてね。すっかり疲れを取ることができたんだ。もっとも、あそこの領主は話が長いので、その分だけ気疲れしてしまったんだけどね。でもアネルエがアンナと再会して喜んでいたので一緒に連れて来た甲斐があったよ」
自分のことよりも奥さんのことを一番に考えるのもユリスらしい。
「それよりもペガス、ドラコから話は聞いているよ。ケンタスとボボの二人のことだが、とんだ災難だったね。私に権限があれば、こうした事態にはさせなかったのだが」
ユリスは王族の家名を捨てて五長官職にまで位を落としたので、現在は王宮にいる七政院の貴族の顔色を窺うような立場になってしまったわけだ。王族に復帰できるが、それはまた別の話である。
「殿下のお気持ちだけでも充分ありがたく存じます」
ぺガスはユリスにまだ慣れていない様子だ。
「そのドラコですが、一緒じゃないんですか?」
ドラコがいない時は、ミクロスが会話をすることになっている。
「三人とも知っていると思うが、ドラコから『王宮に危機が迫っている』との報告があって、彼に調査を命じたんだ。といっても一昨日発ったばかりだから、その後の詳細はまだ不明だけどね」
長官は命じたと言ったが、ドラコの進言を了承したとも受け取ることができる。
「そうですか、まだ何とも言えませんからね」
ミクロスはドラコが計画に関わっている可能性をまだ報告しないつもりだ。
「二人とも残って事件の調査を続けていたと聞いているが、何か新しい情報はあるか?」
ドラコは僕たちにケンタスらを尾行させたことを伏せているようだ。
ミクロスが報告する。
「四日ほど前にマクチ村が襲撃されたんですが、やはり王族が狙われているとみて間違いないと思います。しかも峠を越えたハクタ州で起きた事件ですから、安全な場所はないと思った方がいいでしょうね」
ユリスが頷く。
「そうか。そこでだが、君たちに護衛を頼みたい。そうするようにドラコから助言があってね。武器の携帯を認めるので、領事館での公務の際や、王都までの移動中は、私の側から離れないでくれ。実はここで公務を執り行うことになってね、三、四日ほど滞在を延ばさなければならなくなったんだ」
ドラコの助言というのが気に掛かる。
「普段は別に護衛がいるので、賓客と会う時だけ仕事をお願いしたい。それ以外の時間は拘束しないので自由にして構わない。フィルゴがいれば彼に頼むのだが、今は君たちが適任なんでね、頼まれてくれるかい?」
ミクロスが進言する。
「そこで相談があるんですが、オレ、いや、私にぺガスを預からせてくれないでしょうか? 王都に帰して新兵の仕事をさせるよりも、長官の側にいた方が役に立つ男です。もちろん、私がみっちり仕事のやり方を叩き込めばの話ですが」
ユリスが即決する。
「許可しよう。王宮には後ほど私から取り計らっておくとする」
「ありがとうございます」
そう言って、ミクロスが隣にいるぺガスの脇を肘で小突く。
「殿下のご厚情、誠にありがたく存じます」
ユリスが微笑む。
「感謝するのは私の方さ。優秀な兵士はいくらいても困らないからね。というのも、ずっとローマンに護衛を頼んでいたんだけれども、アネルエがオーヒンでお世話になった方々に挨拶をして回りたいというのでね、彼に妻の護衛を任せたんだ。だからぺガスに側にいてもらえると私も大いに助かるんだよ」
ユリスの気遣いに、ぺガスが感激している。
「ありがたきお言葉、感謝いたします。最後までお守りすることをお約束いたします」
翌日、早速ユリスの護衛を三人ですることになった。
「アント・セトゥスとは、どういった人物ですか?」
来賓室で待機中に、ミクロスがユリスに説明を求めた。
「オーヒン国で建国から現在まで長年に渡って法務官を務めている御仁だそうだ。私と引き合わせたのはデモン・マエレオス閣下でね、是非とも会ってもらいたい人物がいるということで了承したんだ」
カグマン国の七政院でいえば四番目に高い地位のポストである。つまりデモンが失脚した現在、オーヒン国で三本の指に入る名家ということになる。それほどの高官がわざわざ会いにくるのだから、ユリスはさらに高貴な人物といえるわけだ。
それにしても、ここでデモン・マエレオスの名前が出てくるとは思わなかった。失職してカグマン人になったはずなのに、まだオーヒン国の高官と繋がっていたからだ。
デモンは変幻自在の魔導士のような男だ。カイドル帝国・最後の皇帝デモン・アクアリオス、オーヒン国・財務官デモン・フィウクス、フェニックス領・領主デモン・マエレオスと、歴史書はこの三人が同一人物だということを後世に書き残せるのだろうか。
「アント・セトゥス閣下をお連れしました」
警備兵の報告だ。
「ご苦労。下がっていい」
警備兵と入れ替わるようにアント・セトゥスが若い男を連れて入ってきた。
「お初にお目に掛かります。拙がアント・セトゥスと申します。此度は小官の我儘をきいてくださり、誠に感謝いたします。若くして天命を知り、前例なき道を歩まれるなど、他の誰に真似ができましょうか。その勇猛なる生き方、殿下のお噂は耳を塞いでおっても入ってきます故、是が非でも、お会いしとうございました」
アント・セトゥスは立派な髭を蓄えた小柄な老人である。赤白くなった長い髪を後ろで結っており、見た目は六十とか七十にも見えるが、喉周りの状態や声の感じからデモン・マエレオスと同じ五十歳くらいだと思われた。やけに大きな前歯が特徴といえるだろうか。
「こちらこそ、ご足労いただき感謝いたします」
そこでユリスの方から差し出す形で二人が握手を交わした。
「殿下にご紹介したい人物がおりまして、これなんですが、小官の愚息でございまして、サウルは国王選に出馬を予定しておりますが、この倅の話を聞いていただきたく、お願いに参ったわけでございます」
アントが息子に挨拶を促した。
「殿下、お目に掛かれて光栄に存じます。サウル・セトゥスと申します。殿下が若くして、旧カイドル国の領土を治められているというのは、ただただ驚くばかりでございます。そこで殿下のお知恵をお借りしたく参りました」
サウルも父親と同じく小柄な人物だったが、摂生を心掛けているのか、とても逞しい風貌をしていた。剣術の心得があるのは体つきを見れば明らかだった。この親子がデモンの紹介でなければ、とても好感の持てる印象を抱いていたことだろう。
「お力になれれば良いのですがね」
ユリスはサウルとも握手を交わした。
「掛けて話しましょうか」
ユリスが椅子を勧めた。そこで父親のアントが息子のサウルを長官に近い位置に座らせたのだが、そのことで彼の思考を読み取ることができた。息子は未だに老政治家によって前に出るようにとコントロールされているわけだ。
ちなみに僕は入り口に立って見張りをしているところだ。ミクロスとぺガスが長官の両サイドを警護していて、この部屋には他に人はいなかった。セトゥス親子の護衛は貴賓室に入れないことになっており、それは前もって了承済みである。
「では、話を聞くとしましょう」
ユリスはとてもリラックスした表情をしていた。
「さぁ、お前の口から話しなさい」
父親のアントが息子に話をするように促した。
「すでにマエレオス閣下からお聞き及びと存じますが、マークス・ブルドン王崩御の発表の後、王の不在期間をなくすために、早急に新国王を選定せねばならなくなりました。とは申しましても、容体が悪化しておりましたので、不測の事態ではございませんでした。半年ほど前から、すでに選挙の候補者は二名に絞られていたのです。そのうちの一人は、不肖ながら、この私奴にございます。もう一人は財務官のゲミニ・コルヴス閣下のご子息であるゲティス・コルヴス閣下が立候補したのです」
ゲティスは国王になることに消極的だったはずだ。
「そこで問題が生じました。選挙は七政官が投じた七票で決する取り決めでしたが、公平を期すために神祇官であるゲティス・コルヴス閣下の投票を無効としたのですが、そのせいで一回目の投票で三票ずつ票が割れるという結果となってしまったのです。そこで二回目の投票では、新たに前国王のご子息であられるオークス・ブルドン殿下に投票していただくことになりました。二回目の投票は前回の投票から一週間後、本日から数えて三日後に行われます」
サウルが居ずまいを正す。
「前回の投票者が二回目で投票先を変えることはございませんので、必然的にオークス殿下の投じる一票で結果が決まることが予想されます。そこでデルフィアス殿下にお願いがあるのですが、投票が行われる前に、オークス殿下に説得を試みてはいただけないでしょうか? なぜ殿下のお力添えが必要かと申しますと、それは選挙の争点が領土問題で対立しているからでございます。領土拡大路線を続けるコルヴス派に対して、私どもは真っ向から反対する立場を取っております。これは殿下にとって決して悪い話ではございません。サイギョク村の領有権を巡る問題を解決するのに三十年もの時間が掛かりました。これ以上の領土拡大は、良好な二国間の関係にひびを入れるようなものでございます。どうか、デルフィアス殿下のお言葉でオークス殿下を説得していただきたくお願い申し上げます。恐縮ではございますが、当選の暁には両国のますますの発展を願いまして、輸送路の整備に力を入れたい所存であります」
コルヴス派よりも明らかに利があるように思われた。
「貴公の話、感服いたした」
そこでユリスが苦渋の表情を浮かべる。
「しかしながら、ブルドン家の投票者に会うのはいかがなものか。投票前に会えば内政干渉と見る者もおろう。それでは自らの手で火種を野山に放つようなもの。取り扱いに気をつけねば大きな外交問題に発展しかねませんからね」
老政治家のアントが感心する。
「殿下のご慧眼恐れ入ります。それならば、こうしてみてはいかがでございましょうか? オークス殿下に会われる前に、コルヴス閣下と会われるのです。そこで断りを入れていただければ、何も問題はありますまい。いかがですかな?」
ユリスが納得する。
「それで双方が納得するならばオークス・ブルドンと話をしてみましょう。それにはまずコルヴス閣下と会わねばなりませんね。もしも投票までの間に会うことが叶わなければ、諦めていただくことになりますが」
アントが相好を崩す。
「心配には及びません。こちらで手筈を整えておきましょう。その前に殿下のご都合をお聞かせ願いたいのですが、いつがよろしいでしょうかな? 殿下の希望する日時にコルヴス閣下をこちらに向かわせるとお約束いたしましょう」
ユリスが即答する。
「それならば明日の同じ時間でお願いします」
「承知いたした。それでは早速コルヴス邸に参るとしましょう」
そう言って、アントが立ち上がった。
父親を見て、息子のサウルも立ち上がる。
「殿下、私が恒久の平和を望んでいることを、お忘れなきよう、お願い申し上げます」
ユリスがゆっくりと立ち上がる。
「貴公の願い、しかと受け止めた」
それからセトゥス親子はユリスに見送られて貴賓室を後にした。その足でコルヴス邸に行くはずである。ドラコの時はこちらから出向いた相手だが、ユリスだと、こちらから日時を指定して会いに来させることができるようだ。
「三人とも、ご苦労だった。この後コルヴス家について話が聞きたいので、ミクロスとジジは執務室へついてきてくれ。ぺガスは長旅の疲れもあるだろうから、ゆっくり休みなさい。それも大事な仕事のうちだからね」
それから執務室に移動して、ユリスにコルヴス親子について説明をした。といっても、僕はドラコに同行して一度会っただけなので、その時の様子を再現するように話すことしかできなかった。
「ドラコを手に入れたい、か」
ユリスが微笑む。
「それを隠そうとしないとは大した御仁だ」
今まで考えないようにしていたが、ドラコの背後にコルヴス家の存在があってもおかしくなかったわけだ。むしろゲミニ・コルヴス以外には考えられないようにも思えてくる。大陸移民の傭兵を含む混成部隊を雇えるのはコルヴス家くらいしか存在しないからである。




