第二十話(64) 戦士の資質
それから数日後の真夜中、滞在中のリング領マリン邸にソレイン・サンが訪ねてきた。ちょうどドラコが単独調査から帰ってきたところだったので、門番のハッチ・タッソに追い返されずに済んだのである。
「よくこの場所が分かったな」
ドラコも場所までは教えていなかったようだ。
「島の北半分の地理なら、誰よりも知ってる」
ソレインもミクロスに負けず劣らずの自信家のようだ。
ドラコが声を潜める。
「家主に迷惑が掛からないように、静かに話し合いを始めよう」
三人部屋の寝台の縁に腰掛けて、互いの膝がくっつくくらいに距離を詰めて話を聞くこととなった。
「ソレイン、話してくれ」
ドラコに促されたソレインが頭をかく。
「何から話せばいいんだろうな」
「それなら時系列通りに頼む」
ソレインが頷く。
「ドラコたち三人が州都カイドルを発った次の日に、王城跡で騒ぎが起こったんだ。そこで長官が兵士に調査を命じたんだが、信じられないことに、幽霊にやられたっていうのが分かったんだ」
ドラコと僕が驚かないのを見て、ソレインが驚いた。
「知ってる話か?」
ドラコが答える。
「ああ、弟がガサ村で幽霊と戦ったんだ」
今度は驚かないソレインを見て、僕たちが驚いた。
「驚かないのか?」
ソレインが理由を説明する。
「ああ、その話なら本人から直接聞いたからな」
「本人って、ケンタスは五日前にはカイドルの州都に到着していたということか?」
「うん。初めての土地だっていうのに山岳ルートを選択したんだ」
通常ならば信じられない話なのだが、ケンタスとペガスは馬に乗り慣れているので山岳ルートを選択する可能性はあった。凄いのは二人と一緒にトリオを組んでいるボボという新兵だ。足手まといにならないどころか、頼りになる男なのかもしれない。
「しかも、あの三人のことだから二日後にはここに到着しているかもしれないぜ?」
彼ら三人はドラコの想像を超えていたようだ。
「半月以上も時間を早く進めたというわけか」
そう言って、なぜかドラコが難しそうな顔をするのだった。
ソレインが話を続ける。
「驚くのはそれだけじゃないんだ。なんたって、ケンタスは王城跡で十人以上の兵士を殺した幽霊と戦って生き延びたんだからな。痣だらけになっていたが、剣が空を斬ったと残念がっていたよ」
ケンタスたちは、まるで違う世界で生きているかのようだ。
「それから幽霊騒動の方は一旦留保して、長官がケンタスの持ってきた書簡に従って王宮へと出立したんだ。その翌日にはケンタスも州都を発ったから、おれは三人を追い抜いて情報を持ってきたというわけだ」
ソレインがケンタスたちよりも早く到着したのは、何度も馬を乗り換えてきたからだろう。現代ではそれが一番速い移動手段だからである。壁画には空飛ぶ円盤が描かれていると聞いたことがあるが、そういったものは想像の産物でしかなかった。
「大変だぞ!」
そこへミクロスが入ってきた。
「静かにしろ」
二階に赤ちゃんが眠っているので、ドラコは必要以上に神経質になっていた。
「とにかくオレ様の話を聞いてくれ。領主殺しの現場を確認してたんだが、それが周到に用意された計画的な犯行だってのが分かったんだ。見張りの配置から実際に殺された状況を検証すると、十人とか二十人とかの犯行じゃないんだよ。五十人以上の見張りを数で押し切って殺しにいってるからな。チャチな盗賊団の手口とは違うってことよ。完全に戦争だよ。オレたちが認識していないだけで、もうすでに戦争が始まっているかもしれないんだ」
戦後の三十年間があまりにも平和だったため、戦後生まれの僕たちは平和ボケ世代とも揶揄されることがある。新兵は剣術や槍術よりも、道路の補修や写本を奨励されてきた。それに加えて戦争を知らない軍閥貴族が名ばかりの指揮官となっているのが現代なのだ。
「落ち着いて続きを話すんだ」
ドラコが促した。
「オレ様はいつだって落ち着いているさ。まぁ、それはいいとして、大掛かりな計画だってことが分かったわけだから、必ず次の犯行の下調べをしていると思ったのさ。それで次に狙われそうな現場に当たりをつけて探りを入れたんだ。そこで荘園を見張る兵士に片っ端から聞き込みをしたんだが、『特に変わった様子はない』って言うんだよ。来客も『訪問販売の商人が来たくらいだ』って言ってな。でも、今にして思えば、その商人が下調べをしていた犯行グループの一味だったのさ」
さらに詳しく説明する。
「売り物の絨毯を持って邸に上がり込み、部屋の間取りと見張りの配置を確認したんだ。馬具を売りつけにきた商人は、外の見張りの配置と侵入経路を確認したのさ。そのことに気がついた時には、もうやられていた。六件目の犯行が、オレ様の目の前で行われちまったってわけだ。盗みを一切しないから足がつかないし、手際がよすぎるからハッキリ言ってお手上げだぜ。まぁ、でも、それは、このオレ様がいなかったからって話だがな」
そこでミクロスは、わざともったいぶるのだった。
ドラコがため息をつく。
「分かってる。その手柄を聞かせてくれ」
ミクロスにとっては成功を認めさせて報酬をもらう権利を得ることが重要なのだ。
「手柄ってほどじゃないが、襲撃の際に負傷した犯行グループの一味を取り押さえたんだよ。いや、正確には意識を失っていたから、運よく確保できただけなんだがな。それでもオレ様が現場にいち早く駆けつけることができたから捕まえることができたんだ。なんたって、犯行グループのヤツらときたら高価な品物には目もくれず、襲撃で死んだ仲間の死体を持ち運ぶことに躍起になってたからな。つまり死体から身元が割れるのを極端に恐れているというわけだ。だもんだから、とにかく一刻も早く現場から遠ざかるようにしたんだ。意識のない大男を担ぎながらだから大変だったけど、相手がタダ者じゃないから必死だったぜ。それで死ぬ前に尋問したんだ」
尋問は捜査員にとって必要なスキルだ。
「ランバのオッサンからもらった気付け薬がよく効いてな。そいつはすぐに目を覚ましたんだ。それで知ってることを吐かせようと思ったんだが、傷が深くて、意識が朦朧としているから無理もできなくてな。でも、そいつはオレ様の顔を見て微笑むじゃねぇか。それでこう言ったんだ。『おれたちは、お前たちのために、こうして遠くからやってきたんだ。感謝するんだな。もうすぐ王宮が変わるから、待ってろ』ってな。それを大陸訛りで言うんだよ。犯行グループそのものが大陸から来たヤツらか分からないが、実行犯の中に移民がいることは確かだぜ」
オーヒン国は貿易都市なので移民を見分けるのが難しい地域ではある。それでも大陸から来た人はちょっとした言葉遣いで分かるものだ。もっとも、実際は大陸訛りではなく、僕たちの方が訛っているのだが。
「本当は裏を取るために連れ出して身元を確かめたかったんだが、そこで追手の声が聞こえてきたんで、窒息死させてから現場を後にしたんだ。もう少し時間があったら、次の計画を知ることができたんだがな。それでも男の話が本当ならば、いずれは王宮が狙われるってことだぜ? つまり本丸は国王陛下、もしくは次の国王陛下ってわけだ。下手したら王族だけではなく、王宮にいる七政院の貴族連中も狙われているかもしれないってことさ」
事件が連続して起こっている厳戒態勢の中で、犯行を重ねているので並の犯罪集団ではないと思っていたが、軍隊並みに統率された反乱軍だと言われれば、合点がいくのも事実である。
話を聞いたドラコが長考している。
「どうするよ?」
ミクロスがしびれを切らした。
「どうするもなにも、俺たちがやるべきことは一つしかないさ。それはユリスの元へ駆けつけて、彼を護衛することだ。ミクロスは知らないんだったな。長官は数日前にカイドルを出立されたのだ。合流するまで十日は掛かるだろう」
ミクロスが疑問を呈する。
「王宮が狙われてるんだぞ?」
「狙われているのはユリスも同じだ」
「大規模な反乱軍が組織されたら、王都が陥落するかもしれないぜ?」
「王都には国防長官がいるだろう?」
国防長官とは国軍の最高司令官のことだ。
ミクロスはまだ納得していない様子だ。
「ユリスと合流しても、王都に到着する頃には国が無くなってるかもしれないんだぞ?」
ドラコの目に迷いはない。
「直属の上官をお守りするのが俺たちのやるべき仕事だ。王家の血筋が狙われていて、ユリスがこちらに向かっているという情報を得たならば、すぐに長官の元へ駆けつけて護衛しなければならないんだ。それが兵士というものだからな」
カイドル州に配属されたということは、そういう意味があるわけだ。
「ならば、何を悩んでいたんだ?」
ミクロスの言葉に、またドラコが悩み始める。
「弟のことさ。どうやらもうすでに処分が決まっているようでな」
ミクロスが突っ込む。
「おいおい、ケンはまだ裁判を受けてないんだぜ?」
「それが現代の司法制度ってヤツさ」
「有罪か無罪か、もうすでに確定してるってことか?」
「ああ、有罪だ」
「量刑は?」
「ハハ島での二年間の懲役さ」
その島は僕のルーツでもあるが、非常に危険な土地だと聞いたことがある。毒を持った生き物が多く、渡航者は病気になりやすく、農園を作っても管理が難しく、赴任させても夏場に死ぬことが多いという話だ。
「ケンはカイドルの兵士だぜ? そんな刑が認められるのか?」
「伝令でのやり取りがあった。王宮は了承したそうだ」
「そんなバカな話があるかよっ」
ミクロスが憤慨するのも無理はなかった。通常では有り得ない刑が執行されるということは、兄弟関係を知る人物が処分決定に関わっていると考えられるわけで、目障りなキルギアス兄弟を排除しようとする何者かの意志が感じられるからである。
「それで、どうするんだ?」
ミクロスの問いに、ドラコは首を振った。
「どうすることもできないな」
ドラコが念を押す。
「いや、誰も勝手なことをするんじゃないぞ。許可なく接触することは、この俺が許さない」
「二年もいたら死んじまうかもしれないぞ?」
「人が住めない土地に行くわけではないんだ」
オーヒン国の流刑は死罪に等しいといわれている。
それでもドラコの意思は変わらなかった。
「忠告も禁止だ。ケンタスには懲役を受け入れてもらう」
不満はあっても、ドラコの命令は絶対だ。
「後は弟の判断に任せよう」
それからユリスと合流するために旅の荷物をまとめることにした。といっても、長官が移動している海岸線のルートは山岳ルートと違って、州都札という旅の宿と食事が保証される万能カードが利用可能なので軽装で充分だった。
「ドラコ、ちょっといいかな?」
寝室のロウソクを消す前に、話しておきたいことがあった。
「どうした?」
ミクロスは馬の様子を見に行ったので、部屋には僕たちしかいなかった。
「『王宮が狙われてる』って言ってたよね? それで気になることがあるんだけど、王宮には確かケンタスとぺガスの幼なじみがいるはずなんだ。会ったことがないから本当かどうか分からないけど、もしもいるなら心配だなって思って。だってそうでしょう? 大規模な反乱軍が戦争を仕掛けてくるかもしれないんだよ? そうなったら王宮の中にいる、その友人は巻き込まれて、最悪の場合は死んでしまうかもしれないじゃないか?」
無理なお願いであることは承知している。
「そこでなんだけど、ケンタスは明日か明後日には、ここに来ているかもしれないんだよね? だったらアキラに伝言を託すというのはどうだろうか? 友人だけでも助けてあげられないものかな? それにケンタスに教えてあげれば、王宮に危機が迫っていることも内部の人間に伝えられるかもしれないよ? そうすれば警備を強化することだって出来るじゃないか」
ドラコが首を振る。
「さっきも言ったが、ケンタスに接触することは禁止したはずだぞ。それは伝言も許さないということだ。敵の死に際の言葉で味方を混乱させてはいけない。王宮への報告は領事館から伝えてもらうようにお願いするつもりだ。速達伝令兵の方が速いからな」
王宮への注意喚起をドラコが考えていないわけがなかった。それでも僕はケンタスに伝えてあげるべきだと思った。なぜなら、その友人にちゃんと伝わるかどうか分からないからである。
「アキラ」
ドラコがマザー・マリンに別れの挨拶をしている隙をついて、彼女と会った。
「ジジ、どうしたの? まだ夜明け前だぞ」
二階の廊下は真っ暗で、ドアの隙間から顔を出した彼女の表情も確認できなかった。
「話があるんだ。でも、ここではできない。ケンタスに関する大事な話だ。アキラにしか頼めないんだよ。だからタンタンの墓の前で待っている。すぐに来てほしい。来る時は誰にも見られないように来るんだよ」
それだけ言い残して、急いで集合場所の厩舎へ向かった。
「遅いぞ、ジジ、何してたんだ」
ミクロスは時間の感覚が一人だけ早い人だ。
「ドラコは?」
「まだマリンさんと話をしているよ」
このチャンスを逃すわけにはいかなかった。
「今から領事館に行くんだよね? だったらさ、オーヒンを出る前にタンタンの墓参りをしてきていいかな? 事態が収まるまで自由は利かないだろうし、どうしても祈らせてほしいんだ。祈りが済んだら領事館に行くよ。そこで待ってて」
そう言って、返事を聞かないように、走ってその場を後にした。
「ジジ、どうしたの?」
アキラがハルクス教会の墓地に現れた時、東の空から日が差した。
「誰にも見られなかったか?」
「ハッチと挨拶したけど、朝のお祈りはいつものことだから大丈夫だと思う」
急かせたけど、アキラは怪しまれないように法服を着て来てくれた。
「どうして秘密なんだ?」
正直に話す。
「それはドラコの命令に背いているからさ。僕は今、これから君に話してはいけないことを伝えようとしている。情報をコントロールする上では、絶対に漏らしてはいけない機密情報だからね。君に格好いいことばかり言ってきたけど、僕がしていることは、兵士としては失格なんだ。僕のせいで、僕が想像する以上の悲劇を招くかもしれない。それでもケンタスやぺガスには、僕と同じ経験をさせたくないんだよ。二人にとって大切な友人がいて、その人に危機が迫っていることを知っていて、僕が二人にそれを伝える手段があるならば、伝言を残さないといけないと思ったんだ。たとえそれが、戦士にあるまじき行為だとしてもね」
すべて分かった上での決断だ。
「ケンタスに伝言を残したことがドラコの耳に入れば、彼はもう二度と僕と一緒に仕事をしようとは思わないかもしれない。命令することもなくなると思う。それでもケンタスやぺガスには大切な人を失う経験をしてほしくないんだよ。たとえばそれでドラコとの信頼関係が終わったとしてもね。こんなに身体が大きくなってしまうと、もう、幼友達に戻ることもできないだろうけど、それでもいいんだ。大切な人を失うことに比べれば、なんでもないんだから」
突然、アキラが僕を抱きしめた。すごい力で抱きしめている。僕の服を涙で濡らして、力いっぱい抱きしめるのだった。彼女の身体は小さいけれど、それなのに全身が包み込まれたような不思議な包容力を感じた。




