第十九話(63) 再会
それから僕たち三人は情報収集を行いやすくするため、オーヒン国に最も近い自治領であるリング領のマリン邸に行くことにした。再会を喜ぶマザー・マリンの顔をみられただけで、この世界も悪くないと思うことができた。
約一年二か月振りの再訪だったのだが、マリンさんの邸には何人かの娼婦が寝泊まりするようになっていて、その中にモンモンさんとは別に、ケンタスの知り合いだというアキラという少女も混じっていた。
「あっ、本当だ! ケンにそっくりだ!」
そう言って、アキラはドラコを指差してゲラゲラと笑うのだった。
「おまえ、うるさいぞ。どっか行けよ」
客室で荷ほどきをしているミクロスが邪険に扱った。
アキラがミクロスの顔を覗き込む。
「お前、ミクロスだろ? ペガがイケ好かない男だって言ってたぞ」
「アイツ、そんなこと言ってたのか?」
アキラは僕と同じ原住民をルーツに持つ顔をしている女の子だ。男のような名前をしていることから、彼女が複雑な事情を抱えていることが察せられた。それでも目の前の少女の笑顔は、まるで太陽が花になったように明るく元気に感じられるのである。
「他にはどんなことを言っていた?」
止せばいいのに、ミクロスがお代わりを注文した。
「うんとね。自信満々で、偉そうで、すぐに人をバカにして、他人をバカにして笑うクセに、自分がからかわれると怒って、チヤホヤすると図に乗って、嘘でも褒めれば、なんでも奢ってくれる人だって言ってた」
それをアキラは正直に伝えるのだった。
「あの野郎、生意気になりやがって」
珍しくドラコも声を出して笑っている。
そこで何やら思い出す。
「そういえば、アキラとは前にどこかで会ったな。自己紹介もしたはずだ」
アキラも思い出す。
「あっ、初めてオラの薪を買ってくれた人だ!」
一年以上前の記憶が蘇る。ガサ村の近くの馬車蔵を根城にしていた浮浪者の子どもだ。マリンさんのお下がりの服を着ているということもあり、見違えたように美しくなっていたので気がつかなかった。
「あの、ペテン師か」
ミクロスの言葉に、アキラが舌を出す。
「違うもん!」
仕草や表情は、マリンさんとは似ても似つかなかった。
「話の続きは食事をいただきながらにしよう」
ドラコに従って、場所を移すことにした。
隣の客間へと移動し、マリンさんの手料理をいただきながら、ケンタスやぺガスや、彼ら二人とトリオを組んでいるボボの話を彼女から聞かせてもらった。その中で興味を惹いたのはガサ村での幽霊話だった。
「三人とも、その『幻』を見たというのか?」
ドラコが怖い顔をしてアキラに訊ねた。
「うん。ケンがペガの幻を見て、ペガがお兄さんの幻を見て、ボボが村長さんの幻を見たんだって。でも『斬ったら霧が晴れたようにいなくなった』って言ってた。それで『斬れなかった人は死んじゃった』って」
ミクロスが大きな声を上げる。
「嘘に決まってら。幻ってのは幽霊のことだろう? んなもん、幽霊に人が殺せるかよ」
「ホントだぞ? ペガが目の前で心臓が止まる瞬間を見たって言ってたよ」
一人だけなら悪夢を見たで済むが、三人同時に見たとなると否定するのが難しい。
アキラが付け加える。
「しかも一人とか二人とかじゃなくて『何人もの死体を見た』って言ってたよ。三人の他にも助かった人がいて、みんな同じように幻を見て、殺された人の死体を確認してるんだって。その中にペガのお兄さんもいたんだ」
ガサ村に用があるとしたら、牧場をやっている次兄のクトゥムさんだろう。真面目なクトゥムさんが見ているのならば間違いない。ドラコとミクロスも、信頼できる知人の名前が出たことで黙り込んでしまった。
つまり現実として幽霊が人を殺したということだ。神話の中では魔法使いの存在が描かれているので不思議ではないのだが、それを我々現代人が現実として受け止めるのは、あまりにも荒唐無稽な話だ。
「幽霊に人が殺せてたまるかよっ」
ミクロスは信じていなかった。
対照的にドラコは大真面目だった。
「しかしだな、魔法使いか魔導士かは知らんが、そういう特殊な部族がいて、その者たちは人に幻覚を見せることができると聞いたことがあるぞ。もちろんこれまでは、その話も神話か創作の類だと思っていたんだがな。もしもその話が本当ならば、まったくのデタラメではないわけだ。二つの国で国王が代わろうとしている時期に現れたのだから偶然とも言い難い。目的は定かではないが、その者に敵意を向けられたら、逃れる術はないのかもしれないな」
神話の中の魔法使いは、神と戦ったり、神と恋愛をしたり、その挙句に神を殺したりと、様々な物語の登場人物の一人として描かれている。それが芝居となって街の広場で上演されるわけである。
人に幻覚を見せる、というのも芝居で得た知識だ。他にも雨を降らせたり、火を放ったり、剣や盾を軟らかくすることができるのが彼女らの特徴だ。また、悲劇的な結末が多い。
そこがモンクルスやジェンババが主役となる芝居と大きく異なる点である。残念ながら、魔法使いは英雄として扱われず、悪者として描かれることが多いのだ。一部の批評家によると、それは女王統治を批判するプロパガンダだとも言っていた。
結局は、何事も宗教に帰結するということだ。
翌朝、目を覚ますとすでにドラコとミクロスの姿はなかった。そこで頼まれた用事もなかったので、ハルクス教会の墓地に行くことにした。一年以上も来ることができなかったので、オーヒン行きが決まってから気になっていたのだ。
「アキラじゃないか。朝早くからどうしたんだ?」
タンタンのお墓に行くと、そこにお祈りを捧げるアキラの姿があった。
「お祈りだよ。見れば分かるだろ」
「誰のお墓か知ってるのか?」
「知ってるに決まってるだろ? 彼女は自由と解放の象徴なんだから」
タンタンがカーネーション広場でイワン・フィウクスを殺してから一年以上が経過したが、その間に彼女は広場で働く娼婦たちに崇拝される対象として定着したようである。
「その格好はどうしたんだ?」
「ああ、これ?」
アキラが法服の裾をつまんでたくし上げる。
「リンリンさんが『教会へ行くなら着て行きなさい』って言うから着てるんだよ」
リンリンさんというのはマリン・リングの愛称なのだろう。
「最初は死ぬほど嫌だったけど、教会は怖いところばかりじゃなくて、守ってくれるところでもあるからって、それで勇気を出して着ることにしたんだ。だってリンリンさんは、こんなオラにも優しくしてくれるんだもん」
教会を一言で語るのは難しかった。大陸発祥であるため、海を渡って僕たちの国に伝わった時には、すでに教義や意義が変わっていたといわれているからである。我が国の太教も、厳密には宗派が異なると聞いたことがある。
教会を語る上で、躾や教育の手助けになっているという根幹部分は無視することはできないが、教育者の中に性暴力を犯す者がいるのも事実だ。それだけではなく、脱税や人身売買を行っているケースもある。
孤児のアキラが教会を怖がるのは、幼い頃に悪い方の教会に連れて行かれてしまったからなのだろう。そんな彼女に法服を着せることができるのだから、マザー・マリンには人を導く力があるというわけだ。
「ジジの方こそ、仕事に行かなくていいのか? ケンのお兄ちゃんやミクロスは夜が明ける前に邸を出て行ったぞ? しかも『夜中まで帰らない』って言うから、『食事の用意もいらない』って言い残していったんだ」
僕は二人の予定を聞いていなかった。
「ドラコは昔からそうなんだ。ミクロスに仕事を頼んでも、僕には何も指示しないんだよ。しかもそれが、自分で考えて行動しろっていう意味でもないんだ。ひたすら命令があるまで待機していないといけないのさ。それが兵士だからね」
アキラが首を傾げている。
「ジジはオラと同じで身分すらない孤児だろう? ケンや、ペガや、ボボたちは分かるんだ。みんなには守るものがあるからな。でも、ジジは何のために兵士をしているというんだ? 守るものなんて一つもないじゃないか」
それは考えたこともなかった。
「身分すら保証してくれない王様のために戦うなんて、オラにはさっぱり理解できないよ。ケンたちのことは好きだけど、三人と別れた後、『オラは何をしているんだろう』って考えちゃったからな」
僕やアキラと、家名を持つ彼らとでは、決定的な違いがあるのは確かだった。
「ジジは何のために戦っているんだ? オラはこれまで独りで生きてきたから、本当に分かんなくなっちゃったんだよ。自分がやっていることに意味はあるのかって、考えだしたら答えが分からなくなって、それで頼まれたことをせず、ここで時間を潰してるんだ」
そこで考えながら、話してみることにした。
「ドラコと知り合った頃は、食べるだけで良かったんだ。新兵になった頃も、その気持ちは変わらなかった。商売を持っている人たちからは奴隷と思われても、食べさせてもらえるだけでもありがたかったからね。それ以上を望むようになったのは、やっぱり知り合った人がキルギアス三兄弟だったからなんだろうな。彼らにはまず、人を思いやる気持ちがあって、次に狂うほどの怒りがあって、それから正しいとは何かを考える冷静な頭があったんだ」
長兄のオルグさんの教育のおかげでもある。
「彼らと出会ったから、僕も夢を見たんだ。希望といってもいいかもしれない。何かが変わりそうな予感があったんだ。だから僕も槍術に身を入れることができたというわけさ。それでも最近は、希望の分だけ絶望も知ることになるから、あまりいい気分ではないけどね。アキラと同じように、僕だって常に自問を繰り返しているんだ。確固たる信念なんてない。すぐに弱気が顔を出して、やっぱり僕なんかには世の中を変えるのは無理なんじゃないかって、諦めにも似た感情に襲われるんだ」
そこで急にタンタンの墓石に触れたくなった。
「でも、僕はタンタンを信じさせてしまったんだ。そして彼女は僕を信じたまま死んでしまった。男が女を信じさせたら、絶対に裏切ってはダメだ。それなのに僕は彼女を守ってあげることができなかった。僕に戦う理由があるとしたら、それは彼女との約束を守ることだ。タンタンが託した希望を実現させてみせるのさ。すぐに弱気がぶり返すだろうけど、僕はその度に彼女のことを思い出して、闘志を取り戻してみせるんだ。守るためだけではなく、奪うための戦いがある。当たり前を手に入れている人たちは優雅に平和を唱えるが、その平和をもたらすために、タンタンのように戦って死んだ人たちがいることを忘れてはいけないんだよ」
感情が高まり、墓石を濡らしてしまった。
「入れ替えのない階級社会や、高い身分の者が低い身分の者を人間扱いしない社会や、低い身分の者がより低い身分の者を虐げる歪な社会など、明らかに目に見えておかしいと分かっているのに、それを見て見ぬ振りをしながら、まやかしの平和を実感したくないんだ。差別で苦しんでいる人がいるのに、その人たちのために何もしない人が唱える平和に意味なんてあるわけないじゃないか。そういう人たちは争わせないことで、僕たちを強固な階級社会の最下層に閉じ込めておきたいんだからね。見て見ぬ振りをする平和主義者より、僕は苦しんでいる人を見つけ出してでも戦い続ける戦士でありたいんだ。タンタンのように苦しんでいる人が、世の中には必ず存在しているはずだからさ。この世界には悲鳴すら上げられない人が現実として存在しているんだよ」
そのことを僕に教えてくれたのは、墓の中に眠っている彼女だった。
「オラも、もう一度がんばってみるよ。オラより小さい子が酷い目に遭っているのを知っているからな。ヤツらは自分の家の中で見えないように悪さをするんだ。そういうヤツらは、領主殺しを続けている人たちにみんな殺されてしまえばいいんだ」
それは、同意するのが難しい問題だ。
「アキラの気持ちは分かるよ。分かるし、そう思うことは何も悪くないんだ。だって『悪いヤツなんかいなくなればいい』って思うことは、正しい心を持っている証拠でもあるからね。悪いことをしたヤツを許さない気持ちは絶対に失くしてはいけないんだ。でもね、領主殺しの犯人がやっていることは怖くもあるんだよ。殺した領主が悪いことをしていたという証拠がなければ、正義の行いとはいえなくなってしまうじゃないか。だから告発して、裁きを受けさせる場が存在しているんだ。裁きの手続きを無視して処刑していくというのは、やっぱり認めるわけにはいかないよ。だってそうだろう? 僕たちが豊かな暮らしを手に入れた時、今度は僕たちの子どもや孫が理不尽に殺されるかもしれないんだよ? だから、そんなやり方は認めるわけにはいかない。これは僕たちだけではなく、将来の子どもたちや、まだ生まれていない遠い未来に生きる人類のためでもあるからね。そこでドラコも上手くいかずに悩んでいるというわけさ」
もしもドラコが好き勝手にできるなら、力だけでカグマン島を制圧することは可能だろう。どのくらいの時間が掛かるか分からないが、反乱軍を組織することは不可能ではないのである。それをしないのは、打倒した後の秩序や倫理を考えているからだ。
「でもさ、荘園の領主は裁きなんて受けないじゃないか」
丁寧に説明したつもりだが、アキラは納得してくれなかった。
「荘園という自分だけの国を持ち、ヤツらはそこで好きなことをしているんだぞ? 自分で決まりを作って、それを自分以外の者に守らせる。それでどうやって悪いことをしている領主を裁けるというんだ?」
気持ちは分かるが、それでも答えは変わらない。
「僕だって受け入れているわけではないんだ。自分を無理やり納得させている部分もある。それでも反逆罪に問われないためには、もっと上手くやらなければならないんだ。今の世の中だと、領主殺しはただの殺人犯でしかないわけだからね」
アキラが気を落とす。
「裁きなんて、信用できないよ」
それは、その通りだった。
「どうして盗賊をやっつけたケンたちが裁きを受けなきゃいけないというんだ? オラには分からないよ。裁きを受けなきゃいけない人は他にいっぱいいるじゃないか。裁きに期待するなんて、やっぱりオラにはできない」
これには反論不可能だ。
「それも含めて変えなくちゃいけないんだろうな。アキラのような子がおかしいと思ったら、やっぱりそれはおかしくて、ちゃんと分かりやすく理由を説明できる世の中にしなくちゃいけないんだ」
アキラが不安そうに訊ねる。
「ケンたち、大丈夫かな?」
安心させるために『心配いらない』と言うつもりだったが、そこでタンタンの墓石が目に入り、根拠のない気休めの言葉を口にするのが躊躇われて、何も言ってあげることができなかった。
「一緒に祈りましょ」
そう言って、アキラは僕を教会へ連れて行くのだった。そこで話題は変わり、美味しいトカゲの見分け方や、自分の身長ほどのヘビを捕まえて丸焼きにして食べたという、嘘か本当か分からない話を聞かされた。
翌日になってもドラコとミクロスが戻らなかったので、予めアキラと約束した上で、一緒に教会へ行った。そこで墓石に祈りを捧げてから、前日と同じように取りとめのない話をして時間を潰した。
「ジジは、どうしてそんなにオラの顔ばかり見てるんだ?」
数日後、教会の椅子に並んで座って話をしていた時、アキラがふと口にした。
「別に、そんな見てないよ」
「見てるよ。見られている顔半分が痒くて仕方がないからな」
「それは嫌だっていうことか?」
「そんなこと言ってないだろう? 理由を聞いているんだ」
それには理由があった。
「それは、横顔がタンタンに似ているからだよ」
アキラが首を傾げる。
「そんなことは誰にも一度も言われたことがないぞ?」
生き写しであるかのように思っていたのは僕だけだったようだ。それはアキラのことを好きになる理由を必要としたからなのかもしれない。死んでしまったタンタンを大切にしながら他の女性を好きになるには、タンタンの面影を重ねるしかなかったのだ。
「タンタンのこと、好きだったのか?」
「うん」
そこでアキラが黙ってしまったので、彼女が何を考えているのか分からなかった。




