第十八話(62) デモン・マエレオス
許可を得たその日のうちに、僕たち三人はオーヒン国へ向かって出立した。馬には酷な山道での移動だったが、最短コースを選択したことにより六日でオーヒン国の手前までやってくることができた。
「ドラコ、気をつけてくれよ。ここはもうオーヒン国の領土内だからな」
ドラコが怪訝な表情を浮かべる。
「ここはサイギョク村だろう? だったらカイドル州のはずだが」
「オレ様も知ったばかりだが、最近になってオーヒン国に編入されたんだとよ」
「どういうことだ? オーヒン国の領土が拡大したということじゃないか」
考えられない話だし、通常では起こり得ない話だが、それが本当ならば大変なことだ。
「いや、オレ様も情報屋に聞いただけで、そいつも法律や法令には疎いから詳しく聞けなかったんだけど、オーヒン周辺にはとにかく荘園が多くて、領主の裁量で領土の帰属先を選べるようになってるんだな。つまり税金をどちらに納めるかで、受けられるサービスの内容が変わってくるわけだ。ここら辺は商業が盛んだから盗賊も多いだろう? だから警備がしっかりしているオーヒンに帰属先を変える領主が多いって話だ」
田舎の王宮よりも近くの都というわけだ。
「今頃になって後悔しても遅いんだけど、七政院の官僚どもがオーヒン国との国境警備をドラコ、お前に任せた背景には、荘園の主権を守る意味も込められてたんじゃないのか? それで左遷させたというのは不本意でもあったんだ。それはどういうことかというと、三十年前に武力による戦争は終わっているが、政治というか、経済というか、外交としての戦争はずっと続いているっていうことさ。腹の立つ話だが、オレたちはオーヒンの政治家、特にコルヴス家に、いいように利用されちまったのかもしれないな。目障りだった裏世界の悪党どもをデモンと一緒に排除してやったんだからな」
荘園の主権を巡る駆け引きにおいて、ドラコが国境警備に就くというのは、オーヒン国の政治家にとって邪魔な存在だったに違いない。『モンクルスの再来』として有名だったドラコがいるだけで、荘園の領主にとっては心強かったはずだからだ。
それでオーヒン国の政治家はドラコを片付ける方法を考え、厄介な存在だったザザ家を巻き込んで相殺させようと企んだのではないかと考えられるわけだ。そして、その計画は実際に成功したのである。
キルギアス兄弟に剣術で勝る者はいないが、政治に参加できない時点で、常に利用される側になってしまうわけだ。努力家のドラコでも入れ替えのない階級社会を壊せないのだから、誰にも世の中を変えることはできないということだ。
「おい、ドラコ、どこに行くんだ? そっちはオーヒンじゃないぜ」
街道の分かれ道でドラコが道を間違えたようだ。
「オーヒンに行く前に、寄るところがあるんだ」
どうやら予定通りの行動だったようだ。
「どこに行こうってんだ?」
ミクロスの問いに、ドラコが答える。
「ハンスと会おうと思うんだ。会えば色々と話を聞けるかもしれないしな」
「ちょっと待て」
呼び止められたので、ドラコが馬の足を止めた。
「ハンスに会いに行くっていうことは、あのデモン・フィウクスがいるところに行くってことになるんじゃないのか? 今の名前は何だったけかな? ああ、そうだ。デモン・マエレオスな。ヤツの領地に入るということだぞ?」
僕たちが殺したイワン・フィウクスの父親だ。
「そうだな、そういうことになるな」
「おいおい、オレたちはヤツの息子の仇だぞ? 堂々と会いに行っていいものなのか?」
「恨んでいるなら、とっくの昔に復讐しているさ。殺し屋を雇うくらいの金はあるからな」
「油断させておいて背中から刺すタイプの男じゃないのか?」
ドラコが笑う。
「ハハッ、それはあるかもしれないな」
「笑い事じゃねぇだろう」
「刺されないためにも、今度は逃げずに護衛として離れないでくれよ」
そう言って、ドラコは馬を歩かせた。
僕はドラコに従うしかなかった。
ミクロスも不本意ながら、ついて行くしかないといった感じである。
「そこの三人、止まりなさい」
街道の三差路に検問所があって、そこの守衛に止められたので、馬から降りた。表にいる守衛は四人だが、小屋には六頭の馬が繋がれているので、小屋の中にも交代要員がいるのだろう。事件が立て続けに起こっているということで非常線が張られているようだ。
「どこへ行く?」
守衛の質問に答えるのはドラコの役目だ。
「デモン・マエレオスの息子のハンスに会いに行く。道を教えてもらいたい」
「会う目的は?」
「私用だ」
「紹介状はあるか?」
「ない」
「三人とも兵士の格好をしているな。本物なら身分を示す物を携帯しているはずだぞ」
「州都札なら持っている」
そこでドラコが守衛の男に札を手渡した。
すると、その札を確認した男の手がブルブルと震えるのである。
「ドラコ・キルギアスとは、あのドラコ・キルギアスでありますか?」
「その名は私一人のはずだが」
「これは失礼いたしました!」
そう言うと、丁寧に州都札を返すのだった。
「おいっ、お前たち、ドラコ・キルギアス隊長がおいでだ!」
守衛の掛け声で、小屋の中からも若い兵士が飛び出してきて、代わる代わるドラコと挨拶を交わしていくのだった。ドラコは若い兵士にとって英雄なのだろう。その場で涙を流す青年もいたほどだ。
「ぼくの父はザザ家の奴らに殺されました。国に訴えても、捜査権がないからといって取り合ってくれなかったのですが、隊長だけは違いました。ザザ家をやっつけたと聞いて、ぼくも国に奉仕しようと思うことができたのです。それで隊長にお会いできる日を心待ちにしていたのですが、それが今日、やっとその願いが叶ったのです。父の無念を晴らしていただき、本当にありがとうございました。御恩は一生忘れません」
その話を聞いていた他の兵士も涙を流すのだった。
「すまないが、先に道を教えてくれ」
ミクロスが不機嫌なのは、自分の名前が若い兵士の間で一切知られていなかったからだろう。諜報活動をする上ではいいことだが、彼の自尊心が満たされないのは、ちょっとだけ可哀想ではあった。
それからデモンの家の場所を聞き、広大なブドウ畑の入口へと辿り着いた。貨物運搬用の馬車道には二人の私兵が門番をしていたが、連絡を取ってもらって中へ入れてもらうことができた。
オーヒン国の南西部に位置するマエレオス領が『王宮の酒造庫』と呼ばれるようになったのは戦後のことで、それ以前はカイドル帝国と主権を争う土地だったそうだ。広大な穀物畑が広がる肥沃な大地でもあるので争いの種になっていたわけだ。
ここで造られたブドウ酒は王宮に献上されるので、泥棒だけではなく、土地に侵入しただけでも重罪となり、捕まった場合はその場で処刑されるそうだ。はっきりしないのは、各地の荘園には独自の決まりがあるので把握しきれないからである。
しかし、見分け方としては簡単だ。王族の縁者の荘園にはフェニックス家の御旗や紋章があるので、そこに入らなければ問題はない。それは親が子どもに最初に教えることでもある。
デモン・マエレオスの本邸はブドウ畑の真ん中にあった。酒造工場だけではなく、邸の隣には畑を守る私兵が常駐できるように兵舎も建っており、潤沢な資金によって運営されていることがひと目で分かった。
一年以上前にデモンは、長兄のイワンとオーヒン国の財務官という職を同時に失ったが、マエレオス領を治めていたカミラ・マエレオスという寡婦と再婚することで、この広大な土地を手に入れたわけである。
「おお! まさしくその顔はドラコ・キルギアスではないか!」
そう言って、満面の笑みを浮かべながら『赤獅子』ことデモン・マエレオスは僕たち三人を出迎えた。それからドラコの両手を握り、子どもが新しいオモチャを手にしたかのように手放そうとせず、そのまま客間へと連れて行くのだった。
「すぐにブドウ酒と、何かつまむものを持ってきてくれ」
若い召使いに指示を送ると、僕たちを客間のテーブル席に座らせるのだった。デモンの背後には常に二人の護衛の男がついているが、領主の身体の方が彼らより大きく見えるので、とても面白い絵面に見えた。
「ドラコ・キルギアス、貴君はなんというタイミングで来てくれたのだ。まさにこれ以上ないタイミングだったのだよ。神からの贈り物といってもいいだろう。これで家内も少しは心を休めることができるはずだ。心から礼を言うぞ」
デモンは、まるで長兄を殺されたことを知らないかのような振る舞い方をした。
「ここ三週間で五人の領主が殺害されておるからな。しかもフェニックス家に関係する者ばかりだ。それで家内が怖がって寝室に閉じこもってしまったのだよ。警護を増やしたというのに、娘のアンナ以外とは、私ですら会ってくれぬのだ」
州都カイドルを発った日から、さらに二人の領主が殺害されたようだ。
「しかし『モンクルスの再来』が来たとなれば百人力だ。この非常事態に心強い味方が現れたのだからな、これで賊も容易には近づけまい。『我が領土にドラコあり』と知れ渡れば、百人の私兵を追加で雇うより安く上がりそうだ」
そう言うと、デモンは気持ちよく笑うのだった。
「いや、なに、好きなだけ居て構わんが、無理に引き留めるつもりはない。こういうのは『ドラコ・キルギアスが我が領土に滞在している』という事実があれば、それだけで充分なのだからな。こちらから情報を流せば、後は勝手に広がってゆくものだ」
情報の扱い方も熟知しているようである。
「わが友、ドラゴ・キルギアスよ。好きなだけ羽根を休ませるがよい」
デモン・マエレオスという男は嫡男を殺した作戦隊長とも友人関係になれるようだ。どういう神経をしているのか分からないが、この男にとって自分以外の人間は、利用価値があるかないかの違いでしかないのだろう。
長兄の死に関与した次兄のハンスも理解しがたい部分はあるが、それでも不正を働いた者を裁く正義や、妹を思う愛情が感じられるので、まだ納得できる部分がある。しかし父親の方は、永久に理解できないような絶望感があった。
「ドラコよ、分かっておるな?」
運ばれてきたチーズを食べながら話を続ける。
「ユリス・デルフィアス長官にセルぺス国王陛下の娘を引き合わせたのは、この私の息子なのだ。そもそも、大陸から王女を嫁がせることができたのが、この私のおかげなのだぞ? いや、なに、見返りなどは求めてはおらんよ。ただ、一度だけでよい。長官と話をさせてもらえれば、それで充分なのだ。今や私もフェニックス家の親類縁者となったわけだからな。挨拶をさせてもらえれば、それで結構だ」
殺人事件のニュースを聞いただけで閉じこもるほど心配性のカミラ夫人と結婚することができるのだから、デモンの人たらしの能力は相当なものだ。滔々と説得されるドラコの反応にも、それが現れていた。
「お約束することはできませんが、長官に話してみましょう」
「結構、結構。後はこちらで何とかなるでな」
結局、今回もまたドラコはいいように利用されただけのようだ。老獪な政治家の術中にハマったように見えたのは、僕だけではなかったようだ。酒好きのミクロスが一口も飲まず、食事にも手を付けなかったので、同じように不快感を抱いていることが分かった。
それからアンナがやってきて、再会を喜び、カミラ夫人が挨拶に下りてくることができないことを伝え、義理の母親の側についていてあげたいということで、すぐに二階の寝室へといなくなってしまった。
ハンスが帰ってきたのは、翌日の日没前だった。現在の彼は父親の仕事を手伝っているようで、オーヒン国との間を行ったり来たりしていると言っていた。その彼からケンタスの情報を聞いたのは、客室で旧交を温めた後のことだった。
「うん。弟さんで間違いない。どうやらオーヒン国の人間を殺してしまったようだ」
「すまないが、もう少し詳しく聞かせてくれないか?」
声が上ずるドラコだが、動揺しているのは僕も同じだ。
「ツノ村周辺で荷馬車が襲われている現場に遭遇したらしいんだ。それで六人の山賊を退治したのはいいが、その中にサイギョク村の人間がいてね。ほら、あそこは最近オーヒン国に統治権が遷ったから、それでオーヒン市警に手配されたってわけさ」
ドラコが考える。
「どうしてツノ村の荷馬車が襲われた現場にサイギョクの人間がいたんだ?」
言われてみれば、その通りだ。
「襲われた荷馬車に関係のある人物か?」
「いや、襲われたのはツノ村の行商人さ」
「ならば、そいつは居るはずのない人物ということになる」
「つまり?」
「賊の一味だろう。ケンタスが判断したのなら間違いない」
「だったら問題はなさそうだね」
その言葉にドラコは黙ってしまった。おそらく確信を持てないからだろう。逮捕状を元に動いた僕たちのケースと違って、ケンタスの場合はオーヒン国からの一方的な判決で処分を言い渡される可能性があるからだ。
カグマン国では、兵士の罪は三人一組での連帯責任が問われるので、オーヒン国で裁かれた方がマシだと考える者もいるが、言い渡される判決内容が想像できないので、やはり外国での裁判に身を委ねるのは危険なのだ。
ドラコが訊ねる。
「それで最近のオーヒンの様子はどうなってる?」
神妙なドラコの面持ちとは対照的に、ハンスの顔はにこやかだ。
「それがさ、つくづくオーヒン人の商魂には感心させられたよ。殺人事件が起こってから傭兵の需要が高まってね。新規の取引ができるっていうんで、認可を受けている派遣組合は大喜びってわけさ。なにしろ今まで取引のなかったフェニックス家の警護だからね。本家筋ではないけど、彼らにしてみたら大変名誉あることなんだ。一度でもフェニックス家の警護という経歴を持つと箔が付くだろう? その後の仕事がしやすくなるってわけさ。さすがのドラコもそこまでは予想してなかったんじゃないのか? オーヒン人というのは、どうも昔から僕たちの一歩先を行くみたいだからね。結局、いつも彼らが得をするようになっちゃうんだよな」
ハンスが雑談を終えていなくなってから、ミクロスが口を開いた。
「なぁ、ドラコよ。ケンタスのこと、どうするんだ?」
ミクロスはハンスとは挨拶もせずに、彼が部屋にいる間は一言も喋らずに気配を消していたのである。昨日から出された食事を一切口にしないという徹底ぶりである。ドラコが信じる相手だからといって、最初から信じ込まないというのが彼の長所でもあった。
「どうするというのは?」
ドラコが質問返しをした。
「話を聞いただけだから断言はできないが、ケンタスのヤツ、山賊退治を甘く見てたんじゃないのか? 六人の賊を殺したのは見事だが、一番大事なのは後処理だってことを理解してないんだよ。いや、新兵だから理解できないのは当たり前なんだが、現場検証を人任せにしちまったような気がするな。死体を預けて先を急いだんじゃないのか? そうなると警備局の捜査課の奴らに勝手にシナリオを作られて、裁判を受ける前から判決を用意されちまうことになっちまうぞ?」
荷馬車が襲われている場面に遭遇した時のマニュアルは決まっている。賊と被害者の区別が最優先で、被害者を誤認して殺傷してしまわないように警告する必要があるのだ。だから人命救助を優先させつつ、敵を制圧する技術が必要となるわけだ。
ケンタスは、おそらくこれが初めての実戦だったから、賊の息の根を止めないと危険だと判断したのだろう。相手が七人もいるので、それは決して間違った判断ではないが、経験を積んだドラコならば、死体を外国の市警に渡さなかったはずである。
現場はツノ村なので、カイドル州なわけだから、こちらの州警が現場の処理に当たるのが当然だ。それなのにオーヒン国の市警に手配されたということは、完全に後処理を間違えているということなのだ。
「なぁ、ドラコよ、ケンタスを助けなくていいのか?」
「どう助けるっていうんだ?」
「お前はブルドン家にも顔が利くだろう?」
「国王とは面識がない」
「次期国王候補のコルヴス親子はどうだ?」
「身内のためにコネを使えというのか?」
「ただの身内じゃないだろう? アイツには閃きがある」
「そんな男が指名手配を受けるものか」
ドラコはそう言うが、ケンタス・キルギアスには、僕たちとは違う思考ができる頭がある。彼は千年後の世界から現代へと逆算して考えているような物の考え方をすることができるのだ。安易な表現だけど、いわゆる『天才』というやつだ。
ミクロスが問う。
「弟に手を差し伸べないというのか?」
ドラコの目が冷たい。
「ここで俺たちの手を借りるような男ならば、いずれ仲間になった時、必ず俺たちの足を引っ張るような男になる。弟一人のために多くの仲間を失うわけにはいかないんだよ。俺にとって弟だけが特別というわけではないんだからな」
それを苦しげな顔で言うものだから、ミクロスもそれ以上は食い下がることはできなかった。それでも僕はケンタスのためにできる限りのことをすべきだと思った。オーヒン国は常に僕たちの想定を超えていくからだ。




