第六話 ジュリオス三世
最近は三連勤の最終日が授業に充てられる日が続いていた。ヒゲ婆の忠告は気になるが、気にしたところで徴兵を拒否できるはずもなく、兵舎の席に着いて、白髪の文官の授業を受けなければならなかった。
「ジュリアス三世が世の中を震撼させたのは、なんといってもチャバの大虐殺である。チャバには五万人以上が暮らしていたが、三日三晩でほとんどの住民が殺されてしまったという話だ。前線の重要な防衛基地であったがための悲劇であろう――」
チャバの大虐殺を知らない島民はいないという、それくらい有名な話だ。
「女であろうが子どもであろうが、すべての遺体が燃やされ続けたという話である。虐殺の証拠を残さないための行動であるが、町が三日で消えた事実は、決して消し去ることなどできぬのだ――」
その悪名は大陸まで伝わっているという話だ。
「チャバでは乳飲み子だけではなく、妊婦の腹の中にいる赤子まで殺すように命じたそうだ。命令に従わない味方の兵士まで惨殺し、虐殺された者の中には自国の兵士も相当数含まれていたとの記録も残っておる――」
突如として錯乱したともいわれている。
「妄想に憑りつかれていたようで、目障りな家臣を次々と処刑したとの記録も残っておる。モンクルスと互角に渡り合ったとされる軍師ジェンババも断罪されたという話だ――」
軍師ジェンババの話も有名だ。同時代にモンクルスとジェンババが双方の国に生まれたから不干渉条約、つまりは停戦協定を結ぶことができたのだ。ジェンババは剣士ではないが、知略だけで敵軍を撤退に追い込むことができたそうだ。
子どもの頃からケンタスと言い争いをしていたのが、モンクルスとジェンババではどちらが優れているのか、という論争だ。結果から言うと、やはり互角という結論に至った。歴史がそれを証明している以上は議論が広がらないのだ。
ただしケンタスはモンクルスに憧れ、俺はジェンババに憧れを抱いているのは隠しようのない事実だった。どちらも戦時中に生まれて、生きている間に戦争を終戦に導いた英雄だからだ。馬小屋で誓いを立てた俺たち三人にとって、彼らの生き方こそが見本なのだ。
この日も書物を書き写す作業があったのだが、今回ばかりは筆が進まなかった。文官が話したのは一部に過ぎず、書物には吐き気を催すような、それ以上の凄惨な出来事が書かれてあったからだ。
「目覚めよ、同志たちよ」
その夜、奇妙な夢を見た。
「我が名は、予言する者である」
真っ暗闇の中、俺の身体だけがくっきり見えていた。
「さあ、望むがいい」
男の声には違いないが、年齢は推察できなかった。
「そなたらの願いを叶えてしんぜよう」
耳に聞こえるというよりも、脳に響く感じだ。
「どんな願いでも叶えてやるぞ」
ふと、ジュリアス三世のことが頭をよぎった。
「現実には起こり得ない、などと考える必要はない」
ジュリアス三世の顔を知らないから、夢がぼんやりとしてしまうのだろうか?
「欲望の限りを尽くすのだ」
この言い得ぬ胸騒ぎは何だろう?
「今こそ、本能の赴くまま行くがよい」
これではまるで悪魔の囁きだ。
「恐れる事は何もない」
いや、神なのか?
「迷うことなく、立ち上がるのだ」
奇妙なのは悪夢の夜だけではなかった。翌朝、目を覚ますと多くの者が放心状態となっていたのである。混乱するわけでもなく、気が抜けた状態というか、心が留守になっている感覚だ。原因はやはり昨夜の夢のようだ。
いや、正確には前日の授業がいけなかったのだろう。兵舎でジュリオス三世に恐怖した者が、同じ夜に似たような悪夢にうなされたわけである。夢なので覚えている人の方が少ないが、怖かったという感覚だけははっきりしているようだ。
その日は休みなので、俺たち三人は牧場で乗馬の練習をすることになっていたが、話題はどうしても夢の話になる。ケンタスやボボまで似たような夢を見たと言っていたからだ。そこで付け加えるようにケンタスが説明する。
「書物の中に、ジュリオス三世も奇妙な夢を見た、という話が書かれていたな」
「神の啓示だっけ?」
聞き返したのは俺だ。
ボボは文字が読めないので会話を控えていた。
ケンが頷く。
「ああ。暴君と呼ばれているが、子どもの頃のエピソードがなかっただろう? だから突発的に心境が変化する何かが起こったことは間違いないと思われていて、それで声を聞いたのではないかという仮説が生まれたんだ」
「でも、俺たちが見た夢は仮説じゃないよな? いや、夢だから現実というのもおかしな話なんだけどさ。それでも三十人近くもいる兵舎の新兵が揃いも揃って同じ夢を見るなんて、やっぱり考えられないよな」
馬に乗りながらの会話だが、俺やケンタスは子どもの頃からしてきたことなので何も問題はなかった。ボボも馬の扱いには慣れていて、俺の隣を並足でしっかりとついて来るのだった。というよりも、ボボが三人の中で馬術に一番長けているかもしれない。
ケンタスがため息をつく。
「夢だけはどうにもならないからな。変な夢を見て、本人が神の啓示だと信じてしまえば、周りからは憑りつかれたように見えてしまうさ。夢の解釈だって人それぞれだし、他人の神が自分の神とは限らないっていうのは、現実と同じだからな」
「ああ、夢なんて好きに見られるものでもないしな」
俺の言葉をケンタスが否定する。
「いや、暗示を掛けて望み通りの夢を見せる実験というか、おまじないはあったらしいぞ。なんでも、よく眠れる茶を飲ませて、眠っている人の耳元でしつこく囁きを繰り返すんだ。そうすると稀に成功するんだそうだ。オレたちだってあるだろう? やけに暑くて喉が渇く夢を見ていたと思ったら、単に消し忘れの火の前で眠っていたとかさ。寒い時には寒い夢を見るし、眠りが深い人に暗示を掛ければ、案外と本人は気付かないものさ」
「それが起こり得るなら怖い話だな。本人は神の言葉を聞いたと思い込んでいるが、実際は他人に操られていたということだろう? まぁ、ジュリオス三世の場合はどちらにしても弁明にはならないけど」
ケンタスが小首を傾げる。
「神の啓示も嘘かもしれないしな」
それはどちらの嘘だろう?
「ケンはヒゲ婆の方を信じるのか?」
「いや、信じるも何も、この世には信じられるものが少なすぎるんだ。でも、ヒゲ婆さんの言葉の中で『渡り鳥が騒いでいる』というのは気になったかな。それは見たままの現象だからね。ただし、それがどういう意味かは分からないけどさ」
「俺たちが見た夢だって、見たままの現象ではあるぞ? 暗示があったとすれば昨日の授業だけど、それにしたって全員に同じ夢を見せるなんて出来っこないだろうし、どう解釈すればいいんだ?」
「大陸の東で発生した宗教にも説法や写本をさせることがあるそうだが、それを洗脳と呼ぶか、教えと呼ぶかは目的次第だな。ただ、戦争にも弁舌が武器として認識されている部分もあるから、新兵を洗脳しようとしている可能性はなくはないさ」
「それでも、みんながみんな同じ夢を見るか?」
俺の言葉にケンタスが首を傾げる。
「集団催眠のような魔術もよく聞く話だけど、あの文官や書物にそんな力があるとも思えないし、いっそのこと、ヒゲ婆さんの言葉を一字一句信じてしまった方がすっきりするかもな」
それは冗談だろうけど、結局は納得できるだけの解釈には至らなかった。三人いても、分からない時は分からないものだ。特に宗教と戦争に話が及んでしまうと、俺にはさっぱり理解できなくなってしまうのである。
この日の夜は兄貴の家で食事をせず、三人でテントを張って野営の練習をすることにした。ちなみにテントは部族民の知恵を拝借して、ケンタスと二人で自作したものだ。
野営といっても王宮に隣接している牧場内なので、実家の馬小屋で寝るのと変わらなかった。俺はこうして子どもの頃からケンタスと二人で森の中で泊まって遊んでいたのである。
「男の子はいいよね」
この日も焚き火をした途端、カレンが遊びに来た。
「三人には分からないんだろうな。このね、女に生まれると、生まれた時から仲間外れにされている感覚が心のどっかにあるんだよ。それがきっと死ぬまで続くんだろうな、って思ってしまうの」
彼女の話し相手を務めるのは俺だ。
「それはあれだな、男がどうやっても子どもを身ごもれないっていう疎外感と一緒かもな。兄貴の子どもを見る度に永遠の孤独を感じちゃうもんな」
「それはペガが無責任というだけでしょ。まだ結婚してないからいいけど、すべての父親がそんな風に思うわけないじゃない」
早速怒られてしまった。
「一度でいいから、私も危険のない世の中で自由に遊んでみたいよ」
「だったら夢の中の王様に頼めばいいじゃねぇか」
と言っても、カレンには理解できないので、昨夜見た奇妙な夢について一から話してやることにした。ジュリオス三世のことも説明した方が分かりやすいので、かなり長い一人喋りとなったが、ちゃんと最後まで聞いてくれたのが嬉しかった。
「あれ? そういえば王宮の様子もおかしかったけど、そのせいかしらね?」
「どうおかしかったんだ?」
「詳しくは分からないけど、気が抜けたような人もいたし」
それは俺が説明した兵舎の様子なので、おそらくカレンのは気のせいだろう。
「カレンは夢を見てないんだな?」
とケンタスが尋ねた。
「うん。私は夢を見ないんだよね。夢を見られる人が羨ましいの。見てもすぐ忘れるだけだと言う人もいるけど、私の場合は本当に残像すら思い出せないんだよ。だから見てないんだと思う」
「だったらやっぱりオレたちだけなのか……」
「どうして三人とも沈んだ顔をしてるの?」
俺たちとは対照的に、カレンは朗らかな表情をしていた。悩みがなさそうで羨ましい限りだ。彼女は夢を見ていないからそんな顔をしていられるのだ。あの脳みそを掴まれたような感覚を味わったら正気じゃいられないはずだからだ。
「夢の中で願いを叶えてくれると言ったんでしょう? だったら三人とも夢を叶えてもらったらいいじゃない。どんな願い事を持っているのか、それぞれ発表していきましょうよ。最初は誰がいい?」
お気楽なカレンらしい提案だが、辛気臭い話をするよりマシかもしれない。
「そういうのは言いだしっぺが始めるもんじゃないのか?」
「一番は恥ずかしいから嫌だ」
と言って、カレンがそっぽを向いてしまった。
「こういうのはペガからだろう?」
ケンタスに促されたので答えることにしよう。
「へへっ、俺の夢は一つしかないよ。今すぐ結婚することだ。明日でもいいよ。とにかく結婚しちまいたいんだ。二年以上は待たないと結婚できないが、おかしいと思わないか? どこに三年後も生きられる保証があるってんだ? バカな法律だよ」
カレンが聞き飽きたという顔をしている。
「子どもの頃からそればっかりね。結婚を望む前に、ちゃんと人を好きになったらどうなの? やらしい目で見るだけなんだもん。ペガは別に親が結婚相手を決めるわけじゃないんでしょう? だったら『素敵な人とめぐり逢えますように』って願ったらいいじゃない。ほんとロマンスが足りないんだから」
いつも通り、カレンによる熱い批判だ。
「残念だがカレン、お前は男を全然分かってないよ。『素敵な人とめぐり逢いたい』なんて口にする男を信用できるか? 世の中に素敵な人がどれだけいると思ってるんだ? そんなことを口にする男は片っ端から女に声を掛けるに決まってるじゃないか。まったく、理想ばかり追い掛けてる女はこれだからダメなんだ。どうせ勝手に期待して、勝手にガッカリするんだろう? 結婚にロマンスなんて必要ないのさ。初対面で結婚するところから始めてもいいくらいだ」
カレンが頬を膨らませる。
「まぁ、あなたったら、なんて傲慢なのかしら。少しは相手の身になって考えたらどうなの? まるでお手伝いを雇うかのような言い草じゃない。結婚相手を土地や家と同じように考えているんだもの」
「そっちこそ、男に神様のように振る舞えと思ってるんじゃないのか?」
「ペガにそんなこと期待するはずがないでしょう?」
「二人ともよさないか」
ケンに止められるまでが、いつものやり取りだ。
「ボボの夢は何なんだ?」
話を振られたボボが答える。
「オイラはハハ島に行ってみたいな。お爺やお婆が生まれた島だからな」
「なるほど、先祖が眠る島か」
「そういうケンの夢は何なんだ?」
ケンタスが夢想する。
「オレも似たようなもんだな。もう少し早く生まれていれば剣聖モンクルスに会うことを願っていただろう。でも、それはもう叶わないから、兄貴に会いたいな。一年前に会ったばかりだけど、またすぐに会いたくなるんだ」
「素敵な願いね」
いつものようにカレンがうっとりした。
この俺との評価の違いは何なんだろう?
「カレンは?」
ケンタスに尋ねられると、急にモジモジし出した。
見ているこちらが恥ずかしくなる。
「いつか、王宮から連れ出してくれる人を、待ってるの」
夢見る乙女だ。
しかし、どうしても一言言ってやりたくなる。
「カレンは待たなくても、自分から王宮を抜け出してるじゃないか」
「そういうことじゃないでしょう?」
彼女はすぐに口を尖らせる。
「後のことを何も考えずに、手を引っ張って行って欲しいんだよ。家のことや、王宮のことなんて気にしないで、好きになって欲しいの。そうしてくれないと、一生どこにもいけないかもしれないんだもん」
カレンの家は確か七政官の親戚筋にあたる娘だ。このままだと他の官僚の息子と結婚することになるだろう。王宮で生まれて、王宮で結婚し、王宮で死んでいくのが名家の令嬢の宿命というわけだ。
「少しだけでいいんだよ。私もケンやペガやボボちゃんと一緒に冒険がしてみたいの。だって、半年もしたら会えなくなるんでしょう? 帰って来るのは半年に一度か、一年に一度になっちゃうんだよ? そんなの私、耐えられないよ」
これだけはどんなに願っても不可能だった。駆け落ちすれば罪人になって処罰されるからだ。身分が違うので、俺たちの方は確実に死罪となるだろう。遊びのつもりで二、三日連れ回しただけでも、場合によっては国外へ飛ばされるかもしれない。
「カレンも、オイラたちの仲間になれ」
カレンにはボボの言葉の意味が分からないようだ。
「仲間になれば、どこにいようと心は一緒だ」
ケンタスが頷く。
「ああ、そいつは名案だな」
「秘密じゃなかったのかよ」
尋ねたのは俺だ。
ケンタスが首を振る。
「カレンとの間に秘密はない」
それからケンタスは現王政への誓いが普遍的ではないと告げるのだった。逮捕されてもおかしくない話だけど、それを正直に打ち明けてしまった。これでいよいよ後戻りできなくなったわけだ。といっても、すぐに何かが変わるわけではないだろうが。
「つまり次の国王次第というわけだ」
それを聞いた彼女はどういうわけか大粒の涙を流したが、結局は何も語らずに別れることとなった。秘密にしていたことに悲しんだか、あるいは秘密を打ち明けられたことに喜んだか、カレンが何をどう思ったのか、俺には分からなかった。