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ロマン・ストーリー 剣に導かれし者たち  作者: 灰庭論
第二章 戦士の資質編
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第十五話(59) リンゴ園の出来事

 それから茶会が始まったが、僕は身分違いということもあり、フィルゴの指示に従って、室内警護を兼ねて扉を開閉する仕事についた。ユリスは気にしないだろうが、僕が困るので、フィルゴのその強硬な姿勢は有り難かった。


 応接間には煌びやかな装飾品が飾られており、テーブルには見たこともないくらい真っ白な布が掛けられていた。ユニークな形をした陶器で、香りが強い草茶を飲み、その匂いが部屋中に漂っているのである。


 テーブルの上の焼き菓子も美味しそうだった。卵と牛乳と舶来品の砂糖を混ぜて焼き固めたものだ。口に含んだだけで笑顔にさせるのだから、砂糖には魔法が掛かっているのだろう。


 茶会の参加者はユリスと、ドラコと、ハンスと、アンナと、アネルエと、フィルゴの六名のみだった。召使いのエルマは、アネルエに呼ばれるまで壁の前で立っているだけだ。彼女の外見はどこにでもいる召使いの女といった感じだ。


 それに対して、アネルエの美貌は際立つものだった。ユリスもきれいな顔立ちをしているが、やはり女性の持つ色気には敵わない。光が当たると虹色に輝く黒紫の髪や、純粋な瞳に対する淫靡な唇。そして何より、身体を彫刻にして固めてしまいたいと思うほどの曲線美。


 アンナ・マエレオスも充分すぎるくらい美しい少女なのだが、アネルエ・セルぺスほど異性を惹きつける色香は持ち合わせていないのである。ただし、それはアンナ自身が異性を惑わさないように、努めて地味に振る舞っているというのもある。



「ジジ、迎賓館まで一緒に来てくれ」


 翌日は休みだったので、兵舎の食堂でゆっくりと朝食を食べていたのだが、ドラコにせっつかされて、官邸内の敷地にある迎賓館へ行くことになった。頼みたいことがあるということだが、何を頼まれるかは行ってから説明すると言われた。


 迎賓館は官邸から独立しており、渡り廊下で繋がっているものの、完全に別棟と呼べる建物の中にあった。兵士の間では『夜勤部屋』とも呼ばれており、来客があれば昼夜を問わず警備が配置されることになっている。


 迎賓館の中は湯浴みする浴場や調理場や食堂まであり、高級な宿泊施設と変わらない作りになっていた。それでも賓客の利用は、僕が赴任してから初めてのことだったので、中に入るのも初めてだった。



「中でアンナお嬢様がお待ちだ」


 迎賓館に入った時、ドラコが説明してくれた。館の中には六つの貴賓室があるという話だが、警備の関係で二つの部屋を二組に分かれて使用しているとのことだった。僕の他にランバも一緒だったが、ミクロスはこの日も会うのを拒絶していた。


 貴賓室の中は、兵舎の寄宿部屋が監獄に見えるほど豪華だった。居室と寝室に分かれており、残念ながら寝台を見ることは叶わなかったが、リビングにある革張りの長椅子を見ただけでも心地良さを想像することが容易だった。


「久し振りですね。憶えていますか?」


 改めて挨拶するアンナは、昨日の服装とは違って、肌の露出のない法服を纏っていた。


「お久し振りでございます。はい、憶えておりますとも。あのような形で詫びを頂いたのは初めてでしたので、決して忘れることなどできません。しかし、亡くなったご長兄に対しては、何と申し上げたらよいのか」


 その時のことを思い出したのか、アンナが胸に手を当てた。


「それは私も同じです。あなた様も大切なお仲間を亡くされたと聞きました。お悔やみ申し上げます。共に祈ろうではありませんか。残された私たちには祈ることしかできないのですからね。あなたの祈りはその方に捧げてあげてください。イワンは罪を犯し、罰を受けたのです。命をもって償ったことを誇るつもりはありませんが、それで赦していただけるのなら、イワンも救われることでしょう」


 仲間の兵士を失った事実はないが、タンタンのことを思えば、あながち間違いでもなかった。イワンに対しては今でも怒りが込み上げてくるが、それでもハンスやアンナには関係ないことも、また事実なのである。


「亡くなった者に、救いがあるとよいのですが」


 今の僕には、そう言うのが精いっぱいだった。


「アンナ、挨拶はその辺にして、出掛ける用意をしてくれないか?」

「はい。お兄様」


 そう言って、アンナは寝室へ行った。


「ドラコ、長官の許可はもらえたかな?」


 昨日の午後からゆっくり休んでいたはずだが、この日のハンスも顔色が悪く酷く疲れた顔をしていたので、どうやら元からそういう顔のようだ。ただし、僕たちのように旅慣れしていないので、回復が遅いということもあるだろう。


「ああ。俺とランバとジジで警護すると言ったら納得してくれたよ」


 ハンスが微笑む。


「信頼されているんだね」

「それもあるが、今の君は領主の息子にすぎないわけだからね」

「ああ、そういうことか」

「そういうことさ」


 そのことに対しても、ハンスは微笑みを浮かべるのだった。


「お兄様、お待たせしました」


 アンナは頭に布を被せ、ずり落ちないように、その上から紐で結って現れた。

 ハンスの口調が変わる。


「それではドラコ、案内してくれ」



 僕たち五人が向かった先は王城跡だった。半壊した状態で野ざらしになっているのだが、まだ王の間は残っていると聞いていた。でも、この日はそこを見物するのが目的ではなかった。


「この先です」


 ドラコが示したのは王家の墓所だ。


「ありがとう。ここから先は二人で捜すよ」


 そう言って、ハンスは妹を連れて墓石を確認しながら歩いて行くのだった。


「ドラコ、噂は本当だったということかな?」


 二人の背中が小さくなってから訊ねてみた。


「ああ、そのようだな。俺もここに来るまで信じられなかったが、どうやら彼らの曽祖父は、カイドル帝国の皇帝だったハカン・アクアリオスで間違いなさそうだ。ただし確証を得るには、ちゃんと調べてみる必要はあるけどな」


 ドラコは裏を取るまで不確かなことは口にしない男なので、それで教えてくれなかったわけだ。ランバは驚いていないので、おそらく彼に調査を依頼したのだろう。旧国の資料は言語が異なるので精査に時間が掛かるのだ。


 ハカン・アクアリオスの名前は、我が国の歴史書にも載っているが、ドラコと知り合わなければ耳にすることさえもなかったかもしれない。それでも大陸移民の南部出身者で初めてカイドル帝国の皇帝になった人物なので特に記憶に残っていた。



「ランバ、すまないが、アンナを街の教会まで連れて行ってくれ」


 墓参りを済ませたハンスが命じた。


「承知しました」


 教会へ行く二人を見届けると、ハンスが胸の内を吐露するのだった。


「どうやら墓守がいるようだね。安心したよ」


 彼の言う通り、墓地はきれいに管理されていた。


「カグマン国も墓の土地までは奪わなかったようだ」


 それはジュリオス三世の墓がなかったから破壊を免れたに違いない。ここに暴君として有名な彼が埋葬されていたら、保存は叶わなかっただろう。戦後の統治を考えれば、正しい判断だったと思う。


「それに比べて父上は、偉大なる祖父の墓だというのに、ぼくが生まれてから一度だって訪れたことがないんだからね。墓を守っているここの人たちの方が、よっぽど身内らしいじゃないか。『デモン・アクアリオス』から『デモン・フィウクス』へと名前を変えて、今は『デモン・マエレオス』だもんな。父上にとっては、家名ですら使い捨ての道具でしかないわけだ。そういうぼくも、言われるがままに家名を変えたのだから、父上を非難する資格はないけどね」


 家名を持たない僕にとっては、あまりピンと来ない話だった。家名を持つ女性と結婚すれば重みを実感できるのかもしれないが、そんな自分を想像することは難しかった。


「長官には話してないよね?」


 ハンスの問いに、ドラコが頷く。


「ああ、知っているのはランバとジジだけだ」


 ハンスが胸を撫で下ろす。


「それなら安心だ。父上のことを恨んでいる人間が、どこにいるか分からないからね。ぼくたちが自分から吹聴しなければ、危険は避けられると思うんだ。デモン・アクアリオスのことを知っている者は、まだ生きているはずだからさ」


 ハンスは僕たちに話していないことが、まだまだ沢山ありそうだ。


「アンナの方は大丈夫か?」


 ハンスが頷く。


「妹はアンナ・マエレオスとして前に進んでいる。自分から過去を話すことはないだろう」


 皇帝の子孫であることを秘密にしておくため、護衛の付き添いを止めさせたわけだ。官邸に戻ってからドラコがユリスに報告したが、子孫であることは伏せていた。でも、それは不確かな情報でもあるので、報告を怠ったことには当たらないだろう。


 ユリスにとっては、それどころではなかったということもある。それは長官室に行くと、ユリスとフィルゴの間に不穏な空気が流れていたからだ。長官が補佐官の小言に辟易した顔を見せるのはいつものことだが、今回は苛立った様子だった。


「ドラコ、君からも説得してくれ」


 そう言うと、ユリスは椅子の背もたれに身体を預けてしまった。


「いかがされました?」

「私はアネルエ王女と一緒にリンゴ園に行きたいと言っただけなんだ」


 そこでフィルゴが口を挟む。


「殿下、先ほども申し上げましたが、リンゴなら食糧庫にいくらでもあるではありませんか」

「分かっておらんな。王女はリンゴ畑を見たいと言ったんだ」

「市外は危険にございます」


 そこで、ユリスが椅子から立ち上がる。


「それで王女に何と説明するのだ? 『怖いから止めましょう』と、貴官はそのようなことを余に言わせるつもりなのか? 王女は大陸から海を渡ってきたのだぞ? それなのに私は自分が治めている土地のリンゴ園にも怖くて行けないというのか?」


 フィルゴも譲らない。


「殿下、どうか、ご理解くださいませ。これまでの前任者が弓矢で狙われたケースは数えればきりがないのです。そのうち、この三十年間で二名の長官が命を落としております。州都長官の任務が航海よりも危険であることは、誰もが周知するところではありませぬか」


 確かに旧カイドル帝国は弓矢の名手が多いことで有名だ。

 ユリスがフィルゴに背を向ける。


「もう連れて行くと約束したのだ。私に恥をかかせるな」


 それにはフィルゴも降参するしかなかった。


「出発は明朝だ」



 翌日、僕もユリスに同行することとなった。フィルゴとドラコも一緒である。ランバはアンナの警護があり、ミクロスは一貫して会いたくないと言うので、兵舎に置いてきてしまった。最近、酒の量が増えているのが気になるところだ。


 アネルエが乗馬を嗜むということで、馬車ではなく、馬に乗ってリンゴ園に行くことになった。それに合わせて護衛も馬術に長けた者から十人ほどが選ばれた。召使いのエルマだけが馬に乗れないということで、フィルゴの馬に一緒に乗ることになった。


「紅葉がきれいですわね」


 馬上のアネルエが、山に微笑みかけた。


「誠に美しい」


 ユリスはアネルエの方ばかり見ていた。


「こうしていると、故郷を思い出します」

「帰りの予定があるのでしたね」


 ユリスが名残惜しそうに呟いた。


「ええ。護衛を家族の元に帰してやらなければなりませんからね」


 アネルエは心優しい答えができる女性のようだ。

 ユリスは母親を見つめる子どものように年下の彼女を見つめるのだった。


 リンゴ園に到着すると、ファルゴが周辺の警備を部下に命じた。

 部下に弓矢の射程圏内を調べさせているのだろう。

 警備主任がフィルゴの元に戻ってくる。


「殿下、ご用意ができました」


 彼が許可を出したということは、周囲は安全ということだ。


「さぁ、もぎたてのリンゴをいただきましょう」


 ユリスがアネルエの手を取ってエスコートした。

 アネルエは嬉しそうに、彼の手に引っ張られるのだった。


「あの木にしましょう!」


 アネルエとユリスが走り出した。

 それに合わせて、僕たちも走るしかなかった。

 護衛も二人を追い掛けた。


 その時だった。


「危ないっ!」


 女の声がした。

 同時に、ユリスに向かって矢が飛んでいくのが見えた。

 その瞬間、アネルエがユリスの身体をかばうように両手で包み込むのだった。

 無意識としか思えない早さだった。

 二人が地面に倒れ込む。

 矢を受けたようだ。

 辺りを見回すが、リンゴの木が邪魔で視界が完全ではない。


「殿下っ!」


 フィルゴが駆け寄る。


「ミクロス!」


 いつものようにドラコが叫んだが、この場に彼はいないのである。

 ドラコですら、頭が混乱しているようだ。


 ユリスの元へ駆けつける。

 見ると、矢を受けたのはアネルエだった。

 二の腕に擦れた傷が見えた。

 その傷口に、ユリスが口を当てるのだった。


「殿下、毒矢かもしれませんぞ!」


 フィルゴが叫んだ。


「だから吸い出しているのだ」


 ユリスは何度も血を吸い出し、吐き出すのだった。


「布切れはないか!」


 ユリスの声に、召使いのエルマが駆けつけた。


 ドラコは矢が飛んできた方向を見つめたまま、立ち尽くしている。

 それから何度も首を振るのだった。


「何をしておる! 殿下を護衛せんか!」


 フィルゴが密集隊形を指示した。


「殿下、今すぐご帰還の用意をなさってください。王女様は私が――」

「ならん」


 ユリスがフィルゴの言葉を遮り、睨みつけるのだった。


「王女は私が連れて帰る」


 エルマの応急処置が終わる。

 どうやら大事には至らなかったようだ。


「掴まってください」


 そう言って、ユリスがアネルエを両手で抱きかかえた。

 王女は従順に、彼に抱きかかえられるのだった。

 護衛が二人の壁になる。

 その後ろからエルマがついて行った。

 僕も後からついて行く。

 途中でドラコがいないことに気がついた。

 振り返ると、彼はしゃがみ込んで地面を見ていた。

 どうやら拾った矢を観察しているようだ。

 匂いまで嗅いで、念入りに調べている様子だ。


「何か分かった?」


 訊ねてみたが、ドラコは首を振るばかりだった。


「射手の姿を見たか?」

「いや、木が邪魔だからね」

「そうは言っても、走って逃げれば目撃できたはずだ」

「でも見なかったよ」

「そんなはずはないんだ」


 ドラコは放たれた矢の速度や威力や矢道で発射位置を特定する力がある。


「まだどこかに身を潜めているっていうこと?」

「その可能性もあるな」


 そう言う割には、無防備だった。


「矢の特徴は?」

「これだけじゃ分からないが、見たことがない代物であることは確かだ」

「僕たちが使っている物じゃないね」

「しかし凶器というのは、他人の犯行に見せ掛けることができる物証だからな」


 それだけに決めつけはよくないということだ。


「それにしても、王女が助けなかったら、確実にユリスに当たっていたね」

「ああ、俺の前で死なせるところだったよ」


 ドラコは生まれて初めて敗北したかのような顔をするのだった。

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