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ロマン・ストーリー 剣に導かれし者たち  作者: 灰庭論
第二章 戦士の資質編
58/244

第十四話(58) アネルエ・セルぺス

 牧場の国有化が決まった一週間後に、近隣にあった村を一つにまとめ、その地域を新たにソレイサン村と命名されるることも決定した。これは住民登録と課税をスムーズに行うための措置であったが、ドラコが強く推し進めたことでもあった。


 その翌日、ドラコの元に驚くべき来客があった。その者の名はハンス・フィウクスである。娼館で死んだイワン・フィウクスの弟だ。そして、僕が密かにドラコとの共謀を疑った人物でもあるが、やはり二人は繋がっていたということだ。


 ハンスは他にも妹のアンナと、兄の婚約者だったアネルエ・セルぺスと、その召使いであるエルマという巡礼者の女も同行させていた。そしてもう一人、僕たちにとって大切な仲間を一緒に連れてきてくれたのだった。


「隊長!」

「ランバじゃないか!」


 僕たちが寝泊まりしている州都官邸の敷地内にある兵舎に顔を出したランバが、食堂で草茶を飲んでいたドラコを見つけて声を掛け合った。それから二人はガッチリと固い握手を交わすのだった。


「ジジ殿も変わりありませんな」

「うん。ランバも元気そうだね」


 僕もランバと握手をした。

 ミクロスがニヤニヤしている。


「ランバのオッサンよ。急にどうしたんだ? クビにでもなったか?」

「ミクロス殿も変わっていないようですな」


 ランバはミクロスが握手をするタイプではないと知っているので手を差し出さなかった。


「座って話を聞こうじゃないか」


 ドラコの提案で、草茶を飲みながらランバの話を聞くことにした。そこで前述した面々の名を知ったわけである。カグマン国直轄の領土を移動するということで、ハンスはドラコ隊の副長であるランバに旅の警護を頼んだというわけだ。


「事前に話を聞けて良かったよ」


 そこでドラコが難しい顔をした。


「それで、もう少し詳しく聞いておきたいんだが、その、アネルエ・セルぺスだが、どうして彼女がハンスと一緒にいるんだ? そのイワンの元婚約者とは、俺も顔を一度会わせて挨拶した程度の間柄なんだ。だから、なぜわざわざ会いにきたのか、さっぱり分からないんだよ」


 ランバが答える。


「これはハンス様から聞いた話ですがな。婚約者を亡くされたアネルエ様は、ひどく落ち込み、塞ぎ込んでしまったそうなんですな。立って歩くこともできず、大陸にある故郷の国へと帰ることさえもできなかったと聞きましたぞ。そこで親身になり、彼女を励ましたのが、アンナお嬢様でしてな。神に祈りを捧げることで気力を取り戻していったという話ではございませんか。それで二人のご兄妹のように、イワンの死を受け入れ、さらには感謝できるようになり、こうしてお礼をしに参ったのでしょうな」


 ミクロスが口を挟む。


「おいおい、そいつらはイワンの身内だぜ? オレたちが奴らの兄貴を殺したんだ。おまけに婚約者まで一緒ときたもんだ。となれば、会いにきた理由は復讐以外に考えられねぇじゃねぇか。考えるまでもねぇだろうがよ。ランバのオッサンよ、しばらく会わないうちに目が曇っちまったんじゃねぇのか? お前が連れてきたのは暗殺者なんだよ。何がお礼だ。毒を盛りに来たに決まってるじゃねぇか。お前さんを油断させるために、敬虔な太教信者の振りをしてんだよ。兄貴を殺されて感謝してるだ? そんな話聞いたことがねぇよ。それにオッサンよ、さっきアンナとかっていう女を、わざわざ『お嬢様』って呼んだな? 惚れるには年齢差があるし、のぼせて頭がイカレちまったんじゃねぇのか?」


 そこでミクロスが立ち上がった。


「悪いがドラコ、オレ様はそいつらと会うつもりはないぞ。戦場以外で殺されるのはゴメンだからな。お前も死にたくなかったら、会わないことだ。そんな薄気味悪いヤツらと酒が飲めるかよ。いいか? 兵舎にも入れるんじゃねぇぞ。それと一日中見張っているように兵士に言っとけ。オレ様もこれから食糧庫に行くからな。怪しいヤツが近づいたら『ぶっ殺せ』って命令してくるんだ。オッサンには悪いが、とっとと連れ帰ってくれよ」


 それだけ言って、ミクロスは本当に食糧庫のある方に行ってしまった。


「隊長、申し訳ありません」


 ランバは自信を失ったようだ。

 ドラコが首を振る。


「ランバが悪いわけじゃないよ」

「ですがな、ミクロス殿の言った言葉は、あり得ないことではありませんぞ」

「だとしても、会わないわけにもいかないだろう」


 ドラコが確認する。


「そのイワンの元婚約者が連れてきたお供は召使いの女一人か?」

「警護を務めているのはこちらの人間ですからな。それは間違いありませんぞ」

「ならば会うしかなさそうだな」


 彼らは丸腰で敵意がないことを示したわけだ。


「会う前に長官に報告しておこう。ランバのことも紹介したいしな」

「隊長、その前に一つよろしいですかな?」

「なんだ?」


 ランバが申し訳なさそうな顔をする。


「つまり、そのですな。ご兄妹は現在、家名を『フィウクス』から『マエレオス』へ変えたのですが、そのことを言い忘れてしまい、隊長には、何と申し開きをすればよいのか、恥じ入るばかりで、申し訳ござらん」


 ドラコは気にした素振りを見せなかった。


「長旅の警護で一時も休める暇がなかったのだろう。昼夜を問わず、よく働いてくれた。ご苦労だったな。長官への挨拶が済んだら、警護を交代してもらえ。ここの責任者の顔を立てる必要もあるからな。こちらから引継ぎを願い出た方がいいだろう」


 ドラコは、部下をとことん労わる男だった。


「隊長、お心遣い感謝いたします」


 確かにランバは疲れた顔をしていたが、僕には、ミクロスが言ったように色呆けしているようにしか見えなかった。これまでランバは一度たりとも言い忘れることなどなかったからである。



「貴君がドラコの腹心のランバか。会いたかったぞ」


 長官室でユリスとランバが固い握手を交わした。


「有り難きお言葉、感謝いたします」

「噂は聞いている。貴君も部下に加えたいと願っているところだ」

「光栄の至りにございます」


 それからハンスたちが会いにきたことをドラコが報告し、複雑な事情もそのまま伝えるのだった。ユリスはひじ掛けの付いた椅子に座り、報告が終わるまで微動だにしなかった。長官室には椅子が一つなので、僕たちは彼の前に整列して声が掛かるのを待つだけだった。


「その、アネルエ・セルぺス王女だが、本人であることは間違いないんだな?」


 ドラコが答える。


「私は一度会っているので、会えば分かると思います」


 ユリスが頷く。


「ならば非公式ではあるが、公賓待遇でもてなさなければならないだろう。成婚はならなかったとはいえ、オーヒン国の財務官僚のご嫡男と婚約していたんだ。身元が確かなのは保証されているようなものだからね」


 ドラコが訊ねる。


「ハンスとアンナはいかがされますか?」


 ユリスが微笑を浮かべる。


「こちらの警護に身を預けて来たんだ。会わなければ臆病者とそしられるぞ? それに実兄を殺した男に会いに来るというのは興味深い話だ。いや、おもしろがってはいけないが、まさか『モンクルスの再来』が私の前で暗殺されるようなことにはなるまい」


 今の言葉にユリスの人間性を垣間見た気がする。どうやら彼は逃げることを恥だと考えているようだ。これは実際に戦ったことのない貴族にありがちな思考パターンなのだが、ユリスは、そんな奴らとは決定的に違っていた。


 彼の場合は自分の身を危険に晒すことを厭わないということだ。それだけに周りの者に掛ける負担は増すが、その分だけ比例して、ユリスを守ろうとする士気は高まるのである。そういう僕も、ユリスのことを守りたい気持ちでいっぱいになっていた。


「それでは着替えるとしよう」


 それからユリスはフィルゴに宿泊部屋の用意と茶会の準備を命じた。それは旅の一行が長距離移動で疲れているだろうから、会食を明日に回して、今日のところはゆっくりと身体を休ませようと配慮したためだ。


 また、それは彼女らを州都官邸に泊めるということも意味していた。大陸の事情は地図すら見たことがないので何も知らないが、小国でもカグマン島を上回る領土を抱えていることもあるので、無下にはできないのである。



「ジジ、ちょっといいか?」


 茶会が始まる前、ドラコに誰もいない会議室へと連れて行かれた。


「お前に話しておくことがある」


 ドラコが複雑な表情を浮かべていた。


「ハンスのこと?」

「どうして分かった?」


 ドラコが驚いたということは、正解だったということだ。


「僕も話していないことがあるからさ」


 会議室は外に声が漏れないので、この場で打ち明けることにした。


「僕ね、見たんだよ。ザザ家を襲撃した夜にさ、裸で逃亡するハンスの姿を」

「そうだったのか」

「ハンスが作戦に関わってるって、どうして教えてくれなかったんだよ」

「それがハンスとの約束だったからさ」

「どんな約束を交わしたっていうの?」


 ドラコが半年以上前のことを思い出す。


「ザザ家とフィウクス家の関係を示す証拠を俺に流したのは彼なんだ。それでハンスは兄のイワンを断罪してほしいと依頼してきたんだよ。ただし条件があって、それが自分の関与を口外しないということだった」


 それから当時のことを回想した。


「俺はザザ家と関係している貴族を炙り出すために、ミクロスの怪我を利用することにしたんだ。俺の大切な部下がカーネーション広場で殺されたっていうことにしてな。それで捜査協力を願い出て、反応を見ることにした」


 それでミクロスをマリンさんの家で隔離していたわけだ。


「オークス・ブルドンやデモン・フィウクスやコルヴス親子と会ってもコレといった反応がなかったんだが、ハンス・フィウクスと会った時、彼だけが二人きりで話すことを希望してきたんだ。それで娼婦殺しを続ける貴族を見つけて、この手で始末するっていう計画を詳しく話した。するとハンスは、その犯人を知ってるって言うんだよ。しかも自分の兄だって言うから、俺も驚いたんだ。それから二人で今後の計画を練って、満月の夜を待ったのさ。イワンを始末するには現場を押さえるしかなかったんだ。証拠は揃っていたが、それでは失職させても、殺人の罪には問われないからな」


 ザザ家の襲撃についても振り返る。


「襲撃が上手くいったのもハンスのおかげだ。盛大な酒宴を要望し、そこに主賓として招かれ、ザザ家の人間を酔わせている間に現状を把握し、俺たちに敵の数と配置を細かく教えてくれたわけだからな。じゃなきゃ、あんなに上手くはいかなかったさ」


 襲撃後についても振り返る。


「しかし俺たちにとって一番大事なことは事後処理だった。広場の管理をルークス・ブルドンに任せることができたのは幸運だったのだろうな。彼がいなければ別の方法を考えていただろうが、ルークスが広場を愛する客だったのは、やはり幸運だったんだ」


 その後のフィウクス家についても振り返る。


「デモン・フィウクスに関しては、逃げられたっていうしかないだろうな。あの男にとって、国なんてどうでもいい存在なんだよ。裁かれる前に、貯め込んだ財産を隠してある荘園に逃げ込んでしまったんだからな。フェニックス家の縁戚に当たる後家の領土と聞いていたが、家名を捨てマエレオスになったということは再婚したんだろう。俺たちよりも早く、それどころか、始めから逃げる用意をしているような男なんだ。王家の領土で領主になったのなら、いくらオーヒン国でも手を出すことはできないさ。俺たちカグマン国の法律でも裁くことができないし、このまま死ぬまで奴の高笑いを聞いているしかなさそうだ」


 そこでドラコは肩を落とした。


「ドラコ、どうしてハンスは兄を断罪し、父親を売ったの?」

「それは本人の口から聞くといい。ここに呼んであるんだ」


 そこでタイミングよく、扉がノックされた。

 ドラコが出迎える。

 警備兵が報告する。


「ハンス・マエレオス様をお連れしました」

「ありがとう。下がっていい」


 ハンスを招き入れ、扉を閉めると、ドラコは彼と握手を交わした。


「ジジとは前にも会ってるよな? たった今、君との関係を話したばかりだ」

「久し振りだね」


 ハンスは長旅で疲れているのか、それとも普段と変わらないのか、それは分からないが、気の弱そうな青年という印象のままだった。正直、前に会った時の印象は、父親の陰に隠れていたので記憶になかった。


「お久し振りでございます」


 そう言って、差し出された手を握ったのだが、華奢な手をしているので、力を込めてしまうと折れてしまうと思い、力を込めることができなかった。それでも彼の方は、精いっぱい握っているつもりのようだった。


「掛けて話そう」


 ドラコに促され、机を囲んで座ることにした。


「どうして会いにきた?」


 ドラコの言葉遣いは貴族に対するものではなかった。


「妹の頼みなんだ。どうしても断ることができなかった」


 ハンスは常にオドオドしている様子だった。


「妹と俺の間には、遺恨か、因縁しかないんだぞ?」


 ハンスは泣きそうな顔でドラコを見つめる。


「そんなものは父上にあっても、アンナにはないよ。そんな風に考える子じゃないんだ。今でもドラコの大切な部下の命を、イワンの手によって奪われたことに心を痛めているくらいなんだからね。本当のことを言えないランバを困らせてるくらいだ」


 彼女の中では、ドラコの部下が死んだ設定はまだ続いているわけだ。


「ジジ、ハンスに聞きたいことがあるんじゃないのか?」


 促されたので訊ねることにした。


「どうしてあなたは身内に罰を求めたのですか? あなたがしたことは実の兄を殺すように依頼し、父親を裁きの場に放り込む行為ではありませんか? そんなことをしたら、あなたの人生だって、どうなるか分からなかったはずです」


 ハンスが気弱な表情で答える。


「妹を、アンナを救うには、それしか方法がなかったんだ。オーヒン国では遠くない将来に国王が代わることが決まっていて、ブルドン家とコルヴス家を巻き込んで、大規模な権力闘争が始まるところだったからね。そこへきて兄のイワンが有力な国王候補といわれているから、最悪の場合は内乱が起こってもおかしくない状況だったんだよ。そうなれば血が繋がっているだけで命が狙われる危険もある。そんな渦中に妹のアンナを巻き込みたくなかったんだよ」


 見た目以上に頼もしい男なのかもしれない。


「もしも兄のイワンが国王になったとしても、希望なんて持てやしないんだ。父上も兄さんも、アンナを権力の道具としか思っていないんだからね。政略結婚させられて、孤独な人生を強いられたに決まっているんだ。だから、それを阻止できたわけだから、今も後悔はしていないよ。妹と田舎で暮らせているだけで幸せだからね。そういう意味でも、ぼくたちの前にドラコが現れてくれたというのは神のお導きでもあるんだ」


 女という生き物は何なのだろうか? ドラコはマザー・マリンに突き動かされ、ハンスは妹のアンナを守るために父と兄を売ったわけだ。歴史書に名は残らないが、確実にその二人が鍵となっているわけである。


「しかしな」


 ドラコが思い悩んでいる。


「君の方から会いにきたんじゃ、これまで黙っていた意味がないじゃないか」


 ハンスが申し訳なさそうな顔をする。


「それはもういいよ。妹の安全は守られた状態にある。ぼくたちの協力関係を知る者はいないさ。ドラコが手に入れた証拠は、ザザ家の邸で押収したことになっているしね。今さら知ったところで、オーヒンの貴族には関係ないだろう?」


 その厄介なデモン・フィウクス改め、デモン・マエレオスは現在カグマン国の人間になってしまったのである。確かにハンスには関係ないかもしれないが、今度は僕たちと多少なりとも因縁めいた関係ができたわけだ。


「君たち兄妹はいいとして、また、なんでイワンの元婚約者が一緒なんだ?」


 ドラコの問いにハンスが答える。


「それも妹が勧めたことだ。塞ぎ込んでいる彼女を励ますつもりでね。気分転換に『旅行でもしよう』っていうことになったんだと思うよ。でも、間違いじゃなかった。彼女、とても明るくなったからね。それに、ここカイドルは、ぼくたちの先祖が眠っている土地でもあるんだ。父上は一切興味がなかったけど、ぼくたちは生まれて初めて墓参りできることに喜びを感じているんだ。つまり、これも神のお導きというわけさ」


 妹のアンナと同じように、彼もまた神を信じる人だった。

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