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ロマン・ストーリー 剣に導かれし者たち  作者: 灰庭論
第二章 戦士の資質編
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第十三話(57) ユリス・デルフィアス

 それから二日後の午後、僕たち三人はカイドル州の首都カイドルに到着した。それがちょうど三月末日のことだった。ソレインから譲り受けた馬が疲れ知らずということもあり、日が沈む前に着くことができたのである。


 首都カイドルは港町ということもあり、ハクタ市と雰囲気が似ていたが、オーヒン市ほどの活気はなく、古い建物が並ぶ旧都という印象だった。戦後すぐに街のシンボルであるカイドル城が取り壊されたということで、平凡な街並みとなってしまったようだ。


 役所に行って、馬と王都札を返還した後、すぐに州都官邸へと向かった。官邸は高い石壁の中にあり、官邸の建物を取り囲むように、四隅に平屋の兵舎も建っていて、その四つの兵舎を囲むように石壁が囲んでいた。つまり二重の壁になっているわけだ。


 官邸の内部は二階建てになっていて、貴族の邸と変わらない作りになっていた。一階には長官室や来賓室や客室や会議室や食堂などがあり、そこで執務を行えるようになっているようである。そして、二階が長官のお住まいという扱いだ。


「長官に会わせる前に、注意しておくことがある」


 会議室でフィルゴ・アレスという上官に、カイドル州での心構えについて説明を受けることになった。彼は騎士の爵位を持っており、州に属する軍隊の現場指揮権を持ち、さらに長官の首席補佐官もしているという話だ。


「殿下はお前たちにとても興味を持っておられる。会えば親しげに振る舞われることだろう。しかし、勘違いしてはならんぞ? 本来ならば、お会いすることも叶わぬ御仁であられるのだからな」


 そう言って、フィルゴは氷のように硬く冷たい表情で僕たちを睨みつけるのだった。顔のパーツがどれも鋭いので、とても怖く感じられた。それでも年齢は、僕たちと三つか四つしか変わらないという話だ。


「殿下ということは、まさかフェニックス家の血を継いでいるということですか?」


 ドラコの言葉に、フィルゴが深く頷く。


「その通りだ。だから、くれぐれも失礼のないように振る舞うのだぞ。質問を挟んだり、聞き返したりすることなく、注意深く話を聞くことだ。そして問われたことには、問われたことのみ答えるがよろしい」


 それから長官室へと案内された。


「やあ、ようこそカイドルへ」


 爽やかに挨拶するユリス・デルフィアスを見て、自分の目を疑ってしまった。なぜならそこにいたのは、若くて美しい女性のような青年だったからである。高齢で腹回りに肉がついた貴族を勝手に想像していただけに、その落差は激しかった。


「君がドラコ・キルギアスだね。噂は聞いているよ。とても会いたかったんだ。『モンクルスの再来』を部下に持てるなんて、僕はなんて幸せなんだろうか。巡り会わせてくれた神様に感謝しなくちゃいけないね」


 そう言って、ドラコの手を握り締めるのだった。


「殿下、私もお会いできて光栄です」


 ドラコの言葉に、ユリスが不満そうな顔をする。


「その『殿下』というのはよしてくれないか? またフィルゴが余計なことを言ったんだね。僕のことは『ユリス』でいい。そう呼んでくれた方が、僕も幸せな気持ちになれるからね。ほら、呼んでごらん」


「ユリス、お心遣い感謝します」


 ドラコの言葉に、今度は満足するのだった。

 それからミクロスの前に移動した。


「君がミクロス・リプスだね。自慢の足を持っていると聞いているよ」

「島で一番速く、そして一番長く、さらに遠くまで走ることができます」

「それは素晴らしいや」


 そう言って、ミクロスの手も握り締めた。


「その鼻はどうしたんだい? 痛くないのか?」

「これはザザ家との死闘で得た勲章であります」

「それは大変だったね。君は多くの民を救った真の英雄だ」


 ミクロスの顔が誇らしげになった。

 いよいよ、僕の番だ。


「君がジジだね。不幸な生い立ちは知っているよ。よく辛抱したね」


 そう言うと、いきなり僕を包むように抱きしめるのだった。


「これからも国に尽くすように、お願いするよ」

「はい。仰せの通りにいたします」

「うん」


 そう言って、僕の手も握り締めた。近くで見るユリスの顔は、肌がきれいで、瞳は宝石のように輝いていた。髪の毛も長く、ほのかに花の香りが漂ってくるのだ。ドラコと行動を共にしてきたので多くの貴族を見てきたが、彼のように振る舞う人は一人もいなかった。


「ユリス、一つ訊ねてもいいですか?」


 フィルゴ補佐官による事前の忠告を無視したのはミクロスだった。


「なんだい?」

「どうしてフェニックス家の家名を捨てたんですか?」


 ユリスの表情に憂いが帯びる。


「そろそろ夕食の時間だ。そのことは食事を終えてからゆっくり話そう」



 その日はユリスと一緒に夕食をいただいた。食堂で魚介のスープや、白身魚の蒸し焼きや、木の実を混ぜ込んだパンを食べながら、ドラコがこれまで盗賊と戦ってきた体験を説明しつつ、食後に、胃腸に良いとされる草茶を傾けるのだった。


「私は別にフェニックス家の家名を捨てたくて捨てたわけではないんだよ」


 ユリスが回想する。


「王族というのは、陛下以外は分家して領主にでもならなければ、仕事をさせてもらえないだろう? なんたって、働きたくても働けないんだからね。でも、私はそれが嫌だったんだ。恵まれない子どもたちのために何かをしなければならないと思ったからね」


 そういえば、カイドル州に子どもの浮浪者がいないことに、今さらながら気がついた。

 ドラコが訊ねる。


「五長官職に就くには、家名を捨てざるを得なかったわけですね?」


 ドラコの言葉に、ユリスが頷く。


「七政院の官職を王族が奪うと権力が集中するだろう? そうなると大昔の時代に逆戻りとなる。それを避けるためにも五長官職を希望したというわけさ。今から王族に復帰することも可能だけど、私は望んではいない。ここが気に入っているからね」


 ユリスは自ら希望したと言ったが、王族以外からなる七政院の貴族連中の顔色を窺い、彼らを納得させるには、それ以外の方法はなかったということだろう。王族に生まれてきても、好き勝手にできるとは限らないということだ。



 翌日からは単調な日々が続いた。カイドル州に派兵されてきた新兵を監督・指導することが僕たちの仕事である。道を舗装して、教会の建設を見守り、軍事演習の指揮を執るのだ。休みも多いので、奴隷と揶揄される新兵時代とは明らかに異なる生活であった。


 ドラコは休日になると、一人でソレインの元へ頻繁に通っていた。僕やミクロスの同行を拒むのは、彼なりの理由があってのことだろう。だから、こちらからわざわざ訊ねようとは思わなかった。


 ミクロスは休みが一日だけだと町で酒を飲み、二日あればセタン村まで遊びに行った。彼は足が速いので、馬の並足で二日掛かる距離を半分の時間で往復できるのだ。そして三連休になると、僕を誘うのだった。


「いい訓練になるだろう?」


 休日に山道を一緒に走らされているのだが、彼は日の出から正午まで走り通しでも息が上がらないのに対し、僕はいつも胃液を戻しそうになる。彼は優秀な兵士だが、疲労の感覚が普通の兵士と違うので、彼だけに兵士の訓練を任せてはいけないと思った。



 セタン村は三か月振りだが、特に変わった様子はなかった。村人は挨拶を交わすが、すぐに自分の仕事に戻るのは、おそらくミクロスが頻繁に遊びに来るので日常化してしまったからだろう。


 それとソレインの姿が見当たらなかった。厩舎の馬が増えたようには見えないし、どこまで牧場の国有化計画が進行しているのか、さっぱり分からない状態だ。しかし、それはドラコが内々に進めているので任せるしかなかった。


「なぁ、ジジよ。女の子の気を惹くいいアイデアはないか?」


 村の外れにある原っぱで、地べたに座るミクロスが訊ねた。


「モモさんのこと?」


 僕は疲れ切っていたので仰向けだ。


「ああ、真面目な子でよ。『仕事がある』って言って、デートすらできないんだよ」


 ミクロスはモモさんの話をしただけで鼻を赤くした。


「そのモモさんはどこにいるの?」

「掃除の日っていうのがあって、時々いなくなるんだよ」


 そこで、漂う花の匂いを嗅いで思いついた。


「そこに咲いている花畑の花を摘んで、それを花束にして渡すというのはどうだろう? 『女の子はそういうのが好きだ』って、ケンタスの友だちの妹が言ってたよ。ほら、宿屋の娘のメルンって子がいただろう?」


 ミクロスは一度会っただけだが、すぐに思い出したようだ。


「ああ、あのマセたガキか。そいつは良いアイデアかもしれないな」


 そう言うと、ミクロスは畑に入って、花を選りすぐって、丈夫な草を見つけて、それを紐代わりにして花束を作るのだった。花束の匂いを嗅いで、大きな鼻をクンクンとさせる姿は、恋する青年そのものだった。



「おっ、ちょうどいいところにやってきた」


 モモさんを発見すると、ミクロスは花束を後ろ手で背中に隠すのだった。

 モモさんは相変わらずの怒り顔でこちらに向かってくる。


「やあ、モモ、久し振りだな」

「七日前に会ったばかりだ。お前は、ちゃんと仕事をしているのか?」

「へへっ」


 何を言われても、ミクロスは嬉しそうだった。


「今度は何の用だ?」

「いや、実は、今日はモモにプレゼントしたいものがあってさ」


 そう言って、モジモジしながら花束を差し出すのだった。


「オレ様の気持ちだ」


 しかし、モモさんは花束を受け取らなかった。


「どういうことだ? この花は、わたしが畑で大切に育てたものだ。それをお前は、勝手に摘んで、渡そうとしている。わたしは、意味が分からない。わたしが何をした? どうしてこんな仕打ちをするんだ?」


 ミクロスの顔から笑顔が消えた。


「いや、これは、ジジが、そうすれば喜ぶんじゃないかって」


 僕に責任をなすりつけた。


「ジジ、それは本当か?」

「ああ、うん。僕たちが生まれた地域には、そういう文化があるんだ」

「それならば仕方がない。ジジは正直者だとドラコが言っていたから、信じることにしよう」


 モモさんは怒り顔のままだったが、常に怒っているわけではなさそうだ。


「わたしたちにとって、花は同じ命だ。助けることで、助けられることもある。だから大事にするんだ」


 考えてみれば、畑に人の手が加えられている時点で、人間の意思が介入していたことに気が付くべきだった。なぜならモモたちは、植物や昆虫を命の糧として、先祖から受け継いだ部族の生活を守っているからである。



 それからもミクロスはセタン村に通い続けたが、モモさんとは何の進展もないまま、さらに三ヶ月の月日が流れていった。季節は秋となり、いよいよ、ドラコとソレインの計画が大詰めを迎えていた。


 首都官邸の会議室にはユリスとドラコとミクロスと僕の他に、補佐官のフィルゴと、軍隊長であるミューレと、その副官や大隊長や小隊長らが列席していた。議題はソレインの牧場の国有化問題である。


「では、フィルゴ、貴官はドラコの計画に反対なのだな?」


 議長を務めるユリスの問いに、フィルゴが答える。


「はい、殿下、さようでございます。キルギアスはオーヒン国でも王宮に伺いを立てることなく作戦を実行しました。そして此度は敵対していた旧国の部族との共同計画です。これには七政院の官僚らも黙っておりますまい」


 ユリスが大きく頷く。

 フィルゴがそれを見て、さらに説得する。


「牧場の国有化は、国の軍事に関わる問題でございます。その国営事業を旧国の部族に任せるなどあってはならないのです。これでは非武装化を進めてきた、これまでの努力も水泡に帰すことにもなりましょう。こうして議論することも問題視される恐れがありますぞ? 王都にいる官僚の耳に入れば、キルギアスの処分だけでは済まされまい。殿下の政治手腕にも疑いの目が向けられることも必至であります。どうか、ご再考を」


 それがソレインの助言者が言っていた、ドラコが背負ったリスクなのだろう。もちろん、ドラコもそのリスクは承知のはずだ。それでも彼は、この半年もの間、迷わず計画を進めていったのである。


「ドラコ、それに対する反論はないか?」


 ユリスは決断を下す前に、もう一度ドラコに意見を求めた。


「アレン閣下、戦後三十年経った現在、我が国には、旧国の部族なる者は存在しない、ということをお忘れではありませんか? 彼らは、もうすでに我々と同じ国民の一員なのです。そのようにしたのは他でもない、我々ではありませんか」


 フィルゴの氷結したような表情は変わらない。


「キルギアスの言うことは尤もだ。しかしながら、この場合、小官の考えは一切関係ない。七政院の官僚がどう考え、どのように判断を下すかが重要なのだからな。小官は初めから、そのことを憂慮しておるのだ」


 そこで、フィルゴがユリスの方に顔を向ける。


「殿下、ここは一つ、王宮に話を通してみてはいかがでございましょう?」


 ドラコが反対する。


「アレス閣下、それで許可が下りるならば、私だって初めに進言しています」


 このまま会議がいつまでも終わりそうにない気がした。


「ミクロスはどう思う?」


 ユリスがミクロスに助言を求めた。


「オレは、いや、私はドラコの意見に賛成ですね。馬っていうのは、たくさんいても困るもんじゃありませんからね。特にオレ、いや、私のように走れる兵士なんて、どこを探してもいないでしょう? それにソレインの馬に乗ったことがありますが、速さや体力が違います。それを商人に渡すのは惜しいですよ。評判を聞きつければ、オーヒンの連中が交易に乗り出して、やがては軍隊の手に渡るかもしれませんからね。そうなると、もっと厄介なことになるかもしれないじゃないですか」


 敵のズル賢さを熟知しているミクロスらしい意見だった。


「ミューレはどう思う? 現場の声を聞かせてくれ」


 ユリスが、メンバーの平均年齢を上げている熟練の老兵に意見を求めた。


「興味深い話だと思って聞いておりました。率直に申し上げますと、自分の目で見ないことには確かめようがない、ということでしょうかな。ものの価値を判断するのは、それからでも遅くありますまい」


 老兵の言葉が長官の心を動かしたようだ。


「よし、分かった。視察に出よう。働いている様子も見たいので抜き打ちがいいだろう」


 ということで、翌日ユリスは指揮官や隊長らを引きつれ、五十人以上の視察団を結成して、ドラコの案内によってソレインの牧場へと出向いた。僕も実際に目にするのは初めてのことだった。



「殿下、ご覧ください」


 ドラコの言葉に、ユリスが目を丸くした。


「これを、たった半年の準備で作り上げたというのか」


 ユリスだけではなく、視察団の全員が驚いていた。感嘆の息を漏らす者や、思わず笑ってしまう者など、どれも称える反応ばかりだった。そういう僕も唖然として、しばらく言葉が出てこないほどだった。


 森を抜けた山の麓の平原に、いくつもの干し草小屋が点在し、真新しい厩舎が六棟も存在していた。敷地面積と越冬させることを併せて考えれば、充分な規模の牧場といえるだろう。まさに考え尽くされた経営である。


「これほどの近場で牧場に最適な場所があったとは思わなかったな」


 反対派のフィルゴも唸った。しかし、彼が驚くのも無理はなかった。首都官邸からそれほど遠くない場所に、新たに数百から数千頭の馬を管理できる場所が見つかったからだ。もうすでにフィルゴが反対しないことは、誰の目にも明らかだった。


 ソレインの牧場は少数部族の中でも貧困層が暮らす森の奥にあり、役人も近寄らない場所にあった。最も治安が悪いとされており、しばらく放置されていたという話だ。そこに馬の楽園があったのだから、より一層驚いているというわけである。


「申し分ありませんな」


 それが馬に触れた老兵の感想だった。ミューレの部下たちも手応えを感じている様子で、「すべてが完璧に調教されている」とか、「確かに速い」とか、「雲に乗っているようだぞ」などと称賛の言葉が溢れ出た。


「牧場長を紹介します」


 そう言って、ドラコがユリスにソレインを引き合わせた。

 ソレインがユリスの前で片膝をつく。


「セタン村のソレイン・サンと申します。お目に掛かれて光栄に存じます。私どもの願いを叶えてくださるならば、必ずやご満足させることを約束します。殿下のお声が掛かれば、天を翔けるが如く、すぐにでも必要に応じた馬をご用意する所存であります」


 ユリスが笑う。


「おもしろい男だな」


 ドラコが付け加える。


「殿下、ソレインは私と年は変わりませんが、すでに千人以上の村民を統率している男です。牧場で働く者だけではなく、労働者を支える近隣の村の者も、彼の熱意に感化され、我々の仕事に協力したいと願い出たのです」


 ユリスの心はすでに決まっているようだ。


「ソレイン、さぁ、立ってくれ。そのままの姿勢では握手ができないではないか」


 そう言って、ユリスはソレインの手を握り締めるのだった。

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