第十二話(56) セタン村のソレインとモモ
オーヒンからカイドル州の州都へ向かう道は二つある。一つは島の海岸線に沿って北上し西端に回り込む迂回路で、もう一つは最短路を直進する山岳ルートだ。海岸ルートは二十日以上掛かるのに対し、山岳ルートは半分以下の日数で済むので大きな違いだ。
山道では王都札という宿泊費や食費が賄える免罪符が使えないため、多くの者は海岸ルートを選ぶのが一般的だった。しかし、僕たちは軍事演習でキャンプ生活を得意にしているため、迷わず山岳ルートを選択した。
そんな僕たち三人にトラブルが発生したのは、オーヒンを出てから七日目のことだった。僕が枯れ木を集め、ドラコが山菜を採取しに山に入り、ミクロスに馬の見張りを頼んでいたのだが、河原に戻るとミクロスと馬の姿が消えていたのだ。
「ミクロスはどうした?」
新芽の季節ということもあり、ドラコはたくさんの山菜を持って戻ってきた。
「知らないよ。戻ってきた時にはいなかったんだ」
僕も調理と暖に必要な枯れ木を拾ってきたばかりだった。
「馬だけじゃなく、テントもなくなってるじゃないか」
あるのは携帯している王都札と剣だけだ。
「山賊が出たっていうこと?」
「こんな山の中で都合よく出くわすものか」
ドラコはそう言うが、可能性がないわけではなかった。
「捜しに行った方がよくないかな?」
「いや、動かない方がいいだろう」
ということで、河原で火を熾して待つことにした。するとしばらくしてから馬に乗ったミクロスが現れた。ところが馬は一頭きりで、ドラコと僕の馬を連れた様子はなかったのである。僕らは何があったのか分からなかったが、ミクロスも不思議そうな顔をしていた。
「あれ? お前たち馬はどうしたんだ?」
なぜかミクロスが疑問を口にした。
ドラコが怒る。
「何を言ってるんだ。見張りはお前に任せたはずだ」
そう言われてミクロスが天を仰ぎ、何かを悟った。
「ああ、ちくしょう! アイツらめっ! オレ様を騙しやがったな」
ドラコが説明を求める。
「何があったんだ? 話してみろ」
「いや、お前たちがいなくなってから、すぐに三人組の女が現れたんだ。その中の一人が『足を怪我した』って言ってな。それで『このままだと日暮れまでに帰れない』と言って涙を流すもんだから、馬に乗せて送ってやったんだよ。それで村が見えてきたところで、今度は『お礼がしたい』ということで、『お連れの二人も呼んできてください』と言うわけよ。そこで馬から下ろして別れて、戻ってきたら、繋いでいた二頭の馬が盗まれてたってわけだな」
そこでミクロスが弁解する。
「いや、三人ともまだ子どもだったんだぜ? まさかオレ様を騙そうなんて思えるはずがないだろう? 放っておけるはずがないんだ。実際に足だって引きずって歩いていたんだからよ」
「言い訳にはならないな。盗賊は盗賊だ」
ドラコがバッサリと切り捨てた。
「お前だったらどうしてたと言うんだ?」
「俺なら仲間の帰りを待つ。一人に馬を預けて、それから送っていたさ」
「結果論だな。本当に小さな女の子だったんだぜ?」
「関係ない。俺たちの馬は国王陛下の馬なんだぞ? そのことを忘れたとは言わせんぞ」
ミクロスが悪態をつく。
「チッ。なんだよ。元はと言えばだな、ドラコ、お前が悪いんだ。何が『山賊の心配はいらない』だよ。アイツらはオレらが一人になる瞬間を狙ってたんだ。つまり尾行されてたってことだろう? 気づかないお前に責任があるっていうことだ」
ミクロスお得意の責任転嫁だ。
ドラコが子どもっぽく反論する。
「お前が遭遇したのは女盗だから山賊ではないな。お前じゃなければ引っ掛からなかったさ。第一だな、お前は俺たちに黙って勝手に行動しすぎるんだ。どうしていつもいつも仲間を待つということができないんだよ」
ミクロスが大きな鼻をかきむしった。
「ああ、もういいよ。こっちは村の場所を知ってるんだ。明日の朝一で乗り込んで、アイツらをとっちめてやろうぜ。そうすれば馬を取り返すことができる。もしもシラを切るようなら、吐くまで容赦しねぇんだ」
翌日、ミクロスの案内で女盗がいると思われる村へとやってきた。しかし、そこは盗人がいるような村には見えない、とても静かで穏やかな印象の村だったのである。北方原住民をルーツに持つ部族が住んでいて、威厳さえも感じられる山村だった。
セタン村には三十ほどの家屋があり、村人は互いを家族のように思って暮らしている印象を受けた。村人全員が高齢の村長さん夫婦を敬い、朝から畑仕事や手芸に励んでいて、懸命に税金を納めるために頑張っている感じだった。
「すまないが、村長は部族の言葉しか話せないんだ」
そう言って、通訳に名乗り出たのがソレイン・サンという、僕たちと年齢が変わらぬ若い男だった。他の村民に比べて装飾品をジャラジャラつけて派手そうに見えるが、村長さん夫婦の前では、とても行儀よく振る舞っていた。
「だから、おれがお前たちの話を村長に伝える。それでいいな?」
昨日の件について話をつけるため、僕たちは村長さんの家にいた。
ドラコが代表で返事をする。
「ああ、それで構わない」
ということで、そこからはミクロスが昨日の出来事について話をした。少し話しては、それをソレインが翻訳して、村長さんが頷くと、またミクロスが続きを話した。その間、村長さんは一度も口を開かなかった。
「結論から言おう」
ソレインが村長さんを差し置いて、勝手に話を進めるようだ。
「お前を騙した娘たちは、セタン村の人間ではない。だから、おれたちに責任を押し付けるのは間違っているんだ。仮にお前たちが村長に何かを求めても、おれもこれ以上は訳さないから、今すぐ村から出て行ってくれ」
ミクロスが腹を立てる。
「だったら、その娘たちってのは、今どこにいるんだ?」
「知らない。知ってたとしても、お前たちには教えない」
ソレインが即答した。
ミクロスが睨みつける。
「オレたちをなめない方がいいぞ? これは脅しじゃないんだ。アイツが盗んだ馬は国王陛下の持ち物でな。お前が考えている以上に罪が重いんだぞ? こっちは見つけ次第、殺すこともできるんだからな」
村長さんが何か言ったが、ソレインは訳さなかった。
ミクロスの言葉が効いたのか、場が重たくなった。
ドラコが穏やかに諭す。
「彼が言った言葉は本当だ。俺たちは命令を受けて、犯人を必ず見つけ出すだろう。その時に、もしも馬が返ってこないようだと、たとえ相手が子どもでもその場で処刑しなければならないんだ。もしもお前が娘たちの素性を知っているのなら、馬を売り払う前に今すぐ連れてきた方がいい」
ソレインが熟考し、口を開く。
「分かった。どうやら思ったより事態は深刻のようだな。では、どうだろう? この村にはおれが育てた馬がいる。それを引き渡すから、それでなかったことにはできないだろうか? 娘っ子たちも根が悪いわけじゃないんだよ」
やはりソレインは娘の素性を隠していたわけだ。
ドラコが何度も頷く。
「いいだろう。お前のその誠実さは称賛に値する。なかったことにすると約束しよう」
ソレインが真っ白い歯を見せた。
それを見て、村長さん夫婦も微笑むのだった。
しかし、ミクロスは不満げに床を叩くのだった。
「ダメだね。そんなことでなかったことにできるわけがないだろう? 今すぐアイツらをここに連れてくるんだ。そして心の底から謝罪させるんだな。そうでもしないと、オレ様の気が済まないんだよ」
プライドを傷つけられたミクロスが一人で怒っているだけである。
「この一件はもう片がついたんだ。俺が終わらせたからな」
ドラコが序列を正した。
「オレ様個人の問題がまだ残っている」
ミクロスは諦めなかった。
「ソレイン!」
声とともに戸口に現れたのは、怒り顔をした村の女だった。
「モモ、用は何だ?」
どうやら、モモというのが彼女の名前のようだ。
「わたし、表で聞いていた」
モモはカタコトなのか、ぶっきら棒なのか、分からない話し方をする人だった。
「話していいか」
そう言って、モモは村長の隣に座った。
「ソレイン、いつかこうなると、何度も話した。それなのに、お前は言うことを聞かなかった。馬を盗んだのは、マガタ村のチルたちだ。悪いことをしたら、悪いことをしたと思わせないと、今度は、本当に取り返しがつかないことになる。どうしてお前は、女たちに注意しないんだ。男たちと同じように、厳しく躾けろと、何度も言ってきたんだ。それなのにソレインは、女たちを甘やかしてばかりだ。それで、村長の仕事が務まると思うのか。女たちは、お前のことが大好きだ。しかしそれは、お前が甘やかしているからだ。自分たちにとって都合がいいから、お前を慕うんだ。ソレインはいい顔をできるから、それでいいかもしれないが、迷惑を受ける人がいることを忘れるな。今度のことも、お前はチルたちに、反省させられるのか? お前が村の大事な馬を手放しても、悪いことをしたことはなくならないんだ。相手が行商人の馬ならどうしていた? 知らぬ振りをして、見過ごしていたんじゃないのか? それでは、お前も盗賊と同じだぞ。やっていることは、盗賊の頭と同じじゃないか。お前は村長になりたいんじゃないのか? だったら、女たちに反省させるんだ。女たちに反省させなければ、女たちの子どもも盗賊になるからな」
ソレインは泣きそうな顔をしていた。彼は僕たちと変わらない年齢に見える若者だ。それで村の若きリーダーを期待される立場にいるのだから大変な責任を負っていることになる。しかし、モモの方がリーダーに相応しいように見えた。
それから村長さんとモモが部族の言葉で話をしていたが、ソレインが訳してくれなかったので、僕たちには何を話しているのか理解することができなかった。つまり先ほどのモモは、僕たちに気持ちを伝えたというわけだ。
「ソレイン、チルたちが馬を金に換える前に連れ戻してこい」
モモが命じるのだった。
弱り顔のソレインが頭をかく。
「昨日の今日なら、もう手遅れじゃないのか」
「そういうのは、やるだけやってから言うんだ」
「ムチャ言うなよ」
「だったら、わたしが行く」
「ちょっと待て」
どういうわけか、それを制したのはミクロスだった。
「なぁ、ドラコよ。もう許してやってもいいんじゃないのか?」
その言葉を聞いたドラコの目が点になった。
「今回の件を反省させてだな、次から気をつけてもらえばいいじゃないか」
「いや、俺は――」
「それ以上、何も言うな」
ドラコの言葉を遮ったのもミクロスだ。
「この件はもう終わりだ。後は村の者に任せよう」
そう言って、ミクロスはモモを見つめてニヤニヤするのだった。そんな彼の顔の真ん中にある拳ほど大きな鼻は、信じられないくらいに赤くなっていた。どうやら彼は、気付け薬の副作用で嘘をつけない体質になったようである。
それから村長さんの計らいで、僕たちは村の歓迎を受けることになった。村の中心に大きな焚き火を熾して、それを村人全員で丸く取り囲むのだ。祈りを捧げて、全員で歌い、踊りまで披露してくれた。
それを僕たちは、ご馳走をいただきながら鑑賞するのだ。鳥の丸焼きだけではなく、この時期としては珍しい大きな芋虫まで振る舞ってくれて、心から歓迎してくれているのが分かった。ただし、ミクロスは虫を食べるのが苦手なので手をつけなかった。
料理を食べて、ケンタスの親友であるぺガスのことを思い出した。彼の兄嫁が作る手料理と同じ味がしていたからである。きっと野草の使い方が一緒なのだろう。僕だけじゃなく、ドラコも故郷を懐かしがる顔をしていて、それがとても印象的だった。
日程に余裕があるということで、宿泊の誘いも遠慮なく受け入れることにした。ソレインが一人住まいしている小屋を提供してくれたのである。そこで泥酔して眠ったミクロスを放っておいて、ドラコがソレインと酒を酌み交わすのだった。
「厩舎を見せてもらったが、とても驚いたよ。よく調教された馬ばかりだったからな。俺もクトゥム・ピップルという腕のいい調教師を知っているが、引けを取らない腕を持っているようだ」
ドラコに褒められたソレインが嬉しそうだ。
「戦争で生き残った爺様がいてさ、『走り込みが大事なのは人間も馬も同じだ』って言うんだよ。それで村の有志で牧場をやっているんだ。いや、だからって、おれたちは別に反乱を起こそうとしているわけじゃない。『常に備えは必要だ』って言うからさ」
王国の兵士相手なので、酔っても言葉選びは慎重だった。
「それに今は村で一番稼げる商売になったんだ。賊に狙われやすいが、行商人が高く買ってくれるからな。結局、育てるリスクより、買った方が早いと考える者が多いんだ。ヤツらが様々な交易を独占しているということもあるだろうけどな」
ドラコがため息をつく。
「行商人に売るには上等すぎるほどの馬なんだがな」
ソレインがニカッと笑う。
「『モンクルスの再来』に認められたわけか。これはいい宣伝になりそうだ」
ミクロスから聞いた話を早速引用したようだ。
一方でドラコの目は真剣だった。
「いや、真面目な話になるが、行商人に売るのは待った方がいい。今日会ったばかりの俺の話を信じろとは言わんが、売るのを引き延ばすことができるなら、そうしてくれないか? 俺に一つアイデアがあるんだ」
ソレインは疑り深い目で見つめ返す。
「その、アイデアというのは?」
ドラコが説明する。
「行商人に売るんじゃなく、国に買ってもらうんだよ。そうすれば相場の倍、いや、そういうことではないな。現物で納税できるわけだから、上手くいけば新しい牧草地を与えられて、その土地の権利や保証までついてくるかもしれないぞ?」
それでもソレインは懐疑的な目をしている。
「確かにいい話だが、その話が上手くいかなければどうなるんだ? 今の買い手を失えば、また新たな買い手を見つけなければいけなくなる。苦労して取り付けた売買契約を手放してしまうと評判も悪くなるし、それでは税金を滞納させてしまうかもしれないじゃないか」
ドラコもそこが悩みどころのようだ。
「正直に言うと、俺もまだカイドル州に来たばかりでな。首都長官に会っていないどころか、名前しか知らないんだ。だから上手くいく保証はない。それでも、ある程度のリスクを負ってもらわなければ、こちらも話を進められないんだよ」
ソレインが考える。
「ある程度、話が決まってからではダメなのか?」
それをドラコがキッパリと否定する。
「牧場の国有化ともなれば、長官自らが視察に訪れるだろう。その時に買い取ってもらう肝心の馬がいなければ、話が流れるに決まっている。厩舎を増やして、場合によっては他の村から馬を連れてくる必要もある。長官が来たら、お前が出来る男だということを示す必要があるからな。国王陛下の持ち物になる馬を買い取ってもらおうと話を進めている間、裏で行商人に売りつけている男を、長官が信用すると思うか? よく考えてくれ」
ソレインが熟考する。
「分かった。相談したい人がいるから、その時間だけは、おれにくれないか?」
「いいだろう。しかしな、俺たちが明日の朝には村を発つことも忘れるなよ」
次いつ会えるか分からないということだ。
「そういうことなら、今すぐ相談しに行くよ。明日の朝には返事ができるだろう」
と言って、ソレインは酔いに任せて小屋を飛び出して行った。朝まで家を留守にするということは、セタン村の村長さんに相談をしにいったわけではなさそうだ。誰だか分からないが、ドラコと僕は眠ることにした。
「ドラコ、起きろ」
ソレインの声で目を覚ました時、すでに朝になっていた。
「爺様はこう言った。『我々にリスクを負わせた男は、我々以上にリスクを負っている』と。続けてこうも言っていた。『だから、その兵士は約束を交わすに相応しい男だ』と。そして最後に『会ってみたい』とも言っていた。つまり交渉成立だ」
その言葉を受けて、ドラコはソレインと固い握手をするのだった。
「半年を目途に、ここに視察団を連れてきてみせる。長官を驚かせてやってくれ」
ソレインが握り返す。
「ああ、分かった。それまで死に物狂いで走れる馬をかき集めてみせるよ」
左遷されてドラコはもう終わったかと思っていたが、彼は、彼だけはまだ諦めていなかったのだ。僕たちにどんな未来が待ち受けているのか分からないが、時代が大きく変わりそうな、そんな予感を抱かせる朝だった。




