第十一話(55) その後のオーヒン国
それから僕たち三人は、二週間振りに領事館の敷地の外に出た。本来ならカイドル州へ直行する予定なのだが、市内の中心地でパレードが行われるということで、それを見学してから旅立つことにしたわけだ。
「しかし、すごい人だかりだな」
僕もミクロスと同じように驚いているところだ。街の中心にある大聖堂から貴族街まで続く道の沿道にびっしりと人が詰めかけていたからである。昼過ぎなので、行商人だけではなく、仕事を終えた漁師もたくさんいる印象だ。
それだけではなく、法服を纏った一団がまとまって整列しているので、近隣の荘園からわざわざ参加した者もいるのだろう。老若男女を問わず見学に訪れている感じだ。それに伴って市警の兵士も総動員されているといった様相だ。
パレードは国力を示す上でも重要な行事だと聞いたことがある。特にオーヒン国は貿易都市なので、多くの外国人が滞在しているため、アピールという意味では絶大な効果を生むというわけだ。
その効果の恩恵に預かるのが、この日の主役であるコルヴス親子だ。デモン・フィウクスの失脚に伴い、ゲミニ・コルヴスが財務官に就き、その息子であるゲティス・コルヴスが神祇官の職を父から受け継いだのだ。
「立派な馬車に乗ってら」
大聖堂へ向かうコルヴス親子を見て、ミクロスが呟いた。
「よくやった!」
「ありがとう!」
「頼んだぞ!」
沿道の市民が声援を送っているが、これは我が国ではあり得ないことだった。カグマン国ではフェニックス家の王族だけしかパレードをしないので、気軽に声など掛けることができないのだ。パレードのたびに不敬罪に問われる者が出てくる始末である。
「あんたはザザの悪党を始末した、真の英雄だ!」
「コルヴス家に栄光あれ!」
「オーヒンにさらなる栄光あれ!」
どうやらこの二週間のうちに、ザザ家の崩壊は市民の間にも知れ渡っていたようだ。しかもそれを主導したのがコルヴス親子という認識になっていた。これではドラコの功績として認識を改めさせることは難しいだろう。
「チェッ、くだらねぇ」
ミクロスがおもしろくなさそうに呟いたが、僕もやるせない気持ちでいっぱいだった。現場検証した警備局の捜査官は真実を知っているはずだが、同時にドラコがコルヴス家に出入りした事実もあるので、彼らもコルヴス親子が主導したものだと信じているはずだ。
今回の襲撃で最も得をしたのはコルヴス親子に違いないが、それでも彼らが黒幕ではないということは、僕が一番よく知っている。ハンス・フィウクスがシナリオを書いたわけだが、やっぱり、いくら考えても彼に利があるとは思えなかった。
長兄のイワンを亡くした元・財務官のデモン・フィウクスは、一家で荘園に移り住み、そこでブドウ畑を管理する領主になったと聞いた。当然、ハンス・フィウクスも同行しているので、肩書も領主の息子になってしまったわけだ。
ザザ家との繋がりを示す証拠があったので、金品授受に絡んだ犯罪者であるわけだから、荘園の領主に収まっただけでも幸運といえるだろう。しかし、その息子であるハンスがドラコと共謀する理由が、やはり見つからないのだ。
「よし、カーネーション広場に行ってみよう」
コルヴス親子のパレードを見送ってから、ドラコが呟いた。
ミクロスがニヤッとする。
「おっ、いいね。話が分かるじゃねぇか」
「バカ、うまくやってるか確かめに行くんだよ」
僕もずっと気になっていたところだ。オーヒンの性産業を独占していたのがザザ家で、その元締めがいなくなったわけだから、経営自体が危ぶまれる可能性があるわけで、広場でしか働くことができない女性もいるので心配だったのだ。
「姉ちゃんたち、元気そうじゃねぇか」
カーネーション広場が見えてくると、ミクロスの顔が綻んだ。パレードの影響で人通りはまばらだったが、客引きしている娼婦の姿は健在だ。一つだけ違う点は、宿を見張る用心棒の顔ぶれが一新したことだった。
「あそこに行けば会えるはずだ」
ドラコが目指した先は、門構えのしっかりとした娼館だった。上客しか相手にしない高級娼婦が在籍している店のようである。ドラコに連れられ訪ねていくと、門番は畏まって対応するのだった。つまり僕たちの顔を知っているということである。
「ああ、ドラコ様!」
娼館の玄関ホールで出迎えてくれたのは、僕たちをマリン・リングに引き合わせたモンモンさんだった。僕たちの顔を見ただけで感激して涙を流すのだった。市民と違って、彼女は僕たちの功績を理解しているというわけだ。
「みんな! ドラコ様とミクロス様とジジ様が会いに来てくれたわよ!」
モンモンさんの声に、控え室の中にいた娼婦たちが一斉に姿を現した。
「おいっ、聞いたか、ジジ。ミクロス様だってよっ」
ミクロスの顔は、僕が彼と出会ってから、これまでの中で一番の笑顔だった。
「ワタシたちを救っていただき、ありがとうございました」
そんなことを口にしながら、彼女たちは代わる代わる僕たちの手を握り、その手を額にこすりつけ、口づけで感謝の気持ちを示すのだった。すべての者が涙を流しており、その姿にこれまでの過酷さが表れていた。
「みんな、よく耐えたな」
情に脆いミクロスが感激して、もらい泣きしていた。
「オーヒン市民のバカどものことなんて、もうどうでもいいや。オレ様はお前たちがこうして喜んでくれるのが嬉しくて堪らないんだ。お前たちのように、ちゃんと分かってくれる人がいるなら、それだけでハッピーだ」
そう言って、一人一人抱きしめていった。
「なぁ、ドラコよ。みんなと酒が飲みたい気分だぜ。どうにかしてくれよ」
ドラコがモンモンさんに訊ねる。
「仕事は大丈夫か?」
「今日はパレードの影響で予約もないから早めに閉めちゃいましょう」
「よし、今日はミクロスの奢りだ。派手にやろうじゃないか」
と言って、ドラコがミクロスに花を持たせた。
「よっしゃ、広場の女を全員呼んで来いっ」
ミクロスの言葉を受けて、モンモンさんが取り仕切り、酒宴の支度を始めるのだった。ミクロスは両腕に娼婦を抱え込み、そのまま他の子も引き連れて廊下の奥へと消えていった。僕とドラコは玄関ホールにぽつんと取り残された形である。
「おお、ドラコじゃねぇか」
振り返ると、国王の孫であるルークス・ブルドンが立っていた。
「まさか、ほんとにザザ家を全滅させるとは思わなかったよ」
「いや、俺だけの力じゃないさ」
「ウチの爺様は三十年も手を焼いていたんだぞ?」
「よく抑え込んでいた方さ」
「なるほど。そういう見方もあるわけか」
ルークスと会うのは二回目だが、ドラコの方はすっかり打ち解けているようである。相手が国王の孫だというのに、口の利き方が軽々しいが、おそらく、それはルークスが気を遣わないようにと命令したのだろう。
「広場の雰囲気はどうだ? 見違えたろう?」
「ああ、それもあるが、驚くのは君がシラフに見えることだ」
ルークスが気持ちよさそうに笑った。
「禁酒はしないが、自分を見失うほど酔うのはやめたのさ」
「己を見つけたというわけか」
「ああ、ドラコ、お前のおかげだよ」
「礼を言うのはこちらの方さ。この広場を守れるのは君しかいなかった」
「コルヴスの強欲ジジイに話を通したのはお前じゃないか」
「決断したのは君だ。玉座を明け渡したわけだからな」
「構うもんか。親父も俺も王の器じゃないしな」
「ブルドン家は一代限りというわけか」
「それはどうだろうな? 俺はともかく、親父の方は何を考えてるか分からんからな」
「ゲティス・コルヴスの前に皇太子殿下がそのまま即位する可能性もあるわけだ」
「親父の場合は人がいいから、利用されやしないか心配でな」
「あぁ、うん」
ドラコが眉間に皺を寄せる。
「広場の運営は大丈夫だろうな?」
「大丈夫とは?」
「ブルドン家が広場の元締めでは不味いだろう」
「ああ、それなら心配いらない」
「確かなのか?」
「表向きはマリンさんがオーヒンに上納金を納める形で管理することになっている」
マリンさんの名前が出た瞬間、ドラコの表情が険しくなった。
「シマが荒らされる心配はないのか?」
「ザザ家と同じ目に遭いたいなんて、誰が思うものかっ」
「あの方だけは絶対に守り抜くんだ」
ルークスがヘラヘラと笑う。
「『モンクルスの再来』が惚れたんじゃ、誰も手を出さないよ」
ドラコがムッとする。
「これは冗談なんかで済む話じゃないんだ」
「大丈夫だ。金の管理は俺たちがするし、彼女に危害が及ぶことは一切ない」
「約束できるか?」
「約束するさ。だから安心してカイドルに飛ばされるんだな」
シラフのルークスは、以前会った時とは別人のようだった。真面目な話をする時は彫像のように精悍な顔つきで、冗談をいう時は猫のように愛らしい表情をするのである。伸ばした髪と髭が立派なのでライオンとまではいかないが、猫の王様くらいには見えた。
「ジジだったな?」
ルークスにいきなり話し掛けられた。
「お前の願いも叶えてやったぞ」
「それは本当ですか?」
「ああ、ハルクス教会の墓地に埋葬した。彼女はそこに眠っている」
タンタンの遺体を手厚く葬ってくれるようドラコにお願いしてあったのだ。
「文字は読めるか?」
「はい」
「ならば捜せば見つかるだろう」
「ありがとうございます」
「礼はいらない。彼女の勇気が広場を救ったんだ」
そのように認識してくれているだけで救われる思いだった。
「ドラコ、行ってもいいかな?」
単独行動をする場合、ドラコの許可が必要なのだ。
「ああ、ミクロスはここで夜を明かすだろうからな。今日は好きにすればいい」
「ありがとう」
出て行こうとする僕を呼び止めたのはルークスだった。
「ジジ、お前の働きも立派だったぞ」
「ルークス殿下直々のお言葉、恐縮至極に存じます」
そう言うと、ルークスが慌てた。
「おいおい、殿下はやめてくれ。ここではボンボン息子のルー様で通ってるんだ」
そこへ廊下の奥からモンモンさんが現れた。
「あら、ルー様、来てたの?」
「来ちゃいけないのかよ?」
「残念ながら今日は宴会の準備が忙しくて遊んであげられる時間がないんだもん」
「なんだよ、冷たいな」
「だって、あなたの隣にいる方、誰だか知ってるの?」
「『モンクルスの再来』だろ?」
「なんだ、知ってたんだ?」
「俺様の数少ないダチよ」
「もう、ルー様ったら、ほんと軽いんだからっ」
「立ち話はこれくらいにして、今日はパアッとやろうぜ」
そう言うと、ルークスはモンモンさんの肩に手を回して廊下の奥へと消えていった。
「あまり遅くならないようにな」
ドラコの言葉に見送られて、僕はハルクス教会の墓地へ向かった。まだ寒い時期だったけど、風がないので外にいることが気にならなかった。歩いていると身体がホカホカしてきて、その温かみがタンタンの温もりを思い出させるのだった。
以前、深夜に訪れた時のハルクス教会は不気味な怖さを感じさせるものだったが、昼間の風景は、まるで時が止まったかのように、安らぎを覚えるかのような印象に様変わりしていた。ここならば彼女もゆっくり休むことができるだろう。
家族がいなかったので今まで考えたこともなかったのだが、土地を大切に思い、守りたいと願うのは、それは大切な人が眠っているからなんだ、ということをタンタンの墓を見て思うことができた。
墓の側にいると、まるでその人が生きているかのように感じられたけど、それも生まれて初めての経験だった。見守られている感覚があり、つい、その胸で抱かれているかのように感じられ、実際に地べたに横になり、目を閉じてしまった。
気がつくと、すっかり日が沈んでいた。どうやら眠ってしまったようである。それで寒くて目を覚ましたというわけだ。外で眠ることには慣れていたはずなのに、最近は暖かい寝具に慣れたせいで、身体が弱くなってしまったようだ。
タンタンに「また来るね」と別れを告げて、カーネーション広場の娼館に戻ったのだが、とてもお酒を飲む気分にはなれず、大広間での賑やかな酒宴を尻目にして、誰もいない部屋を見つけて、勝手に眠らせてもらうことにした。
「ジジ、大丈夫か?」
寝台に眠る僕の顔を覗き込むドラコやモンモンさんの表情がハッキリ見えるので、朝を迎えたということが分かった。でも、喉が痛く、熱もあるため、上手く返事をすることができなかった。
どうやら風邪を引いたようである。もう何年も経験していないことだったので、身体が悲鳴をあげているように感じられた。そういえば前に風邪を引いた時も、ドラコが僕の顔を覗き込んでいた。あれはもう八年も前のことだ。
それからドラコは僕を馬に乗せて、マリンさんの家へと連れて行ってくれた。暖かい部屋でじっくり風邪を治せるということで、マザーに掛け合ってくれたのである。それを女主人は嫌な顔を見せずに受け入れてくれたというわけだ。
食事の世話までしていただき、満足にお礼も言えぬまま、寝台に横になり、昼間も夜間もひたすら眠り続けてしまった。心配顔で何度も様子を見にくるマザーの姿に、存在しなかった母親の姿を重ねてしまったことは、誰にも言えなかった。
「ジジ、無理することはないからな」
翌朝、なぜかニヤニヤしているミクロスが枕元に立っていた。
「ありがとう」
それでも珍しく気遣ってくれたので感謝の言葉だけは伝えておいた。
「ミクロスの言う通りだ」
ドラコもいるようだ。
「カイドルに発つのは延期することにした。だからゆっくり治せ」
「ごめん」
ドラコが気にした素振りを見せなかった。
「気にすることはない。元々王都へ一度戻ることも許可されていたからな、ひと月くらいはゆっくりする時間があったんだ。着任は四月からだし、ここで長逗留しても遅れたうちには入らないさ」
カイドル州の州都まで海岸線のルートを使えば、最低でも二十日は掛かると聞いている。まだ二月中旬なので余裕があるということだ。しかし、それではマリンさんに迷惑を掛けるのではないかと思い至り、そのことを訊ねてみることにした。
「マザーは迷惑じゃない?」
「心配するな。彼女はお前が元気になってくれることだけを願ってくれているよ」
それを聞いて安心することができた。
ドラコが付け加える。
「それに北方ではまだ雪が残っているという話だからな。お前のためにも、馬のためにも、出発を遅らせるというのは必然の判断だったのかもしれない。だからジジ、悪いと思わずにゆっくり治すんだぞ」
ミクロスのニヤニヤが止まらない。
「お前はいいタイミングで風邪を引いてくれたよ。お前はオレ様の最高の仲間だ」
怪我をすると常にバカにしてくるミクロスが珍しく優しくしてくれたので、何かおかしいと思っていたが、やはり裏があったのだ。その男は早々に見舞いを切り上げると、スキップしながらカーネーション広場へ遊びに行ってしまったのである。
それから七日ほどで風邪が治ったので、お世話になった恩返しとして、墓地の整地や清掃を行った。それが終わると、今度はハルクス教会の補修作業をすることにした。こういった作業の手順は新兵時代に身に付けたものである。
ミクロスはというと、毎日広場で女の子と遊び続け、その怠惰な生活をドラコに咎められると、「カイドルに飛ばされたのはお前のせいだ」と罵り、金をせびっては、街で評判の卵ケーキを女の子にプレゼントして、上機嫌で帰って来る日々を送っていた。
ドラコは忙しそうにしている日もあれば、姿を見せない日もあった。それでもマリンさんと二人でゆっくり散歩をする日もあったので、彼は彼で充実した日々を送っているように見えた。
結局、着任の日が迫る三月の中旬まで、僕たちはマリンさんの家でお世話になった。これからは過酷な日々が続くということを誰もが知っていたので、娼館で行われた送別会はかなりしんみりとしたものになってしまった。




