第十話(54) ザザ家の崩壊
馬車に乗る僕たちが向かう先は、丘の上にあるザザ家が隠れ家にしている邸だ。貴族街とは離れた場所にあるが、そこも最高の景観が望める一等地だった。ただし、そこを根城にできるのも今日までの話である。
ランバによると、ザザ家の邸は百人隊の監視部隊がすでに包囲しているという話だ。いつでも突撃できる準備が整っているとのことなので、後はドラコの指示を待つばかりだと言っていた。
「邸の中の様子はどうだ?」
丘の麓にある森の中の作戦本部で、ドラコがランバに訊ねた。
「酒宴が始まってしばらく経ちますからな。すでに泥酔している者もいるという話ですぞ」
ドラコが決意したようだ。
「突撃隊を集めてくれ。話がある」
その言葉を受けてランバがすぐに動いた。集めたのは五十人で、残りの五十人は邸の東西南北をぐるりと取り囲んでいるので持ち場についたままの状態だ。最初の五十人の突撃隊で、およそ二百人近くいる敵に奇襲を仕掛けるわけである。
「よし、みんな、よく聞いてくれ」
ドラコの演説が始まった。
「ザザ家が我が国の領土内で不正取引を行った証拠はすでに確保してある。君たちは我が国を汚し、国王陛下を欺いたザザ家に、今こそ正義の鉄槌を食らわすのだ。それが君たちの使命である」
そこで最初にドラコが着ている服をすべて脱ぎ捨てた。
「作戦は事前に話した通りだ。君たちも全員服を脱いでくれ。いいか、衣服を身に纏っている者は全員始末するんだ。男だけではなく、女も殺せ。子どもであろうが、老人であろうが関係ない。服を着ている者は全員殺すんだ。選別なんかしようと思うな。一瞬の躊躇が命取りになるからな。闇夜に身を隠している者もいる。そいつが服を着ていれば、引きずり出して殺してしまえ。とにかく裸じゃない者は息が無くなるまで殺し続けるんだ。童一人でも仕留め損ねれば、お前たちの隣にいる仲間を死なせることになるからな。服を着ている者は、全員みな殺しだ」
闇夜での戦闘は敵と味方の見分けがつかなくなり、返り血を浴び続けると判別不能となるので、ドラコはよく全裸で夜襲を仕掛けることが多い。しかし今回のように百人隊を総動員させる戦闘では初めて参加する者もいるので、くどいくらい兵士に言い聞かせたのだ。
ドラコ・キルギアスは十五歳の新兵時代から、常にアイデアで勝ち抜いてきた人間だ。二倍程度の戦力差ならば、その相手側のアドバンテージを奇襲で無効化できるのである。実際に負けたことがないのだから、彼のアイデアこそ正義なのだ。
「真っ裸で戦うのは、服を洗濯しないで済むから助かるわな」
ミクロスが突撃隊の兵士と雑談をしていると、持ち場についている見張りの兵に、裸になるように伝えに行った伝令兵が一周して戻ってきた。これで邸の周りにいる全員が全裸での戦闘態勢が整ったということになる。
「よし行くぞ! 俺の後に続け!」
ドラコの掛け声と共に戦闘が始まった。
僕は槍兵なので、夜襲の場合は前線に立つことはない。
先陣を切っているのは手斧を持った者たちだ。
屋内への侵入では、柄の長い武器を振り回すことができないからだ。
ドラコも長剣ではなく、利き手に手斧を持っている。
ミクロスも得意の短剣ではなく、今日は手斧だ。
森を抜けると、ザザ家の邸が見えてきた。
二階建ての石造りの家だ。
窓の数から、間取りの広い部屋がいくつもあることが分かった。
邸を囲む石壁は、それほど高くはなかった。
あれなら簡単に乗り越えられるだろう。
僕たち槍兵は正面の門で待機だ。
門の内側では、すでに叫び声と怒号が飛び交っていた。
すぐに正門が内側から開かれた。
目の前に、返り血で染まったドラコが立っていた。
「お前たちは一人残らず止めを刺してくれ!」
鬼気迫る顔だった。
「死んだ振りをして倒れている者もいるからな!」
それは敵にも聞こえるように叫んでいるようだ。
「一人残らず刺し殺すんだ」
それから踵を返して、邸の中へと走り去っていった。
僕の仕事は頼まれた通り、手負いの敵兵の息の根を止めることだ。
首から大量の血を流している敵も、しっかりと心臓を突き刺さなければいけない。
うつ伏せで倒れている敵も、ちゃんと仰向けにしてから心臓を突き刺す。
ドラコは、敵の最期のあがきでもある、一矢報いることも許さないのである。
二階から女たちの悲鳴が聞こえてきた。
どうやら一階は完全に制圧したようだ。
二百人以上いたとは思えないほどの早さだ。
一階に転がっている死体を確認すると、とろそうな身体つきをした者ばかりだった。
どうやら、外の見張りを皆殺しにした時点で作戦は成功していたようだ。
それでも僕は止めを刺す作業を怠らなかった。
それがドラコの命令だからである。
宴会場は血の海だった。
倒れたロウソクで火が燃え移った死体もある。
煙が充満していた。
吐しゃ物と糞尿の臭いも酷かった。
それでも止めを刺す作業を止めるわけにはいかなかった。
折り重なった死体の下に、無傷の男が息を殺して隠れていた。
仰向けにすると、その男と目が合った。
「頼む、金をやるから、見逃してくれ」
ありったけの力を込めて、その男の心臓に槍先を突き刺した。
一階の調理場から地下室まで隈なく回った。
息がある者は一人もいない。
二階へ行こうとしたら、ランバが下りてきた。
「一度避難した方がいいですぞ。煙でやられますからな」
見ると、階上の廊下には煙が立ち込めていた。
ドラコとミクロスも避難してくる。
その後ろから前線で戦っていた兵士も下りてきた。
玄関ホールでドラコが叫ぶ。
「鎮火するまで外に退避する。再突入の合図があるまで、その場で待機しているように」
ということで、僕たち兵士は邸から一度出ることにした。
その間にもランバが状況確認に勤しむのだった。
ミクロスはすでに武器を手放していた。
つまり、それは『作戦終了』の合図でもあるわけだ。
それでも一応、確認してみる。
「二階の状況は?」
「後は死体のツラを確認するだけだ」
ミクロスも返り血で全身が真っ黒になっていた。
「じゃあ作戦は成功したんだね」
「おうよ。暴力で支配していたヤツらが暴力に恐怖して死んだんだ。ざまぁみろってんだ」
「こちらの死傷者は?」
「煙を吸い込んで参ったヤツがいるだけだ」
「死亡者はゼロ?」
「ああ、無敗記録は継続だ」
ドラコは味方を殺さないというのも、彼の武勇伝の一つである。
しかし、それも今日で終わりだ。
それはタンタンを死なせてしまったからである。
少しだけ一人になりたくなった。
そこで門の外に出たのだが、そこで立ち去る男の後ろ姿を見掛けた。
裸の男なので兵士なのだろう。
しかし、ドラコは待機を命じているはずだ。
男の行動は、重大な命令違反である。
そこで呼び戻すことにした。
男は森の中に入っていった。
僕も森に入る。
どこまでも行くので、便意を催したわけではなさそうだ。
兵士の歩き方ではなかった。
邸にいた敵だろうか。
たまたま裸だったので見逃したのかもしれない。
そう思った瞬間、仕留めないといけないと考えた。
相手は武器を持っていない。
僕の手には槍が握られている。
捕まえれば、仕損じることはないだろう。
その時、男が背後の気配に気がついた。
振り返ったその顔を見て、僕は追うのをやめてしまった。
なぜなら、その顔は前に一度会ったハンス・フィウクスの顔だったからである。
さすがに僕の判断だけでは殺せない相手だ。
そう思った瞬間、足が止まっていた。
結局、ハンスを見逃してしまった。
「ジジ、どこに行っていたんだ。待機していろと言ったはずだぞ」
ザザ家の邸に戻ったところをドラコに見つかり怒られてしまった。
「ああ、ごめんよ」
それでも謝るだけで、本当のことは言えなかった。なぜなら僕から話すことではなく、彼の方から説明すべきことだからである。それまでハンスの名前は、ミクロスやランバにも漏らすわけにはいかなかった。
ハンス・フィウクスをザザ家の邸から逃がしたのはドラコである。そしてハンスこそが、僕たちに実兄のイワンを娼館で殺すように謀り、今日のザザ家での酒宴まで取り計らった首謀者なのである。
襲撃があることを知っていて、尚且つ全裸になることで身を守れるとドラコから聞いていれば、いとも簡単に脱出できたはずだ。二人が共謀し、次期国王候補のイワンを暗殺して、ザザ家を崩壊させたわけだ。
しかし、ハンスがドラコに協力する理由は分からなかった。政界スキャンダルなので、むしろフィウクス家にとってはデメリットでしかないからだ。
しかもイワンの死体をわざわざザザ家の邸まで運び込んだので、悪名高いザザ家との繋りまで白日の下に晒されるわけで、それを意図してやる意味が、僕にはさっぱり理解できなかった。
「どうかしたのか?」
「なんでもないよ」
ドラコが僕のことを気に掛けてくれているが、僕は素直に不安を口にすることができなかった。なぜなら、ドラコとハンスの共謀にタンタンの命が犠牲になったような気がしてならなかったからだ。
ザザ家の邸では、オーヒン市警の警備兵による事後処理が進む中、僕はどうしても頭を切り替えられないでいた。それは生まれて初めてドラコに対して疑念を抱いているからだ。自分でも信じられないことに、彼を疑っても心が痛まなかった。
長兄イワン・フィウクスの暗殺は必要だったのだろうか。ザザ家の不正取引の証拠があるならば、多少強引ではあるが、それだけでザザ家を壊滅させることもできたように思えるのだ。どちらにしても、ドラコは次兄ハンスと共謀したわけだ。
僕が油断したことでタンタンを救えなかったのだから、僕が一番悪いに決まっている。それでも、それとこれとは話が別なのだ。彼女にリスクを負わせる必要があったのか、そこが僕にとっては重要なのである。
この作戦の裏には一体何があるというのだろう? それを僕はこれから一人で考えないといけないようだ。ハンスだけではなく、ドラコに対しても観察対象の一人として認識させてもらう。
「しかし、退屈だな」
ミクロスが大きな欠伸をした。ザザ家を襲撃した翌日から、作戦に関わった全員を対象に、兵舎の外に出ることを禁じる命令が出たのだ。食堂にも見張りの兵士がいるような状況で、僕たち三人は寝室で処分が下されるのを待っていた。
「どんな処分が下されるんだろうな?」
ミクロスの問い掛けにドラコが答える。
「重い処分にはならないさ。俺たちが犯した罪は越権行為の一点のみだからな」
ミクロスが笑う。
「みんな殺しちまったから、逮捕者はゼロだけどな」
ドラコが苦笑いを浮かべる。
「オーヒン国では、ザザ家に対して商売する権利を認めていないんだ。それどころか、ヤツらは人間としても認められていない。だからオーヒン国の国民を殺したことにはなっていないんだよ。皮肉な話だが、それで俺たちはオーヒン市警に捕まらなかったんだ」
ミクロスが大きな鼻をさする。
「貴族殺しの方はどうなんだ?」
「さぁ、どうなるだろうな?」
ドラコも分からないようだ。
「おいおい、そっちの罪で裁かれたら死罪だけじゃ済まないぞ」
ミクロスの言う通り、先祖の土地も奪われるだろう。
ドラコが分析しながら予想する。
「イワン・フィウクスとザザ家の繋がりを示す証拠はすでに提出しているんだ。俺たちを裁くということは、現職の財務官とザザ家の癒着を国民に晒すことでもある。オーヒン国の高官らが、わざわざそんな真似をするかどうかだな。他の貴族連中にとってフィウクス家の醜聞は、国民の怒りの感情が自分たちに向けられることにもなりかねないわけだ。ありのままの情報を公開しても、いいことなんて何一つないんだよ。もみ消すことなど簡単なのだから、わざわざ裁判などしないだろうさ」
ドラコの言う通りだが、それだけにイワンの弟であるハンスの行動が不可解に映るのだ。崩壊したのはザザ家だけではなく、フィウクス家も同じだからだ。ドラコはそれ以後も、ハンスについては何も語ることがなかった。
「カイドル州って、どういうことだよっ!」
つい先ほど、領事館での軍法会議が終わったばかりだ。そこで僕たち三人はカイドル州への左遷を命じられたのである。僕も謹慎処分を受ける程度だと思っていたので戸惑っているところだ。これはハッキリ言うと、再起不能レベルの処分である。
「さっさと荷造りを済ませろ」
ドラコは淡々と部屋の荷物をまとめていた。
「おいおい、オレたちは褒められこそすれ、左遷させられるようなことはしてねぇだろうがよ。お前だって重い処分にはならないと言ってたじゃねぇか。薄汚いヤツらを片付けてやったんだ。出世してもいいくらいだろう?」
襲撃から二週間も兵舎で軟禁されていたので、ミクロスは気が立っていた。
「王宮の決定だ。諦めろ」
つまりそれは不服申し立てもできないということである。
「ああ、ちくしょう! これで五長官に仕える夢もパアか」
ドラコが国境警備の仕事を三年くらい何事もなく勤め上げれば、その先には警備局の主任か、または騎馬隊長か陣営隊長の長官職に就くことができただろう。それが今回の左遷人事で潰えたということになる。
五長官といえば七政院の貴族とは天と地ほどの差はあるが、それでも騎士という爵位を得られるので、貴族の下位に名を連ねることができたのだ。戦後に限った話だが、平民から五長官になった者はいないので、ドラコが最初の人物になれるはずだった。
「寂しくなりますな」
ランバに挨拶をするために副長室を訪ねたのだが、彼も荷物を整理している最中だった。
「すまないな。ランバまで閑職に追いやってしまって」
副隊長がドラコの言葉に首を振る。
「それは余計な心配というものでございます。隊長と私は一心同体ですからな。どこにいようと隊長の部下であることに変わりありませんぞ。それは百人隊の兵士も同じだということを知っておいてもらえば、きっと兵士も喜ぶことでしょうな」
彼はハクタ州にあるガザ村という、新兵を訓練する演習地への移動が決まっていた。
「それに新人教育は重要な仕事ですからな。やりがいもありますし、ワクワクしているくらいですぞ。しかも来年の春には隊長の弟君も入隊してきますからな。今からお会いできる日が楽しみなくらいでして」
ドラコの弟のケンタス・キルギアスも傑出した剣士である。馬術の心得もあり、身体能力ではドラコよりも勝っている、と僕は思っている。幼い頃から共に暮らしてきたので、僕にとっても弟のような存在だった。
もう一人、ケンタスの幼なじみのぺガス・ピップルという同い年の男も忘れてはならない。ミクロスに似て小柄な身体つきをしているが、性格は異なり、とても謙虚で、誠実で、何よりも友人を心から大切に思っている男だ。
その二人には、ドラコやミクロスや僕にはない関係性があった。それは、友を大切に思う、という感情である。彼らの気持ちが、この先の未来を変えていくのではないか、とさえ思ったくらいだ。いずれにせよ、まだまだ先の話だ。




