第九話(53) ザザ家との戦い
今回の作戦では百人隊を総動員させるということで、早速ランバはドラコからの細かい指示を元に実戦部隊の配置を検討し始めた。僕は二人のやり取りを側で聞いているだけだったが、これまでで一番の激戦になることは容易に想像がついた。
「ジジ、お前に頼みがある」
寝室で二人きりになった時、ドラコから改めて要請があった。
「お前にしか頼めないことだ」
「うん。何かな?」
寝台の縁に腰掛けるドラコの横顔が苦悩している。
「次の満月の夜、ヤツはタンタンを指名している」
「例の貴族が?」
「ああ。それで頼んでほしいんだよ」
「何をさせようっていうの?」
「彼女に協力者になってほしいんだ」
「協力?」
ドラコが頷く。
「ああ。今回の任務ではヤツを現場で取り押さえる必要がある。取り逃がせば海外に逃亡する可能性があるからな。それだけは避けたいんだ。なんたって取引の条件がヤツを始末することだからだ」
そこで初めて耳にするキーワードが出てきた。
「ちょっと待って。その取引っていうのは何のこと?」
「ジジ、すまないが詳しくは話せないんだ」
ドラコの言う通り、話せる内容なら、とっくに話してくれているはずだ。
「タンタンにお前から話をして説得してくれ。お前は一度客として会っているだろう? 俺はもう広場で顔を晒すわけにはいかないんだ。娼婦に頼むこともできるが、それだとしっかりと意思の確認をできるか分からないしな」
言いたいことは分かるが、まだ納得できなかった。
「彼女に何をお願いしたいの?」
ドラコが説明する。
「まずは普通に娼婦として接客してもらいたい。それはヤツがいつも利用する小屋に二人きりで入ってもらう必要があるからだ。それを確認してから俺たちは見張りの用心棒を始末するが、外に異変が起これば、どうしたって中にいるヤツに気づかれてしまうだろう? そこで少しでもいいから時間を稼いでほしいんだ。大勢で取り囲めば、ヤツだって嫌な雰囲気を感じ取るだろうからな。俺たちの方もそれほど人数を割くわけにもいかないし、そう考えると、やはり中に一緒にいる彼女の協力が必要になるんだ」
足止め工作だ。
「外の異変に気がついて、小屋から脱出されると、闇に紛れてしまい、そうなると見つけるのは困難となる。絶対に避けなければならないのが、オーヒン国の警備兵を呼ばれることなんだ。流石に剣を交えるわけにはいかないからな。危険は承知だが、彼女に頼むしか他に方法がない。今回の作戦でもっとも重要なポイントだからお願いしておきたいんだ」
今回の作戦で一番厄介なポイントが、いかにオーヒン国の警備兵に気づかれずに遂行するかだ。もしも見つかって相手に怪我でもさせたら、死刑どころか、最悪の場合は戦争が始まってしまうので、それだけは避けなければならなかった。
ドラコの命令は絶対なので、翌日、僕は銀貨を握り締めてタンタンさんの元へ向かった。娼館の主人や用心棒に怪しまれないように、普通の客を装うことも忘れなかった。待たされなかったのは、身体の傷が目立つ彼女は一見さんの客にも避けられているからだ。
二回目の来店ということで、宿の主人から身体がキレイで豊満な女性を勧められたが、それを不自然に感じさせないように断り、タンタンさんを指名した。久し振りに会った彼女は、僕の顔を見て申し訳なさそうな顔をするのだった。
「この前はごめんなさい」
彼女を抱けなかったのは、僕の責任だ。
「君が謝ることじゃないさ」
それからタンタンさんは僕を寝台に誘うのだった。すでに湯浴みを済ませて、二人とも裸になっている。小屋の中は明り取りの窓からしか日が差していないので薄暗かった。それでも身体の傷跡は、この日もハッキリと確認できた。
「ここって、話し声を聞かれる心配はないかな?」
寝台の上で抱き合って、彼女の耳元で囁いた。
「うん。大丈夫」
耳に当たる彼女の息が心地よかった。
「次の満月の日、君はまた貴族の息子の相手をさせられることになっているんだ。その時に、そいつを殺す計画がある。僕もその作戦に参加することになっているんだ。話というのはね、君にもその作戦に協力してほしいということなんだ」
腕の中の彼女はまだ大人になる前の少女にすぎない。
「そいつと小屋で二人きりになったら、僕たちは外で見張りをしている用心棒を始末するから、君はそいつが逃げ出さないように、できるだけ中で時間を稼いでほしいんだ。お願いできるかな?」
僕の首元に顔を埋める彼女は、どう反応していいかも分からない様子だった。
「できなければできないでいいんだ。別の方法を考えるからね」
彼女が僕の視線をほしがった。
「ジジが、そばにいてくれるの?」
「僕の名前を憶えてくれていたんだね」
微笑むと、彼女も微笑み返した。
「うん。生まれて初めて名乗ってくれた男の人だから」
彼女の嬉しそうな顔を見て、僕は決意した。
「君のそばにいる。すぐに助け出してあげるからね。約束するよ」
「わたし、ジジの力になる」
そう言うと、彼女は僕の身体を涙で濡らすのだった。
「ありがとう。必ず君を守る」
強く抱きしめると、同じくらいの強さで抱きしめられた。
「うれしい」
「怖くないの?」
タンタンさんが首を振った。
「わたしには守ってくれる兵士がいるんだもん」
それから僕は、生まれて初めて女性を知った。タンタンさんに対して男になれたということが何よりも嬉しかった。彼女に興奮できる自分が、とても誇らしくもあった。離れがたい愛おしさを感じたのも生まれて初めてのことだった。
「よし、準備はいいな?」
あっという間に満月の夜はやってきた。カーネーション広場の路地裏に身を潜めているのは、ドラコとミクロスと僕の三人だけである。それ以上は街の用心棒や見回りの警備兵に見つかるリスクが高くなるので、いつものメンバーで決行しようとドラコが判断したのだ。
百人隊を任せているランバには別のポイントで待機させていた。本日の作戦は二段構えとなっており、ザザ家という本丸を壊滅させることが最終目標となっていた。各個人が何をすべきか、それはもうすでに伝達済みである。
「楽しみだぜ」
久し振りにミクロスと顔を合わせたが、彼の鼻はブタのように大きく腫れたままだった。
ドラコが状況を説明する。
「建物を取り囲む石壁の外に見張りが二人立っている。壁を乗り越える前に騒がれたら、その時点で作戦は失敗だ。ここは俺とミクロスで手早く始末しよう。ジジは周囲の状況を見ていてくれ」
それから作戦の隅々まで細かく確認して、各自が持ち場へとついた。
作戦開始の合図は、ターゲットが建物の中に入ってからだ。
壁の向こうの建物に明かりが灯るのを、ミクロスが確認することになっている。
下見をして、一か所だけ木の上から確認できる場所があったと言っていた。
僕は二人が見張りを殺すのを待つだけである。
いよいよ、その時が来た。
ミクロスが闇夜に紛れ、見張りの背後に忍び寄る。
それから鋭くなるまで研ぎ澄ました短剣で、後ろから首を切り裂くのだ。
遅れてドラコが合流した。
おそらく残りの見張りは、首の骨を折られていることだろう。
僕も急ぎつつ、静かに駆けつける。
ミクロスに乗り越えられない壁はなかった。
馬になった僕の背に乗り、ドラコの肩に足を掛ける。
手を伸ばして、縁に掴まり、軽々と自分の身体を引き上げた。
あとは引っ張ってもらうだけだ。
相手方は壁の向こうに見張りを立てているので、建物周辺は手薄だった。
建物は石造りの平屋建てだ。
建物の横にはテントを張った馬車が停まってある。
素性を隠した特別な客のための娼館ということだ。
明かりが灯った部屋に、タンタンがいる。
そう思うと、気が急いた。
「よし、行くぞ」
ドラコの合図で僕たちは三方向に分かれた。
俊足のミクロスが大回りして、建物の裏手に回る。
ドラコは反対から正面入口をつく。
入り口を見張る門番の二人はドラコが始末することになっていた。
僕は直線に進み、馬車に向かった。
馭者を殺すのが僕の役割だ。
足音を立てずに忍び寄った。
馭者は木にもたれて居眠りしているところだ。
目の前に立っても気づかなかった。
そこで手持ちの短槍で心臓を突き刺した。
目の前の男は声を漏らさずに絶命した。
急がなければいけない。
その時、馬が鼻を鳴らした。
すると馬車の中から二人の用心棒が現れたのだった。
「賊だ!」
「賊が出たぞ!」
接近を許す前に背後を確認する。
敵は目の前の二人だけのようだ。
武器は二人とも長剣だ。
二人いっぺんに襲いかかってくる。
挟撃の息が合っていたため、槍で身を守ることしかできなかった。
やられるのも時間の問題である。
片方の男が剣を振り上げた。
避けるのは不可能だ。
仕方なく槍で受け止めることにした。
その瞬間、もう一方の男に脇腹を突かれると思った。
思った時点で、手遅れである。
しかし、死んだのは僕の目の前にいる男の方だった。
男は何が起こったのか分からないといった顔を僕に向けている。
力なく膝から崩れ落ちる男の背後に立っていたのは、ドラコだった。
そして、すぐにもう一人の男と対峙した。
相棒をなくした男の手は、ブルブルと小刻みに震えている。
恐怖を感じているのか、放心したように立ち尽くしていた。
ドラコが踏み込む。
その瞬間、男の首が飛んでいった。
まるでスイカのようにコロコロと転がるのである。
しかし、首のない身体の方は直立不動の姿勢を崩さなかった。
「ジジ、行くぞ」
言われるがまま、ドラコの後を追った。
建物の入り口の前に、二人の用心棒の死体が転がっていた。
「ミクロス!」
ドラコが名を呼ぶ。
「こっちだぜ」
建物の中から、気の抜けたミクロスの声がした。
どうやら作戦は成功したようだ。
「よし」
ドラコが一息つく。
「おいっ、早く運ぶの手伝ってくれよ」
声がしたと思ったら、死体を引きずってくるミクロスが玄関口に現れた。
死体は黒の頭巾を被っていた。
「コイツでいいんだよな?」
ミクロスがドラコに確かめた。
ドラコが死体の頭巾を脱がせる。
そこにあったのは、イワン・フィウクスの顔だった。
「貴族の息子って、イワン・フィウクスだったの?」
「ああ」
ドラコが素っ気ない返事をした。
「誰だ、その、イワンなんとかってのは?」
ミクロスは誰か分からないようだ。
ドラコが何も言わないので、僕が教えてやることにした。
「オーヒンの次の国王だよ」
ミクロスがドラコに突っかかる。
「バカ野郎! オレ様に何てことさせるんだよっ!」
それでもドラコは冷静だった。
「早くこの死体を馬車に積むんだ」
命令を受ければ黙って従うのが、僕たちの仕事である。
三人で急いでイワンの死体を馬車の荷台に載せた。
「よし、行くぞ」
ドラコが馬車を出そうとしたので、引き止めた。
「ちょっと待って」
「どうした?」
「彼女は?」
ドラコがミクロスの方を見た。
ミクロスが苦々しい顔をする。
「一緒にいた女は死んでいた。いや、すべてタンタンのおかげだ」
気がつくと、駆け出していた。
走りながらも、彼女の顔が目の前にあった。
いくつもの表情が思い出されるのだ。
建物の一室に駆け込む。
そこに、彼女が裸で横たわっていた。
「タンタン」
呼び掛けたけど、返事がなかった。
「タンタン」
もう一度呼んでみたが、やっぱり返事がなかった。
見ると、お腹にナイフが刺さっていた。
僕はそのナイフを抜き取ってあげることしかできなかった。
「これで痛くないだろう」
それでも彼女は眠ったままだった。
「ジジ」
涙で声しか聞こえなかった。
「ジジ、行くぞ」
「これ以上、留まるのは危険だ」
これほど命令を受けることが苦しいと思ったことはなかった。
「彼女も連れて行く」
「時間がないんだ」
いくらドラコの言葉でも、譲れなかった。
「彼女をここに置いては行けない」
出会って初めてドラコに歯向かってしまった。
ドラコが頷く。
「そうだな。残してはいけないな」
それからタンタンの遺体を馬車に乗せた。
荷台に乗り込むと、ドラコがすぐに馬車を出した。
荷台の真っ暗なテントの中で、ミクロスが静かに口を開いた。
「見張りの数が予想より多かったんだ。荷馬車に隠れていた二人の男もそうだが、オレ様が向かった建物の裏手にも見張りがいてな。手こずった挙句、正面の方から回ってきたドラコに助けられたんだ。それから馬が鳴いたんで、ドラコがお前の方に走っていったんだ。その間に、正面の出入り口を留守にしたわけだろう? やばいと思って急いで建物の中に入ったらよ、すでに黒頭巾の男が死んでるじゃねか。見ると、タンタンが男の首を革の鞭で絞め上げていたんだよ。だけど腹にナイフが刺さっててな、血はもうすでに流れ切った後だった。きっとタンタンは男にナイフを刺されて絶命した後も、絞め上げた手を離さなかったんだろうな。もしも手を離していたら逃げられてもおかしくなかったぜ。状況としては、外にいた用心棒の叫びが聞こえて、それでイワンが慌てて逃げようとしたところを、隙をついて男の首を絞めることができたんだ。作戦は成功したが、それはオレたちの手柄じゃねぇな。全部タンタンのおかげだよ。ったく、情けねぇったらありゃしねぇ」
彼女は隙をついて殺したのではなく、きっと僕のことを守ろうとしたのだろう。そばにいる僕の存在を感じて、危ない目に遭うと思ったのだ。それで彼女は一人でも多くの敵がいなくなればいいと、手近な武器を手にしたのだろう。
もう二度と、本当のことを彼女の口から聞くことはできないが、僕はそう思うことにした。彼女の兵士になると約束したのに、それを守ることができず、反対に僕の方が彼女に守られたわけだ。彼女の方こそ、僕の兵士だ。




