第五話(49) ブルドン家の後継者
ぐっすりと眠れたせいか、翌日の朝は目覚めが良かった。ミクロスがまだ兵舎に戻っていないことに不安を覚えるものの、この日はブルドン王のご子息に会う予定なので、そちらに意識を集中させる必要があった。
ブルドン王の息子ということは、カグマン国でいえは王位継承の第一順位に当たる人である。オーヒン国では世襲制を採用していないが、それでも王太子、または皇太子であることに変わりはない。
我がカグマン王国では王族の血が流れていない者に王位継承の資格はないが、滅亡したカイドル帝国は一代で国家元首になれるので、オーヒン国は後者の方式を採用したということだ。
それでいて政治形態は、皇帝による独裁政治ではなく、我が国と同じ院政を敷いてあるので、しっかりと権力を分散させているのである。それならば一人の人間の資質や決断によって、カイドル帝国のように滅ぶリスクも低くなるはずだ。
こうしてオーヒン国を知れば知るほど、カグマン王国とカイドル帝国の良い所を併せ持った理想的な国に思えてくる。これで差別が酷くなければ最高なのだが、現実は一部の人間にとっての理想郷でしかないわけである。
「しかし、よく快諾していただけましたな」
貴族街へ向かう馬上のランバが感慨深げだ。
「デモン・フィウクスの口添えが効いたのかもしれないね」
おそらくドラコの言う通りなのだろう。そもそも、そのフィウクス家にしても、本来ならば僕たちが気安く会って話せる身分の方たちではないのだ。ゲミニ・コルヴスが剣聖モンクルスを信奉しているから、奇跡的に声を掛けてもらえたのである。
貴族といっても、派閥争いに敗れれば逆賊として犯罪者になる場合もあるので、接触する際は注意が必要なのだが、オーヒン国においては、ブルドン家とコルヴス家とフィウクス家の御三家は別格というわけだ。
「やっと着きましたな」
ランバが愚痴るのも無理はなかった。オークス・ブルドンの邸宅は貴族街の外れにあり、丘ではなく、山の中腹に建っていたからだ。見晴らしが最高だと言いたいところだが、高い石壁に囲まれているので、中からは下界の様子を望むことができなかった。
邸の中は厳重に警備されていた。それこそ部屋の一つ一つに警備兵を立たせるほどの厳戒態勢である。僕たちに応対した警備兵は六人もいて、それが応接室へ案内されてからも、監視が続けられるといった具合である。
しかし考えてみれば、これが自然な対応なのかもしれない。警備兵が昼夜を問わずに巡回している貴族街と違って、ここは人里から離れているからだ。国王候補の要人を守るための必要な人員配置というわけだ。
応接室の中は至ってシンプルな造りで、部屋の真ん中に長机が置かれているだけだった。その机に向かって椅子に座らされ、窓の外に見える石壁を黙って見つめながら、僕たち三人はオークス・ブルドンの登場を待った。
「おいっ、そこをどけっ」
外の廊下から若い男の声がした。
「どけって言ってんだろ」
声が大きいばかりで、呂律が回っていない。
「開けろっ」
おそらく部屋の外にいる者は酔っ払っているのだろう。ブルドン家の邸で昼間から酒に酔えるということは、オークス・ブルドンの身内の者に違いない。一人息子がいると聞いていたので、たぶんルークス・ブルドンだ。
「おうっ、お前がモンクルスの再来かっ」
ドアを開けるなり、いきなりドラコに絡み出した。
「おいっ、俺様と勝負しろっ」
そう言うと、ドラコを無理やり椅子から立たせるのだった。
「おらっ、立てっ」
ドラコは相手に失礼にならないように、求めに応じた。
「よしっ、勝負だっ」
と言っても、ルークスの足はフラフラである。
それでも拳を握って、ファイティングポーズを決めるのだった。
「こらっ、貴様も構えろっ」
命令を受けたので、ドラコが同じようなポーズを決める。
「そうこなくっちゃな」
そう言って、ルークスがヘラヘラと笑い出した。
「いくぞ!」
声を掛けてからパンチを繰り出したのだが、足がもつれて、よろけてしまった。
その身体をドラコが受け止めた。
「何事ですか?」
そう言って、慌てて入って来たのが年老いた警備兵だった。
おそらく兵長だろう。
「見張っておけと言ったではないか!」
まずはその場に居合わせている平の警備兵を叱りつけた。
「客人、お怪我はありませんか?」
それからドラコを気遣った。
「皇孫、勝手に出歩かれては困ります」
最後に孫ほど年の離れたルークスに注意するのだった。
「寝室へお運びしろ」
兵長の指示を受けて、見張り役を仰せつかっているであろう二人の兵士が、ルークスの両脇を抱えて退出していった。もうすでに自分の足では歩けないほど酔っ払っていたようで、気を失ったまま連れられていってしまった。
見た目はボサボサの頭で、無精ひげが汚らしく見え、体つきから剣術や槍術など一切嗜んでいないことが分かる出で立ちだった。生まれた国が違っていれば、彼が二代先の国王になっていたということである。それが世襲制の怖さだ。
それでも一点だけ優れている点を挙げるとしたら、面識のない状態で、僕たち三人の中からドラコが誰であるかピタリと当てたことだ。顔を知らなければランバをドラコだと勘違いすることの方が多いからである。
「恥ずかしいところをお見せした。殿下が参られるまで今しばらく待たれよ」
兵長の言葉が終わる前に、オークス・ブルドンが現れた。
「そのまま、そのまま」
立ち上がろうとしたが、制止された。
「いやいや、待たせたね」
そう言って、次期国王候補の筆頭は、人懐っこい笑顔を振りまいて、上座の椅子に腰を落ち着けた。出自を知らなければ、ラフな格好をしている、腹のたるんだ、額が後退した赤髪の、どこにでもいる中年男性と思っていたことだろう。
それでも彼が特別に思えるのは、屈強な二人の護衛を従えているからだ。それだけで国の要人に見えてしまうのである。オークスが椅子に座った後も護衛を背後に立たせているのは、そのように指示を受けているからだ。
「爺や、下がっていいぞ」
そう言われて、兵長は素直に従って退出するのだった。
それから僕たちに茶目っ気のある顔を向けた。
「アレは、おれが子どもの頃から世話になってる男でさ、客の前では格好つけてるけど、普段は孫に弱い気のいい爺様なんだよ。隠居してしばらく経つが、大事な客人を迎える時だけ軍服を着たくなるんだな」
ブルドン王の息子は、砕けた言葉遣いをする男だった。自分の息子と同じくらいの年齢であるドラコに対して、まるで友達に話し掛けているかのような口振りなので、貴族という感じが一切しなかった。
「殿下、本日はお招きいただきありがとうございます。心より感謝いたします」
ドラコが改めて謝辞を述べた。
「そういう堅い挨拶を続けるなら、おれ帰っちゃうよ?」
オークスの笑顔に僕たちも笑顔になった。
「おれは、ほらっ、生まれた時には親父がまだ国王になっていなかったからさ、貴族の生まれっていうわけじゃないんだよ。だから作法っていうのがさっぱり分からないまま五十になって、もう諦めちまったんだ。笑われるだけだから人前に出るのも嫌でさ、ここに引きこもったというわけだ。所詮は大工の倅だろう? だから国の政治も他の人たちに任せてるんだ。それで上手くいってるんだから、おれの判断は正しかったというわけだ」
そう言って笑顔を見せるが、自分を皮肉った自虐的な笑いだったため、少しだけ切なくなった。いくら自分で自分を貶めても、八人もの警備兵に見守られている状況では、ピンと来ないからである。
「巷じゃ次の国王候補なんて言われているが、おれになれるはずがないんだ。このおれが何もできないっていうのは、ここにいる兵士のみなさんが分かっていることだからね。この国が世襲制じゃなくて助かったのは、誰でもない、このおれかもしれないよ」
表情と違って、発言がいちいちネガティブだった。
「オークスさん」
ドラコが気安く呼ぶと、殿下が目を細めて喜んだ。
「なんだい?」
「国王陛下のお加減が良くないと聞きましたが、どのような状態なのでしょうか?」
「いやいや、変わりないって聞いているよ」
オークスが即答した。
「一緒に住まわれていないんですか?」
その言葉に、オークスが初めて真顔になった。
「いや、それがさ、おれも息子も爺さんの居所を知らねぇんだ。親子そろって酒飲みだからよ、場所を知ってたらペラペラと喋っちまうだろう? だからおれも聞かないことにしてるの」
そこで、腕を組んで唸った。
「うむ。親父が王様っていうのも良いことばかりじゃないってことだな。ご覧の通り、いい暮らしはさせてもらってるけど、親子三代、三人きりで話をする機会すら作れないからな。でもこればっかりは仕方ないさ」
僕たちだけではなく、監視している兵士にも語り掛けているようだ。
「だから王位継承なんて真っ平ゴメンだと思うようになったんだ。他にいるならお願いしてくれって何度も言ってるんだよ。せめて息子にはおれみたいになってほしくないからね」
いきなり貴族になったことによる戸惑いがあるのだろう。コルヴス家やフィウクス家と違って、ブルドン家には歴史がないので当然である。新興国の王家がすぐに貴族になれるほど易しい世界ではないということだ。
「親父の話は、これくらいでやめておこう」
そう言うと、手を叩いた。
「婆や! 誰か婆やを呼んできてくれ」
言葉が終わる前に、老女が部屋に入ってきた。
「なんでござんしょ?」
畏まっているので、身内ではなく召使いなのだろう。
「やぁ、婆や、相変わらず耳がいいね」
「ありがとござんす」
「みんなでブドウ酒を飲みたいんだ。用意してくれるかな?」
「かしこまりやした」
「おれが足で踏んで作ったヤツね」
「ただいま用意いたしやす」
ブドウ畑を持っていて、悠々自適の暮らしをしているということだろう。父親が王様ということで、ブドウ酒を商売ではなく、趣味で造る生活ができているわけだ。それならば、たとえ不作であっても納税に頭を悩ますこともないだろう。
さらに息子のルークスも昼間から酒を飲む生活を送っているのだ。いくら庶民派を気取ろうが、いくら自虐的になろうが、いくら自己憐憫しようが、こういう生活を捨てる覚悟がなければ、永遠に庶民の気持ちなど取り戻すことなど不可能である。
「おれはモンクルスよりジェンババの方が好きなんだよな」
一人だけ飲むペースが速いので、オークスだけ酔っ払っているように見えた。
「それでコルヴスのダンナとは上手くいかないんだよ。あのお方はとにかくモンクルスが好きだからね。コレクションを見たかい? 寝室に剣聖が愛用していた馬の鞍が飾ってあるんだもんな。それを見せてもらった時、『そんなもん飾ってどうするんですかい?』って訊ねたら、『ときどき、こうするんだ』って言って、地べたに置いた鞍に跨ったんだよ。それで『パカッ、パカッ』って言っちゃってさ、剣聖になりきるんだもん。そんなの見せられたら、笑うしかないだろう? おかしいったらありゃしねぇよ。といっても、おっかないから笑いを堪えたけどな」
そこで見張りの兵の一人が咳払いした。
おそらく今までもこうして頻繁に注意を受けているのだろう。
「モンクルスの何が許せないって、結局は忠誠を誓ったはずの国王を死なせてしまったことなんだな。いや、暗殺されたのはモンクルスのせいじゃないよ? でも騎士を引退せずに、そのまま王宮に仕えていれば、暗殺なんか起きなかったじゃないか。歴史にタラレバは無意味だけどさ、モンクルスの目があったら、暗殺者だって手が出せないはずなんだよ。剣聖とは、相手に諦めさせる存在でもあるわけだからね。それだけに残念に思うんだな」
カグマン国の前王オルバ・フェニックス暗殺事件の真相については諸説ある。身の回りの世話をしていた侍女の息子に殺されたとされるのが通説だが、子どもを利用した組織による計画という見方も存在した。
様々な説が生まれてしまう要因は、街で上演される芝居で自由な創作が活発に行われているからだろう。今の世の中は、作り話を史実として受け止める人が多いのだ。また、劇作家も暗殺に黒金の剣が使われたことで創作意欲が刺激されるわけだ。
「とにかく、おれは剣聖の生き方は好きじゃない。騎士の身分を貰ったら、死ぬまで国王に仕えなくちゃいけないんだ。国王というのは、それくらいの存在だからね。なぜモンクルスほどの達人が、そのことに思い至らないのか不思議でならないよ」
それからモンクルスを引き合いに出してジェンババを持ち上げて、僕たちに「ジェンババは素晴らしい」と言わせて、やっと解放してもらうことができた。性質の悪い絡み酒だったが、自家製のブドウ酒の味だけは絶品であった。
「オーヒンの経済成長は驚異的だが、見かけほどいい国ではないのかもしれないな」
森の中で周りに人がいないのを確認してから、ドラコが話し始めた。
「一代でオーヒン国を建国したブルドン王は、逸話が誇張されている部分もあるだろうが、それでも大国間の戦争から市民を守った偉大な王であることは間違いない。ひょっとしたら後世では、モンクルスやジェンババよりも評価される時代が来るかもしれないからね。そんな偉大なる英雄を父に持つ息子が、どうして貴族連中と自分を比べて、みすぼらしい気持ちを抱かなければいけないんだ。能力を持つ者を出自で小バカにする貴族病を患っているようでは、オーヒン国もまた、行く末は決まっているのかもしれないな」
そう言って、ドラコは沈鬱な表情を浮かべるのだった。島国の人間は常に大陸からの脅威にさらされている。だからこそ、これからは島内の情勢だけではなく、外に目を向けられる新たな人材が必要だと、前にドラコが力説していたのを思い出した。
「なんだ。ミクロスのヤツ、まだ帰ってきていないようだな」
兵舎に戻るなり、ドラコが心配した。
「困ったもんですな」
ランバはそれほど気にならないようだ。
「捜しに行こうか? 本来なら、もっと早くそう言うべきだった」
嫌な予感がしたので、ドラコに訊ねてみた。というのも、ミクロスは隠密行動でもない限り、無断で外泊を続ける男ではないからだ。戻らないというのは、その日の夜は戻らないということであって、それを三日も続けることではないからである。
「心当たりでもあるのか?」
「うん、実は」
「よし、捜しに行こう」
「私も同行しましょう」
「いや、ランバ、君は残ってくれ。日没後は兵舎にいてもらいたいからね」
「ご命令とあらば、そのようにいたしましょう」
ということで、ドラコと僕は二人でミクロスを捜しにオーヒン国の街外れに向かった。目指すはカーネーション広場である。着く頃にはすっかり日も沈んでいる頃だろう。その前に、ドラコに打ち明けておくことがあった。
「話しておきたいことがあるんだけど、いいかな?」
「なんだい?」
正直に告白する。
「僕とミクロスは調査目的のお金を使って、つまり、その、娼館で、女の人を買ってしまったんだ。誘われた時に断るべきだったけど、それができなかった。本当は注意しないといけなかったんだよね」
「調査にも色々あって、ミクロスにはミクロスのやり方があるから、お金を何に使おうが構わないさ。『本当』というならば、君たちは自由になるお金を貰ってもおかしくない仕事をしているわけだからね。だがしかし」
そこでドラコが並んで歩く僕に目を向けた。
「ミクロスの言付けを預かったのなら、どのくらいで戻るのか、それをしっかりと把握してから別れなければいけなかったな。今日になって捜すと言い出したということは、把握していないことも、俺に伝えていないということじゃないか」
僕はドラコの目を見ることができなかった。
「ごめんなさい。日頃から『連絡は命の綱だ』と言われているのに、娼館に行ったことで、隠したいという気持ちが働いてしまったんだ。それで曖昧なまま、ミクロスとも別れてしまった。本当に、これは僕がいけなかったよ」
ドラコが僕の肩に手を掛ける。
「いや、ジジだけではなく、俺もミスを犯してしまった。一昨日から要人と会うことばかりに意識を向けていたから、ミクロスのことを考える余裕を持てなかったんだ。俺はまだまだ人の上に立つ心構えが足りないようだな」
連絡ミスをした僕を責めるだけではなく、ドラコは追及しなかった自分にも非があると認めた。これだからドラコは信頼に値する人間だと思えるのだ。彼は誰かに責任を負わせて難を逃れる人間ではないからだ。




