第二話(46) 国境警備隊
それからオーヒン国に到着するまでに四日を要した。道が平坦ならばそれほど掛からないのだが、途中で峠を越えなければいけないので、そこで丸一日必要とするからだ。ただしミクロスの脚ならば、その半分の日数で辿り着けたことだろう。
急こう配のある山道を舗装しないのは、そこがカグマン国にとって最大の防御壁となっているからである。経済の観点からは不便な道でしかないが、防衛の観点からは山そのものが要塞となるわけだ。その違いを知ることが学問の面白さでもある。
「おいおい、以前と比べて街がデカくなってないか?」
小高くなっている岬の突端で、オーヒン方面の海岸線を望んでいるのだが、僕もミクロスと同じ印象を持った。二年前に一度だけ同じ場所で同じように眺めたことがあるので、その違いが一目瞭然なのである。
「間違いないな。どうやら港町を吸収合併させたようだ」
ドラコは表情を変えない男だが、それでも驚いていることが声のトーンで分かった。
「なあ、ドラコよ、オレたちが知らないうちに、この島はどんどん形を変えていってるんじゃないのか? 昔の地図が当てにならないくらい様変わりしてるじゃねぇか。そのうちオーヒン国がオレたちの国を飲み込んじまっても不思議じゃないぞ」
ドラコが海を見ながら思案する。オーヒン国に入ってからでは第三者に聞き耳を立てられることも考えられるので、その前に大事な会話をしておこうというわけだ。こういう時、僕は黙っているのが常だった。
「気になるのは、二年前にも話した通り、その都市の造営が、外敵に攻められることを一切考慮していない点なんだ。建設中の巨大な建物が城ではないということが判明した今、その疑問は増すばかりだな」
ミクロスが思い出す。
「それは中立国として戦争を免れたから、非武装を貫いているんじゃなかったか? まぁ実際のところは貴族同士の取り決めだから、オレたちは協定の内容なんか知りようがないんだけどな」
「いや、外敵というのは、何もこの島にいる人間だけとは限らないんだ。大陸にある二つの大国には、それぞれすぐにでも動かせる二十万を超える兵士を抱えているんだ。大陸とは反対の位置にあるが、それでも攻め込まれることを考慮しないというのは考えられないな」
造船技術が向上すれば、この地に大陸の支配が及ぶことは昔から危惧されていることだ。
「はぁあ」
ミクロスがあくびをする。
「だったらオーヒンの連中っていうのは、本当に戦争をしたくないんだろうな。そう考えれば納得がいくだろう? 奴らは金儲けのことしか考えてないからな、フェニックス家に貢いで安全が保障されるなら安い買い物だと思ってるんじゃないのか? それに王家に献上する貢物だって、オーヒンの貴族が額に汗して働いて作るわけじゃないだろう? 国民に重税を課して、自分たちはご機嫌を窺うだけでいいんだ。つくづく貴族っていうのは頭の良い連中だよ」
ドラコの表情が冴えない。
。
「しかし、そうなるとフェニックス家がハクタに都を遷すというのも分からなくなるな。城塞としての機能を考えるならば、王家はカグマン州の州都にある王宮を根城にしておいた方が遥かに安全なんだ」
ミクロスが唸る。
「うむ。カグマン国の七政院の貴族連中も戦後派に代替わりしているからな。どちらの国も戦争を知らない世代が権力を握ってるわけだろう? だからデタラメな都市計画が、いい加減な許可を経て、実行に移されちまうんじゃないのか?」
危機感が足りないとか、平和ボケしているというのは、戦後派の僕たちがよく揶揄される言葉である。その中でも戦地に足を踏み込んだことのない貴族の親子が都の遷都を企画しているのだから、危機管理が欠如していても不思議ではないわけだ。
ドラコがカグマン国の方を振り返る。
「さらに複雑なのは、王家や七政院の内部が統一されていないということだな。派閥が存在しているだけではなく、すでに分離独立している可能性もあるんだ。鍵を握るのはやはり『新しい国王は誰になるのか?』ということだろう」
現在の国王陛下が高齢に加えて病気のため、遠くない未来に新しい国王が誕生することが予想されている。しかし後継者選びで揉めていることは、国民にとって周知の事実なので不安感が漂っているわけだ。
現在の国王コルバ・フェニックスは無策無能と陰口を叩かれてはいるが、自身が農学に興味を持っているため、農業従事者には寛容な国政を行ってきた。だから比較的支持率を高く維持できているという話だ。
それが存命中にも拘わらず、遷都の準備に入っていることから、カグマン州の都民を中心に不安が広がっているというわけだ。貴族の人事が変わるだけなら構わないが、税制まで見直されると離職につながる場合もあるからだ。
農業というのは生産の苦労だけではなく、消費者とのつながりも大事なわけで、流通経路の確保も含めて農業に含まれる。だから都が遷れば、それまで同じように納税することができなくなる村もでてくる、と考えられるわけだ。
「隊長!」
オーヒン国内にある領事館に到着すると、ドラコが指揮する百人隊の兵士が笑顔で出迎えてくれた。ドラコ自らが厳選した兵士なので、みな気心が知れた者ばかりだ。業務の引継ぎがスムーズに行われているのは、先行した彼らのおかげでもあった。
その中でも腹心のランバ・キグスは、ドラコの影とも呼ばれているほど信頼されている男だ。僕たちよりも十歳も年齢が上だが、ドラコに対する忠誠は誰よりも篤いのである。彼がいるから僕たち三人が自由に動けるわけだ。
「やあ、ランバ、調子はどうだい?」
久し振りにドラコが笑顔になった。
「隊長、よくぞ、ご無事で。待ち侘びていましたぞ」
齢三十にして白髪頭のランバは、一言でいうと堅苦しい男だ。
ミクロスが口を挟む。
「ランバのオッサンよ。堅い挨拶はその辺にしてくれよ。それより、ちゃんと宴の準備はしているんだろうな? こっちはご馳走があるっていうんで朝から何にも食ってないんだ。水だって一滴も飲んでないんだぜ? それが酒を美味く飲む秘訣でもあるからな」
ランバがミクロスを無視する。
「隊長、湯浴みの準備ができておりますので、先にお着替えを済ませてください」
「ありがとう。いつもすまないな」
「有り難きお言葉、感謝いたします」
ランバがミクロスを無視するのは、彼はドラコの部下であって、ミクロスの部下ではないからだ。僕のことも気に掛けてくれるが、ドラコの指示以外は受け付けないので、指揮系統が乱れることはなかった。そこがランバの高い信頼性でもある。
ミクロスは賢い男なので、もちろん僕が知っているようなことは全部分かっているのだ。分かっていて、生真面目なランバに軽口を叩いて遊んでいるのである。意地悪な部分ではあるが、注意しても直らないので諦めるしかなかった。
「さぁさぁ、みんな待ちくたびれておりますぞ」
ランバに案内されたのは、領事館の敷地にある兵舎の食堂だった。そこにはすでに百人隊の兵士たちが詰めかけており、中には家族連れの者もいて、和やかな雰囲気がその場を包み込んでいた。
宴は人数が多いので立食形式だった。テーブルの上には豪勢な食事と酒が用意されているが、誰一人としてドラコよりも先に手を付ける者はいなかった。これはドラコを敬愛するランバの指導が行き届いている証でもある。
「ドラコよ、挨拶は手短に頼むぞ」
ミクロスはブドウ酒と牛ステーキしか興味がないようだ。
「隊長からのお言葉だ」
ランバの声でドラコに注目が集まる。
「みんな久し振りだな。こうして誰一人欠けることなく再会できたことを嬉しく思う。私が国境警備を任されたのも、すべては諸君らの働きによるおかげだ。これからも共に生きていくことを、ここに誓おうではないか。諸君らの痛みは、私の痛みでもある。喜びだけではなく、悲しみや苦しみも共に味わうことを約束しよう。喜びを百倍にして、悲しみを百分の一にするのが、我々百人隊の生き方だ。一つの心に、乾杯!」
「乾杯!」
統一された大きな声が会場に響き渡った。酒を口にする前に、誰もがドラコの言葉に酔いしれた。僕も例外ではなかった。彼の素晴らしさは、男が男に惚れさせる点である。言い換えると、人生を命懸けにさせてくれるということだ。
誰もが、危険な仕事に就いている、という自覚があるからこそ、ドラコのような精神的な支柱となる存在を必要とするわけである。誰かがやらなければならない仕事があり、そこから逃げずにいられるのは、彼が隊長だからだ。
「ランバ、こっちの治安はどうなんだ?」
ドラコが訊ねた。
「治安は決して良くありませんな。しかし、それはオーヒンの国内に限った話なので、国境付近は平和そのものでございます。ですから我々が手を焼くということもないでしょうな。荷馬車の警護も兵を半分にしたくらいですからな」
ひとまず安心だ。
「しかし隊長、隊長ご自身は気をつける必要がありますぞ?」
ランバは悪戯に不安を煽る男ではなかった。
「なんだ? 言ってみろ」
「はい。さすがにオーヒンは商人の街だけあって、行商人の口から口へと噂話が伝わる速度が速いんですな。そういうこともあり、隊長が赴任してくることは、もうすでに周知の事実になっておりました。芝居を好む市井の者の間では『モンクルスの再来』として、ちょっとした有名人になっているくらいですからな。おそらくは、こちらの貴族や領主の間にも、すでに伝わっていることでしょう」
「オレ様のことはどんな風に伝わってる?」
ミクロスが口を挟んだが、二人とも相手にしなかった。
「それで、何をどう気をつけろというんだ?」
ドラコが話の続きを促した。
「はい。隊長がカグマン州やハクタ州の盗賊グループを掃討してから、どうやらその残党がオーヒン国周辺の地域に拠点を移したようなんですな。つまり恨みを持った者が街中をうろついているということも考えられるわけでございます。ご存知の通り、我々どもは、オーヒン国では逮捕権を持ちませんからな。武器ですら特別な許可がない限りは持つことが許されません。そうなると無闇やたらと出歩くことにも危険が伴うという次第でございましてな」
ドラコが陶器のグラスに入ったブドウ酒で口を湿らす。
「なるほど。街中を歩くだけでも帯剣できないというのは難儀だな」
五十年以上前にモンクルスが荷馬車の警護で名を上げたように、ドラコもまた荷馬車の警護から出世の道が始まった。この二年間でカイドル州とハクタ州の道という道から盗賊の姿が消えていったのは、すべて彼の功績である。
今では王都からハクタ州の州都までの街道ならば、警護をつけなくても安全に移動できるといわれている。もちろん僕も盗賊退治に同行しているが、ほとんどの場合、ドラコが一人で皆殺しにすることが多かった。
ただし、ミクロスの貢献は僕よりも遥かに大きかったのは確かである。彼はドラコがわざと逃がした賊の一味に気づかれずに尾行するのが得意なのだ。それで盗賊団のアジトを急襲して一網打尽にすることができたというわけである。
そう考えると、僕やミクロスも賊の残党に顔を知られている可能性があるので、オーヒンの街に出る時には用心しなければならないということだ。こちらは誰が賊か見当もつかないので、いきなり襲われるということがあるかもしれないからだ。
「隊長、注意するのは賊の残党だけではありませんぞ。隊長が賊を追い出したことで、ここら辺の治安が悪化しましたからな。快く思っていない領主や商人がいることも確かなので、用心するに越したことはございません」
「ヘンッ、そんなもんは、ただの逆恨みじゃねぇか」
ミクロスの言う通りだ。
「わかったよ。ランバの言う通り、気をつけて生活することにしよう」
いつものように、ドラコは素直な態度で若白髪の男を安心させるのだった。
そこでドラコが思いつく。
「あっ、そうだ。酔っぱらってしまわないうちに、今後の予定を聞いておこうか」
ランバが答える。
「旅の疲れもあるでしょうからな、明日は休みにしておきましたぞ。明後日からはコルヴス家やフィウクス家など、要人との謁見が続きますからな。酒は控えて、ご自愛くださるようお願いしますぞ」
そう言うと、ランバがミクロスを睨みつける。
「謁見には三名までしか同席が許されておりませんからな。隊長に迷惑が掛からぬよう、充分注意するようにお願いしますぞ。両家は我が国の中でも七政院の高官としか交流を持たない家柄ですからな。無礼な振る舞いは許されぬ故、くれぐれもお願いしますぞ」
ミクロスが牛ステーキをクチャクチャさせながら話す。
「心配ならオレ様の代わりに付き添ってやればいいじゃねぇか」
僕と違って、ミクロスは要人との交流に興味がない男だ。
「そうだな、そうしよう」
ドラコが決断する。
「ミクロスには他に頼みたい仕事もあるんだ。オーヒン国について色々と調べてもらわないといけないからな。それには王都の兵士には見えないミクロスがうってつけだ。できるだけ多くの噂話や世間話で話題になっている情報をかき集めてきてくれ」
ミクロスがニンマリとする。
「それそれ。それこそがオレ様にピッタリの仕事よ。それじゃあ銀貨の用意を頼むぜ」
そう言うと、パウルスという酔っ払い仲間のいるテーブルの方に行ってしまった。
「まったく、困った男だ」
ランバが呟いた。
ドラコが陶器のグラスを突きつける。
「ランバも一口くらいは口をつけたらどうなんだ?」
勧められて、やっとブドウ酒を呷るのだった。
ドラコが微笑む。
「こちらのブドウ酒の方が良質だな」
国境警備隊就任祝いの宴はまだまだ続いていく。ドラコが兵士から慕われるのは、気前の良さもあるのだろう。遊ぶ時も手を抜かずにトコトン楽しむので、兵士はそれを楽しみに仕事に没頭できるのだ。
それと、これまで一度もドラコの指揮下で死者が出ていないというのも心強いデータとなっている。平時とはいえ、組織犯罪というのは危険がつきものなので、戦闘で働けなくなるような傷を負わないようにすることも重要なのである。
「そうそう、ブルドン王について何かわかったか?」
ドラコの問いにランバが答える。
「しつこく探りを入れていますがな、これといった情報はありませんぞ。七十前のご老体ですからな、もうすでに国政からは退いているという話でしたな。ここしばらくは民衆の前にも姿を現すことがないと聞いておるので、ご加減の方が芳しくないんでしょうな。我が国同様、遠くない未来に新しい国王が即位することになりましょうが、ブルドン王は一代でオーヒン国を建国した偉大なる指導者ですからな、後継者となる者は嫌でも比較されることになるでしょうな」
ブルドン王は大工から人口百万を超える国の王様になった男だ。若い時に神様のお告げを聞いて、港町に小さな聖堂を作ったのがオーヒン国の始まりだとされている。それから造船業に力を入れて、貿易で成功を収めて現在に至るわけだ。
わずか四十年近くの間に、彼はたった一人で島最大の経済都市を作り上げてしまったということになる。それまでの島の歴史の中でも類を見ないほどの偉業だ。また、そのブルドン王が戦争の英雄ではない、というのも稀有な点といえるだろう。
そんな偉大なる王様の後継者選びとなると、難航するのは必至というわけだ。商才に長け、その上で国民からの支持を集められるほどの人物が、同じ時代の同じ国からそうそうに現れるとは思えないからである。
「次の国王候補の顔ぶれは分かっているのか?」
ドラコの問いにランバが答える。
「はい。有力な候補者が二人、いや、三人いますな。一人は戦時中に我が国からオーヒン国へ亡命したコルヴス家の跡取りで、もう一人は、今は亡きカイドル国出身のフィウクス家の長男ですな」
どちらもドラコが謁見する相手だ。
「三人目はブルドン王の息子というわけか」
ドラコの言葉にランバが頷く。
「はい。ですが、オークス・ブルドンという男は、父親のマークスと違って、国政に無関心な男でしてな、行政に一切口を出さないことでも有名でございまして、担ぎたい勢力があるようですが、本人が消極的ということもあり、実現させることは難しいでしょうな」
父親があまりに偉大過ぎるのだろう。親の威光に照らされて生きるのと、自らが先頭に立って生きることは、人生が様変わりすることを意味する。王家は王家で平民が経験しないようなプレッシャーがあるというのも事実なのだ。
オーヒン国が我が国と異なり世襲制を採用しないのは、旧カイドル帝国の風土や風習を受け継いでいるからなのかもしれない。この地はフェニックス家の領土と違って、特定の権力者による強固な地盤ではないからだ。
土地の主権者がコロコロ変わるので、小国の王様の中から皇帝が選ばれるという、帝政が基盤となっている。強固な地盤を有するフェニックス家に対抗するには、最も優れた者が皇帝になる、という実力主義が現実的な選択だったのだろう。
「その、オークス・ブルドンという男にも会ってみたいものだな」
ドラコの希望だ。
「では、もう一度だけ願い入れてみましょう」
隊長が望めば、ランバは確実に実現させる男だ。




