第四十二話 黒金の剣
会う前は偉大な英雄だと思っていたが、いまは目の前の老騎士がひどく哀しい存在のように思えた。ジェンババやモンクルスの口からは一切家族の話を聞くことができなかったからだ。
それに比して王家や貴族だけが繁栄しているという現実がある。実際に戦ったのは彼ら二人なのに、何のために二人は戦ったというのだろうか? 岩窟や場末の酒場で孤独な老後を送っている二人の老人を思うと哀しくて堪らなかった。
「貴君ら、名をなんと申すか?」
訊ねられたので一人ずつ自己紹介をした。
「貴君らに問う」
この時、ここへ来て初めて老騎士と目が合ったが、身体が硬直したのが分かった。
「剣とは何ぞや? しばし考えてみるがよい」
剣とは何か、そんなこと今まで考えてもみなかった。問われた以上は何かしら答えなければならない。剣……、剣……、剣……。いや、ダメだ。漠然としていて、どう答えていいのかさっぱり分からなかった。こういう質問は全部ケンタスに任せてきたのだ。
問うということは、俺たちを試しているわけだ。だとしたら、剣聖が望むような答えを考えなければいけない。モンクルスにとっての剣は何か? 今までの話を聞いた限りでは『金』の印象しか持てなかった。
ならば『金を稼ぐための道具』と答えるべきだろうか? いや、それだと俺の生き方や行動とは合致した答えにはならない。そんな取って付けた解答だと老騎士に薄っぺらさが見抜かれてしまうだろう。
だからといって、俺の内なる心に答えがあるかといったら、まったく存在しないと正直に答えざるを得なかった。しかし、どうせ見抜かれてしまうなら、心の感じるままに答えた方がいいような気がした。
「ボボ、貴君の答えを聞かせてもらおう」
ボボが一歩前に出るが、その表情はいつもの無表情で緊張が一切感じられなかった。
「オイラにとっては弓矢の方が大事だ。弓矢がなければ生きていくことができないからな。だから物心がつく前から教わるんだ。もちろんオイラに子どもができても、同じように弓矢を仕込むだろう。それが人間の持つ知恵というものだからだ。剣はな、オイラにとってはそれほど重要なものではないんだ。なくてもいいくらいだ。ああ、うん、ない方がいいだろうな。野菜や肉を切る刃物があれば充分なんだ。オイラの村には剣なんて一本もないからな」
モンクルスがしっかりと頷いた。
「よかろう。貴君という人間がこれまでどう生きてきたか、そしてこれからどう生きるのか、その言葉で充分知ることができた。他者に己を知ってもらう、よい答えだったぞ」
ボボのやつ、上手いこと答えやがった。俺のためにグダグダになって失敗してくれれば良かったのに。ケンタスのことだから上手く答えるだろうし、これで俺まで気の利いたことを言わなくてはいけなくなってしまった。
「次にペガス、貴君にとって剣とは何かね?」
ボボに倣って俺も一歩前に出ることにした。
「剣とは、それは、自分にとって、そうですね、それは、とても怖いものです」
それが正直な気持ちだった。
「剣を見ただけで怖くなってしまうんです。弓矢なんかはそうそう当たりませんし、俺の身軽な身体なら、槍だって避けられると思うんです。でも武器の中でも剣で近接戦になっちまったら終わりです。非力な俺では勝ち目がありませんからね。だから剣術に励んだんです。ケンタスに付き合わされたというのもありますが、徴兵に取られると決まっていましたから、慣れるしかなかったんです。それでもやっぱり今も剣は見ただけで怖くなってしまいます」
老騎士が頷いた。
「よかろう。それも貴君という人間がよく表れておる」
そう言うと、老騎士は黙り込んでしまった。
何かまずいことでも言っただろうか?
モンクルスがしっかりと頷く。
「それが剣術の基本、すなわち剣士の心構えなのかもしれぬな。いや、初心とでも言うべきだろうか。恐怖、そうよな、畏れ、それこそが失ってはいけない心なのだ。しっかりと学ばせてもらったぞ」
剣聖が俺の言葉から何を学んだというのだ?
何かの間違いではなかろうか?
しかしモンクルスの眼差しは真剣そのものだった。
「最後にケンタス、貴君の答えを聞かせてもらおう」
ケンタスも一歩前に出る。
「はい。私にとって剣とは、身を守るための防具でしかありません。決して武器などではないのです。時に凶器にも成り得ますが、それは盾や鎧を鈍器として用いれば同じこと。帯剣するのは、あくまでこの身を守るためにすぎません」
剣聖がケンタスの目を見つめたまま動かない。
どれくらいの時が流れただろうか?
ケンタスの答えに対する反応がない。
「よかろう。ようやくワシも決心がついた。死の際まで迷うところであったが、若い者に託すのが最善なのだろう。ワシにとって貴君は流星のようなものだからな。すまんが、ボボとぺガスは外で待っていてくれんか。ワシはこの者と話があるでな」
ということで、俺とボボは追い出されてしまった。これはどういうことなのだろうか? 何の試験だったのか? まさか、いや、それしか考えられない。つまり、剣聖はケンタスを後継者と認めたわけだ。
それすなわち『黒金の剣』がケンタスに譲られるということを意味している。黒金の剣は伝説の武器で、ケンタスは俺の友達だ。こんな違和感のある結びつきが起こるとは予想だにしなかった。
ということは、ケンタスの『剣は防具にすぎない』という答えが正解だったということになる。そんな変な答えがあるだろうか? 剣はどこからどう見ても武器なのだ。誰がそんなバカな答えを口にできるというのだろう。
本当にケンタスの手に黒金の剣が渡るというのだろうか? それはそれで俺を憂鬱にさせる出来事だ。どう見てもモンクルスの人生は幸せそうには見えないからだ。しかも本人だけではなく、周りをも不幸にする。
どう考えても、黒金の剣は呪われている。
どうしてキルギアスの兄弟は、こうも面倒に巻き込まれてしまうのだろう? その最たる被害者がこの俺だと、あの兄弟は自覚できているのだろうか? 俺は別に悲劇の英雄を気取りたいわけではない。事実、そうなりそうだから怒っているのである。
「待たせたな。さぁ、村を出よう」
ケンタスは現れるなりそう言った。
俺たちへの説明がなかったので、こちらから訊ねることにした。
「おい、ケン、その手にしているのって、まさか『黒金の剣』じゃないだろうな?」
ケンタスの手には大男の足くらい大きくて太い剣が握られていた。布で巻かれているので黒金がどのような金属なのか分からないが、噂に聞く大剣だが、鋼よりも丈夫で軽いというのは当てはまりそうだ。
「ああ、黒金の剣を譲ってもらった」
月明かりのせいかケンタスの涼しい顔が青白く見えた。
「お前、それがどういうことか分かっているのか?」
「うん? どういうことだ?」
なぜ聞き返されないといけないのだろう。
「つまりだな、剣聖モンクルスはお前を後継者にしたということじゃないか」
「そんな話はなかった」
「話がなくても、宝刀を譲られたということは、つまりはそういうことだろう」
「それはオレが決めることではないさ」
そこで閃いた。
「このことを王宮に報告すれば、オーヒン国なんかで裁判など受けずに済むんじゃないか?」
ケンタスが即否定する。
「それとこれとは話は別だ。ペガも言ってただろう? 剣というのは本当に怖いものなんだ。それはオレだって同じなんだよ。なにしろ名の通った剣は所有しているだけで災いをもたらすこともあるからな。だから、できれば一度も使わずにいたいと考えている。といっても、願い通りにはいかないだろうけどな」
警戒していたはずなのに、危うく呪いの剣を利用するところだった。
「さあ、夜が明ける前に移動するぞ」
ということで、ベリウスの宿屋に戻って、挨拶もせずに村を出た。目的地は兄貴の牧場ではなく、その近くの森の中だ。子どもの頃にケンタスと一緒に秘密基地を作って遊んでいた場所でもある。
食事はベリウスが用意してくれたパンを秘密基地で食べた。何も言っていないのに、馬小屋に包みが置かれていたのだ。頼まれてもいないのに世話してくれることが嬉しかった。受けた恩だけは忘れないようにしよう。
「なあ、ケンよ。モンクルスに会ってどう思った? とっくの昔に死んでいると思っていたから驚くのは当然として、俺は言いにくいんだけど、期待外れだったんだよな。正直に言うと、ガッカリしちまったんだ」
どうしても比較してしまう。
「ジェンババは、戦う理由が民族の誇りや自分たちの生活や文化を守るためだっただろう? それに比べるとモンクルスは金だけで動いていたような気がしてな。俺はモンクルスよりジェンババの方が好きだったからいいけど、ケンはモンクルスを追い求めていた部分があるだろう? お前とも生き方が違うし、それでどう思ったか気になったんだ」
ケンタスの哀しげな目が、あの老兵の眼差しにそっくりだった。
「剣聖は何度も自分の言葉を否定していただろう? 注意しなくてはいけないのが、あれは訂正したからといって、訂正後の発言が真意とは限らないということなんだ。実際は最初について出た言葉が本心かもしれないからな。第一、会ったばかりのオレたちに本心を語れたかは、剣聖本人にしか分からないわけだから、訂正前と訂正後、そのどちらも本心ではないかもしれない、またはどちらも本心だったかもしれないと、あらゆる可能性を考慮して捉える必要もあるんだよ。人間というのは言葉と行動が伴ってこそ、告白内容が裏付けられるわけだから、言葉だけを鵜呑みにしてはいけないんだ。ジェンババが忠告していたように、どんな相手であっても話半分で聞くことが大事なんだ。それがたとえ剣聖であろうとも、告白をそのまま受け取ってはいけないんだ。それは剣聖を信用していないということではなく、相手を知った気になる自分を戒めるためさ。人間というのは醜聞ほど信じ込んでしまうものだからな。その怖さを二人の老兵は厭というほど知っているのさ」
ケンタスの独り言は続く。
「人はどれだけ他者を理解できるというのだろうな。土地や家がないだけではなく、両親の顔すら覚えていない人がこの世には存在しているんだ。そのような人たちのことをどれだけ理解できるか、いや、考えるだけでも難しいと思わないか? 結局は『どれだけ自分のことのように考えられるか』だと思うんだ。モンクルスが金を大事にしたことが本当だとして、それは他人が簡単に否定できることではないんだ。そして、その上で、オレはやっぱり剣聖の生き方に憧れてしまう部分があるんだな。モンクルスは国のために仕事をしたから剣聖と呼ばれたが、クーデターを起こして国を興せば独裁者にも成りえたし、失敗すれば逆賊と呼ばれていたかもしれない。でも老兵は最後まで国家に尽した。そんな男を民衆が剣聖と呼んでいる。そこにわずかながらの希望を感じるんだ。人の心には国を大切に思える気持ちがあるんだよ。カイドル帝国は滅亡したが、今は彼らも同じ国民として手を取り合う機会が訪れたわけだ。ならば新しい時代を歩むしかないんだ。だからこそ、生まれた時点で身分が決まってしまう階級社会なんか認めることはできないのさ。もう二度と王様や貴族のための戦争なんかさせてはならないからな。二人の英雄の戦いを無駄にしたくないんだ。確かに『国を大切に思う』というのは危険な一面も孕んでいる。三十年前に二人の英雄の名が利用されたのがいい例じゃないか。国家権力というものは、戦っているつもりにさせて戦わせることも可能にしてしまえるんだからな。そんな人心を踏みにじる行為を止めさせるためにも、オレたちの力で国を良くしようじゃないか。今は遠く遥か先に見えることでも、今日という一歩がなければ、いつまで経っても辿り着けないからな」
いいことは言っているが、肝心のお前は、オーヒン国での裁判が待っているということを忘れているようだ。つまり、もうすでに出世の道は絶たれているのである。極端な話だが、クーデターを起こす機会すら失ったのが現在の俺たちなのだ。
クーデターといえば、フェニックス家を対象とした暗殺計画は本当に行われるかどうかだ。もしも本当に実行されたら、島の歴史が変わる事変となる。統治者が刷新されて、法律まで変わってしまう可能性があるからだ。
フェニックス家の血脈を根絶やしにするということは、ひょっとしたら今度は政敵によってフェニックス家が諸悪の権化であったかのように風評が流布されるかもしれないということだ。そうなると各家庭に持ち込まれた書物も一斉に検閲対象になる。
俺たちが思う以上に恐ろしい未来が待っているのではなかろうか? 移民の斡旋が事実ならば、戦争の規模も大きくなりそうだ。彼らに土地を与えるために、古い土地の所有者を巻き込む戦争の筋書を考えていてもおかしくないのである。
「ペガ、交代だ。ゆっくり休め」
と、ケンタスに言われたので眠ることにした。辺りはすっかり明るくなっていたが、もう気にならなくなっていた。夜型の生活にも慣れ、昼間でも熟睡できるように順応してしまったわけだ。
「ペガ、起きろ。移動するぞ」
さっき眠ったと思ったら、もう日が沈んでいた。これから兄貴の牧場へ行ってカレンと再会を果たすつもりの予定だ。馬を厩舎に入れて焚き火を始めたが、兄貴へは顔を出していない。顔を出さなければ事情を察して、兄貴の方から会いにくることもないだろう。
「カレンに会ったら暗殺計画のことを伝えるのか?」
ケンタスが首を傾げる。
「いや、ずっと考えているが、具体的なことを話すのは止めようと思っている。ただ、身に危険が迫っていることだけは伝えたいんだ。伝えておけば警戒することはできるからな。でも、それで情報が漏れて、ゆくゆくは兄貴が疑われるんじゃないかと思ってな」
この期に及んでまだどうするか決めかねている様子だ。カレンと再会しようとしている時点で、兄貴よりもカレンの方を大切に思っているということなのだ。どうしてそれを当の本人が分からないのだろうか?
「ケンは本当に暗殺計画があると思うか? ドラコが集めた情報を疑うわけではないが、モンクルスやジェンババですら戦争に名前を利用されたんだ。ふと、ケンの兄貴も利用されているんじゃないかと考えちまうんだよな。だって王家の血を引くユリスも狙われているとしたら、俺たち新兵に伝令を預けて王都への到着を遅らせようとしたのも、不自然で作為的じゃないか。いや、それともアレかな? 到着が遅れたユリスにすべての罪を着せようとしている可能性もあるぞ?」
ケンタスが頷く。
「なるほど、兄貴が到着した頃にはすでに計画は終わっていて、ユリスが反乱を起こしたことにさせるわけか。ただし、そのことはペガだけではなく兄貴も考えついたはずだ。それでも兄貴はユリスの護衛を選択したわけだよな。となると、単純にユリスの護衛をする兄貴の到着を遅らせたかっただけのようにも思える。王宮に居られるだけでも厄介な存在だと認識されているだろうからな。真相は分からないが、兄貴が王宮で起こるであろう暗殺計画を阻止しようとしていないのは明らかだ」
やはりドラコには一度会っておくべきだ。
「カレンだ」
ケンタスの声が珍しく上ずった。
発見したのが目のいいボボではなかったというのも珍しかった。
ボボはなぜか地面に蹲っているのである。
それも珍しいことだ。
うん?
具合でも悪くなったのだろうか?
「どうしたボボ? 大丈夫か?」
俺が声を掛けても、頭を上げようとしなかった。
「うん? お前たちの方こそ大丈夫なのか?」
俺には言っている意味が理解できなかった。
「だから頭を下げなくていいのか? クミン・フェニックスが来るんだぞ?」




