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ロマン・ストーリー 剣に導かれし者たち  作者: 灰庭論
第一章 勇者の条件編
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第三十六話 廃墟の幽霊

 あの日の記憶はやはり幻なんかではなかった。ここカイドル州でも同様の事件が起こっており、それを州都長官のユリスまで把握していた。日が経つにつれ、夢でも見ていたのではないかと自分を疑っていたが、あれは紛れもない現実だったのだ。


「おや?」


 ユリスが俺たちの反応を見て驚いた。


「君たちは僕の話を聞いても笑わないんだね。いい大人が幽霊などと言葉にすれば呆れた顔をするかと思ったが、そんな表情に見えぬのはどうしてなんだい?」


 ケンタスが説明する。


「はい。実は私たちもここへ来る途中のガサ村で幻、いえ、その幽霊と遭遇したんです。それだけではなく、幽霊に殺された死体も見ています。仰られた通り、外傷はなく、その場でショック死したような感じでした」


 ユリスが目を見開く。


「今、遭遇したと言ったか?」

「はい。遭遇しました。私たち三人とも幽霊をはっきりと目にしました」

「それで生きて帰れたというのか?」

「はい。この通りです」


 そこでユリスは思考を巡らせる。


「君たち三人にお願いがある」


 嫌な予感がしたが、顔に出さないようにした。


「長旅を終えたばかりですまないが、一つ仕事を引き受けてくれないだろうか?」


 命令しないところがユリスの変わっているところだ。


「どういった仕事でしょうか?」


 とケンタスが内容を確かめた。


「かつて、これより南の丘にカイドル国の王城がそびえていたのだが、旧国の敗残兵の根城になることを危惧して、戦後まもなく取り壊された。その後、王城は廃墟と化したのだが、そこに、そう、二十日ほど前から異変が起きて、町で幽霊を見たという噂が立ったんだ」


 異変が起こった時期が合致する。


「それから失踪者が出て事件化したのが三日前のことで、そこでやっと幽霊騒動のことを知ることができた。すぐに三名の警備兵を調査へ行かせたのだが、翌日になっても戻ってこなかった。そこで今度は十人隊の熟練兵に調べさせたのだが、彼らも戻ってこなかったんだ」


 そこで窓外に目を向ける。


「ドラコにお願いしようにも、すでにオーヒンへ発った後だったし、相談することもできなかったんだ。それで昨日、牧夫が世話をしていた馬のことが心配になり、廃墟へ行ったところ、息のあった兵士を助けて、ここへ連れ帰り、廃墟で何が起こったのかを知ることができたというわけなんだ」


 経験していない者にとっては嘘みたいな話だ。


「生き残った兵士はとても信頼できる男でね。彼の話じゃなければ、私だって信じることはできなかった。きっと、義賊と持て囃されている連中にでも殺されたんじゃないかと考えていただろうさ」


 先ほどから嫌な予感しかなかった。


「そこで君たちにお願いしたいのは、廃墟へ行ってもう一度調査してもらいたいということなんだ。死者が出ているので危険なことは承知している。しかし幽霊騒動ではなく、賊の仕業ならば断じて放っておくわけにはいかないからね」


 勘弁してほしかった。


「もしも賊の仕業だとしても、その場で処刑してくれとは言わない。十人の熟練兵を殺しているからね。なによりそれは私の仕事だ。だから様子を探るだけでいい。問題は本当に幽霊の仕業だった場合さ。それにはどうしても君たちの力が必要なんだ。幽霊を見て無事でいられたのは、今のところ君たちだけだからね。どうだろう? 僕のお願いを聞いてくれるだろうか?」


「明日の朝になりますが、早速調べに行きたいと思います」


 ケンタスがあっさりと承諾してしまった。


「本当かい?」

「はい」


 その返事を聞いてユリスはケンタスを立ち上がらせて抱きしめるのだった。


「ああ、何て勇敢な男たちなのだろう」


 そう言うと、今度はボボも同じように抱きしめた。


「僕はもうこれ以上、人を死なせるのが嫌なんだ」


 最後に俺も抱きしめられた。


「必ず無事に帰ってくるんだよ」


 なんとも不思議な出陣式である。


「そうだ。お腹が空いているんだったね」


 ということで、食事を用意してもらう間に湯浴みをさせてもらい、新しい衣服に着替えさせてもらってから夕飯をいただいた。食事はユリスが口にするものだったようだが、食欲がないということで一切口にせず、それを温め直して提供されたものだった。



「ここはドラコが使っていた部屋だ」


 補佐官のフィルゴに案内されて、官邸の二階にある客室に通された。本来なら要人が泊まる部屋だが、わざわざカイドル州にまで来る要人はいないということで、ドラコを含む三人の兵士が泊まり込みで護衛するために使用していたようだ。


「殿下は大変心を痛めておられる。亡くなったのは、みな家族のように扱われておった者たちばかりだからな。その上ドラコの身内に不幸が起これば、ことさら嘆かれ、ご自分をお責めになることだろう」


 フィルゴはユリスのことが心配のようだ。


「よいか、決して無理はするでないぞ。そなたらはまだ新兵だ。ドラコの賢弟であっても、そのことは忘れることなきよう心掛けること。幽霊騒動とは別に、各地で不穏な動きがあるでな。慎重に事に当たるがよい。そなたらの無事を心から祈る」


 そう言うと、フィルゴは静かに去っていった。ユリスよりも年齢は少しだけ高いようだが、心からユリスを信奉しているようだった。側近の振る舞いを見ると、やはりユリスは俺たちとは住む世界が違う人間のように感じられた。


 その夜、ケンタスはドラコの使っていたであろう寝台で眠った。今頃どんな夢を見ているのだろうか? 願わくば、年老いた兄弟が笑って酒を酌み交わしているような夢であって欲しいと心から思う。



「ペガ、起きろ」


 ケンタスに起こされて眠い目を開けたが、辺りは真っ暗だった。


「まだ夜中じゃねぇかよ」

「そうだが、時間を無駄にはしたくないからな」


 コイツのせっかちなところは兄貴譲りのようだ。


「それと雨が降りそうだ」


 外に出ると、すでに小雨が漂っていた。本降りになるかは分からない微妙な雨量である。偵察するためなので、馬は置いて行くことにした。道は街道から真っ直ぐ行けるということで、暗くても迷うことはないと聞く。


 ふと、俺は何をしているんだろう、と疑問が頭に浮かんだ。ケンタスと知り合わなければ、今ごろ王都で道の補修か工場で仕事をしていたことだろう。それこそ新兵として他の者と同じような暮らしを送っていたに違いない。


「見えてきたな。森に入って一周してみよう」


 ケンタスがそう言うので、まずは城跡の周辺から探ることにした。

 夜が明けている頃だが、雨雲が覆っているので辺りは暗いままだ。

 ボボの目が頼りだった。

 雨は一定量を保ち降り続いていた。

 強くはなっているが、森の中なのでそれほど濡れない。

 雨音で集中力が散漫になる。


「もう少し近づいてみよう」


 城壁は見事なまでに崩れ落ちていた。

 その向こうに見えている瓦礫の山が城の残骸なのだろう。

 東側は全壊に近い状態だ。

 ボボが黙ったままだ。

 近くに人がいないということだ。

 捜索に当たった兵士の死体もなかった。


「人の気配が感じられないな」


 賊が根城にしていれば痕跡が残っているはずだ。

 生活痕を完全に消すのは難しいからだ。

 十人の熟練兵を殺せるだけの集団が存在しているとは思えなかった。

 ふと、ジェンババの言葉が頭をよぎる。

 部族の兵士がどこかに潜んでいるのではないか?

 いや、不意の侵入者に対して出来る行動ではない。


「城壁の近くまで行ってみよう」


 西側も城壁は崩れ落ちていた。

 しかし城の方は半壊に留まっている。

 壁が厚くて取り壊すのを途中で放棄したのだろう。

 そこに皇帝の居室があったに違いない。

 ジェンババもそこで料理人として働いていたわけだ。

 そしてモンクルスはこの城を攻略しようとしていたのだ。


「城跡に近づいても良さそうだな」


 そこはもう俺に判断できることではなかった。

 ケンタスに従うだけだ。

 ボボも反対しない。

 周辺に賊はいないようだ。

 それでも警戒を解くことはない。

 俺たちはそれよりも怖い幻を見ているからだ。


「死体だ」


 ボボが最初に発見した。

 進行中の白骨死体だ。

 ガサ村よりも白骨化が遅いように見えるのは、気温の違いか。

 それでも数日後には完全に骨だけになりそうだ。

 兵士の格好をしている。

 死んだ九人の兵士のうちの一人だろう。


「あっちにもある」


 ボボが二体目の死体を見つけた。

 雨が降っているので臭いは感じられなかった。

 それでもボボは顔を歪ませている。

 彼には強烈な臭気が届いてしまうのだろう。

 ケンタスは周囲を警戒したままだ。

 俺一人では務まらない仕事だと思った。


「一周してみよう」


 城跡の周りを歩くことにした。

 ここまで来ると、いつ敵に見つかってもおかしくない。

 すでに剣を振り下ろす準備はできている。


「二体だけか」


 城跡の周りには他に死体はなかった。

 残りの七体が不明だ。

 半壊した城の中ということだろうか?


「入ってみるしかないな」


 まだ賊が中で待ち伏せしている可能性もあるわけだ。

 その場合、とっくにこちらの存在は気づかれているはずだ。

 俺に戦えるだろうか?


「火は使えないな」


 それは大きな問題だ。

 半壊部分は天井も残っているだろう。

 この天気では外からの明かりも期待できない。


「足元に気をつけるんだぞ」


 思い出した。

 この城には地下牢もある。

 床が抜け落ちることもあるのだ。


「ペガ、足元だけではなく、背後も注意するんだ」


 いつ幻が現れても不思議ではない。

 俺たちは現実に見ているからだ。

 幽霊は突然、音もなく現れる。


「中へ入ろう」


 東側は全壊状態で瓦礫の山だ。

 反対の西側半分はそのままに近い状態で残っていた。

 それも中はかなり広そうだ。

 平屋の兵舎十棟分はあるのではないだろうか。

 廊下は薄暗く先が見えなかった。

 明り取りからの光でぼんやりと見えているだけだ。


「死体だ」


 見つけたのはケンタスだった。


「向こうにもある」


 外の死体よりは腐乱していなかった。


「あっちのは重なっているな」


 どういう死に方をしたというのだろう。


「ペガ、離れるな」


 死体に気を取られてしまった。

 ケンが遠くにいる。

 その先が見えづらくなっていた。

 振り返ると、入り口の明かりも遠くなっていた。

 もう、一人では引き返せないところまで来てしまったようだ。


 とても寒い。

 空気が変わったのは明り取りがなくなったからだろうか。

 俺には道の先が見えていなかった。

 足音のする方に進んでいるだけだ。

 二人と違って視力がそれほど良くないのだ。

 こんなところでは戦えない。

 置いて行かれそうな不安から涙が出そうになる。

 急いで追いつく。


 音が消えた。

 立ち止まる。

 雨音も聞こえてこなかった。

 突然、目の前が白くなった。

 目の周りが痛い。

 手で目元を覆う。

 指の隙間から光源を見た。

 そこは王の間だった。

 玉座がある。

 そして、皇帝が俺たちの前に立ち塞がっていた。


 次の瞬間、大剣が振り下ろされた。

 死とは、こういうことなのだろうか。

 いや、俺はまだ生きている。

 ケンタスが剣で受け止めたのだ。

 そのまま皇帝を押し返す。

 距離を取って、二人が対峙した。

 一瞬が永遠のように思われた。

 次も皇帝からの力任せの一振りだ。

 あのケンが終始受け身に徹している。

 振り下ろされた大剣から力を逃すことだけで精いっぱいなのだ。

 こんなに苦しそうな顔をしているケンは初めてだ。

 皇帝は疲れも知らずに繰り返し大剣を振り下ろす。


 皇帝?

 皇帝とは誰だ?

 ケンは見たこともない相手と戦っていた。

 よく見ると、皇帝の背中に短剣が突き刺さっていた。

 俺たちの物ではない。

 どうして死なずにいられるのだろう?

 あれは幻だ。

 俺たちがこの目で見ているのは幽霊なのだ。

 幽霊を相手にケンは物理攻撃を受けているのだった。

 相手の大振りを受け止めるだけで体力が消耗しているように見えた。


「二人とも逃げろ!」


 ケンが肩で息をしながら叫んだ。

 その間も、皇帝は大剣を振り下ろす。


「後ろを振り返らずに逃げるんだ!」


 戦う仲間を置いて逃げろというのか?

 ボボが俺の横をすり抜けていく。

 ケンは今にも倒れてしまいそうだった。


「ペガ、逃げてくれ!」


 従うしかなかった。

 暗闇の中を走る。

 決して振り返らずに。


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