第三十五話 州都カイドル
モンクルスが再び表舞台に出てきたのは『テノンの奇跡』から二十年後のことだった。それは暴君ジュリオス三世を倒すために引っ張り出されたわけだが、ジュリオス帝が領地奪還のために立ち上がったと知った今、それも見方を変える必要がありそうだ。
「教えていただきたいのですが」
ケンタスが訊ねる。
「その停戦合意から二十年後に、時の皇帝ジュリオス三世が奪われた土地を奪還しようと挙兵したと聞きます。それが私たちの歴史では残虐の限りを尽くした暴君として記録されることとなりました。その上、貴方もその暴君に作戦失敗の責任を取らされて処刑されたことになっているんです。実際に生き延びているので事実ではないことは疑いようがありませんが、終戦の年に何があったのでしょうか?」
ジェンババが答える。
「最初に断っておかねばならぬが、わしは皇孫と一面識もないのだ。わしが仕えていたのは祖父のジュリオス一世だからな。崩御された時にわしも軍部を離れてしまったから、皇太子とも疎遠となってしまったわけだ。その皇太子、つまりジュリオス二世が急死したのが二十二年前だから、終戦の二年前ということになるな。その後、皇孫が帝位を継いだが、亡国の年に、皇帝に即位したのは三代前の皇帝ハカン・アクアリオスの玄孫だった。つまり記録上、カイドル国の最後の皇帝となったのは皇孫のジュリオス三世ではなく、デモン・アクアリオスなのだ」
アクアリオスという名は子どもの頃に聞いたことがあるが、詳しくは思い出せなかった。
「わしはそのデモンという若造に担ぎ出されて再び作戦参謀になったのだが、いま思えば随分と軽率な判断をしたものだと未だに自戒しているところだ。なぜ引き受ける気になったのか、未だに思い出せぬが、しかし一万を超えるカグマン軍が迫っていたので受けざるを得なかったのだ。実際に偵察部隊を向かわせたところ、一万というのはデタラメではなかったからな。しかも海岸線ルートではなく、敢えて山岳ルートに全軍を向かわせていたのだ。ならばと思い、『勝機はある』と判断したわけだ。こちらも一万の兵と、山の中には十二部族、五千の弓兵も健在だった。腕のいい弓兵が揃っているので平地でも圧倒できると確信していた。しかし無駄に味方を死なせるわけにはいかないので、こちらに分のある山中での決戦を狙ったのだ」
当たり前だが、停戦合意後も自衛を怠ることはなかったようだ。
「手始めに山岳ルートの入り口にあるツノ村に五千の防衛ラインを張ったのだが、そこに集めたのは脚力に自信のある足軽兵だ。なぜなら、わざと苦戦を演じて、前線を後退させることで、山の中にゆっくり引きずり込むのが狙いだったからな。ところがデモンの奴めが、それを敗北と判断し、わしを更迭しおったのだ。しかもその更迭人事を兵士たちに周知させずに戦争を続けおった。その後、全員がわしからの命令だと判断してサイギョク方面まで進軍していったのだ。つまり、わしはまんまと名前を利用されたわけだな」
だからジェンババに恨みを抱いている人もいるわけだ。
「わしからの命令だと思って死んでいった兵士たちのことを思うと、今でも悔しさが込み上げてくる。十二部族の兵士らは国を守るために戦っていたはずが、なぜか双方納得して解決済みだった北東部の領土を奪還するために戦わされてしまったというわけだからな。最初からデモンの計画通りだったのだろう。しかし気がついた時には、もう既に手遅れだったのだ。だが、それを見抜く者がいた。それが皇孫だったというわけだ。前線に立ち、局地戦を次々と鎮圧していったのが、民衆には英雄に見えて、敵国には暴君のように映ったのだろう」
複雑な歴史だ。ジュリオス三世の味方を救う行動が、結果的にそのデモンという最後の皇帝を助ける働きとなったわけだ。ジュリオス帝にしてみれば、単純に味方の命を救うことしか頭になかったように思える。
「国民はジュリオス三世こそ、我々の主君だと思ったに違いない。しかし実際はデモンの意志によって動かされた駒の一つに過ぎなかったわけだ。立場的にも、伝統的にも、アクアリオス家が皇帝一族の直系だったからな。ジュリオス一世時代に北東部の土地を放棄して和睦の道を選択したわしらに不満を持つ勢力があり、二十年の準備期間を経て、政争ではなく、敵国をも巻き込む戦争の道を選んだわけだ。カエルの共食いから学ぶべきは、わしの方だったのかもしれぬな」
カイドル州の人間にジェンババ否定派と支持派が存在してしまうのは、明確な正解など存在しないからなのだろう。ジュリオス帝だって仲間を救うために戦っただけで、その皇帝を殺した老兵モンクルスも、結局のところは味方を救うために戦っただけだからだ。
こうして考えると、戦争の英雄たちが哀しい存在のように思えてくる。ジェンババを前にしても、もう『憧れ』などという気安い感情など持てなかった。彼らはあまりにも重たい命をたくさん背負いすぎているからだ。もう二度と、決して戦争などすべきではない。
「その後」
ジェンババが続ける。
「デモン・アクアリオスは名前を変え、オーヒン国の政治家になったらしいが、伝え聞いたのはつい最近のことだ。その仕事も息子に譲るつもりだったようだが、昨年その息子を亡くし、現在は老後を北東部の荘園でブドウ畑に囲まれながら過ごしているそうだ。その荘園は、奴がわしの名を使って兵士を騙し、地主を殺すように命じて奪った土地だ。奴が飲むブドウ酒には、わしらの仲間の血も染み込んでおる。世の中にはそれを平気な顔して、いや、笑いながら酔える人間がいるのだよ」
ふと、ドラコ・キルギアスのことが気になった。確かオーヒンで彼が制裁を加えたのがザザ家で、その後ろ盾となっていた政治家が存在していたと聞かされていたからだ。厄介なことに巻き込まれていなければいいのだが、心配でならなかった。
「もう一つよろしいでしょうか?」
ケンタスが訊ねる。
「カグマン国には残虐非道なジュリオス三世を黒金の剣でモンクルスが葬ったとする逸話が残っていますが、どこで戦ったのか明らかになっていません。ジュリオス三世の終焉の地がどこだったのか、ご存知ですか?」
ジェンババがかぶりを振る。
「いいや、それに関してはわしも三十年前から興味を持って調べさせておるが、未だ有力な情報を得られていないのだ。皇孫と剣聖が剣を交えたのも、都市部で流行している芝居のために作られた創作ではないかとも考えられる。なぜなら黒石で作られたという『黒金の剣』ですら、実際に見た者がいないという話だからな」
俺も芝居は好きだけど、嘘が多いというのも事実だ。それを踏まえて楽しむものなのだが、楽しみ方まで観客に浸透していないというのが現実だ。意図的に嘘を仕込んでいる、というところまで見抜いて、初めて理解したことになる、とケンタスが言っていた。
「皇孫の終焉の地に関しても諸説あるな。カグマン国の王都まで遠征してそこで敗れたとする説や、その手前のガサ村が決戦の場だったとする説や、商人に化けた老兵モンクルスが単身でオーヒンに乗り込み、そこで休息していた皇孫を暗殺したとする説まである。それらはすべて劇作家がこしらえた芝居だが、その他にも北東部の荘園地帯にはいくつもの終焉の地が残っているのだ。これほど各地に所縁の地を残していくということは、その裏にも何らかの理由が存在しているのだろう。また、地域によっては名前さえ知られていないというのも謎の一つだ。その頃、わしは王城の地下牢に幽閉されていて外界と遮断されていたので、部族の有志に救い出された頃には、もうすでに戦争は終わっておった。仮に終わっていなかったとしても、戦局を変えられたかどうかは難しいところだがな」
そこで外から足音が響いてきた。
「そろそろ時間だ」
村長のソレインが顔を覗かせた。
「悪いが夜が明ける前には遠くへ行ってもらいたいんだ」
俺たち三人は黙って従うことにした。
「村長」
ジェンババが声を掛ける。
「悪いが小便がしたいから、おんぶしてくれ」
ソレインがあからさまに嫌な顔を見せた。
「おいおい、足が悪くても一人で行けるんだから勝手に行ってくれよ」
と言いつつ、背負うために背を向けて屈んであげるのだった。
「善行を施す機会をくれてやったのだから感謝せい」
と言って、ソレインの背中に身を預けるのだった。
「足が悪いんですか?」
心配で思わず訊ねてしまった。
ソレインが代わりに答える。
「いやいや、爺さんのは生まれつきだ。戦争で名誉の傷を負ったわけじゃねぇから心配はいらねぇよ」
「この、バカ者が。病にまで上と下を決めつけおって」
「イテテテテッ」
どうやらジェンババに首を絞められたようだ。
岩窟から出ると、まだ辺りは真っ暗だった。
星もないので西も東も分からない状態だ。
「今度はゆっくり遊びに来るといい」
ジェンババからの別れの挨拶だった。
「毎日新しい料理を考案しているんだが、試食する面子が代わり映えしないのでちっとも面白くなくてな。それで味の分かる者に食べてもらいたいと思っていたところなんだ。よし、今度は王都生まれの若者の口に合いそうな物を考えるとしよう」
そこで再会を誓って別れた。歴史上の人物だとばかり思っていた人との邂逅に、未だ身体中が小刻みに痙攣している。まだ十五年しか生きていないが、今日という日が間違いなく生涯で最高の日だったといえるだろう。二番目は、再会を果たした時にすると決めた。
ジェンババの作戦によって敵味方を併せて多くの兵士の血が流れたのは確かだが、そんなことに関与した人物には見えなかった。とても優しい面持ちで、慈愛に満ちた眼差しをしていたからだ。誰がそんな彼を責めることができるだろう?
しかし、誰よりもジェンババを責めているのは彼自身なのかもしれない。まるで監獄生活を続けているかのような暮らし振りだ。死んでいった者たちのことを思い続け、決して贅沢な暮らしに浸ろうとしないところに、老師様の本当の人柄を見たような気がする。
「よし、おれの案内はここまでだ」
ソレインともお別れだ。
「ここまで来れば後は真っ直ぐ行くだけだからな。夕方までには州都に到着できるはずだ。いいか? 繰り返しになるが、勝手にこの辺をうろつくんじゃないぞ。あの爺さんも、もう利用されるのだけは勘弁してほしいと思っているからな」
彼にも誓いを立てて、カイドルの州都へ向かった。昼過ぎまでひたすら森の中を歩き、森を抜けてからは田園地帯を歩き続けた。途中で馬車道と合流してからは人の往来も目につくようになってきた。
「見えてきたな」
ボボの目に見えても、到着するまでには時間が掛かる。俺たち三人が都入りしたのはソレインの言葉通り夕暮れ間近の頃だった。都といっても港町なので、ハクタ州の州都に雰囲気が似ていた。しかし人口を比較すると規模から三割から四割程度だと思われた。
ジェンババが幽閉されていたという王城も確認できないので、予備知識がなければこの地にカイドル帝国の帝都があったとは思えなかったことだろう。どこかに発展を妨げている問題が多くありそうだ。
「書簡を預かっているから、まずは長官へ届けることが先決だ」
ケンタスの言葉に従って役所に向かった。街道に宿が並び、市場はすでに閉店の準備に追われていた。海岸の方に民家が目立つのは、漁業が生活の糧になっているからだろう。そこに四百年以上続いた城塞都市の面影はなかった。
「ここが州都官邸だ」
役所に行って州都長官への謁見を申し込み、しばらく待たされた後に、今すぐ会いたいという返事をいただき、警備兵の先導で官邸へと案内された。外壁の四隅に見張りを立たせており、ここだけ町の中で浮いている印象を与えていた。
敷地の中に警備兵の宿舎もあるようだ。外壁に沿って平屋が四棟ならんでいることから百名以上が常駐しているように思われる。出自が確かな新兵上がりの兵士がここへ派遣されているのだろう。将来俺たちもここへ派遣される可能性があるということだ。
高く跳んでも手が届かない内壁があり、その囲いの内側に州都官邸があった。二階建ての木造建築だけど、上等な土壁で厚みを持たせてあるので堅牢な印象を持った。舶来品の絨毯を敷き詰めていることから、財政には困っていないことは見て取れた。
「ここで待ってなさい。長官に報せてくる」
玄関口で待機させられた。すでに日が暮れていたので、本日の執務は終了しているのだろう。長官ともなると部下と会うだけでも着替えが必要になるので、待たされるのが常だと聞いたことがある。
「長官がお待ちだ」
いや、待っていたのは俺たちの方だ。と、まぁ、そんなことはどうでもいい。やっと任務から解放されるので、それが嬉しくてたまらなかった。腹が減っていることよりも、無事に重要な仕事を成功させた喜びの方が勝っていた。
「長官は中におられる」
客室の前へ案内された。来訪を告げて、長官の許可が出たのでケンタスを先頭にして部屋へ入った。すると二十代後半、いや二十代前半くらいの若い男が黒い犬を抱えて待ち構えていたのだった。てっきり年配の人だと思っていたので驚いてしまった。
「フィルゴ、少しだけチッチを預かってくれないか」
そう言うと、長官は俺たちを案内してきた男に犬を預けた。託された補佐官は黙って犬を受け取り部屋から出て行ってしまった。きっといつも犬の世話をさせられているのだろう、とても自然なやり取りだった。
「君がドラコの弟か。そっくりな顔をしているね」
州都長官が柔和な笑顔を見せる。
「僕のことは聞いているかい?」
貴族には見えない接し方だ。
「兄がこちらへ赴任してから一度も会っていないので何も聞かされていません」
ケンタスも長官の態度や接し方に戸惑っているようだ。
「すると一年以上も会っていないわけか。それは寂しいだろうね。僕には分かるよ」
と言って、ケンタスの肩に手を置いた。
「さぁ、掛けてくれ。楽にするがいい」
椅子を勧めてくれたので従うことにした。長官も椅子に腰掛けたので対面する形となった。改めて正面から見ると、女性と間違うほど美しい顔をしていた。声もきれいで、所作にも美が感じられた。俺と同じなのは茶色の髪くらいなものである。
「ユリス・デルフィアスだ。僕のことは『ユリス』と呼んでくれ。ドラコにもそう呼ばせているんだ。最初は嫌がっていたけど、命令したら呼んでくれるようになったんだ。でも、人前では呼んでくれないけどね」
変わった人だ。こんな貴族は見たことも聞いたこともない。言っちゃ悪いが、こういう変わり者だから『陸の島流し』と呼ばれるような場所に左遷されたのだろう。この人の性格では、本物の貴族との政争に勝てないからだ。
「それにしても驚いたな。弟が来るとは聞いていたけど、ドラコの話では最低でも五日、天候によっては十日も先になると言っていたからね。きっとドラコが考えている以上に君たちは優秀なんだ」
雰囲気がまったりとしているのは、ユリスの喋り方がおっとりしているからだろう。
「書簡をこちらへ」
許可が出たのでケンタスが書簡を手渡す。
ユリスが念入りに封蝋を検める。
それから封を解いて読み始めた。
それをじっと待たなくてはいけなかった。
ユリスがため息をつく。
それから立ち上がって窓辺に向かった。
外が暗いので、星空でも見ているのかもしれない。
その顔がとても悩まし気だ。
「あの御老人たちは、どうしてこんな意地の悪いことしかできないんだろうな」
そう呟くと、再び席に戻った。
「ケンタス、君たちが王都を出立した日はいつだい?」
「今日で十八日目になります」
そこでまたユリスが深いため息をつく。
「やっぱりそうなんだね。大事な投票があるというのに、その伝令をわざわざ新兵に託すなんて、わざととしか思えないじゃないか。これは本来なら速達で伝えなければいけない内容なんだ」
怒っているというよりも、悲しそうだ。
「でも、君たちが二十日も掛からずに到着するとは予想できなかっただろうね。うん、これならゆっくり旅の支度ができるよ。もし間に合わなかったら、この地にも居られなかったかもしれないんだ。ケンタス、ペガス、ボボ、君たちの働きを高く評価する。君たちに困るようなことがあれば、きっと力になるって約束しようじゃないか。だからどんなことでもいい、何かあったらいつでも僕のところに相談しにくるんだ。分かったね?」
やっぱり変わった人だ。
貴族社会の常識から逸脱している。
すると突然、ボボが口を開いた。
「じゃあ、早速お願いしたいことがある」
「なんだい?」
「オイラ腹が減ってるんだ。だからメシが食いてぇ」
恥ずかしい野郎だ。
言葉遣いも含めて、同じ仲間だとは思われたくないと思った。
しかしユリスは嬉しそうに笑うのだった。
「ハハッ、そうか、それはすまなかったね。早速用意させるとしよう」
無礼な口の利き方をしても腹を立てないのは、器が大きいからではなく、やはり変わっているからだろう。出世コースから外れてしまうと、貴族もこちらの気持ちが少しは理解できるようになるということか。
「それと、今日は二階にあるドラコたちが使っていた部屋で休むといい。しばらく戻らないようなので、好きなだけ泊まって行くといいよ。使ってくれた方が、僕も安心して眠ることができるしね」
ケンタスが訊ねる。
「質問させていただいても宜しいでしょうか?」
「構わないよ」
「兄はどこへ何しに行ったのでしょう? その、王都に呼び戻すつもりでいたもので」
きれいに剃られた顎に手を置くが、その長い指まで美しい。
「ドラコは最近オーヒン国の内情について調べているんだ。今回はどうしても現地へ行って調べたいことがあるといってね。それで許可を出したというわけさ。君たちがこんなに早く来ると分かっていたら引き止めていたんだけどね」
ケンタスが矢継ぎ早に訊ねる。
「兄はオーヒンの領事館で査問を受けるという噂を聞きましたが?」
「そんな話は聞いていないけど、どこからそんな話を?」
「はい。ガサ村の演習地で兄が指揮していた百人隊が失踪したので、その調査という名目で査問会議が開かれると聞きました」
「君たちが知っているなら、ドラコにも伝わっているはずだから、査問会議が開かれる事実はないはずだ」
情報の伝達手段が脆弱なため錯綜するのはよくあることだ。それでもカイドルの州都にいるドラコが俺たちの任務を知っていたので、彼自身はかなり早い伝達手段を有していることが分かる。
「百人隊の失踪は確かなのかな?」
「はい。演習地で騒ぎになっていたので、それは間違いないかと思われます」
ユリスが考え込む。
「しかし妙なことばかり起こるものだ。笑わないで聞いてほしいんだが、最近こちらの方でも兵士が失踪してね。幽霊に殺されたっていう噂まで出る始末なんだ。実際に幽霊の仕業としか思えない死体も発見されて困っているところなんだ」




