第三話 馬小屋の誓い
夕飯は煮豆と野菜くずの汁ものと固焼きのパンだ。それを五百人分作るのも新兵の仕事である。そんな自炊生活がこれから半年は続くと聞かされていた。そこから様々な仕事に割り振られて、グループごとに異なる職場へと派遣されるわけだ。
そこでも新兵であることに変わりはないので半年後、つまりは今から一年後に新兵が入ってくるまでは下働きが続いていくのである。そこは全員が同じ経験をするので文句を言っても仕方ない部分ではあった。
問題は、ケンタスが教官の息子に逆らったボボを仲間に引き入れるという厄介を背負い込んでしまったことだ。百人で食事の支度をしていたが、俺たち三人に話し掛ける者は一人もいなかった。
ケンタス・キルギアスという男は昔からそういうところがあった。町人の子どもの喧嘩に出くわしても、相手がどこの息子かということより、小さな子や、一方的に暴力を受けている側に味方するのだ。
「二人とも、ごめんな」
と、これまで無言だったケンタスが炊事場で食器を水で流しながら謝ってきた。食事は広場の片隅で摂り、食器の後片付けは川の近くの炊事場で行う。王宮内部の説明は後でゆっくりしよう。特に目を惹くものはないが、今日はとにかく変な疲れがあるからだ。
「何を謝る必要がある。あんな奴の言うことなんか聞いてたまるか」
「ぺガスよ、無理をしなくていいぞ。オレがまた余計なことをしたと思ってるんだろう?」
お見通しというわけだ。
「ハハッ、だったら謝る必要はないって分かるだろう? 確かにケンは余計なことをしたと思うよ。でも、あんなことが起きたら黙っていないということも予め分かっていたんだ。それでも一緒にいるのは俺の勝手なんだから、謝る必要はないさ」
いつものことなので慣れっこだ。
ケンタスがすまなそうにする。
「ペガはそれでいいかもしれないが、ボボには悪いことをしたな」
「謝ることはない。オイラは感謝したいくらいなんだ」
ボボの声を聞いたのもカニスとの言い争い以来だ。
「おっ母から都の人間は酷いと聞いていた。実際に今日、初めて都に来たが、やっぱりおっ母の言った通り、都の人間は酷かった。でも、ケンは違う。都の人間でもケンとベガなら、おっ母に会わせてもいいと思った」
同い年でケンタスよりも背が高い男は珍しかった。
「家族に会わせてくれるなんて何よりの褒め言葉だ。ちょっと気が楽になったよ」
見上げるケンタスの顔が晴れやかだ。
「ベガじゃなくてペガな」
俺にとっては大事なことなので注意しておいた。
「それと俺たちは正確に言うと都の人間ではないぞ。これは説明が難しいところだが、王宮の中の者たちは都の人間で間違いない。町で商いをしている者も、壁の内側にいるから都の人間に含まれるな。でも、俺たちはその周りで農業を営んでいるだけなんだ。農業っていうのはどこでやろうと変わらないものだからな」
もう一つ大事なことを言っておく。
「それとだな、ボボよ、お前は何も俺たちと無理にグループにならなくてもいいんだぞ。お前には自分で決める権利があるんだ。俺たちに拒む理由はないが、お前の方から断るようなら、こちらも無理に引き止めるつもりはないんだ」
ボボが即答する。
「何も問題ない」
厄介払いしようと思ったが、どうやら気に入られたようだ。
それから宿舎で就寝となったが、そこの説明も後回しにしよう。とにかく今日は疲れ切ってしまった。おそらく一度にたくさんの人の顔を見過ぎたせいだろう。注意力も働かないし、さっさと眠ってしまいたいのだ。
「ぺガス、いつまで寝てるんだ?」
さっき目を閉じたと思ったら、もう朝になっていた。
「さぁ、早速メシの準備に取り掛かろう」
ケンタスが張り切っている。
「ボボがパンを焼いてくれるらしいぞ」
そう言うと、ケンタスは兵舎を出て行ってしまった。周りを見ると、起きているのは俺たち三人のグループだけだった。だったらもう少し寝かせてほしいと思ったが、勝手に目が覚めるのも農家の息子ならではの習性だ。
兵舎は大部屋しかない木造の建物で、それが王宮内に二十棟もある。そこに五百人が分散して寝泊まりするのだ。ぎゅうぎゅう詰めとまでは言わないが、快適からは程遠いことは確かである。それでも半年の辛抱なので我慢するしかなかった。
戦争中はテントで、場合によっては数か月も生活しなければいけないのだ。それに慣れる必要もあるということで、戦時中に近い状態で生活することを強制されているというわけだ。ここにいる新兵は戦争を知らないので、共同生活に慣れない子の方が多い感じだ。
ついでに諸々のことを説明しておこう。衣類はすべて支給品だ。私服は没収されて理由がなければ返却されない。しかし支給品は作業に適した厚手の綿生地を贅沢に仕立てられた物なので不満はなかった。
ちなみに衣服を作っているのは俺たちと同じように徴工された女たちである。王宮内で顔を合わせることはないが、町の工場で仕事を強制されているのは変わらない。老若男女問わず、もしも戦争になったら全員が徴兵させられるのだ。
王宮内部についても説明しておこう。子どもの頃に探検をした時には分からなかったが、どうやら王宮というのは二重構造になっているようだ。町人が暮らす市街地を含めると三重構造ということになる。
堅牢かつ高く積まれた石壁の向こうに本当の王家が暮らしている王宮があり、その周りを取り囲んでいるのが、俺たちが今いる場所なのだ。そして更にその壁の向こうに市街地があるといった感じだ。
今まで王宮だと思っていた場所は、本当の王宮を取り囲む基地のような場所にすぎなかったのである。これでは王宮の方がまるで牢獄のようにも感じるが、王家の血を守り抜くにはこれくらい隔離しないといけなかったのだろう。
カレンが王宮の中から忍んで抜け出すことができるのは、どういう方法だろうか? 基地内に戻るにも梯子が必要なのに、さらにその中にある王宮に戻るには普通の梯子では壁を乗り越えていくことはできないはずだ。これは今度会った時に聞くことにしよう。
王宮内の様子は基地内から覗くことすらできなかった。『王都の騎士』と呼ばれる精鋭部隊がどのくらい配置されているのかも知ることができなかった。そもそも、現国王のコルバ・フェニックスの顔すら知らないというのが現実だった。
高い壁の手前には堀があり、門扉は常に固く閉ざされている。門扉の前が広場になっているが、最初に練習させられたのは、国王陛下が王宮から出てきた場合の整列方法や作法だった。それを毎日練習させられるという話だ。
心ではくだらないと思っているが、我が国の法律には不敬罪というものがあり、国王陛下に非礼があっただけで罪人となってしまう。それが何の罪になるというのか、俺にはさっぱり理解できないが、国力を保つためには仕方がないらしく納得するしかなかった。
密告する奴もいるので、公の場で国王の名前を出すのも御法度だ。現国王が気にしなくても、国王の分身とも呼ばれている役人たちが黙っていないのである。おしゃべりな俺でも言論の自由がない以上、そこだけは気を付けている部分だった。
基地内の兵舎は木造だが、王宮内はすべて石造りだ。硬い巨石が使われているが、作られた年代や積み上げ方などの詳細は既に失われてしまったそうだ。これは戦争の度に古い文献が焼かれてしまったためだろう。
「おい、割らないように運ぶんだぞ」
というわけで、俺は貴重な石材を町に運んでいる最中だ。上質な石は貨幣と交換できるほどの価値があるので、運ぶのにも慎重になる。レンガの技術もあるので困ることはないが、用途が異なるので天然石は貴重なのだ。
他にも説明したいことは山ほどあるが、今日はこの辺にしておこう。これから半年先まで街の補修工事を強制労働させられるのだ。衣食住が保証されているとはいえ、世継ぎである長男長女ならば、まだ遊ぶ時間が残されている年齢である。
とにかく疲れた。どうやら俺たち三人は他と比べてキツイ作業に回されたようである。他のグループは研修を受けているだけなのに、なぜか俺たちだけは二日目から力作業をさせられているのだ。
「楽な仕事など、この世に一つとあるものか」
ケンタスは俺の愚痴に付き合ってくれなかった。それどころか、「身体を鍛えられる仕事で良かった」とさえ言う始末だ。俺も体格に恵まれたら苦にしないだろうが、小柄なのでハンデを抱えているようなものなのに、それが二人には理解できないのである。
整列の練習と肉体労働で頭が働かないまま一日を終えた。三日目からは炊事当番からも外されてしまった。とにかく石を運び続けろ、というのが上官からの命令だった。上官というのは、もちろんカニスの親父のことだ。
「あの親子、絶対に俺たちのことを裏で目の敵にしてんだろうな」
口から出る言葉は愚痴しかなかった。それを言えるのはケンタスとボボの他に人がいない時だけだ。俺たち三人は休日を馬小屋で過ごしていた。王宮から出る時には届け出が必要だが、実家の手伝いをすると言えば、すんなりと受理されるのである。
「体力がありそうなグループに肉体労働を割り振ってるというのはあるだろう」
兵舎では喋らないようにしているが、外に出ればケンタスも以前の姿に戻った。
「そうなのか? ローテーションすら考えていないように見えるが」
「でも、そのおかげでみんなより休日が多くもらえるだろう?」
それはケンタスの言う通りだった。石材運びのグループだけ三勤一休の割合で休みが与えられているのだった。その他にも国民の祝日や働いてはいけない休息日もあるので、他のグループよりも休みが増えるのは確かだった。
しかし、それは当たり前の話だ。そんなことで感謝してはいけない。第一に、俺たちは十五歳になったばかりだし、貴重な労働力でもあるからだ。働いてやっているのだから、休むのは当然の権利なのである。
「休みはありがたいけど、半年後には危険な作業場に回されそうでな」
ケンタスが渋面を浮かべる。
「ペガの言いたいことはオレにも分かるよ。でも、相手の立場で考えてみるというのも重要じゃないか? 自分以外の人の思考回路を掴むためには、とことんまで想像を働かせないといけないんだ。己がカレオ・ラペルタ教官に代わって、彼の仕事を任されることを考えてみるといい。そうすると、やっぱりオレやボボがいるグループに石材運びの仕事を任せたいと考えるんじゃないか? 力を必要としない仕事も大事だけど、石材の取り扱いはミスが大怪我に繋がる管理能力を問われる仕事なんだ。誰かにやらせなければならないのなら、やっぱり体力自慢のグループにやらせるだろう?」
俺はすかさず反論する。
「ケンの想像力は確かかもしれない。俺も教官の立場になったら頼りがいのあるグループに石材運びを任せるだろうな。しかしだ、だったら大男を両脇に抱えて闊歩している自分の息子にも肉体労働をさせるべきじゃないのか? カニスは小柄な俺と変わらない体格だ。グループの特徴は俺たちと似たようなもんだろう? 結局は自分の息子を危険な作業に就かせないように贔屓しているだけだろう。俺はそういう、あからさまに贔屓する野郎がこの世で一番嫌いなんだ」
ケンタスが頷く。
「それはペガの言う通りかもしれないな」
同意してくれたが、それだけでは物足りない。
「いやいや、『かもしれない』じゃなくて、その通りなんだよ。実際に炊事の仕事を奪っていきやがったじゃないか。最初は人にやらせといて、炊事場で命令するのが一番楽だと知って、居座っちまったんだ。結局は自分で作ったルールまで自分で壊しちまうんだもんな。あんな奴が家柄だけで出世するのに、よく穏やかでいられるな?」
ケンタスが尋ねる。
「ボボは、どう思う?」
無口なので忘れていたが、二人きりだった以前と違って現在はボボがいるのだ。
「うん。オイラの村でもこういうことはある。これはどこの村でもあることなんだ。でも、はっきりしているのは、ラペルタ教官は村長にしてはいけないということだ。あの男は村長に相応しくない。オイラの村の村長は、村にいるすべての子どもを我が子のように思うことができる男だ。しかし、カレオ・ラペルタは違う。村長になるどころか、反対に『我が子を甘やかすな』と村民に叱られるような、とても未熟な男だ」
これがカニスから差別を受けた男の言葉だ。差別というのはこういった村人たちの口を封じてしまいたいと思ってしまう衝動から生まれてしまう感情なのかもしれない。同じ人間としての目線で語られることに耐えきれないのだろう。
ケンタスが苦悩する。
「これはでも、考えてしまうな。ボボの言葉は、誰もが陥ってしまうことかもしれないぞ? 今は『あの親子のようにはならない』と思っていても、自分に子どもができたら、その時にどう感情が動くか分からないもんな。五百人もいたら、我が子には『安全な場所に留まるように』と思ってしまうかもしれない」
ボボが頷く。
「うん。ケンタスは正直な男だ」
俺が慌てて反論する。
「ちょっと待て。『批判は簡単でも実行するのは難しい』と言いたいんだろうけどな、あの教官は現実として重要なポストに就いているんだぞ? そんな奴を擁護してどうするんだよ? もしも戦争になったら、あんな贔屓野郎の命令で戦地へ飛ばされるんだ。お前たちは事の重要性が分かってないよ。新兵になったということは、あの野郎に命を預けているということなんだ。これは冗談なんかじゃないんだ。二人とも人が良すぎるところがあるんじゃないか? あいつは領内で反乱が起こったら、俺たちに戦わせておいて、沈静化してから息子を派兵して手柄を取らせるような男なんだ。そんな野郎の命令で戦なんてできるか!」
ボボが頷く。
「うん。ペガスも正直な男だ」
その言葉にケンタスが笑った。
それがまた俺を苛立たせる。
「だから笑い事じゃないんだよ。仮にそんな奴らを片っ端から暗殺したって、そいつらの政敵が喜ぶだけで、代わりの上官も似たようなもんなんだ。俺たちはただ罪人として処刑されるだけで、国が良くなることはない。つまり粛清に、いや、立場的にはクーデターになるが、その行為に意味がなく、奴らの老衰を待っても腐敗が進むだけで、軍閥は腐り続けるんだ。怖いのはさ、現在、俺たちが生きている時代は『本当に平和なのか?』ってことなんだ。突然戦争が始まっちまうことだって考えられるんだぞ? 俺はそれが怖くて仕方ないんだよ」
ケンタスが熟考する。
「ペガの言う通りだな。歴史を振り返ると、人類は戦争ばかりしているように見える。二千年後の人類には、戦後生まれのオレたちですら戦争をしていたと思われるかもしれないんだ。戦争のない、この三十年をちゃんと評価してくれる人はいるのだろうか? この瞬間、もしも戦争が始まったら、やっぱりこの時代は戦争ばかりしていた野蛮な時代だと思われるだろう。二千年後の子孫たちにとっては、オレたちが生きた三十年の平和なんて小さすぎて価値が分からないと思うんだ。それがどれだけ大変な思いをして手に入れた平和か、また、その平和を築くために、どれだけのご先祖様が痛みの中で血を流して死んでいったか、全部、全部忘れ去られて、何も感じてくれなくなるんだ。この時代に生きている軍閥の親子ですら、もう既に国民が流した血の色や涙の味を忘れているくらいだ。そんなんで、どうして二千年後の子孫たちに思いを残せるというのか? 忘れ去られて当然さ、オレたち現代人ですら、たった三十年で忘れるんだからな」
戦争の話を好んでするのは俺たちくらいだ。
ケンタスが続ける。
「戦争は怖いよ。オレもペガと同じ気持ちだ。怖がって何が悪い。恐れを抱くのがそんなにいけないことなのか? 戦争をしたくないと強く願うことは恥ずかしいことなのだろうか? そんなの間違ってるだろう? 世の中にはたくさんの人や国がある。だからオレ一人が何を思おうと世界を変えることはできないかもしれない。でも、オレたちの国で戦争をしたがる奴らがいるのなら、オレはそいつらの敵になってもいい。ここで誓うよ、オレが生きている間はどんなことがあっても戦争はさせない。英雄として名前など残らなくてもいい。ただ、平和というのは幾らでも維持できるもんなんだって、後世の人類に示しをつけたいんだ。戦争というのは相手があるもので、自分たちだけでどうなるものではないと、大人は冷笑を浮かべるかもしれない。決まって『現実を見ろ』とか、『現実は甘くない』って言うんだ。でも、オレはそんな大人たちに、夢を現実にして突き返してやりたいんだよ」
ボボが頷く。
「ケンタスこそ村長になるべきだ」
「なれって言われても、ここら辺に村はないからな」
とケンタスが真面目に返答した。
ボボは分かっていないので、俺が補足説明する。
「王都の周りには大地主とその地主を抱える領主しかいないんだよ。だからケンが手柄を立てたとしても、土地の治安を守るように命じられるだけだから、どんなに頑張っても軍の部隊長か警備局の主任くらいにしかなれないんだ」
ボボが真顔で提案する。
「だったらケンが新しい国王になればいい」
この常識知らずに注意するのが俺の役目のようだ。
「簡単に言うなよ。カイドル帝国が健在ならば可能性はあったけどな」
そこでケンタスが胸の内を語る。
「オレたちは三十年間の平和を築いたコルバ・フェニックス国王陛下に誓いを立てたばかりだから、現王政のために命を賭す覚悟はできている。だから世の中を今より良くしたいと思っても、国王になりたいという願望すら抱いてはいけないんだ。しかし、何が起こるか分からないのは歴史が証明している。もしも次の国王がその平和を壊すようならば、どんな罰を受けようとも抵抗しなければならない」
それが王政の本質だ。強大な権力があるように見えても、盤石だったという記録はどこにもない。悪政ならば隣国に利敵行為をする者が増え、善政であっても豪族や豪商を太らせるだけになり、それがやがて政敵となる場合があるわけだ。
ケンタスの言葉に熱が帯びる。
「平和な世の中が続いてほしいものだが、誰もが己が正しいと信じる世の中だ。正義と正義がぶつかり合うこともあるだろう。オレたちが必ずしも正しいなんて認めてくれやしないんだ。それでも平和への願いだけは絶対に忘れてはならない。それを脅かす者がいるならば、恐れずに立ち向かおうじゃないか。権力にひれ伏すことなく、不正を正し、決して屈しないということを、ここに誓い合おう」
そう言って、手を差し出した。
俺としても異論はなかった。
ボボも同じだ。
三人で手を重ね合った。
「友に誓って」
この日の出来事を、俺たちは『馬小屋の誓い』と呼ぶことにした。