第二十六話 酔っ払いの戯言
大聖堂を訪れた感想をまとめると、ブルドン王は凄い、の一言に尽きる。まさに人間離れした天才といえるだろう。木造建築や造船の知識を併せ持ち、一代で僅か三十年の間に島一番の大都市を造り上げたということになる。
自国の領土を戦場にしないために、対立する二つの国に経済支援を誓うところも豪胆といえる。戦争が終わって三十年経過した今、経済面で優位に立っているのは板挟みになっていたオーヒン国というのも皮肉な話だ。
ただし領土自体は全島の十分の一にも満たないそうなので、流石にこれ以上の発展は望めないだろう。だからフェニックス家も外側に注意を向ける必要がないので、のんびりと身内で政権争いをしていられるというわけだ。
六十六歳で存命中ということは、確実にこの町のどこかにいるわけだ。そう考えただけで胸がときめいた。ひょっとしたら建造中の大聖堂の中にいるかもしれない。
歴史の生き証人というのは、いつだって胸をドキドキさせる。同時代を生きたモンクルスやジェンババと会っていた可能性もあるわけだ。
「そんなところ覗いてどうするんだ?」
大聖堂の中を覗こうと思ったら背後から声を掛けられた。
「お堅い連中しかいないぜ?」
誰だか分からないが、かなり酔っ払っているようだ。
「行くならカーネーション広場にしろよ。いい女がワンサカいるからな」
昼間から酒を飲めるなんて、どんな身分の男なのだろう。
「へへっ、今日はモンモンちゃんと遊んできたんだ」
金持ちの商家の放蕩息子といった印象だ。
「モンモンちゃん、知ってるか?」
知るわけがない。
「モンモンちゃんはいいぞ。お前みたいな醜男だって、ちゃんと一人前の男にしてくれるからよ」
相手は少し年上だが、失礼な野郎であることに変わりはなかった。
「いや、それよりブルドン王に興味があるので」
俺の言葉に、酔っ払いは大笑いして床に寝転んでしまった。
「おいおい、女よりジジイの方が好みって、変態じゃねぇか」
そう言って、笑いながら悶えるのだった。
「お前、最高だよ」
立ち入り禁止区域なので通りからこちらが見えていないのだけが救いだ。
「あんなジジイに可愛がってもらいたい男がまだいるんだな」
ブルドン王は民衆から支持されていないのだろうか?
「お前、余所者だろう?」
「王国の兵士です」
その言葉に、またしても笑い転げてしまった。
「『王国の兵士』って、また古臭いことを言う野郎だな」
それはこの酔っ払いの主観なのか、それともこの土地の人間の感覚なのか、それがさっぱり分からなかった。徴兵のないこの土地の人間にしてみたら、やはり俺たちの国の制度は古臭く感じるものなのかもしれない。
「お前も飲むか? 気持ち良くなれるぞ」
と酔っ払いが水筒を差し出したが、おそらく中身はお酒だ。
「いや、俺はまだ大人になるまで二年も待たないといけませんから」
その言葉に、またしても大笑いした。
「おいおい、大人かどうかはお前自身が決めろよ」
好き勝手言いやがる野郎だ。
「まぁ、いいや。ますます気に入ったよ。とりあえず飲め!」
「いや、俺は仕事中ですから」
「なんだ? 覗きが仕事か?」
「いや、それは違います。単純に歴史が好きで、だからブルドン王に興味を持ったんです」
酔っ払いが水筒の酒を呷る。
「へぇ、だったら聖堂には行ったんだな?」
「はい」
「あれな、全部嘘っぱちだよ。あのジジイがやったことは、ここにあった村を乗っ取っただけだからな。そのことを知っている奴をみんなぶっ殺したんだよ。しかも、ジジイがやったように見せ掛けたのは、その息子っていうオチまであるんだぜ?」
正史を否定したがる者は、いつの時代にも存在するものだ。
「ブルドン王に祭り上げられたジジイは、今も牢に閉じ込められてるって話だ」
ここまで来ると酔っ払いの戯言に聞こえてしまう。
「まぁ、でも、歴史に名を残すのはジジイの方だから、息子に感謝しなくちゃいけないんだけどな」
目が据わっているので怖かった。
「どうだ? つまらん話だろう。こんなんじゃ酔いが醒めちまうよ」
そう言って、水筒の酒を飲んだ。
「ほれ、お前も飲んでみろ」
「いや、禁止されているので飲めませんよ」
「ここは十五で飲めるんだ」
王都が十七で成人を迎えることを知っているようだ。
「でも任務がありますし」
「頭の固い奴だな」
「仲間を裏切れないだけですよ」
そう言うと、また笑われてしまった。
「いや、すまん。これは違う。嬉しくなっちまったんだ。今どき珍しい男じゃねぇか。すっかり気に入っちまった。この町には相手を出し抜くことしか考えない奴らしかいないからな。『仲間』って言葉すら小ばかにして笑うんだ」
いや、お前も笑ったじゃねぇか。
「腐り切った連中で溢れ返っているからな。実際、国のために身体を張れる奴がどれだけいるかって話だ。何かあったら財産を持って逃げ出す連中だぜ? 見せ掛けの張りぼてもいいとこじゃねぇか」
酔っ払いの戯言なので、どこまで本当のことか分からないが、どこも悩みは深そうだ。
「考えてみりゃ、『仲間』って言葉を恥ずかし気もなく使った奴と出会ったのは、生まれて初めてかもしれないな。いや、モンモンちゃんも『仕事仲間がどうこう』って言ってたっけ? ハハッ、憶えてねぇや」
この人は、やっぱりダメだ。
「まぁ、いいや。とにかく俺様はお前のことが気に入ったんだ。今日から俺様の仲間にしてやるよ。仕事中だろうが、他に仲間がいようが関係ねぇ。とにかく俺様の酒を飲むんだな。さもなきゃ、この場から帰すわけにはいかねぇ」
面倒くさい酔っ払い相手には、適当に付き合ってやるのが無難だ。
「分かりました。だったら一口だけですよ。俺もまだ仕事がありますから」
「おう、飲め飲め」
ということで一口だけ啜って逃げるようにその場を離れた。あの酔っ払いは、親戚のおじさんが長兄や次兄に酒を勧めている姿にそっくりだった。要するに苦手な人にとっては鬱陶しい存在ということだ。
「やっと帰ってきたか」
たった一口しか飲んでいないのに、具合が悪くなったので、道端で休んでから帰ってきたのだ。宿泊する小屋にはすでに三人の仲間の姿があり、テーブルを囲んで俺のことを待っていたようだ。
「さぁ、ペガも帰って来たことだし、みんなで食べようか」
テーブルの上に四人分の卵ケーキが並んでいた。
「それはなんだ?」
「卵ケーキだ」
とケンタスが答えた。
「いや、そんなことは見れば分かる。どうしてそんなものがあるんだ?」
「これはアキラが並んで買って来てくれたんだ。行列ができる有名店のケーキらしい」
アキラの顔が得意げだった。
「俺はそんなもの頼んだ覚えがないぞ?」
「だからオレたちに食べさせたくて買って来てくれたんだろう」
「なんでそんなことするんだよ? ただの無駄遣いじゃねぇか」
俺の言葉に、アキラが俯いてしまった。
「ケーキぐらいいいじゃないか」
と、すかさずケンタスが余計なフォローをするのだった。
「ケーキぐらいってな、こっちは節約して支給品の干し魚で昼飯を済ませたんだよ。それなのに勝手にケーキを買われたんじゃ、俺が節約した意味がなくなるだろう?」
アキラが泣きそうな顔になる。
「……喜んでくれると思ったのに」
「そういうのは自分で金を稼いでからやれ」
アキラの目から涙が零れたが、これは誰かが言わなければいけないことなのだ。金を持ったことがない人間が金を持つとすぐに無駄遣いしてしまうからだ。卵菓子なんて家でも作れるのだから、わざわざ買う必要なんてないのだ。
「ペガ、今のは言い過ぎじゃないのか? ケーキぐらいどうってことないじゃないか」
そもそもコイツが一番悪いのかもしれない。ケンタスが金の使い方をちゃんと教えておけば、こんな無駄遣いもしなかったはずだ。
「すまない」
と突然、ボボが手を挙げた。
「オイラ、有り金を全部使っちまった。だからアキラを責めるなら、オイラのことも一緒に責めてくれ。いや、手土産がないのでオイラの方が悪いかもしれない。でも、無駄ではなかったんだ。それだけは信じてほしい」
揃いも揃ってアホばっかりだ。
「それで何に使ったんだ?」
「カーネーション広場で声を掛けられて、そのままついて行っちまった」
酔っ払い男の話から察するに、カーネーション広場とは娼婦がいる場所に違いない。おそらく娼館が立ち並ぶ風俗街のことなのだろう。ボボはそこで声を掛けられたまま金を使わされたということだ。おまけに無駄ではなかったときたもんだ。
「お前な、王宮から支給された金なんだぞ?」
「後悔はしていない」
必死に言い聞かせているみたいだ。
「もういいじゃないか、金の話はやめよう」
ケンタスが話を打ち切ってしまった。アキラの前で娼婦の話はしたくなかったのかもしれない。
「せっかく街で評判の卵ケーキが目の前にあるんだ。どんなものかいただいてみようじゃないか」
ということで、みんなで食べたのだが、そのコクのある味わいに顎の根が痛くなってしまった。生地の中に砕いた木の実が練り込まれており、食感を楽しいものにさせている。まぶした粉砂糖など仕事も丁寧だ。はっきり言って家庭で再現するのは不可能である。
これを作ったのがオーヒン人だから俺たちも食べることができたのだ。もしも王都なら宮廷料理人として雇われて、貴族の口にしか入らなかっただろう。いや、評判が王都まで伝われば、今すぐにでも王宮に引き抜かれるはずだ。
アキラのことを叱った手前、恥ずかしくて素直に褒めることができないが、こういう巷の流行から暮らしのレベルを知るというのは重要なことだ。同じ島に住んではいるが、庶民の生活水準に格差があることが感じられた。
「オイラが食べてきた物の中で一番うまいかもしれないな」
舌の経験に乏しいボボの一番はあてにならないが、これには同意だ。
「よかった」
とアキラが口の周りに粉砂糖をつけて満足げに微笑むのだった。
「ハハッ、白いヒゲをはやしているぞ」
ケンタスの言葉に場が和んだ。
そんな中、俺だけ疎外感を抱いていた。
「オイラ、このマメ茶も気に入ったぞ」
ケンタスがボボに同意する。
「ああ、確かに甘いケーキに、この苦味がよく合うんだ」
「並んでいる時に、マメ茶が合うって言ってた人かいたから一緒に買ったんだ」
アキラが得意げに語った。
三人とも俺の疎外感に気がついてくれないようだ。
スムーズに会話が進行していく。
「街の声は正直だからな」
ケンタスの言葉にアキラが思い返す。
「並んでいる人はね、みんな次の国王が誰になるかって話していたよ」
「オーヒンも国王が代わるタイミングなのか」
アキラが頷く。
「うん。今はマークス・ブルドンが国王で、普通なら息子のオークス・ブルドンが次の王様になるはずなんだけど、父親が病気になっても子どもが表に顔を見せないから、不信というか、心細く感じているみたいだった。それで、いま現在、病気の国王の代わりをしているのがゲミニとゲティスのコルヴス親子なんだって。父親がカグマン国からの亡命者だから信用できないという意見もあったけど、建国一世のゲティスの方は街の女の人からスゴイ人気だった」
酔っ払い男の話では、ブルドン王は牢に閉じ込められていることになっているが、街の行列に並ぶ人たちの間では病気になったという認識のようだ。まぁ、普通に考えれば国王を牢に閉じ込めるなど考えられないので、やはり酔っ払い男の話は戯言だったわけだ。
それにしてもフェニックス家で王位継承問題が起こっている最中、オーヒン国でも二代目の国王問題が起こっているとは思いもしなかった。遷都の問題もあるし、どうしてこうも世の中というのは大事なことが同時に起こってしまうものなのだろうか?
それとブルドン家の直系じゃなくても王様になれるオーヒン国には驚きだ。いや、この国の法律については何も知らないので、まだ決めつけるわけにはいかない。ただし、庶民の中では直系に拘りがない人もいる、ということは興味深い話だ。
ケンタスが感心する。
「それにしてもアキラは立ち聞きしただけなのに、ちゃんと人の名前を正確に覚えられるんだから、本当に頭がいい子なんだな。世間の様子を探るのに、自然な会話で溢れている行列に並ぶというのも頭の良さを感じるよ」
「んふ」
とアキラがケンタスに褒められてニンマリとした。
そこでボボが口を開く。
「それならオイラの話も聞いてくれないか? 手土産はないが土産話ならあるんだ」
「ああ、なんでも話してくれ。オレの方はさっぱりだったんだ」
ケンタスに収穫がなかったことで、俺もほっとすることができた。おそらく芝居好きのケンのことだから、尊敬する劇作家ビナス・ナスビ―の新作でも観に行ってきたのだろう。それでお金の話題を有耶無耶にしたのだ。
ボボが土産話を始める。
「これはミンミンちゃんが言ってたんだけど、オイラが王国の兵士だって話したら興味を持ったんだ。なんでもケンの兄貴に会いたがっている人がいるっていうんで、それでドラコの弟なら知っていると答えてやったんだ。でも知っているだけじゃ誰が会いたがっているのか教えてくれなかった。おそらく迷惑を掛けちゃいけない人だろうから、常連の客か大事な知り合いなんだろうな。本人を連れてきたら詳しく教えるって言ってたが、どうする?」
「どうしてそれを先に教えてくれなかったんだ?」
ケンタスが興奮気味に問い質した。
ボボが気圧される。
「いや、アキラがいるから広場の詳しい話をしていいものか迷ったんだ」
「オラのことなら気を遣わないでくれ」
とアキラが特別扱いを拒絶した。
「すまない」
とボボが素直に謝った。
「今度からは何でも話してほしい」
「ああ、約束する」
アキラが仲間に加わってから調子を崩したのはケンタスだけではなく、ボボも同様だった。といっても、いきなりベストな距離感で仕事をすることなんて不可能だから、こういうちょっとしたやり取りで最適な距離を見つけていくしかないわけだ。
「よし、明日の予定だが、変更するぞ」
兄貴に憧れているケンタスの目の色が変わった。
「オレが直接会いに行ってみよう。兄貴を捜しているみたいなので近況は知らないだろうが、過去に兄貴はオーヒンで事件を起こしているから、その事件の詳細を知っているかもしれない。なぜ兄貴は事件を起こしたのか? どうして兄貴が処分を受けなければいけなかったのか? オレはそれがどうしても知りたいんだ。みんなには迷惑を掛けるが、一日だけオレに時間をくれないか?」
現役最強の剣士、ドラコ・キルギアスに何があったのか、知る時がきた。




