第二十話(240) 立ち話
それからバルダリス総督を中心にして、ケンタスら要職に就く六名とドラコが湖畔での襲撃計画について対策を練ったが、俺にできることは何もないということで、俺自身の安全も含めて他の者に任せることにした。
ヴォルベやランバと劇的な再会を果たしたものの、感動的だったのは最初だけで、その後は感傷に浸ることなく、いかにも事務的な話し合いが行われるのだった。
帝国府とガルマ国、それぞれ兄弟が分かれて戦をすることになるが、そんな雰囲気すら感じられないのである。
しかし、それこそが戦乱の世なのかもしれないが。
ドラコ隊の三人にヴォルベを加えた四人でビルボン湖畔の下見に行くということで、久し振りに一人になることができた。しかも移動に時間を要するので、しばらく帰らない予定だ。
ということで、今までの俺なら昔の女に会いに行くところだが、今の俺はビアンに夢中なので、彼女を口説くために家に帰ることにした。
手ぶらで口説くほど野暮ではないので、滅多に手に入らない絹のガウンを手に入れるため、馴染の貿易商の邸へお邪魔した。
息子に家業を継がせた未亡人に以前から気に入られており、簡単に手に入れることができた。一晩だけマダムの相手を務めたのは内緒だが。
「ビアンは?」
翌日の早朝に一棟貸しの邸に帰ったのだが、居間でマールが拭き掃除をしていたので尋ねてみた。
「客室で書き物をしているから邪魔しない方がいいよ」
「機嫌が悪くなるんだっけ?」
「気分屋さんだからね」
「そこがいいんじゃないか」
「世話する身にもなってごらんよ」
「まるで世話焼き女房みたいだもんな」
「ホントだよ」
ドラコやビアンがいる時には口を開くことはないが、気を抜いたのか、その後もベラベラと愚痴を聞かされることとなった。しかも椅子があるにも拘らず、立ち話を続けるのだった。
「修行者ってのは、やっぱり結婚しないもんなのか?」
「色んなところを旅してきたが、それは宗派によるね」
「ウルキアでは?」
「人によって自由さ」
「それを許容する社会が、この世にあると?」
有り得ないので、揶揄われている可能性がある。
「訂正するよ、ウルキアでも東の方だけだ」
「それが本当なら最高じゃないか」
「だろう? なのに人間は自分たちで自由社会を滅ぼすんだよ」
「それで自由を守るために戦っているわけか」
「永遠のイタチごっこだけどね」
そう言って、何十年も醜い争いを見てきたかのように厭な顔をするのだった。
「俺もウルキアで生まれていたらな」
「どういう意味だい?」
「だって自由に恋愛ができるんだろう?」
「バカいうんじゃないよ」
「違うのか?」
「姦淫が許されることを自由とは呼ばないんだ」
なるほど、自由の定義が違うわけだ。
「大帝国ガルディアの問題はね、信者の前ではキレイな言葉を並べるが、裏では平気な顔して淫らなことをしているところにあるのさ。多くの者にとって大事な宗教を、自分たちの政治にとって都合のいい道具にしてるだけなんだからね」
マールの批判だが、それは俺が教会を避けている理由でもある。どう考えても、俺の恋愛観とは合わないからだ。それでも入信を断れないから、こうして逃げ回っているわけである。
「マールは結婚しようと思わなかったのか?」
「今すぐにでもしたいよ」
「それは知らなかった」
「ビアンが『あとちょっと』って言うから付き合ってあげてるんだ」
いいタイミングで名前が出た。
「そのビアンだが、どうなんだ?」
「何がだい?」
「結婚願望だよ」
「さあね」
「男に興味がない感じか?」
「そんなことないよ、いい男はみんな好きになるから」
チャンスはありそうだ。
「だったら協力してくれよ」
「何をさせよっていうのさ?」
「ビアンとの仲を取り持ってほしい」
「嘘だろ?」
「本気だ」
「世の中には物好きがいるもんだね」
若くはないが、間違いなく、いい女だ。
「上手くいけば、早めに解放されるかもしれないぜ?」
「どうだかね」
「試してみる価値はあるだろう?」
「期待はしないが、邪魔はしないであげるよ」
今はそれだけで充分だ。
「マールの姿が見えないけど、見掛けなかったかい?」
ビアンが居間に一人で現れたのは、マールに二人きりにしてもらうように頼んだからだ。いつも一緒にいるので、一対一の会話は初めてだった。
「裏庭で草むしりをしているよ」
「庭師の仕事を奪ったらダメじゃないか」
そう言って注意しに行こうとしたので、急いで呼び止める。
「ビアン、ちょっといいか?」
「なんだい?」
「渡したい物があるんだ」
「渡したい物?」
警戒するので、絹のガウンを広げて見せた。
「貴重なガウンで、島の貴族でも手に入れることができない代物だ。田舎貴族だと存在すら知らないだろうな。利用者によると肌に優しいって話だぜ」
ガウンを見つめたまま、反応がない。
「肌が合わないってこともないだろう?」
「これを、ワタシに?」
嬉しいのか、声が若返ったように聞こえた。
「ああ、喜んでもらおうと思ってさ」
「本当に、貰ってもいいのかい?」
「もちろんだ」
「こういうのは、初めてだ」
まるで少女のような反応だ。
「じゃあ、これが最初で最後にならないように、またプレゼントするよ」
「ありがとう」
こんなに初心な反応が返ってくるとは思わなかった。
気が変わらないうちに渡しておこう。
「はいよ」
「年寄りには似合わないけど、大事に使わせてもらうよ」
必要以上に老いをアピールするのだが、それが謎である。
「手当たり次第に口説いているんだろうけど、まぁ、いいさ」
「そんな言い方は止してくれ。俺はすっかり心を入れ替えたんだ」
「昨日の晩どこで何をしていたか、ワタシが知らないとでも思ってるのかい?」
情報が漏れたにしても、昨日の今日で知るはずがないのでハッタリだろう。
「俺に鎌を掛けたってムダだぜ?」
「ワタシを誰だと思ってるんだい?」
女スパイであることを忘れていた。
「それより、お返しは何がいいかね?」
「着る物を贈ったんだから、着替えた姿を見たいに決まってるだろう?」
そこでビアンがムッとする。
それからガウンを突き返された。
「いらないのか?」
「当たり前だろう」
「なんでだ?」
「それはワタシへの贈り物じゃなく、お前さんがお前さん自身を喜ばすために贈ったものだからだよ」
神牧者から説教を聞かされているみたいだ。
いや、実際にその通りだが。
「贈り物くらい素直に受け取ればいいじゃないか」
「次は真心を込めるんだね」
抽象的なところも宗教家らしい。
「具体的に、どんな物が欲しいんだ」
「物に限定している時点で何も考えていないということだ。なんたって、ワタシには手に入れられない物はないんだからね」
活動資金から察するに、嘘でもなさそうだ。
「援助している教会に行くとね、子供たちが歌を披露してくれるんだ。ワタシ一人のために歌ってくれるんだよ? それが嬉しくてね。芝居もそうだが、本番に合わせて練習を重ねてくれるというのが、何よりも尊い行いのように思えるのさ」
ドラコだけじゃなく、ビアンも芝居が好きだということを忘れていた。
「芝居で思い出したが、どうしてドラコが決闘なんて突拍子もないアイデアを思いついたか分かったぜ。ビアンも疑問に思ってただろう?」
彼女の表情が強張る。
「ビナス・ナスビーの芝居の影響だってさ。初期にジュリオス三世を主役にした作品があって、その中にモンクルスとの決闘を望むセリフがあったんだとよ。それでドラコは芝居を現実にしちまったってわけだ。まぁ、相手は実弟だけど」
珍しくビアンが萎れる。
「あれは暗殺されるくらいなら、戦わせてあげたかったって言っただけなんだ」
「それを俺に言われてもな」
「どっちが強いんだろうって、単純な興味だよ」
「だから俺に言われてもさ」
「削除してもいいような、脇役のセリフだったんだよ?」
「だから俺は知らないって」
「たった一行のセリフで、そんな影響が出ちゃうのかい?」
「だから俺にじゃなく、ビナス・ナスビーに言ってくれ」
ようやく理解してくれたのか、何度か頷いて、客室に引き上げて行った。こういう場合、一人になりたい時は一人にさせると決めているので、しつこく付きまとわないようにした。
このように、芝居は本当に害悪なのだ。本を書く人間が、あまりに無責任なのが悪い。たった一行でも甚大な影響を及ぼすということを解っていないのだ。実害を被った俺が言うのだから間違いない。
翌日、ドラコが雇っている現地の連絡係から「デモンが大事な用件で面会を求めている」との報せを受けて、仕方なく俺一人で会いに行くことになった。
場所はデモンが滞在しているガルマ国の在外公館で、その敷地内の裏庭で悪魔と一対一で立ち話をすることになってしまった。
デモンは筋力維持のトレーニングをしていたらしく、鎧のような肉体が汗でテカテカしていた。その汗を布地で拭いながら喋り出す。
「公子お一人でお出でとは思わなんだ」
「ドラコが帰ってきませんでしたので、私一人で伺いました」
「行き先が気になるが、答えに窮するような質問は止しましょう」
「お心遣い、感謝します」
二人きりになった時は恐ろしさに身構えたが、現在は反対に、イメージと違って人当たりが優しいので戸惑っている状態だ。
「弟君と再会されたそうでございますな」
「情報を掴むのが速いですね」
「弟君の方からご連絡を頂きました」
「そういうところは昔から変わらないようです」
無駄に敵を作るな、というのが現カグマン王の母親、つまり伯母上の教えだが、それを忠実に守っているようである。
「今でも考えることがありますよ、ヴォルベ・テレスコを悪童と思い込んでいなければ、島の歴史は変わっていたんじゃないかと。わしも直で会ったが、野心的な男にしか見えんかった」
おそらくだが、野心的なデモンに合わせて、野心的な男を演じたのだろう。
「なぜ見誤ったのか? それは芝居が原因だったと考えております。御本人を前に蒸し返しては気分を害されるかもしれませぬが、モンクルスの一番弟子は二人の子供を授かったが、どちらも不出来と語られていましたからな」
事実である。
「いや、わしは実際に観劇したわけじゃないが、芝居を観た者の評価を真に受けてしまった。情報に踊らされぬように注意を払っていたが、民衆の心理が一本の芝居に影響を受けただけであると見抜けなかったのは、一生の不覚であった」
つまりビナス・ナスビーの芝居がデモンの野望を打ち砕いたということだろうか? だとしたら、それこそ劇的であるが、それでも俺としては受け入れ難い話だ。
「ま、過去を悔やんでも致し方ない」
そこでレスリング選手が身体を鍛えるために使用する鉄亜鈴を両手に持ってトレーニングを再開した。
「それよりも、ドラコは、一体、何を、企んでおるのか?」
「閣下に話したことしか、私も聞いておりませんが」
「まさか、本当に、兄弟で、決闘を、するとでも?」
「誰もが半信半疑の状態でございますね」
「この、わしを、ハメる、つもりでは、なかろうな?」
「正直なところ、私も本当に分からないのです」
そこでデモンが手を休める。
「今の言葉に嘘は?」
「出会ったばかりの私をドラコが信じるでしょうか?」
「つまり公子にも真実を語っていないと?」
「彼は身内にも平然と隠し事ができる人間ですからね」
スパイとして最上級の褒め言葉である。
その意味を理解したデモンが気持ち悪い笑顔を浮かべる。
「すべての者を欺いている可能性があると?」
「はい。私も含めまして」
「となると、決闘が成立しない場合もあるわけだな」
「いや、それは、その、そうではないのです」
「どういう意味だね?」
これは隠すような話ではない。
「周りにいる者たちは、彼らが積極的に決闘を望んでいるように見えるから戸惑っているのです。なぜかキルギアス兄弟だけは戦う運命にあると信じているみたいでして。といっても、それもパルクスを主役にした芝居の影響だと、ドラコ本人が言っていましたが」
デモンが興奮する。
「芝居だと?」
「はい。ビナス・ナスビーの」
「オーヒンの世論を動かしたのもビナスの芝居ではなかったか?」
「それは存じませんが」
「……繋がったぞ」
俺の言葉が聞こえていない様子だ。
「すべて情報戦だったのだ」
俺の周りをぐるぐると歩き始めた。
「芝居こそが戦争の道具だったわけだな」
弁論だけではなく、演劇も戦争の一部というわけだ。
「大衆を唆し、扇動していた者がいたということだ」
目の前に来たところで、急に立ち止まった。
「ビナス・ナスビーとは、何者だ?」
俺も知りたい。
「待てよ? パルクスもビナス・ナスビーの作品なのか? モンクルスを主役にし、同時にブルドン王の生涯をも描くとは、どういうことだ?」
そこで悪魔が閃く。
「そうだ、同じ立ち回り方をした者らがおったではないか。ウルキアの修行者だ。どの国が勝ち、誰が生き残ってもいいように、すべての出目に賭け金を張っておったな」
それが妄想か真実かは、俺には分からない。
「公子、よいですかな? 真の敵はウルキアの一派かもしれませんんぞ? ドラコが何を企んでいるのかは分からぬが、敵を見誤ってはなりませぬ。奴らの正体を知りたければ、この儂を信じることです」
これまで多くの者がデモンに縋ってきたが、その気持ちが分かる気がした。俺もビナス・ナスビーの正体を知るために、悪魔の力を借りたいという誘惑に耐えられそうにないからだ。
「ドラコが儂を裏切ることなど百も承知のこと。だが、それが今ではないことも分かっておる。そう、今ではないのだよ、まだこの儂を利用しきっておらぬからな」
全部見抜いた上で利用されているわけだ。
「しかし公子までドラコと同じように儂を裏切る必要はなかろう? ドラコが貴殿を信用しておらぬように、公子もドラコを信じぬく義理などないのですからな。ドラコ亡き世のことも考えて、わしを信じ切る選択も残しておくことです。公子も儂を利用すれば良いのですよ」
大魔王の正体を知るために悪魔の力が必要になるという、地獄で見る悪夢のような話である。




