第十九話(239) ヴォルベとの再会
「ガイル」
俺の名前を呼んだのは修行者のビアンだ。ドラコ・キルギアスとマールの四人で、いつものように一棟貸しの邸の居間でテーブルを囲み会議を行っているところである。
夏場の暑い時期だというのに三人とも外出着や礼服などで厚着をしているものだから、見ているだけで頭がのぼせてクラクラする。
「弟のヴォルベが海を渡ってきたみたいだよ」
「弟といっても、今は名門ハドラ家のお婿さんだからな」
「あっちは首席補佐官だし、だいぶ差がついちまったね」
「なに、この作戦が成功すれば世間の評判も逆転するさ」
決闘の結果次第なので、自力ではないが。
次にビアンがドラコに話し掛ける。
「ランバ・キグスも一緒みたいだよ」
「そいつは困ったな」
「何か問題でもあるのかい?」
「デモン・バンクスです」
デモンとランバは義理の親子の関係だ。
「養子とはいえ、彼は息子と娘に黙って島を出ましたからね。それ自体は親子三人の問題なので介入するつもりはありませんが、娘婿との問題を仕事の場に持ち込まれては厄介だと思いまして、いや、杞憂であれば良いのですが」
交渉は大詰めなので大丈夫だろう。
「他に情報はありますか?」
ドラコの質問にビアンが答える。
「お前さんの決闘相手だけどね、ハクタ国が話に割り込んできちゃって、対戦者がマン・ザザっていう、ザザ家の生き残りで決まっちまったよ」
ドラコが苦笑する。
「ご冗談でしょう?」
「いや、本当だよ」
「どんな男なんですか?」
「知らないのかい?」
珍しくドラコが大きく手を広げて、大袈裟に首を捻って見せるのだった。
「お前さんが入隊する前だから無理もないか。オーヒンの政治家ですら庇い切れないほどの悪党で、指名手配されていたことで、お前さんが計画した掃討作戦の時に命拾いしたんだけど、ハクタの豪商が匿っていたんだね。それで恩赦を条件に名乗りを上げたわけだ」
ビアンはドラコですら知らない島の情報を、どういうわけか収集できるのである。
「男の特徴は?」
「お前さんよりガタイがいいらしいよ」
「得意としている武器は?」
「斬馬刀って知ってるかい?」
「見たことも聞いたこともない」
渡航歴の長い俺でも初耳だ。
「大陸の極東にバカでかい太刀があるんだけど、それとは別物なんだが、よく似ているって話だね。普通の大人が両手で握るだけでもやっとなのに、それを片手で軽々と振り回しちまうらしいよ」
化け物だ。
「そんな男がいたとは」
「恨まれてるから用心しないと」
「復讐する気なら、とっくにしてるでしょう」
「それも、そうだね」
「今頃ノコノコ姿を現したということは担がれているだけかもしれませんね」
こういう時のために匿っていたということか。
「ああ、そうだ、先に伝えておくことがあるんだった。まったく、最近は忘れっぽくなってイヤんなるよ。年は取りたかないね」
ビアンが深刻そうな顔をする。
「ザザ家で思い出したけど、マン・ザザの動きに合わせて残党が集結したって話だ。それでビルボン湖畔で行われる決闘の調印式があるだろう? そこを襲撃する作戦があるみたいなんだ」
恐ろしい話だが、事前に知ることができて助かった。
「カグマン王暗殺未遂事件の主犯格の一人でもあるウーベ・コルーナに雇われていた私兵も襲撃作戦に参加するんだけど、その兵士たちを再雇用したのがガリク・オッポスだから、やっぱりその男が首謀者で間違いないね」
情報が筒抜けだが、ビアンだから入手できるのである。
「わざわざ貴族の別荘地で調印式が開かれるものだから何か裏があると思ったけど、お前さんをハメようとしている連中がいるんだね。幹事はカグラダ府の領事館長だろう? そいつもオッポス家とグルなんだろうね」
ビアンが一息つくが、それがやけに艶めかしく感じた。
「でも、敵が間抜けで良かったよ。調印式なんて何処でもできるんだから、いくらでも予定を変更できるもんね。適当な理由をつけて断ればいいんだ。だって、今度の襲撃は百人だっていうからね」
ところがドラコの考えは違った。
「いや、予定を変更せずに襲撃を受けるとしよう」
「冗談だろ」
口にせずにはいられなかった。
しかしドラコは大真面目だった。
「襲撃に参加するような連中は、これから先も妨害工作を繰り返すでしょうし、いずれ始末しなくてはなりませんので、ならば早い方がいいのです。敵営に乗り込むよりも、自陣の状況を把握した上で迎え討つ方が有利ですからね」
それに付き合わされる俺のことも考えてくれという話だが、言っても無駄なので反論はしなかった。
「しかし敵兵百人の奇襲攻撃を一人で返り討ちにするのは難しい」
俺のことは勘定に入っていなかった。
「ここはランバとミクロスにお願いするしかなさそうだ。公子とケンタスもいるので、それで何とかなるでしょう」
どうやら弟と顔を合わせる時がきたようだ。
翌日の早朝、港の特別行政区画にあるカグラダ府の領事館に伺って、総督に「折り入ってご相談したいことがある」とお願いしたところ、公邸の応接室に通された迄は良かったが、それからしばらく待たされることとなった。
「すみません!」
扉が開いたままだったので、廊下に向かって呼び掛けてみたのだが、返事が返ってくることはなかった。
「何かあったのかな?」
問い掛けても、隣に座るドラコは背筋を伸ばしたまま固まった状態で身動き一つ取ろうとしなかった。
「総督、まだ大丈夫ですから」
廊下の外から会話が聞こえてきた。
「しかしだな」
「さっ、戻ってください」
ドラコに質問。
「あの声は誰ですか?」
「ミクロスです」
ドラコ隊の切り込み隊長だ。
「総督、先に飯を食ってきてくださいよ」
「しかし待たせるわけには」
「いんですよ、裏切り者のクソ野郎なんですから」
「そういうわけにもいかないだろう」
「無視してやるんです、オレたちを裏切ったんですから」
遠ざかる足音だけが虚しく響いた。
「会話が全部聞こえてるんだけどな」
「わざとですよ」
「まさか」
「その、まさかです」
「そんな子供じみたマネを?」
「あの男は、そういうことをするんです」
その後も地味な嫌がらせを受けることになる。
「ちょっと待て!」
「はい?」
ミクロスと召使いのやり取りだ。
「なんだそれ?」
「お客様に花茶を出すようにと」
「そんな上等なもんを出す必要ねぇよ」
「しかし」
「客じゃなくて、裏切り者のクソ野郎だからな」
「ですが」
「苦い茶があったろ? あれでいい」
「はぁ」
「あのクソ野郎が嫌いな飲み物だからよ」
それをドラコに、これみよがしに聞かせるのだった。
「メンドーな男だ」
と立ち上がって、戸口から盟友に呼び掛ける。
「ミクロス、話がある」
「話すことなんかねぇよ」
「他の者には内緒の話だ」
そこで会話が途切れた。
戸口に立つドラコが動かないまま廊下の先を覗き込んでいる。
「わかったよ」
そう言って、見張りの部下に立ち入りを禁じて、ミクロスが姿を見せるのだった。それから分厚い扉をしっかり閉めて、ドラコの差し向かう形で腰を下ろす。
「色々と、すまなかったな」
「なんの詫びだよ?」
「皇太子殿下の救出作戦から外したことだ」
「まさかジジに嘘をつくとは思わなかったから、すっかり騙されちまったよ」
「救出作戦は大事だが、ユリスを守るのも大事だったからな」
二人で歴史の答え合わせをしているようだが、俺にはさっぱり解らなかった。
「それは仕方ねぇけど、死んだ振りは悪い冗談だぜ」
「誓って言うが、騙すつもりはなかった」
「よく言うぜ、その後も騙し続けたクセによ」
「お前たちが勝手に俺を死人にしたんじゃなかったか?」
「オレらが悪いってのか?」
「俺なら仲間の死体を間違うことはなかっただろうな」
「あれはジジが『間違いない』って言うからよ」
「正直、俺は悲しかったぞ」
「まさかジジが間違うとはな」
さっきまで怒っていたミクロスが、いつの間にか加害者側として言い訳をするのだった。
「死体の身元確認は捜査の基本なんだがな」
「ジジの証言が決め手だった」
「身内の証言が必ずしも正しいとは限らない、これも捜査の基本だ」
「いや、ちょっと待て」
ミクロスが何かを思い出したようだ。
「さっき『騙すつもりはない』って言ったが、死体に手前の剣を握らせてたよな? てことは、騙す気でいたってことじゃねぇか」
「あれはハッチ・タッソが機転を利かせてくれたんだ。あの時、俺は何者かに命を狙われていたからな」
ドラコは絶対に非を認めないようだ。
「だけどよ、オレたちが戦争で負けるかもしれないって時に、それでも姿を見せずに加勢しないってのは、あまりに酷くねぇか?」
「お前たちは僅差で勝ったと思っているが、ユリスが軍隊を動かした時、北方部族の戦闘員がオーヒンを包囲してたって知らないだろう? 史実に残らない予備兵力が存在してたんだよ」
部族民は南北戦争に参戦してないので、予備兵力が記載されずに、南軍(カグマン・ハクタ・カイドルの連合軍)と北軍(オーヒン軍)の兵力が均衡していたとして記録されるのが歴史書のバグである。
「しかしよ、デモンとつるむってのは、一体どういう了見なんだ?」
「差し違えるにしても、手ぶらではなく、冥土への土産が必要だ」
「それが領土を懸けた決闘ってわけか?」
「そこで一つ、お前に頼みがある」
ドラコの作戦に、ミクロスに頼み事をする計画はなかったはずだ。
「予定通り、決闘が成立するのは間違いない。今のところ対戦相手は未定だが、ハクタがケンタス以上の剣闘士を用意できなかったということは、これで兄弟対決は避けられなくなったわけだ」
既に覚悟を決めているようだ。
「おそらく、俺の負けだ。殴り合いなら俺に分があるが、剣術でケンタスに勝てる者はいないからな。だが、それでいい。真の狙いは、デモンに敗戦の責任を取らせることにあるのだからな」
初耳である。
「俺が負けた場合、デモンを取り逃がさないようにしてくれ。ガルマ国に『ヤツはスパイだった』と説明すれば、向こうも納得するだろう。つまり死んでも、誰も困らないということだ」
これは暗殺の依頼ではなかろうか?
「頼まれてくれるか?」
「結局、国の為ってわけか」
「そういうことだ」
「それがオレの知ってるドラコだぜ」
デモンとミクロスに対する説明が全く違うのだが、ドラコは何を考えているのだろうか?
ケンタスに敗れた場合、俺に語った「打倒ジス家の野望」も嘘になるのだが、俺にまで嘘をついたということだろうか?
俺が言うのもなんだが、ドラコほど嘘を真実かのように語れる男はいない。デモンに騙されないミクロスを騙せるのだから、天才的な嘘つきだ。
「それじゃあ、信頼できる者を呼んできてくれ。大事な話がある」
それから真っ先に駆けつけてきたのがヴォルベだった。戸口で立ち尽くす弟は、すっかり大人になっていた。
「兄さん」
「おう」
そこで立ち上がったドラコが気を遣う。
「お席を外しましょうか?」
「いえ、そのままで構いません」
と兄である俺よりも先に答えるのだった。
相変わらずの弟である。
二人が見つめ合っている。
その二人を、座りながら見上げている俺。
「生きていらしたのですね」
「隠し立てしたことを深くお詫び申し上げます」
「お詫びするのは僕の方です」
そこで大粒の涙を流すのである。
弟は、よく泣く子供だったことを思い出す。
「義父を死なせてしまいました」
「公子の責任ではありません」
「僕はその場にいたのです」
「すべて私の責任です」
そう言って、嗚咽をもらす弟を抱きしめに行くのだった。
その二人を見て、なんの感情も抱かない俺。
俺にとっては親戚のおじさんが後から死んだと聞かされただけだ。
だから涙など出るはずがなかった。
気まずい。
非常に、気まずかった。
「隊長」
決まりが悪かったが、そこにランバ・キグスが来てくれたので助かった。俺の親父の後を継いだ男だが、彼も祝勝会で一度だけ顔を合わせたことがある。
「よくぞ、ご無事で」
ヴォルベが身を引いて、二人の再会を引き立てた。
「連絡もせずに、すまなかった」
「遺体確認を誤り、面目次第もございません」
怒っていたミクロスとはエラい違いだ。
「ランバが見誤るとは、よほど特徴が似ていたのだろうな」
「はぁ、それが、魔法でも掛けられたかのように」
「魔術か……」
「そういえば終戦と同時に幽霊騒動が収まったのも気になりますな」
「ウルキアの修行者も消えたという話だ」
「デモン・バンクスも行方を追っていましたな」
魔術だとか幽霊だとか、そんな与太話は一笑に付すところだが、大の大人が、しかも政府の高官が真顔で真剣に話し合っているものだから、思わず笑いそうになってしまった。
「それよりも隊長、弟君と決闘をするなど、まさか本気じゃないでしょうな?」
「俺は本気だ」
これにはランバだけじゃなく、ヴォルベも唖然とするのだった。
「こんなことを言うと笑われるかもしれないが、ヒントは劇作家ビナス・ナスビーの芝居の中にあった。カグマン国とカイドル国との停戦協定が破られた時、決着をつけるならば戦争ではなく、剣聖モンクルスとジュリオス三世による決闘が望ましいというセリフがあり、知らずのうちに俺は、それに影響を受けたのだと思う」
これだから芝居は害悪なのだ。
「御大は島内政治を誰よりも深く理解されているお方だ。また、人間社会から争い事を取り上げることができないと知るリアリストでもある。だからこそ彼の描く理想は、人類が達成し得る最低限の平和的行動として、誰かが叶えないといけないんだ。それが今回は兄弟の間柄だったという話だ」
ビナス=ジェンババ説や、ビナス=モンクルス説があるように、その正体は不明とされているが、もしもまだ生きているならば、文句を言うと決めている。奴は『モンクルスの弟子たち』という芝居で、俺の悪口を書いたからだ。
思えば、大陸に渡ろうと決心したのも、芝居を観た奴らから笑われるようになったからだ。そういう意味で俺の人生にも影響を与えたわけだが、尊敬の念を抱くドラコと違って、俺には憎悪の感情しかなかった。




