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第十八話(238) ペガス、海を渡る

原典

『カグマン叙事詩』

『ケンタス・キルギアスとの対話』


著述者:ペガス・ピップル


現代語訳者:アイ・イシグロ


小説執筆者:ライト・ペン


ヤマト語訳:石黒愛

「ペガス殿」


 俺の名前を呼んだのはハクタ国のランバ・キグス首都長官だ。独身時代は宗教への関心が低かったのに、アンナさんと結婚した途端に信仰心に目覚めたという、流されやすい男である。


 そんな男と一緒にハクタ城の敷地の中にあるオルバ教会で祈りを捧げたのだが、俺の場合は信仰心があついわけではなく、なんとなくばちが当たるのが怖いからであった。


 それと船旅の無事を祈願する意味もある。教会にそのような御利益はないとは思うが、なんとなく神様に願いが届いてくれたらと思ってお祈りした。


「公子が首都官邸でお待ちなので急ぎましょう」


 公子とはヴォルベ・ハドラのことで、カグマン国における首席補佐官の歴代最年少記録を持つ男も一緒にクルナダ半島へ行くことになっていた。


 そもそも、どうして俺が半島行きの大役をおおせつかったかというと、ジジがユリスに推薦してくれたからだ。


 本来ならば、ジジこそ今すぐにでも会いに行きたいはずなのに、ドラコの死亡確認でミスを犯した責任を感じて、俺に託したわけである。


 俺の役目はというと、キルギアス兄弟が決闘をするということで、どちらかの遺骨を島に持ち帰ることだった。


 できれば決闘を中止させたいところだが、俺にそんな力はないので、骨壺だけは落として割らないようにと、持ち運ぶ練習をして現在に至る、といった感じである。



「お久し振りです」


 首都官邸の応接室で公子と再会したのだが、カグマン国のナンバー2という地位を手に入れても、俺のような下級兵士にまで丁寧な挨拶をするところが、彼の恐ろしさである。


 ユリス・デルフィアスの帝政下では、いつ、誰が、どのタイミングで出世するか分からないので、無駄に敵を作らないようにしているわけだ。


「どうぞ、お掛けください」


 とランバと俺に椅子を勧めたところで、照れ笑いを浮かべる。


「あっ、すいません。ここでは僕の方が客人でしたね」

「いやいや、公子にとって此処ここは生家のようなもの。どうか、お気になさらず」


 二人が対面式で腰掛けてから、俺もランバの隣に腰を下ろした。入室した時に人払ひとばらいしたので、部屋の中は三人だけである。


「その後、どうなりましたかな?」


 公子がランバの問い掛けに答える。


「ハクタを除く三カ国の王国議会では、既に帝国議会の決議がそのまま承認されたのですが、ここの貴族院の連中だけが延々と結論を先送りにするので、キンチ大将から『どうしたものか』と相談を受けたところです」


 まだ下級貴族のランバのところまでは話が下りてきていない様子で、深刻な表情で受け止めていた。


「つまり時間稼ぎをしているということでございますかな?」

「その可能性もあれば、本当に意見が割れている可能性もありますね」

「談合の事実を知っていても、それを口にするわけにもいかないでしょうからな」

「はい。ユリスは本気で勝ちに行く決断をしたので、さぞかし戸惑っていることでしょう」


 公子が尋ねる。


「ハクタの役人や豪商にとっては、どのような結果が望ましいのでしょうか?」


 ハクタ人となったランバが答える。


「帝国宰相の御親友が新総督に抜擢された時点で現状維持は断念したでしょうな。そこでハクタ人が次に手を打つのは、賄賂わいろを受け取ってくれそうな相手を素早く見つけ出すことなのです」


 その動きを読んで証拠を握るのが大変というわけだ。


「なるほど、そのための時間稼ぎなのかもしれませんね。つまり彼らにしてみたら、どのような事態になっても対応できるように策を講じているわけだ」


 そこでハッとする。


「忘れていました。ハクタ人のような商会に加盟した商売人にとっては、戦争がある世の中の方が儲かるんでしたね」


 街中での暴動や略奪が多いのも、こういう奴らが経済活動している地域だ。


「公子の仰る通り、既得権を奪われたハクタ人にしてみたら、戦争を起こせばどうにでもなると思っておるのですよ。それを子から孫へ、百年単位で意志を継いでゆけるから恐ろしいのです」


 そこでランバもハッとする。


「ああ、いや、公子もハクタ人でしたな。これは失敬した」

「議論の妨げになるような気遣いは不要です」


 国を背負っている人間は、やはり言うことが違う。外交では相手国を名指しで批判しなければならないことを心得ているわけだ。たとえそれが祖国であっても。俺も今はカイドル人なので、こういうところは見習いたいところだ。


「ピップル小隊長」


 公子が正式な呼び方をする。


「この場にケンタス・キルギアスがいたら、キンチ大将にどのような助言をすると思われますか?」


 目の前にいる俺よりも、この場にいないケンにアドバイスを求めたということで、情けなくて泣きそうになったが、グッとこらえて答えることにした。


「ケンタスの場合は『法律を守れ』としか言わないと思います。談合に反対したのもケンだけだと聞きましたからね。だけど兄貴のドラコならば、『守りたいものがあるなら自分で守れ』って言いますよ」


 ランバが笑いながら同意する。


「隊長ならば間違いなく、そう仰るでしょうな。おそらく王国議会に呼ばれたとしても、貴族院の御歴々(おれきれき)を前にして啖呵たんかを切るに違いありません。他人の痛みを知ることを何よりも大切にされるお方ですので」


 公子が得心する。


「そうか、わかった。そんなに利権を確保したいのであれば、ハクタ人に戦わせればいいわけです。つまり貴族院に決闘の代表者を選ばせればいいんですよ。それでもその条件をまないようなら、その時は不戦敗として扱えばいいわけですからね」


 公子の凄いところは、思いついたアイデアを実現させてしまうところだ。彼が説得して回り、議会での採決の時には満場一致で採択されたという話である。ただし勝利した際の報酬を高く積んだらしいが。


 それから間もなくして、ドラコと対戦する決闘者としてマン・ザザが選ばれた。ドラコによるザザ家の掃討作戦が決行された時、運よく国外にいて命拾いしたという話だが、ハクタの豪商が用心棒としてかくまっていたわけだ。


 ランバによると、キルギアス兄弟が世に出るまでは、マン・ザザが「島で一番強い男」と呼ばれていたらしいけど、多分だけど、ドラコとのサシ勝負なら相手にならないだろう。



「ペガス殿! クルナダ半島が見えてきましたぞ!」


 商用船の甲板に立って叫ぶランバだが、正直そっとしておいてほしかった。初めて乗る船の揺れが想像以上に酷くて、景色を見る余裕がなかったからだ。


 しかも船の上から半島の全景が見えたからといって、すぐに到着するわけではないのだ。それからどれだけ待たされたことか。


 床板に座って風を受けながら、ひたすら時が過ぎるのを待ったが、改めて思ったのは、繊細な心と体を持って生まれた俺の人生は、誰よりも苦労が多いということだ。それに気づかされた船旅であった。



「おいおい、ランバのオッサンじゃねぇか!」

「相変わらずのご様子でございますな」


 ミクロスがクルナダ港の船着き場で出迎えてくれたのだが、やはり俺たちが来ることは予想外だったようである。


「え? 公子まで御出座おでましとはビックリだな」

「決闘に立ち会わせてもらいます」


 他にも島で実績のある伝令兵が立会人として三十人以上も乗り合わせてきた。彼らの他にも商人に化けた諜報員が数多く半島に上陸しているという話だ。協力し合って荷卸しをしているが、全ての者が味方とは限らないわけである。


 情報を扱う関係者と諜報活動、ここら辺は大昔から結びつきが固い。顔を見せる人と顔を隠して活動する人が同じ組織に属していることもあるので注意が必要だと、半島へ渡る前に公子が言っていた。


「おっ? ペガスまでいるのかよ」

「どうも」

「お前は何しに来たんだ?」

「ユリスに頼まれまして」

「そんなわけねぇだろう」


 ムッとしたけど、笑って気をまぎらわせることにした。


「いや、ジジから二人の決闘を見届けるようにと頼まれまして」

「ドラコのことで何か言ってたか?」

「死体の確認ミスを反省するばかりで、生きていたことに関しては何も」

「まぁ、あれはオレ様もすっかりだまされちまったからな」


 赤い鼻が更に赤くなるのは興奮している証だ。


「ドラコのクソ野郎が! アイツはオレ様を二度も騙しやがったからな。死体に大事な剣を握らせてまでオレたちを騙そうとしたんだ。アイツのことを二度と『剣士』とか『剣豪』って呼ぶんじゃねぇぞ?」


 それから貿易倉庫と呼ばれれる特区にある領事館に行くまでの間、ドラコの悪口に付き合わされることになった。といっても、いつものように途中から話が逸れて、半島でも自分より優秀な兵士はいないという自慢話に変わったけど。



「ランバがどうして!」

「お元気そうでございますな!」


 領事館の玄関口で出迎えたケンタスが驚きつつも喜びの声を上げた。海を渡る前に会ったばかりだが、子供の頃から知っている人なので、ケンの表情も子供の頃に戻っている。


「公子にまでお越し頂けるとは思ってもみませんでした」

愚兄ぐけいが迷惑を掛けていると聞き及びまして」

「愚兄と行動を共にしております」

「お互い、身内が敵国側に回ったわけですね」


 こういった身内が敵味方に分かれることは、戦乱の世ならば起こり得ることだけど、そういうのは王族や貴族に限られた話で、まさか俺の友達家族でも起こるとは思ってもみなかった。


 兄弟での決闘が大規模な戦争を避ける唯一の方法だと聞いているので、無理やり納得させているが、どうしても割り切れない自分がいるのも確かだった。


「ん? ペガじゃないか」

「ようっ」

「おまえ、何しに来たんだ?」

「いや、何って」

「ここは遊びに来るような場所じゃないぞ?」


 わざわざ会いに来てやったのに、この言い草である。


「来ちゃったもんは仕方ないけど、みんなの邪魔だけはするなよ」


 そう言って、他の人に挨拶をしに行った。


 その時に俺は、ケンタスが親しい人ほどぞんざいに扱うということを、後世の人々に語り継いでいかなければならないと思った。


 俺だから許せる心を持てるのであって、本来ならば、親しき仲にも礼儀が必要だからである。



 その後、兵舎の空き部屋に荷物を運び入れて、バルダリス総督に挨拶をするために公邸に行き、その時に玄関ロビーでガレット・サンとも再会したのだが、彼女の反応は素っ気ないもので、すぐに公務に戻ったので、挨拶すらできなかった。



「ペガス、お前も一緒に来い」


 公邸の会議室で話し合いが行われるのだが、ミクロスが同席する職務を与えてくれたので参加することができた。


 長テーブルの上座かみざに総督が座り、隣からケンタス、ミクロスの順で並び、総督の正面に公子が座って、隣にランバ、そして俺が下座しもざに着いた。室内警護はケンタスの監視役でもあるテオ・ウルフ一人だけである。


 日没前だが、室内には明り取りの窓すらないので、燭台に立てられた太い蝋燭には火が灯されていた。


「初めに確認させて下さい。ドラコ・キルギアスですが、本人に間違いないのでしょうか?」


 島にいた俺たちが一番知りたかったことを、公子が尋ねてくれた。それに対して、実弟のケンタスが答える。


「間違いありません」

「そうですか」


 続けざまに質問する。


「ドラコがガルマ国に寝返ったデモン・バンクスと手を組んでいるわけですが、その真の狙いは何だと思われますか?」


 それをバルダリスに尋ねたが、総督はケンタスに答えるように促すのだった。


「終戦直後に島から姿を消したガルディア帝国の外交官を追っているのかもしれません。彼は首謀者の一人であるウーベ・コルーナを家来のように従えていましたので、王族の暗殺に関わっていると考えたのでしょう」


 戦争が起こるまでは、不仲を装っていたことも分かっている。


「バドリウス外交官はガルディア人なので、同じ系統の王族が治めているガルマ国にアジトがあると考え、潜入するためには目に見える成果を挙げなければならないので、それで他者を巻き込まない決闘を提案したと思われます」


 それについては公子も同じ読みをしていた。答え合わせに納得したヴォルベがケンタスに質問を重ねる。


「そのように推測していながら、貴官はドラコとの真剣勝負を望まれたわけですが、今もその気持ちに変わりはないのですか?」


 そこで答えを待たずに、本国の決定事項を告げる。


「実はハクタ国から代表者が選出されたのですが、その決定についてどのように思われますか?」


 予想していたとは思えないが、考えることなくケンタスが答える。


「決闘は、相手側の同意なしには成立しません。我々の決定がそのまま受け入れてもらえるとは限りませんので、戦う準備は必要だと考えます」


 公子にとっても予想通りの答えだったようだ。


「正直に申し上げます。僕は、ドラコの秘密作戦に参加したからこそ、戦争に勝ち、陰謀を打ち砕くことができたと思っています。そのドラコが談合してまで勝ちを望むということは、長い目で見た時、そちらの方が島民の利になると考えたからだと思うのです」


 そこで一旦、言葉を切った。


「それでも談合に応じる気はないのでしょうか?」


 島では正々堂々と戦うことを是として貴族を説得していたのに、ケンタスには真逆の考えとなるドラコの作戦への協力を訴えた。


「公子は兄のことを誤解しているのかもしれませんね」


 実の弟が確信に満ちた顔で告げる。


「私に決闘を挑んだということは、兄は初めから真剣勝負を望んでいたということになるのです。なぜなら、オレが談合に応じる男じゃないと、誰よりも知っているんですから」


 兄弟対決がドラコの望みということだ。

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