第十七話(237) ユリスの決断
原典
『ハクタ記』
『カグマン王国の王宮日誌』
著述者:ヴォルベ・テレスコ
現代語訳者:アイ・イシグロ
小説執筆者:ライト・ペン
ヤマト語訳:石黒愛
「ヴォルベ」
僕の名前を呼んだのはエムル・テレスコ、つまり父上だ。
「大事な話がある」
ということで、従弟のフィンス国王陛下と僕の三人だけで話し合うことになった。正確には護衛官をいれて四人だけど、それでも身内だけで会話をしないように控えていたので珍しいことだった。
「甲種の伝令があったことを、ご報告します」
王宮の朝廷部にある執務室で、役員席に座るフィンスの前に立って、父上が伝令の内容を伝える。横に立つ僕もまだ中身は聞かされていなかった。
「こちらがデルフィアス宰相閣下からの信書でございますが、今から読み上げます」
最高級の羊皮紙による伝令書だ。それだけで只事ではないと分かるので嫌な予感しかなかった。そして、それは見事に的中するのである。
要約すると、半島での有事は避けられないこと。領地を守るには十万を超える派兵が必要であること。敵国の外交官がデモン・バンクスであること。戦争ではなく決闘を望んでいること。その対戦者がドラコ・キルギアスであること。そしてドラコの補佐をしているのが、僕の兄貴であることが記されているのだった。
「なにかの冗談ではありませんか?」
そう言ってフィンスが父上から信書を受け取り、印影を注意深く検めるのだった。
僕も悪い冗談だと思いたいところだが、残念ながら父上が国王に伝えた時点で、信書の点検は終えているのである。
「宰相閣下は、陛下のご判断を待っておられます」
つまり王国議会を開いて、七政院による議決を得て、一刻も早く閣議決定を伝えて寄こせと催促しているわけだ。
「実は信書の他にも口伝を預かっておりまして」
非公式の伝令だ。
「それによりますと、帝国議会の議決を事後承諾してほしいとの内容でございました。これは我が国のみならず、他の三カ国にも同様の手続きを求めているとのことです」
現在のカグマン島には四つの国があり、それぞれ他国とは異なる国内法があり、それが帝国議会の議決よりも今は権限が強い状態だ。これは帝国憲法が発布されていないからである。
「加えて、至急ヴォルベを帝都へ向かせてほしいとの要請もございました。これはハクタのキンチ大将や、カイドルのフィルゴ・アレス首席補佐官にも同様の要請をしているとのことでございます」
フィンスが得心する。
「つまり、これから各国の代表者と話し合うが、その間にも、いつでも派兵できるように準備しておいてほしいということですね。しかし十万以上の派兵とは大遠征となりますね」
兵士だけではなく食糧などの物資も海上輸送しなければならないので非現実的である。その点については父上も承知している様子だ。
「だからこそ決闘を提案したのでございましょう。帝国軍に遠征する力はなく、我々が必ず決闘に応じると確信しているのです。そのような誘導に手を貸したドラコ・キルギアスの真意は計りかねますが、なにより解せぬのは」
そこで珍しく父上が言葉に詰まるのだった。
フィンスが信書に目を落とす。
「これによると、ガイル従兄さんは敵営にいるわけですね」
「面目次第もございません」
「叔父上が謝ることではありませんので」
「ご寛容、感謝いたします」
そこで父上に尋ねてみる。
「ユリスには、どのようにお伝えすればよいのでしょう?」
「それは貴官に任せる」
最近こういう返事を頂くことが多いのだが、それが嬉しくもあり、寂しくもあった。
「母上には僕から伝えましょうか?」
「それは義娘に頼むとしよう」
エリゼのことだ。
「それでは急いだ方がよさそうですね」
「頼んだぞ」
モンクルスの一番弟子に頼まれるようになったはいいが、自分の力ではどうすることもできない気がして気が滅入った。
「従兄さん、後のことはお願いします」
そう言って、わざわざ立ち上がり、見送ってくれるのだった。
馬を乗り継いで高速移動することができたので、峠の麓にあるダブン村の宿でハクタ国のレオーノ・キンチ大将と合流することができた。そこで、すぐに挨拶に伺った。
軍閥の名門貴族ということもあり、夏場の暑い時期にも拘らず、生地の厚い軍服に身を包んでいるのだった。
部下との打ち合わせがあったので、夕食を共にすることはできなかったが、話をしたいということで、就寝前に会う約束を交わした。
「さぁ、掛けてくれ」
豪邸の貴賓室のような客室で向かい合って座った。それから一緒に苦味の強いブドウ酒を飲む。流石に寝る前ということもあり、就寝用の薄生地のローブに着替えていた。
「お父上は何か言っていましたか?」
彼の父親はハクタ王だ。
「十万の派兵が可能であることを誇示すべきだと言っていましたね。半島人や大陸人にできないことを先にやることで、それ自体が抑止力になるのだそうです」
この島で「将軍」と呼ばれているのはリアーム・キンチただ一人だが、その意味がよく解った。
「キンチ大将のご意見を伺ってもよろしいですか?」
「正直に申し上げると、大義を見出すのが難しいというのが本音です」
「同感です」
「やはり、そうですか……、そういえば、あの時と一緒ですね」
そこでキンチ大将が思い出す。
「デモン・バンクスが絡んでいるからなのか、カグマン国とハクタ国が戦った時と似ているのです。どういうわけか、今回も、ガルマ国と無理やり戦わされているような、そんな感覚があるんです」
鋭い指摘だ。
「ただし今回はウルキアの修行者ではなく、死んだはずのドラコ・キルギアスが絡んでいるので単純な話ではなさそうですがね。……貴官の御兄上から何か連絡のようなものはありましたか?」
当然の興味だ。
「お恥ずかしい限りでございますが、便りの一つもない始末でありまして、真意を計りかねております」
続けて質問する。
「明かされていないドラコの作戦が存在するのではありませんか?」
ここはきちんと説明する必要がある。
「確かに小官は過去にドラコの作戦に参加したのですが、本当に、命を落としたと思ったので、それは、この目で遺体を確認したので、間違いないと思ったのですが、ですから誓って、デモンと結託していないと、断言します。同じことをユリスにも伝えるので、どうか、信じていただきたい」
キンチ大将が首肯する。
「貴官のことは信じていますが、それだと尚のこと分からなくなりますね。ドラコのことを信じると、確実に国益を損なうことになりますので、……いや、まさか、その反対」
そこで何やら思いついたようだ。
「国士であるドラコが我が国と剣を交えるということは、決闘を成立させた上で、わざと負けてくれるということではありますまいか? つまりデモン・バンクスの味方の振りをしつつ、決闘の日に裏切ろうとしているのではないかと?」
その質問を、三日後の会議でユリスにぶつけるのだった。
オーヒン城の会議室には十席ほどのテーブル席が置かれているが、席を埋めたのはユリスと、フィルゴと、ルークス・ブルドンと、キンチ大将と、僕の五人だけであった。
顔ぶれを見ると四カ国の首席補佐官が集められたので、各国のナンバー2が勢揃いしたことになるが、カイドル国以外は院政を布いているので、会議の重要度はそれほど高くはなかった。
「――ドラコの作戦か」
呟いたユリスの正面に、カグマン、ハクタ、オーヒン、カイドル、それぞれの代表者が並んで座っている状態だ。
「まだ報せていないことがあるのだが、総督から信書の他に口伝を預かっている」
口伝は情報を盗まれないための方策でもある。
「それによると、まさに決闘はドラコによる発案なのだそうだ。そして、はっきりと三カ国による談合であることが明らかになっている。もちろん、それを知るのは限られた者だけだが、島内においても、ここに集まった者しか知らないことだ」
そこでキンチ大将の質問に答える。
「ただしドラコの作戦とは、八百長試合で負けてくれるのではなく、ガルマ国に勝たせろという要求であった。そうすることで貿易が活性化して、三カ国が共に繁栄することになると語ったそうだ」
ユリスの補佐官をしていたフィルゴ・アレスが反対する。
「先人が血を流して戦って譲り受けたカグラダ府の領地を談合で差し出すなど言語道断、検討すら憚られる行為であります故、今後いかなる理由があっても意見を変えるつもりはございませんことを、先にお伝え申し上げます」
そう言うと、北方の辺境伯は早々に口を閉じてしまった。
それを見て、ルークス・ブルドンがユリスに訴える。
「この場に呼んでもらえたのは有り難いが、オーヒン国のことは親父、いや、ユリスにお願いしているので、貴族院への説明も含めて全部お任せします。もちろん、口外しないことだけは約束しますがね」
三代目も早々に話し合いから降りてしまった。
キンチ大将が弱った顔を見せる。
「その説明ですが、わざと負けて領土を手放すとなると、私も老父にどのように話せばよいのか悩んでしまいます。もしもこの場にいたとしても、アレス閣下同様、決して受け入れることはなかったでしょう。そして、それは小官の考えでもあるのです」
そう言った直後、慌てて付け加える。
「いえ、戦争を望んでいるというわけではございません。わざと負けたことが知れたら、ハクタの役人や商人が黙っていないと思われるからです。これまでの貿易で最も恩恵を享受してきた人たちなので、談合による貿易協定の見直しは、自分たちを排除するためだと思うでしょうからね。そうなると国内で内乱が起こることも考えられます故、そうならないための反対だと、ご理解ください」
反対が二票で棄権が一人、この場での結論は既に決まったようなものである。それでもユリスが僕を呼んだ理由を考えなければならない。とはいえ、結論を出すには情報が足りていない。
「ケンタス・キルギアスからの進言はありましたか?」
ユリスが僕の質問に答える。
「アル・バルダリスからの伝言によると、彼は戦争に反対で、それでも争いが避けられないならば、決闘に応じるしかないと考えている。しかし談合には反対で、やるなら正々堂々と戦うべきだと進言したそうだ。その時は自分が兄であるドラコと戦うとね」
ならば、それが正解だ。問題は、どのように周りを説得するかだが、それが此処に呼ばれた理由でもある。
「みなさんに思い返して頂きたいのは、コルピアスの財宝です。カグマン国が半島に隷属地を領有していながら、海上貿易で儲けていたのはハクタの役人や商人、それから他国の政治家だったコルピアスだったではありませんか。しかもコルピアスの財宝は、半島諸国の国家予算に相当するといわれています」
そう、これはお金の問題だ。
「血を流して戦ったのはカグマン人なのに、戦後、儲けてきたのはハクタ人やオーヒン人だったのです。現行制度の不備をついた不正が敵国の軍事費に変わり、それによって我々が他国からの侵略に直面している事実を、もっと重く受け止めなければなりません。それこそ先人の思いを踏みにじる行為なのですからね」
氷の男と呼ばれているフィルゴ・アレスが深く頷いた。
「戦争か決闘かの二者択一を迫られているというのも、考えてみればおかしな話です。五十年以上も半島では内戦すらなく、貿易協定の見直しを求めた途端に総督の暗殺事件が起きたということは、既得権者の中に犯人がいるとみて間違いないでしょう。ならば、やはり制度を変えなければいけないのです」
僕は僕よりも、現地の状況を知るケンタスを信じる。
「ケンタス・キルギアスが戦争に反対しているのは、そもそも半島には戦争の脅威など端から存在していないからなのかもしれません。そんなところに派兵しても、訓練兵を買収されるか、我が軍の兵士は土木作業の経験も豊富なので、いいように利用されるだけでしょう。そもそも我が軍にクルナダ半島の領土を守らせるというのもおかしな話ですからね」
これにはキンチ大将も納得した表情を見せる。
「こちらが派兵すれば交戦せず、派兵を中止すれば侵攻するという、卑怯で卑劣な手段を用いるならば、ケンタスが望む通り、一対一の決闘に応じて、正々堂々と戦った方がいいと考えます。それは領有権の問題であって、貿易制度の見直しは別ですからね」
そこで棄権したはずのルークス・ブルドンが口を挟む。
「おいおい、決闘ってな、ガルマ国の代表者がドラコなら、こっちはケンタスを戦わせるしか勝ち目はねぇじゃねぇか。お前は、ああ、すまない、公子、おたくはキルギアス兄弟を戦わせようとしてるんだぜ?」
百も承知だ。
「万人を納得させるには、その二人の組み合わせしかありません。大勢の観客の前で、八百長試合だと思わせないように、ケンタスには正々堂々と戦ってもらいましょう。これは彼が出した結論なのですから」
三代目が口を閉じた。
「負けた場合、領地を手放すことになりますが、大事なのは帝国府の国庫に金が流れるように仕組みを作り替えることです。役人や豪商の私腹を肥やすだけの現行法を改められるならば、ガルマ国との決闘に応じるべきです。どちらが勝ってもキルギアスが勝利するのですから、我々にとって有利な状況を生み出したドラコの作戦を信じます」
ユリスが首肯する。
「よし、わかった。私もドラコを信じるとしよう」
ということで、この場で話したことをキンチ大将と一緒に文章にまとめて、それをフィルゴに添削してもらい、公文書として帝国宰相に提出した。それをユリスが記憶して、議会で発表し、貴族院の承認を得るわけである。
それから間もなくしてガルマ国との決闘、つまりは開戦することが正式に決まった。その決闘に立ち会うようにユリスから命令を受けたので、ランバ・キグスと共に半島へ渡ることとなった。
とはいえ、立会人というのは表向きの理由で、もしもケンタスが死んだ場合、バルダリス総督一家を安全に島へと連れ戻さなければいけないので、そのための密命であった。




