第十六話(236) キルギアス兄弟の再会
チロ・インシネとの会合を終えた後、在外公館でデモン・バンクスと二回ほど打ち合わせを行ったが、クルナダ国の御三家について話題に上ることはなかった。
会議の中身は専らカグラダ府との外交交渉についてであった。執務室にはドラコと俺の他にデモンと補佐官の四人しかいなかったが、ほぼ二人だけでの話し合いとなった。
ガルマ国に有利になるように意見を出し合うのだが、そこではデモンだけではなく、ドラコも帝国府の外交団を敵国と見做して対策を練るのだった。
「最後に一つだけ」
あとは三カ国協議に臨むだけ、という状態まで話を詰めたのだが、そこでデモンが言いにくそうに呼び掛けるのだった。
「ないことを願っておるが、もしも万が一にも貴官が決闘で命を落とした場合、その後の事後処理において、ドラコ、其方に全責任を負ってもらうことになるが、それでも構わぬな?」
申し訳ない、という小芝居を入れる。
「いや、そうでもせねば、この儂も職を追われるであろうからな。そうなれば窮地に陥ったガルマ国が暴走しても、誰も止めることができなくなる」
それは事実だ。
「戦争を回避するために決闘を持ち掛けたというのに、貴官が負けて戦争が起こるようでは、まさに本末転倒ではないか。そのような事態を招かぬためにも、其方に責任を負ってもらいたい」
話の入りは低姿勢だったのに、終わりは有無を言わさぬ感じだった。
「もちろんでございます」
ドラコの表情には余裕がある。
「話を持ち掛けたのは小官の方でございます故、私が敗れたのなら、好きにされたし。危ない橋を渡らせようとしているのは百も承知しております故、拙に断りを入れる必要もございません」
間髪を入れずに続ける。
「それに万一ではありますが、閣下がお亡くなりの際には、島の安全を守るためにも、小官も同様に全責任を閣下に押っ被せる腹づもりでございます故、余計な気遣いはなしと致しましょう」
それを聞いたデモンが大笑いするのだった。
「ドラコよ、貴官のような男は初めてだ。大抵の者は腹の中を探られまいと必死で本心を隠すからな。嘘を見破られぬように取り繕い、おべんちゃらを用いるのだ。それが不審を抱かせるとも知らずにな」
矢継ぎ早に話す。
「よかろう、相互主義でいくとしよう。その方が余計な詮索をせずに済むのでな。ウルキアの修行者どもより、よっぽど誠実ではないか。あの者らは真のペテン師だ。二度と信用してなるものか」
そこで散会したが、二人ともとにかく早口だった、という印象が強く残った。普段のドラコと違って相手に会話の主導権を握られないように必死だったように思う。
それから根城にしている貸し邸の居間で、いつもの四人で卓を囲んで情報交換を行った。
汗ばむ季節だというのに、ビアンとマールは黒の礼服に身を包み、素肌を一切見せようとしないのである。
ドラコも常に外出できるような身支度をしており、腰巻だけで過ごしている俺だけが変わり者に見えてしまう始末だ。
「カグラダ府の外交団だけどね」
西日を受けるビアンが切り出す。
「ドラコの存在はもちろん、デモンの行方も掴めていない様子だね。いくらミクロスやガレットでも、やっぱり外国の土地では苦労しているみたいだ」
会話を受けるのは常にドラコだ。
「ミクロスがいるからこそ、デモンも警戒を強めたのでしょう」
「そうかもしれないね」
「ガリク・オッポスの動きは?」
「特に変わった様子はないよ」
ドラコが安堵する。
「このまま動向を探って頂けるとありがたい。決闘が終わったら、カグマン王暗殺未遂事件の証拠を固めて、奴の息の根を止めようと思っているので」
証拠を必要とするのは外交上、必ず問題になると分かっているからだ。ドラコは法を重んじるけど、証拠集めに関しては手段を選ばない。そこがケンタスとの決定的な違いだと自ら認めていた。
「オッポス家の方は任せておきな。ガリクもデモンに出し抜かれたとは思っていない様子だし、王宮で三か国協議が行われることも知らされていないんだ。つまりクルナダ国の御三家からも見放されたということだね」
この短期間でデモンに乗り換えたということだ。
「残るはケンタスを説得するだけか」
「説得って?」
俺も聞かされていない。
「ケンタスに決闘を受けさせた上で、対戦相手から降りてもらうのです。免責を条件に殺人犯にでも戦わせれば良いのですからね。事情を説明すれば理解が得られると信じています」
そこで険しい表情を見せる。
「ただし国の命令を受ければ拒否できないので、ケンタスも逃げないでしょうし、そうなれば剣を交えることになるでしょう。その時は全力で戦うのみですが、どちらが勝っても島民のためになる、それだけが救いですね」
こうして二日後の三カ国会議に臨むのだった。
南棟の王宮内にある会議場で久し振りの再会を果たしたキルギアス兄弟は、反応が対照的だった。
家族との再会を懐かしむドラコに対して、弟は余裕を持てずに怖い顔で凝視し続けるのである。
俺もドラコの後ろから入場したのだが、ミクロス以外に注意を払う者はいなかった。祝勝会で一度だけ顔を合わせたことがあるが、彼の方も憶えている様子だった。
席はコの字型にセットされており、デモンの紹介を受けて、カグラダ府とクルナダ国の代表者を左右に望む位置に座らせてもらった。並びは一緒に呼ばれた補佐官、デモン、ドラコ、俺の順番で腰を落ち着けた。
「ドラコ」
呼び掛けたのはアル・バルダリス総督だ。彼のことは、王宮に呼ばれた時に見たことがあるので知っていた。
「生きていたとは知らなんだ」
「お久し振りでございます」
「貴君の席は、ガルマ国の役人が座る席だが?」
「承知しております」
「決闘も承服していると?」
「相違ありません」
「それは我が国に刃を向ける行為なのだぞ?」
「真意を知れば、ご理解いただけるかと存じます」
そこで総督は隣に座るケンタスに交渉を委ねるのだった。
「質問に応じるのは何方でしょうか?」
ケンタスの問いに、デモンは笑みを浮かべて、無言のまま隣のドラコを指し示すのだった。
「この目で遺体を確認できませんでしたので、死亡を伝えられても、その情報を鵜呑みにはしなかったのですが、このような形で再会するとは思ってもみませんでした」
ドラコが食い気味で返事をする。
「ここは家でもなければ宿でもない。個人的な話は後でしようじゃないか」
いきなり弟から会話の主導権を奪った。
「今日中に結論を出すために本題から入らせてもらうが、ケンタス、これは一種の談合だ。しかも商家が絡む入札と違って違法性はない。そもそも処分の対象となる罰則がないからだ」
クルナダ国の三当主に目を向ける。
「ガルマ国はもちろん、クルナダ国からも既に合意を得ている。残るはカグラダ府が首を縦に振るだけだ。決闘で敗れれば領土を手放すこととなるが、代わりに得られるものに比べたら納得できるはずだ。それを今から説明する」
途中で口を挟ませないように話すのだった。
「決闘でガルマ国が勝つことによって半島の南部を明け渡すこととなるが、カグマン島にとっては貿易相手国が二カ国に増えることになる。それによってクルナダ国は大陸路を手に入れることができるので、三カ国がそれぞれ販路を拡大させることができるわけだ」
三当主が揃って頷くのだった。
「戦争ならば、こうはならない。死んだ兵士の分だけ補償金の負担が嵩み、そうなると和平交渉ではなく、戦勝国が一方的に得をする条約を押し付けられることになるんだ」
間を空けずに説得を続ける。
「いいか? どの道カグマン島は半島の隷属地を手放すことになる。土地を守る兵士がいないのだから当然だ。ならば平和的に解決すべきじゃないか? 紳士的に戦えば、その後の貿易協定も互いに相手国を尊重して行えるのだからな」
そこでデモンが横に座っているドラコを手で制止するのだった。
「ちょっと待たれ」
そこでわざとらしく苦悶の表情を見せつけるのである。
「ドラコよ、それでは三カ国のうち、カグマン島政府だけが損をすると目に見えているではないか。半島を経由した大陸路の貿易は魅力的だが、そもそも島民にとっては、わざわざ半島を経由させる必要はないのだからな」
批判的な口調で続ける。
「真の平和を目指すなら、ここはやはり派兵すべきではないのか? 勝てる戦争を止めさせて、決闘で負けることを勧めることが、どうしても儂には、島民の利益になるとは思えんのだ」
事前の打ち合わせ通り、決闘を望むドラコに対して、デモンが反対意見をぶつけるのだった。それに対して、ドラコが語気を強めて再度反論するところまで決まっている。
「だからこそ、談合が有効的だと言っているのです。この場にいる者が示し合わせるだけで、他の者に妨害されることなく、戦争を回避することができ、平和的に貿易協定を結ぶことができるのですよ?」
そこでデモンが口ごもる、という芝居をするのだった。続けてドラコがケンタスを説得する。
「繰り返すが、島民に半島の土地を守り続けることはできない。お前にできたとしても、お前の死後は不可能だ。必ず奪われることになる。だったら一時的には損をするが、それでも今から有効的な関係を築いた方がいい。そのための決闘、つまりは紳士協定なんだ」
この場にいる全ての者がケンタスを見ている。
彼は、どのように答えるだろうか?
注目を浴びる中、モンクルスの後継者が口を開く。
「決闘に負けろということは、我々に八百長試合をしろということですか? それのどこが紳士協定だというのか、理解に苦しみます」
必ず説得に応じる、というドラコの事前の予想が外れた。
「ケンタス、お前の気持ちも分からなくはないが、これは島民や半島民の命や生活が懸かっている問題だ。個人が行う決闘とは訳が違うんだ。戦争を回避させるためには、決闘以外の選択肢はない」
弟が兄に歯向かう。
「決闘が成立したら、俺は負けませんよ?」
絶対の自信が感じられた。
ドラコも譲らない。
「これも繰り返しになるが、事前に結論を決めるというのが談合だ。不服ならば、担当から外れてもらうしかない。もちろん、それを決めるのはバルダリス総督閣下、もしくはデルフィアス宰相閣下だがな」
総督に注目が集まるが、彼は口を開こうとしなかった。それを見たドラコが、今度はバルダリスに対して説得を試みるのだった。
「ガルマ国の侵攻作戦に対抗し得る兵力は一万ではなく、十万です。帝国軍ならば派兵も可能でしょうが、そんなことが実現しようものなら、それは防衛戦とは呼ばれず、侵略戦争として記録されることでしょう。半島との関係において、そんな歴史を残してはいけない」
そこで間を取ったが、もはやドラコの話を途中で邪魔する者はいなかった。
「バンクス閣下がガルマ国の外務次官になられたことで、戦争を回避する絶好の機会が生まれたのです。これは当たり前のことではなく、唯一にして、一筋の希望と言っても過言ではありません。八百長であろうが、違法でない限り、この千載一遇の好機を逃すべきではありません」
弟を無視して、総督に進言する。
「対戦相手をケンタスに固執する必要はないと存じます。平場であることと、一対一の条件を守って頂けるなら、どんな相手でも受けて立ちましょう。カグマン島には大貴族に雇われた剣豪が数え切れないほどいますからね。または、私に私怨を抱いている殺人鬼でも構いませんが」
最後に一押しする。
「この機会を逃せば、もう二度と戦争を食い止めることはできないでしょう。ガルマ国にとって良いこと尽くめのように思われますが、彼の国は決して一枚岩ではなく、戦果を望んでいる者が少なくないからです」
そこで隣に座る悪魔を見る。
「この場での協議内容が外部に漏れれば、それだけでご破算となるやもしれません。デモン・バンクス閣下が職を賭し、いや、身命を懸けて交渉に臨んでいることを、どうか、ご理解いただきたい。この中で誰よりも我が身を危険に晒しているのは、ガルマ国の外務次官ですからね」
そこでクルナダ国のベナルチ当主が返答を催促する。
「総督閣下、そろそろ答えられてはいかがか? これ以上の沈黙は、遅きに失することとなりかねませんぞ」
バルダリスが腹を括る。
「分かりました。判断を本国に委ねるとしましょう。それでご満足いただけますね?」
ケンタスの反対で一時はどうなるかと思ったが、ドラコによる軌道修正のおかげで、予定通りの返事をもらうことができた。
散会後、泊まり部屋に戻ったデモンとドラコがガッチリと握手を交わす様を見て、交渉に勝利したことを確信した。
「ケンタスが新総督じゃなくて助かりました」
ドラコによると、それが勝因のようだ。




