第十五話(235) ドラコの根回し
それから話を細かく詰めて、六週間後の再会を約束して、デモン・バンクスと別れた。次に会う時は汗ばむ季節になっていることだろう。
余談だが、クルナダ市とガルマ市の距離は、カグマン市とオーヒン市の距離とほぼ同じだといわれている。しかし移動は倍の時間を要するそうだ。
移動時間に差があるのは、単純に大陸馬と列島馬の馬力に差があるからだ。何度も列島馬の輸入を試みるも、繁殖に成功した例は一件もない。
だから帰国したデモンと再会するのに時間が掛かるわけだが、ビアンの報告によると、再会する予定の十日も前に在外公館に戻ってきているそうだ。
そこで滞在中の一棟貸しの邸の居間で作戦会議を行った。中庭が見える窓の前にテーブルがあり、出入り口を目視できる位置にドラコが座り、その正面に俺が腰を下ろし、間にビアンとマールが座った。
ちなみにビアンとマールの二人と話をするのは久し振りであった。日没後に来てドラコと会話をするも、夜明け前には必ず教会に帰ってしまうからである。
「デモンだけどね」
まるで老婆のような濁声のビアンが話を切り出す。いや、老女には違いないが、初老の四十を越えたくらいなので年齢よりも老けて聞こえる。
「ワタシたちに内緒で東御所の当主に会いに行ったよ」
東の王宮に住んでいるのはベナルチ家だ。現在の王様はキセリニ家の当主だけど、常にベナルチ家が実権を握っているといわれている。
「まさか、俺たちに内緒で手を組むつもりじゃないだろうな?」
俺の質問に、ドラコが涼しい顔で答える。
「それ以外に考えられません」
「大丈夫なのか?」
「大丈夫とは?」
「デモンに裏切られるんじゃ?」
ドラコが苦笑する。
「いや、失礼」
笑顔を引っ込めてから続ける。
「デモンとは裏切られることを前提に手を組んでいるので、特に驚くことではないのです。向こうも私と命運を共にしようとは思っていないでしょうし、保険を掛けるのは当たり前ですから」
これが戦国の世を生きるということか。
「むしろ分かりやすい行動を取ってくれるので助かります。絶対に裏切らない者に裏切られると計算が狂いますからね。それがユリスやケンタスにとっての、私になるわけですが」
せめて俺だけでも、ドラコが島のために大帝国と戦っていることを記憶せねばならない。
「デモンが先に動いたので、こちらも動くとしましょう」
何もしていないと思っていたら、後で言い負かすために、デモンが先に動くのを待っていたわけだ。
「キセリニ王政は、実質的にはベナルチ家の傀儡政権なので、デモンが目を付けるのは予想できました。ブルドン王ではなく、ゲミニ・コルヴスと手を組んでいた時の構図と同じですからね」
歴史のデジャブ現象だ。
「ですが、私はインシネ家に単独政権を担ってもらいたいと思っています。理由は、カグマン王暗殺未遂事件の対応に関して、現職の国王であるキセリニ家と、フィクサーであるベナルチ家が、誠意ある事後処理を行っていないからです」
コルーナ家の責任にして逃げている状態だ。
「消去法でインシネ家を支持するしかないという状況ですが、謁見の申し入れを受け入れて頂いただけでも希望が感じられます。しかも外信では匿名として扱ってほしいという要望も承諾してくれましたからね」
非公式の上、記録にも残さないということだ。
「話してみなければ分かりませんが、話し合いの場が持たれただけでも感謝せねばなりませんね」
そこでドラコがビアンに尋ねる。
「オッポス家の方はどのような様子でしょう?」
教会のネットワークを持つ修行者が答える。
「ありもしない戦争を自分たちで吹聴して回ったということもあって、クルナダ方面の外交を担当するデモンが本国に戦備を訴えた報告を受けて、大男のガリクは大喜びしていたよ」
ドラコがホッとした表情を見せる。
「つまり決闘になるとは思っていないわけですね」
「戦争の気運を高めた張本人だ。驚くに違いないよ」
「手柄が横取りされるとは思っていないわけだ」
「自分の思い通りに事が運んでると思ってるのさ」
不安を煽られただけで戦争の気運が高まる国民感情もどうかと思うが、情報を操って誘導する奴が一番悪いことに変わりはない。
「ただね、よからぬことを企んでるようなんだよ」
「今度は誰を暗殺しようというのですか?」
ドラコはニヤけながら冗談っぽく言ったが、ビアンは大真面目だ。
「お前さんの弟だよ、正しくはバルダリス総督だがね」
「ケンタスなら問題はありません」
「五十人の実行部隊を用意してるんだよ?」
「成功させたいなら、邸を守らせている精鋭部隊を送らなければならない」
すぐに自説を否定する。
「それでもガレットとミクロスがいるので失敗するでしょうがね」
「いっそのこと千人くらい用意すれば良かったということかい」
ドラコが真面目な顔をして頷く。
「その通りなのです。お金の使い方にはその人物の癖が出ますが、ガリク・オッポスは身を守らせるために大金を投じても、暗殺の依頼には出し惜しみしてしまう男なのかもしれませんね」
断定は避けているが、敵の分析はしっかり行っているようだ。
「そんなことより決闘だけど、お前さん、本当に実弟と戦うつもりじゃないだろうね?」
ドラコが平然とした顔で即答する。
「戦うことになるでしょう」
「他に方法はなかったのかい?」
「高齢のデモンを最短で出世させる最善策です」
ビアンの不満げな表情から察するに、決闘はドラコの発案で間違いなさそうだ。彼女は止めさせようとしているが、ドラコの意志は固いといった具合である。
「お前さんにケンタスを殺せるかね?」
「殺すと強く願わねば、私の方が殺されます」
「せめて対戦者をケンタス以外の者にできないのかい?」
「決闘を成立させることができるのは、私と弟の組み合わせだけです」
ビアンは納得していない。
「今度も助かるとは限らないんだよ?」
「悪魔と契約してしまいましたからね」
「他の者には、お前さんも悪魔に魂を売った男に見えているんだ」
「だから勝たねばならぬのです」
ビアンが達観した表情になる。
「それが定められた未来なのかもしれないね」
「ケンタスが私との決闘を想像できていないのなら、私が勝つでしょう」
しかしモンクルスが後継者に選んだのは弟の方だ。
「もしも、お前さんが死んだら、ワタシたちはどうすればいいんだい?」
「その時はクルナダ半島が三国時代を迎えますが、ケンタスならば百年は平和を保つことができるでしょう。それが弟の限界でもありますが」
やはりドラコが勝たなければならない。
チロ・インシネとの会合は、北御所と呼ばれる王宮の北棟で行われた。フード付きのローブを纏った聖職者を装って入城したので、暑くて仕方がなかった。
会合の場所は城内にある礼拝堂だ。架空の巡礼者を装うことで、密会を成立させることができたわけだ。
祭壇の前に長椅子が五十脚も設置されているが、この時は当主のインシネと補佐官、そしてドラコと俺の四人しか居合わせていなかった。
お堂の真ん中の席に、インシネとドラコが通路を挟んで隣り合うように腰掛けて会合が行われた。こういう時、補佐官や俺は口を開かずに黙って上役の隣に座るだけである。
「まさか、ドラコ・キルギアスに会えるとは思わなかったな」
チロ・インシネは二十代の若き当主だ。フレンドリーではあるが、人によっては軽薄に映るだろう。
「実は以前に饗宴の間でモンクルスの芝居を上演させたことがあるんだ。ビナス・ナスビーの台本を取り寄せるんじゃなくて、島の劇団を丸ごと呼び寄せたことがあるんだよ」
金の使い方が芸術文化を大切にするウルキア人っぽい。
「それは大層なご趣味でございますね。小官も芝居が大好きで、『モンクルス伝』は何度も観ました。最新版のも含めれば数え切れません」
インシネが驚く。
「最新版だって?」
「はい。これまで御大はモンクルスを題材に三作書かれておりますので」
そこから芝居の話が長く続いた。苦痛に感じる、クソ面白くない長話を、最後にインシネがまとめる。
「是が非でも三作目を観なければならないな」
「一応は、三部作ですからね」
「一応というのは?」
「実は三作目はペンネームを継承した弟子が書いたとする説があるのです」
話が終わったと思ったら、そこから退屈で、くだらない、クソ忌々しい現代演劇の話が長く続いたのだった。
「『モンクルスの再来』と『モンクルスの後継者』が決闘するわけか」
そこで暗い表情を一転させて、白い歯を見せて笑うのだった。
「そいつは面白そうだ!」
ひょうきん者のミクロスとトリオを組んでいただけあって、ドラコはインシネのノリが嫌いじゃなさそうだった。
「それで余に何をしてほしいというのだ?」
やっと本題に入った。
「決闘で私が勝ったらガルマ国が強くなりすぎて、私が負けたらガルマ国が弱くなりすぎてしまいます。ですから殿下には、半島に領地を持つ三カ国が武力衝突せぬよう、上手く働きかけて頂きたいのです」
インシネが面倒臭そうな顔をする。
「それはまた抽象的な願いであるな」
ドラコが険しい表情を見せる。
「決闘でガルマ国が勝利しますと、我々はカグラダ府を明け渡し、半島から撤退せねばならず、有事が起きてもクルナダ国を支援することができなくなります。私と致しましても、ガルマ国だけが利する為に決闘をするわけではありませんので、それでは不本意となります」
手の内をガンガン晒していくようだ。
「また、決闘でガルマ国が敗北しますと、我々カグラダ府の支配地域が広がり、半島はキレイに三分割されることとなります。三すくみの状況は一見すると均衡が保たれているように見えますが、裏で手を組んだり、漁夫の利を狙ったりと、陰謀が蔓延る世になりやすいのです」
ドラコが覚悟を決めるかのように大きな呼吸をする。
「デモン・バンクスは、私が勝っても負けても、カグマン島に利益誘導するために動いていたと主張することでしょう。現在の立ち位置は、三カ国の味方だと言い張ることができる、そんな巧みな立ち回りを演じていますからね」
ドラコが高い天井を見上げる。
「私が決闘に勝てばクルナダ国まで滅ぼそうとし、ガルマ国に半島の覇権を握らせる可能性があります。私が負けても同様に、今度はカグラダ府と結託してクルナダ国を滅ぼす可能性があるのです。なぜならデモンには大帝国を喜ばせるという目的があるからです」
インシネがドラコの顔を覗き込む。
「じゃあ、どうしろというんだ?」
「キセリニ家とベナルチ家を崩壊させるのが一番です」
「無理だ」
「だったら御三家とも滅ぶだけですが?」
インシネが鋭い眼光を飛ばすも、ドラコが気圧されることはない。
「現国王にはカグマン王を暗殺しようとしたウーベ・コルーナを任命した責任があります。ベナルチ家も同様に推薦した責任は免れません。両家が存続するということは、帝都の言いなりになって、島の要人を暗殺し続けることとなるのです」
結局、諸悪の根源は皇帝一族のジス家にあるわけだ。
「しかし、ベナルチの大親分には逆らえないからな」
「帝都の犬にすぎませんよ?」
インシネが笑う。
「自分では百獣の王のつもりだぜ?」
「デモンは自惚れた男を唆かすのが得意なのです」
「チャンスとばかりに挙兵して自滅するということか」
「クルナダ国に先に手を出させるには、ベナルチの親分さんほど、うってつけの人物はいませんからね」
インシネが悪夢を振り払うかのように首を振る。
「もう既に国がガルディア人に乗っ取られているかもしれんな」
「本来ならアステア人が得意としてきたことなんですがね」
「すべてデモンの望み通りになってるわけだな」
「私も協力者の一人ですが」
インシネがハッとする。
「そうだ、貴官次第ではないか」
「いいえ、殿下次第なのでございます」
ドラコが説得する。
「私がガルマ国の為に戦うのは一時のこと。あくまで狙いは帝都ガルディアです。いずれデモンと共に半島を出ることになりますので、それまでにカグマン王の暗殺計画に関与した者たちを一人残らず断罪したいと考えております。そういうわけで、その後の世を任せられるのが、殿下しかいないということなのでございます」
インシネが小さく頷く。
「引き受けてもいいが、決闘に勝ったらの話だな」
彼もまた、悪魔と契約を交わした一人となった。




