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第十三話(233) ドラコ再始動

原典

『ドラコ伝』


著述者:ガイル・テレスコ


現代語訳者:アイ・イシグロ


小説執筆者:ライト・ペン


ヤマト語訳:石黒愛

「ガイル」


 俺の名前を呼んだのは、クルナダ市の貴族街に住んでいる年増としまのマダムだ。


「帰ってきたみたい」

「本当かよ」


 庭師に化けて邸に入り、そこで俺好みのスケベなマダムと一階の寝室で情事にふけっていたのだが、どうやら亭主の邪魔が入ったようである。


「ここから逃げて」

「悪いな」


 絨毯じゅうたんをめくると、床の下に隠し階段があり、そこから広い庭の端にある物置小屋へと脱出できるようになっているのだった。


「忘れ物はない?」

「ああ」


 持ち物は作業用の半ズボンと丈の短い貫頭衣とサンダルだけだ。それを両手に抱えている状態である。


「これ、持って行って」

「いや、こんなにももらえない」

「いいから」


 とマダムが俺に銀貨の詰まった巾着袋を押し付けたが、一度断ってから貰うと誠実な男だと思われるため、そうしただけである。


「ありがとう」


 お礼を忘れてはいけないが、それよりも大事なのは接吻せっぷんだ。特にクルナダの女は情熱的なので、舌を思い切り吸い付いてやると喜ぶ。代わりに赤紫色の髪をグチャグチャにされるが、それは別に構わなかった。


「じゃあな」

「ああ、ガイル、今度はいつ会えるの?」

「さあな」


 破って恨まれるような約束はしない方がいい。


「あばよ」


 と言って地下通路にもぐったはいいが、そこで思い出したのは島にいた時のことだ。


 ハクタの州都官邸で暮らしていた時も、れた女に会いに行くために、地下通路を這って歩いていたっけ。


 つまり十五歳だった六年前から、なんにも変わっていないということだ。



「ガイル」


 酒場通りの露店で買ったラム酒と鳥串を、宿屋街の中央広場で女を物色ぶっしょくしながら胃のに流し込んでいたところ、二人組の修行者に声を掛けられた。


「ガイル」


 そいつらのことを無視しているのは、黒紫の髪色をしたウルキアの修行者は身持ちが堅いと知っているからだ。


「ガイル・テレスコ」

「え?」


 半島に渡ってから家名を名乗ったことは一度もないので驚いた。


「なんで俺の名前を知ってる?」

「ワタシたちは、お前さんのことなら何でも知ってるんだよ」


 初老に差し掛かった、俺好みの中年の修行者だが、顔に覚えはなかった。


「名前は?」

「ワタシがビアンで、こっちがマールだ」


 まん丸いマールの方がモテるだろうが、俺は性格のキツそうなビアンの方がタイプだった。それと礼服の上からでも肉付きの良さが分かるからだ。


「前に、どっかで会ったっけな?」

「お前さんが島にいた時から知ってるんだ」


 低い声だが、妙になまめかしい。


「王宮にアニーティアって女が出入りしてたが、そいつの仲間か?」

「ほぅ、たいした記憶力だね」

「いい女は忘れないのさ」

「弟と違って、ほんと節操のない男だよ」


 ヴォルベが名門のハドラ家に婿入りしたことは知っている。だけど羨ましくはなかった。所詮しょせんは田舎貴族だからである。大陸で暮らす都の女とは訳が違う。そういう俺もいまだに帝都に行けずにいるのだが。


「で、俺に何の用だ?」

「手伝ってもらいたい仕事がある」

「報酬は?」

「仕事の内容より先に報酬が気になるんだね」


 値段で仕事の中身が分かる。


いくら貰えるんだ?」

「望んだものを好きなだけ手に入れられるって言ったら、どう思うね?」


 それは神じゃなく、悪魔との契約だ。


「何をすればいい?」

「ある男の通訳をしてもらいたいのさ」



 色んな女を口説くどくために複数の言語をマスターしたが、どうしてそのことを知っているのだろうか?


「男って、誰のことだ?」

「ついて来るがいい」


 まだ引き受けると言った覚えはないのに、足が勝手に動いてしまった。やはり、これは悪魔の契約なのかもしれない。



「さぁ、こっちだよ」


 連れて行かれたのは、商業地区にある服屋だった。しかも貿易商が出入りするような高級な店なので、依頼者が金持ちだってことが分かった。


「様になってるじゃないか」


 言われるがままに着替えたが、丈の長い貫頭衣に革ベルト、その上から肩掛けのローブを羽織らされたので、見た目だけなら信仰心のあつい貴族や役人と変わらなかった。


「まだまだ肌寒いから、ローブは助かるよ」

「そりゃ良かったね」


 夏はまだ先だ。


「ビアンも寒い時は言ってくれ、俺が温めてやるからさ」

「下品なことを言うと、その舌を引っこ抜いちまうよ?」


 一瞬、ほんとうに舌が無くなくなるかと思った。

 いや、気のせいだが。



「お前さんにやってもらいたい仕事っていうのはね、小汚こぎたない恰好じゃ務まらないんだ」


 説明を受けながら向かった先は、警備が厳重な高級宿場町であった。貿易商が出張で長逗留するための宿が並んでおり、独立した賃貸物件なので、街の雰囲気は貴族街と変わらない。


「通訳だったな」

「肩書は『秘書』さ」

「聞いたことない言葉だ」

「公的機関でいうところの『補佐官』みたいなもんだね」


 弟のヴォルベがカグマン王の首席補佐官だ。国王とは従兄弟同士の間柄なので公平な人事とは思えないが、用心棒として恐れられているそうなので、実利を取ったということなのだろう。



「さぁ、入っておくれ」


 ビアンに案内されたのは、どこにでもある貴族のおやしきだ。隣家とは高い石壁で仕切られており、敷地内には馬車蔵もある。この借家を借りられるだけで身分が保証されているわけで、それだけでスゴイことだ。



「お前さんの雇い主が中でお待ちだよ」


 通された居間で出迎えた男は、


「なんで死んだはずのドラコがいるんだ!」


 叫ばずにはいられなかった。


「憶えておいでとは、光栄にございます」


 戦勝記念パーティーで一度だけ見たことがあるので間違いない。


「いつからカグマン島は死者が蘇る土地になったんだよ!」


 そこでビアンに手を叩かれた。


「ワタシの背中に隠れるのはしておくれ」

「すまん」

「弟と違って、情けない男だね」

「しかし、島では幻が人を殺すって言うじゃないか」


 ドラコが感心してみせる。


「海外にいながら、そんなことまでご存知とは」

「島の田舎町より半島の港町の方が、情報の伝達スピードは速いんだぜ」


 貿易商の女房から話を聞き出したから知り得たのだが。


「公子、どうぞ、お掛けください」


 久し振りに「公子」と呼ばれた。現国王の従兄だから呼ばれていたが、大貴族の連中からは一度も呼ばれたことがなかった。


「じゃあ、ワタシたちも失礼するよ」


 と言って、ビアンとマールが長椅子に並んで腰掛けるのだった。くたびれた感じなので、見た目以上にとしくってるのかもしれない。それでも俺の好みに変わりはないが。


「それで、俺に何をさせようってんだ?」


 三組でテーブルを囲むように座り、ドラコが俺と向き合う形で腰を落ち着けてから、質問に答えるのだった。


「我々の島にとって脅威となる大陸の覇権、それをそっくりそのまま頂こうと思っているのです」


 意味が解らなかった。


「公子には、そのお手伝いをして頂きます」


 思わず、笑いが込み上げてしまった。


「大陸の覇権って、そりゃ、世界征服のことだぜ」


 ダメだ、変な笑いが出る。


「この地球を手に入れるっていうことなんだよ」


 ドラコの真顔を見て、急に怖くなった。


「まさか、本気じゃないよな?」

「その、まさかでございます」


 そう言って、「モンクルスの再来」と呼ばれた男が見つめ返すのだった。


「そんなの出来っこない。帝都ガルディアに行くことすらままならないんだからな」

「そのために公子のお力が必要なのです」

「俺にそんな力はない」

「いいえ、ございます」


 親父のエムル・テレスコと息子である俺を同一視しているのかもしれない。


「俺は剣聖モンクルスの一番弟子じゃないんだぞ?」

「私もモンクルスではありません」


 弟のケンタスが「モンクルスの後継者」と呼ばれているそうだ。


「二人、いや、俺たち四人でどうやって戦おうってんだ?」

「まずは仲間を増やすのです」

「半島には仲間になりそうな奴はいないぜ?」

「デモン・マエレオスがいるではございませんか」


 デモン?


「おいおい、アイツはお尋ね者じゃなかったか?」

「それは島内に限った話でございますね」

「仲間や身内を裏切るって話だぜ?」

「初めから裏切ると分かっていた方が良いではありませんか」


 やっぱり俺は悪魔と契約したのかもしれない。


「彼はデモン・バンクスと名前を変えてガルマ国の外務次官となりましたが、現在はここ、クルナダ市で外交交渉を行っていることが分かっています。その目的は、ガルマ国の国益に沿う働きをすること」


 完全に島民の敵となったわけだ。


「しかし、思うような成果を挙げられずにいるのです。そこで我々の力でデモンが成功するようにサポートしてやろうというわけでございます。彼の出世の道が、帝都の皇宮へと続く道でもありますからね」


 じゃの道はへび


「一度の人生、限られた時間の中で、この世界の心臓部でもある皇宮の中に入り込むには、デモン・バンクスを出世させるしかありません。彼はガルディアの外交官とも親交がありますからね」


 俺たちの手で悪魔を育てるようなものだ。


「公子もご存知のことと思われますが、半島情勢は大帝国ガルディアの縮図、いや、それだけではなく、この世界の縮図でもあるのです。ガルディア人が皇位を継承し、アステア人が経済を回す。これで成功を収めてきました」


 貧乏だけど王位を有するカグマン国と、王宮はないけど金はあるハクタ国みたいに、島にも同じ構図が存在する。


「しかし、いつまでも同じ関係性が維持されるとは限りません。アステア系のクルナダ国がガルディア系のガルマ国に勝利して半島の主権を手にしたように、それが総本山である帝都ガルディアでも起こるのではないかと、皇族は危惧しているというわけです」


 アステア人は乗っ取りが上手いことでも有名だ。


「カグマン島が半島に力を貸してアステア人を勝たせてしまったわけですが、それによって我々島民は、帝都のガルディア人から狙われるようになったと考えられます。その逆恨みを解消しないことには、島に真の平和が訪れることはないでしょう」


 自分たちの侵略は正しいが、それに抵抗することを許さないのがガルディア帝国である。


「そして、この状況を逆手に取って、ガルディア系のガルマ国を勝たせることで、帝都から評価を得ようというわけです。ガルディア人にひれ伏すしたたかさ、それをデモンは持ち合せていますからね」


 悪魔をえさせる恐ろしい作戦だ。


「それにしてもドラコ、貴官は島にいたというのに、どのようにして大陸の情報を知り得たんですか? 先に半島へ渡った俺よりも詳しい」


 そこでドラコが斜め横に座るビアンを見る。


「彼女たちのおかげです。どれも教会のネットワークを通じて知り得た情報ばかりですので」


 ビアンが得意げだ。


「ワタシには鳥のように自由に空を飛んで情報を拾ってきてくれる子たちが沢山いるんだ。ま、あくまでモノのたとえだけどね。だけど欲しい情報があったら、何でも言っておくれ。誰よりも早く手に入れてやるからさ」


 ふと、窓の外に目を向けると、庭の立ち木で羽根を休めるカラスと目があった。それが今にも人間の言葉を喋りそうで薄気味悪く感じた。


「ご協力、感謝します」


 ドラコがビアンにお礼を言って、立ち上がる。


「それでは早速ですが、参りましょうか」

「参るって、どちらへ?」

「デモンに会いに行くのです」


 悪魔に会いに?


「いや、俺は引き受けるなんて言った覚えはないぞ?」

「つべこべ言わずに、さっさとおしよ」


 ビアンに言われると、なぜか断る気持ちが失せてしまうから不思議だった。いや、下心がないといえば嘘になるが。


「わかったよ、今回だけは引き受けてやるよ。ただし危険だと判断したら、その時は辞めさせてもらうけどな」


 そこで立ち上がったのだが、ビアンとマールは席から離れようとしないのだった。


「あれ、二人は一緒に来ないのか?」


 ビアンが説明する。


「デモンは『アニーティア』という修行者を目の敵にしていてね、ワタシたちがその仲間だと勘違いでもされたら話がまとまらないだろう? だから姿を見せないようにしようと思ってね」


 つまり二人の存在を口外するなということだ。


「デモンに警戒させないだけでなく、ガイル、お前さんも用心しないといけないよ? アニーティアには他にも『アナジア』や『アミーリア』っていう仲間がいたからね。ワタシたち以外の修行者を安易に信じないことだ」


 同じ修行者でも仲間とは限らないわけだ。


「大丈夫、こう見えて口だけは堅いんだ」

「ワタシゃ、お前さんの下半身の方が心配だよ」


 大丈夫、とは言えなかった。

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