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第十二話(232) ビーナの罪滅ぼし

原典

『魔書』


著述者:マルン

「マルン」


 私の名前を呼んだのはビーナだ。


「どう? これで四十代のおばさんに見えるかな?」

「そんなこと言われても、私には分からないよ」


 彼女はガサ村近くの深い森の中にある隠れ家で、鏡に向かって化粧をしているところだった。


 隠れ家は巨木の上に建てた新築の小屋で、わざわざ資材を運んできて、二人で建てたもの。どうも、ビーナは高い所が落ち着くらしい。


「ミルヴァは顔のしわをもっと大胆に太書ふとがきしてたけど」

「そうなの?」

「うん。私たちには落書きに見えるけど、人間には自然に見えるんだって」

「へぇ」


 私たち魔法使いは十七歳で加齢が止まるため、顔に皺を書き込むことで、人間の目には老齢の女に見えるわけだ。これら全てはミルヴァが考案したものだ。


 化粧道具だけではなく、変装するための衣装や小物、部屋の中にある書物や薬など、その全てが彼女の発明品だ。


 そのミルヴァは、もういない。おそらくだけど、魔法力を奪われて、普通の女として人間社会に放り出されてしまったから。


「ブルドン家に出入りする修行者とは別人だと思わせたいんだよね」

「だったら顔にシミを足してみたら?」

「いいね!」

「それもミルヴァのアイデアだけど」


 南北戦争が終結した後、オーヒン国の二代目ブルドン王の主治医として目立つ働きをしてしまったので、別人になりすます必要があった。その理由は……。


「ねぇ、ビーナ、これからどこに行くつもりなの?」


 尋ねるとビーナの手が止まり、鏡台の前でうつむいてしまった。


「ワタシのせいでドラコを死なせてしまったから、リング領に住んでる奥さんに謝りに行こうかと思って」


 彼女は「ビナス・ナスビー」という名義で芝居の台本を書いており、自分が書いた芝居を見たドラコが影響を受けて死んだと思い込んでいるのだった。


「ミルヴァはリング領に行くのを怖がってたけど、謝る理由があるなら、いつまでも避けてはいられないと思ってさ」


 だったら一人で行けばいいのに、なぜか私にも同じ化粧をして、強引に付き添わされるのだった。



 救国の英雄、ドラコ・キルギアスの妻であるマリン・リングが暮らしているリング領は、帝都オーヒンから徒歩で半日もかからない場所にあるというのに、なぜか戦火を免れるという、不思議な力が働いていた。


 島の北部を治めていた始皇帝ウインの直系子孫を守るために私兵が常に見張っているというが、それだけでは説明がつかないのである。


「ここから先は歩いて行こうか」


 ビーナが「空飛ぶ円盤」と呼んでいる大釜に乗って、オーヒン市の郊外まで飛んできたけど、チューリップ広場と呼ばれる色街から先は徒歩を選択した。



「あれ? 聞いてた話と違うな」

「うん。一歩でも踏み込むと矢が飛んでくるって」

「なのに、人間の気配が感じられない」


 ビーナは嗅覚が優れているので、こうして林道を歩いていても、動物の気配だけではなく、獣と人間の区別もできる。


「ワタシの変装が成功したのかな」

「四十代の女二人の修行者に見えてるんだもんね」


 そのために着古した黒の礼服を着て来た。



「あれ? 着いちゃったよ」


 ビーナの視線の先に、石壁のしっかりとした堅牢な邸が見えた。


「あそこにマザー・リングがいるの?」

「たぶん」


 ドラコの奥さんは「マザー」とも呼ばれている。おそらくだけど「みんなのお母さん」という意味だ。



「お待ちしておりました」


 門扉もんぴの前まで行くと、槍を持った身体の大きな門兵が丁寧に出迎えるのだった。こういう時に対応するのはビーナの役目。


「わたくしたちのことをですか?」

「はい。然様さようでございます」


 面会の予約を取り付けた覚えはない。


「中でマザーがお待ちしております」


 ということで、邸の中へと案内されるのだった。



「わたしがマリン・リングです」


 玄関ホールで出迎えたマザーは、私たちと年齢の変わらない女性だった。門兵が持ち場に戻ったということは、私たちのことを信用しているということだ。


「あなたがビーナですね」

「はい」


 彼女の目を見て挨拶をしたということは、区別がついているということだ。


「マルンとは、以前にもお話ししましたね」

「え?」


 記憶になかった。


「詳しい話は別の場所で」


 そう言って、廊下の奥に向かったのだが、案内されたのは地下室へと続く真っ暗な階段で、そこへランプも持たずに下りて行くのだった。


 ということは、マザー・リングも私たちと同じ魔法使いということだ。そして私たちにもランプを持たせないということは、正体を見破られているということでもある。



「よく会いにきてくれましたね」


 私たちが通されたのは、何もない空っぽの物置部屋だった。といっても私たちだから知ることができるのであって、普通の人間ならば暗闇でしかない。


「教えてください。マルンと話をしたというのは、いつのことですか?」

「あれはそう、マナン・リングを演じていた時に一度だけ」


 マナンは、マリンさんの母親のはずだ。

 しかも三十年以上も昔の話だ。


「そんな、あなたはパルクスとマナンの娘のはずですが?」

「パルクスの子を授かることができなかったのです」


 マナンとマリンが同一人物?


「あなたは……」


 ビーナが言葉を失うのも無理はなかった。二人が同一人物ということは、魔法使いをあざむくことができる、私たちよりも高いレベルの魔法使いということになるからだ。


「わたしはマナン・リングであり、リング家の創始者であるマイン・リングでもあり、カイドル帝国の始皇帝ウインでもあるのです」


 女帝ウインの直系どころか、本人が生きていた。


「そして本当の名は、テラア」


 大魔法士テラア、それは私たちが知る範囲での、最高神の名だ。


「テラア様……」


 ビーナが修行院時代の顔に戻っている。おそらく私も同じような表情をしていることだろう。


「どうしてテラア様が、このような場所に?」

「後継者が必要なのは、なにもルキファだけではありませんからね」


 ルキファとは「死神」とも呼ばれている大魔法士で、後継者には私のルームメイトだったマホが選ばれた。


「それがドラコの子、つまりアイムなのですか?」

「今は、そうなることを願っています」


 人類が大昔から語り継いでいる神話の世界が、この現代まで続いていると、どれだけの人間が知っているのだろうか?


「ああ、ワタシはなんていうことを……」


 そう言って、ビーナが膝から崩れ落ち、顔を両手で覆うのだった。


「ワタシは、アイム様の父親を、テラア様の夫を……」


 懺悔だ。


「ビーナ、顔を上げなさい」


 他人の言うことを聞かないビーナが素直に従った。


「夫は死んでいませんよ?」

「でも、ミルヴァが殺したって」


 と私の顔を確認するが、この目で見たので間違いない。


「私、見ました。ミルヴァが魔法で殺した時に、その場にいたんです」

「そのことは知っていますが、わたしが助けたのです」

「でも、どうやって」

「時間を止めたのです」


 最高神テラア様は、私たち魔法使いですら気がつかないように時間を止めることができるということだ。


 立ち上がったビーナが尋ねる。


「でも、身体の特徴を知るジジがドラコの遺体を確認しているのです」

「似た特徴を持つ遺体とすり替えたのです」

「……どうやって」

「島にいなくても、ウルキアにはいたのです」


 テラア様に不可能はないということだ。


「じゃあ、どうしてパルクスを救わなかったのですか? ドラコを救えるなら、パルクスも救えたはずです」


 どうしてドラコだけが特別なのか、私も気になった。


「子を授かっていませんでしたからね。アイムには父親が必要なのです。それが彼女にとって、いつの日か試練になろうとも」


 まるで未来が見えているかのようだ。実際に見えているとしたら、テラア様が「人類の歴史」という台本を書いているようなものだ。


 ビーナが取材でもしているかのように質問を重ねる。


「でも、どうしてドラコ・キルギアスなのでしょうか? この島には彼だけじゃなく、ユリス・デルフィアスやヴォルベ・テレスコや、弟のケンタス・キルギアスもいます」


 どうしてテラア様がドラコを夫にしたのか?


「繰り返しますが、父親という存在は、生きていようと死んでいようと、子にとって試練であらねばならないのです。我が子に試練を与えられるのは、夫しかいませんでした」


 そこでテラア様が遠い目をする。


「キルギアス兄弟とは、彼らが幼い頃に知り合っていました。しかしケンタスはお城の王女に思いを寄せていたので、わたしの夫になることはないと知っていたのです。しかし夫は、わたしに好意を抱いてくれました」


 ユリスの妻となったミルヴァと違って無理やり結婚したわけじゃないということだ。


「夫が国境警備隊としてオーヒンに赴任してきた時に再会したのですが、間違って『お久し振り』と挨拶をしてしまったことがありました。思えば、先に好意を抱いたのは、わたしの方だったのかもしれませんね」


 テラア様ですら人間社会では間違うこともあると知り、なぜかホッとした。


 それにしても、神殿にいるジア様よりも位が高いのに、それでいてテラア様の方が人間に似ているのは、どういうわけだろう? そこにも深い意味がありそうだけど、今の私には分からなかった。


 インタビュアーのビーナが調子に乗って質問を続ける。


「ドラコが生きているなら、じゃあ彼は今の今まで何をしていたのですか? あれから島は大変なことになっていたんですよ? あと少しのところでデモン・マエレオスやゲミニ・コルヴスに島の覇権が奪われるところだったんです」


 ビーナもペンという武器を手に戦った一人だ。


「もうすぐ帰る頃なので、それは夫が答えてくれるでしょう」


 ドラコに会える、だけど、私はミルヴァと一緒に彼を死なせるところだった。そんな私を気遣うように、テラア様が微笑んでくれる。


「マルン、大丈夫ですよ、あなたのお化粧した姿なら、誰もミルヴァと一緒にいた『エルマ』だとは思いません」


 そこでビーナに視線を向ける。


「ビーナ、あなたの化粧技術なら、ミルヴァでも見破ることはできないでしょうね」


 ビーナが慌てた様子で質問する。


「ミルヴァは記憶を消去されたんじゃないんですか?」


 それで人間の女として社会に放り出されたと、私も思っていたけど。


「あの子には自分の行動をかえりみる機会が必要と判断して、わたしが引き取りました。事実として、夫を殺したわけでもありませんので、もう一度だけ、試練を与えることにしたのです」


 ミルヴァが今も魔法使いとして存在している。


「いま、どこで何をしているのですか?」

「彼女は孤独を選びました」


 これ以上は何も答えてくれないだろう。それを悟ったビーナも深く追及しようとはしなかった。



「ただいま」

「おかえりなさい」


 帰宅したドラコを、テラア様と一緒に玄関ホールで出迎えたのだが、奥さんのことを心から信頼しているのか、私たちに対して警戒した様子は一切見られなかった。


 久し振りに見たドラコは様変わりしており、短髪だった頭は黒紫色の髪と濃い髭に覆われて、服装も巡礼者が着る礼服をまとっているのだった。


「こちらはビアンさんとマールさん」


 それが私たちの新しい名前だ。


「ドラコ・キルギアスです」


 本名を告げたのも、奥さんの紹介ならば絶対に安全だと判断したからだろう。手を差し出したので、私たちも順番に握り返した。


「年の割に、手は随分とお若いようだ」


 まずい。


「失礼ですよ」

「あっ、すいません。これは、失礼しました」


 マザーに助けられたけど、奥さんにたしなめられたドラコは、どこにでもいる旦那さんにしか見えなかった。



 ドラコにインタビューすることができたのは、アイムを寝かしつけた後だった。普段は食堂で本を読むらしいが、今夜は特別に申し入れを聞いてくれた。奥さんは子供と寝室にいるので、三人きりでの会話である。


 テーブルの上の燭台には太い蝋燭が三本も立てられているので、室内の明るさは夕暮れ時と変わらなかった。テーブルを挟んで向かい合って座っているけど、会話をするのはビーナの役目だ。


「ここで聞いた話は誰にも言いません」

「妻から信用できる方だと聞いております」


 ミルヴァへのゆるしといい、どうしてテラア様は私たち魔法使いに対して、これほどお優しいのだろうか?


「ドラコ、ワタシは、あなたが死んだとばかり思っていました」


 ビーナが声をやや低くして、中年女性を演じる。


「遺体も埋葬されたというではありませんか?」


 ドラコが回想する。


「あの時の記憶はおぼろげで、アネルエ王妃をさらった犯人を追って、マエレオス邸に行って、修行者と会話を交わしたところまでは憶えているのですが、それが誰だったのか、おそらく、オーヒン城に出入りしていたドクター・アナジアだったのではないかと思いますが、確証はありません」


 実際に会ったのは誘拐されたアネルエだけど、アナジアもミルヴァの変身した人物なので、間違っていない。


「気がつくとハッチにかつがれていて、あっ、ハッチというのは、この家の門番をしているハッチ・タッソのことです。彼が言うには、『私はハメられた』と。誰よりも先に真相に辿り着いたので、それで助けられたというわけです」


 ミルヴァが戦っていたのは最高神のテラア様で、敗北していたことも知らずに、完敗していたわけだ。同じフィールドで戦って負けたミルヴァは、今頃どんなことを考えているのだろうか?


「しかし死体のすり替えが、あれほど上手くいくとは思いませんでした。全身が火傷やけどただれていたと聞いて、それならジジが誤認しても無理はないと思いましたがね」


 中年に扮したビーナが尋ねる。


「史実では、ドラコが死んだ後、ハドラ神祇官が殺されたのですよ? 生きていたのなら、救えたのではありませんか?」


 長い沈黙の後、ドラコが口を開く。


「ご子息に裏切られるとは思ってもみなかった。ガレット・サンという部族の女にヴォルベ・テレスコの命を守るように頼んだが、ハドラ神祇官も守らせるべきだった」


 ドラコが死ぬことによる影響を、彼自身が正確に予測することができなかったということだ。ビーナが責めるように質問を重ねる。


「その後、新生カイドル国で戦争が起こりましたね? ドラコ、あなたは何をしていたのですか?」


 またしても長い沈黙だ。


「その時に、この目に見えていたものは、私の死後の世界でした。私がいない者として、世界が動いていくのです。ならば、その状況を利用しない手はないと考えました。諜報活動を行うには、私は有名になりすぎていたので」


 ビーナが前のめりになる。


「諜報活動の目的は?」


 ここでの沈黙はなかった。


「根元を絶つことです」

「根元?」


 ドラコに迷いはない。


「大帝国ガルディアの皇帝、私がジス家を滅ぼします」


 それはミルヴァですら遠く及ばなかった願いだ。


「決意に至ったキッカケは、パナス皇太子、フィンス国王、ユリス宰相、あまりにも立て続けに命を狙われ過ぎています。すべて別個の事件だと考えていましたが、一連の事件の背後に首謀者がいることを排除してはいけないと考えました」


 現在は、すべてミルヴァとデモンの責任にされている。


「暗殺未遂事件で確たる証拠がある主犯格は、ムサカ政務官、コルーナ特使、ルシアス・ハドラの三名ですが、いずれも単独で王族の暗殺を企てるとは思えないのです。しかしこの三人に唯一、命令を下せる人物がいることに思い至りました」


 ドラコは確信しているようだ。


「それがバドリウス・ジス・アストリヌスです。これまではオフィウ・フェニックスが首謀者だとばかり思っていたのですが、それだとルシアスが父親を裏切ってまで王族を殺そうとした説明がつかない」


 ミルヴァの命令でないことは確かだ。


「まだ証拠を掴めていませんが、『バドリウスが訪れた国では必ず戦争が起こる』という悪い噂が事実ならば、やはりジス家を滅ぼさなければならないのです。大帝国を崩壊させねば、島に真の平和は訪れませんからね」


 ビーナが懇願こんがんする。


「そのお手伝いを、ワタシたちにもさせてはくれませんか?」

「あなたたちに?」

「ドラコの翼になれる人物を紹介できます」

「ツバサ?」

「大陸に渡るなら通訳が必要では?」

「ああ」

「心当たりがあるのです」

「それは願ってもない話だ」


 ここでドラコとの契約が成立した。



 夜明け前にリング邸を後にして、空飛ぶ円盤に乗って隠れ家へと帰る途中で、ビーナが不安を口にした。


「ミルヴァのことだけど、これから出会う女は全員、ミルヴァが変装しているかもしれないと思った方がいいかもね。テラア様の変装に騙されたくらいだから、ミルヴァの変装にも騙されるかもしれないし」


 厄介な話だ。


「今のミルヴァが味方とは限らないから、用心するに越したことないでしょ?」


 ミルヴァのことだから、テラア様に歯向かうことも考えられる。そうなると、次に会う時は敵になっているかもしれないわけだ。


 それっきり、ビーナは黙ってしまうのだった。

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