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第九話(229) ガリク・オッポス外交官

 クルナダ国の特使と協議を終えたバルダリス総督は、前日と同じように、公邸の執務室にケンタスを呼び出して総括を行うのだった。


「手始めとして、賠償の合意が得られたのは良かった。それだけで前任者とは違うと思わせることができただろうからな。まぁ、あの様子では、限界まで時間を稼ぐつもりのようだがな」


 それでも今まで合意文書すらなかったので大きく前進したことになる。


「それにしても総領事のことだが、味方の振りをしていたと疑っていたが、彼は本当の味方かもしれぬな。特使の肩を持つシプルフにしっかりと反論し、我々の味方をしてくれたものな」


 瞬時にケンタスが否定する。


「それは違います。確かに反論から入りましたが、結局は『一理ある』と結論を妥協案へと誘導しましたので。あそこで協議を終えていたら、我が国は更に譲歩することになっていたと思われます。やはり『味方役』を演じているだけかと」


 総督がモンクルスの後継者に仕事を任せる男で良かった。


「それならまだアラン・シプルフの方が味方に近いということか。本人には言えぬが、あの男の口から『国民』という言葉を聞くとは思わなかったからな。頼りにはならぬが、役人として果たす責務は理解しているようだ」


 それも瞬時にケンタスが否定する。


「失礼ながら、それも解釈に誤りがあると思われます。あの男が口にした『国民』とは島民のことではなく、クルナダ国の人々に対して使っていたからであります。彼にとっては島民よりも、クルナダ人の方が大事なのでしょう」


 言葉の使い方で、その人の本質が見える。島生まれであっても、自国ではなく、他国へと利益誘導する者がいるのだ。それがハクタの役人や商人に多いと聞くが、シプルフにも当てはまるようだ。


「結局、周りは敵だらけということか」

「これでハッキリとしました」


 総督はいい人なので、つらそうだ。


「しかし後任の特使は物分かりが良さそうなので、それだけが救いだな」


 またしてもケンタスが瞬時に否定する。


「判断するには時期尚早かと思われます。彼の発言には大きな矛盾がありました。賠償問題では周辺国と緊張状態にあると発言し、戦争問題では隣国と友好な関係を築いているからと安心させるのです。これでは信用することはできません」


 短い会話で本質を見抜けるケンタスが凄い。


「国家賠償にあっさりと合意しましたが、これは反故ほごにする見通しが立っているからではないかと。つまり、彼もまたガルマ国の侵攻計画を知る一人だと思われるのです。現時点では、クルナダ国がどのように立ち回るのか知る由もありませんが」


 バルダリス総督の表情が悩ましげだ。


「この地に味方はおらんのか」


 ケンタスですら、その問い掛けに答えることができないのだった。



 翌日、いつ市街戦が起きてもいいようにと、市外への脱出経路を確認するために、ケンタスはミクロスと一緒に街へと繰り出すのだった。


 僕も含めて服装は現地で仕入れたばかりの平服である。馬に乗る予定がないので、股ずれを気にする必要のない貫頭衣だ。


 季節柄、街には半裸の男も多いため、この日はミクロスも薄い布地の腰巻だけで過ごしていたが、ルーツが半島なので現地人と見分けがつかなかった。


 汗ばむ時期だが、そういう時でもケンタスは貴重品を盗まれないようにとガウンを羽織っていた。剣はガレットに預けてあるが、腰に短剣を隠している。


「ハクタの貧民街を思い出すな」

「似てますよね」

「ああ、海が見える小高い山の中腹に城があるのも同じだ」

「川の上流を立ち入り禁止区域にしているのも同じです」

「国民性も似てるっていうしな」

「貿易港がある街の町人は気質が似ちゃうんでしょうね」


 どちらの国も貧富の差が激しい。


「違いは、高い壁で仕切られてることだな」

「ハクタ国もお金持ちが多いから、犯罪が多くなれば壁も高くなっていくでしょうね」


 ミクロスが閉ざされた門扉もんぴを見上げる。扉の向こうは貴族街だが、通行許可証を持参していないので入ることは叶わない。


「でも、この高い壁は外敵にも有効かもしれないな」

「さぁ、それはどうでしょう?」

「攻略は難しいと思うぞ?」


 そこでケンタスが貧民街の路地を見渡すが、彼が見ているのは、物乞いする子供たちの姿である。


「カイドル国の貴族街が火矢によって大火事になったという話を聞きましたが、そこに住んでいた貴族たちの死因は焼死ではなく、多くが強盗によって殺されたといいますね。つまり敵兵に殺されたのではなく、労働者街に住む者たちの手によって殺されたということになります」


 当時ミクロスも現場にいた。


「この世から貧富の差をなくすことはできません。それは、世の中には働ける人と働けない人がいるという現実を否定することになるからです」


 理想のために事実を曲げないのがケンタスだ。


「しかしこれは、格差が激しすぎると、有事の際には味方が敵になるという教訓でもあるのです。ですから、貧困層の放置は悪政以外の何物でもないと考えられるわけです」


 味方を敵にしない。


「戦争は数を揃えた方が勝率は上がります。では、その数を増やすにはどうしたらいいか? 結局は、国のために戦う軍人を育てるためにも待遇を良くするしかありません。お金、そう、すべてはお金なんです」


 お金の大切さを語ってくれるからケンタスは信用できる。決して『夢』をエサにしないのである。


「このままではクルナダの首都は陥落します。しかも、わざわざ挙兵して攻め込む必要もありません。なぜなら貧しい民衆を扇動すればいいだけなんですから。貧困対策を怠るということは、国家を破滅へと導く、それくらい恐ろしいことなんです」


 そこでミクロスがケンタスに小銭の入った巾着袋を要求する。


「オレたちはカグマン人だ。お前たちは受けた恩を忘れるような大人になるんじゃねぇぞ」


 そう言って子供たちに金を配り始めたが、クルナダ訛りではないので、言葉がちゃんと伝わったか分からなかった。



 それから中央市場へ行って、魚の焼き串を立ち食いして、それから役場通りに行って、役人の顔を憶える作業を行った。


「ミクロス・リプス大隊長で間違いございませんね?」


 役場通りの馬車道に沿って歩いていたところ、身なりのいい三十代の男に声を掛けられた。茶色の髪色をしたガルディア系なので、この辺では珍しいタイプの人だ。


「なんでオレの名前を知っている?」

「世界一足の速い男として有名ですので」


 褒められただけで、すぐに警戒を解くのだった。


「ここじゃ、そんなに有名なのか?」

「是非お会いしたいという方が、あちらでお待ちしております」


 指し示す方向を見ると、豪奢ごうしゃな箱型馬車が二台連なって停車してあるのだった。金持ちの貴族が行き交う役場通りでも際立つほどの異彩を放っていた。


「どうぞ、ご案内します」


 大きな箱型馬車に乗っている男は、箱と同じくらい大きな男であった。


「こちらはガルマ国の外交官、ガリク・オッポスでございます」


 この大男が、あの、代理総督の、いわゆる、お友達だ。


「貴官が、あのミクロスか」


 そう言って、子供のような笑顔を見せるのだった。


 茶色の髪を持つ、血筋の濃い五十代のガルディア人だ。斜め掛ローブから素肌が見えているが、贅肉と呼ぶに相応しい身体つきである。


 僕たちが話す言葉もガルディア語から派生したものなので、通訳なしでも理解することができた。


馳走ちそうの用意ができておる。さぁ、乗りたまえ」


 断る機会を与えずに、従者にエスコートされるまま、ミクロスはオッポスの馬車に同乗して、ケンタスと僕は先行車に乗せられるのだった。


 この後、宿屋街へ行って旅行者の客層をリサーチして、酒場通りで酔っ払いの不満を盗み聞きする予定だったが、貴族街にあるオッポス邸に行くことになってしまったのだった。



「ガルマ国の外交官が、これほどの家を持てるものなのか」


 車中のケンタスが、そう呟くのも無理はなかった。まるで国定公園の中に家が立っているみたいなものだからである。



「すげぇ、邸だな」


 馬車から降りたミクロスが、驚きの声を上げるのも無理はなかった。見張り塔がある時点で城と変わらないからである。


 軟らかそうなレンガ造りの家とは訳が違う。確実にガルディア人の建築士が築城に関わっているはずだ。



「さぁ、楽にせい」


 案内されたのは、オッポスが「楽園」と呼んでいる庭だった。そこで半裸の女が大勢で出迎えるのだった。


 二十人以上は確認できた。髪色がバラバラで、目の色も違う。共通しているのは、若さだけである。


「冷たいワインを用意してある」


 夏場なので、わざわざ川で冷やしたということだろうか。


「オッポス閣下」


 ケンタスの呼び掛けを、大男が巨大な手で遮る。


「その『オッポス』というのを止めてくれんか。邸の中だけでも大勢いるからな。まぎらわしいので『ガリク』と呼んでくれんか」


 ファースト・ネームで呼ばせる理由は、単なる合理性だ。


「非礼を承知で申し上げます。こちらのテオはまだ十六でして、未成年なので酒を飲ませるわけには参りません。せっかくのお誘いですが、此度こたびはご遠慮させて頂きたく存じます」


 そう言うと、ガリクが大笑いするのだった。


「モンクルスの後継者とは、堅物という意味であったか!」


 ミクロスが援護する。


「心配するな、オレがテオの分までんでやるよ」


 大男が小男の肩に手を回す。


「貴官とは馬が合いそうだ」

「『貴官』は他にも大勢いるんで、『ミクロス』と呼んでくださいな」

「ハハッ、気に入ったぞ」


 それから二人して豪快に酒を飲むのだった。



「旦那様、風呂の準備ができました」

「そうか、ついて参れ」


 日没後、太い蝋燭ろうそくの明かりに照らされる中、「大浴場」と呼ばれる風呂場に案内された。風呂とは、屋内にある人工貯水池のことだ。


 そこに水ではなく、沸かした湯が張られているのである。そして、こうして見ているそばから、湯が注ぎ足されるのだった。


「さぁ、裸になれ」


 と言って、ガリクが手本を見せるように、風呂に飛び込むのだった。二十人は入れる広さがあるので、たっぷり余裕がある。


 僕たち三人も服を脱いで、風呂に飛び込んだ。湯気が立っているから熱いと思ったら、そんなことはなく、中は冷たかった。


「ミクロスよ、そなただから特別に話すが、戦争は避けられんぞ。わしは望んではおらぬが、軍部の連中は名を上げたい者で溢れておるからな」


 ケンタスは終始黙ったままなので、会話はミクロスが務めている。


「ガリクのオッサンは戦争に反対か」

「当然であろう。誰が今の生活を手放してまで戦乱の世を望むというのだ」


 確かに。


「じゃあ、止めてくれよ」

「分かった」


 そこで気弱な表情を見せる。


「と言いたいところだが、そう簡単にはいかなくてな。貴君らの島がそうであったように、我が国にも派閥があってだな、わし一人の力ではどうにもならんのだ。議会にすら参加できぬのだからな」


 軍事ではなく、経済担当だと聞いた。


「これはクルナダも同様よ。富める者は反対し、出世を望む者が戦争を必要とするのだ。その戦争にしても、自ら前線に立とうとせぬから腹立たしい」


 奪われる側の焦燥感しょうそうかんだろうか。


「ミクロスも充分な武勲を立てたではないか」

「そりゃそうだけどよ」

「死に急ぐことはあるまい」

「それは、おたくらの味方に言ってくれ」


 ガリクが笑う。


「しかし五十年前とはいえ、クルナダに手を貸したのは事実。先に手を出したのはカグマン人であることは否定できまい。恨みというのは、やった方は忘れても、やられた方は忘れぬものだ」


 それはクルナダ人が望んだことで、当時の国王の嘆願書だけではなく、参戦を求めるクルナダ議会の公式記録も証拠として残っている。


 もしも参戦しなかったらガルマ国に侵略されていた可能性もあるので、「歴史のもしも」を検証せずに、先人を裁いてはいけないのである。


「和平を望むなら、半島からの撤退を検討すべきとは思うがな」

「それをオレに言っても仕方ねぇよ」


 ガリクが笑う。


「どうにか戦争を回避できぬかと思ってな」

「それは、こっちだって同じだぜ」

「その言葉を聞けて安心した」

「そう言ってもらえると、こっちも安心だ」


 そこでガリクが召使いを呼ぶ。


「女たちをここへ」

「ただいま」


 すぐに全裸の女たちが風呂に飛び込んでくるのだった。


「友よ、今日はとこも用意しておる。泊まっていかぬか?」

「悪いな、オッサン、明日は朝から会議があるから、今夜は帰らないとダメなんだ」


 そんな事実はないはずだが。


「そうであったか」

「今度また誘ってくれよ」

「分かった」

「不意打ちはなしにしてくれよな」


 ガリクが豪快に笑う。


「ならば送迎の手配をしよう、夜道は危険だからな」

「大丈夫だって。オレはミクロス・リプスだぜ?」

「ハハッ、五十人の賊を返り討ちにしたばかりであったな」

「そういうことよ」


 ということで、その場を辞去じきょした。

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