第八話(228) マオロ・ベナルチ特使
代理総督との話し合いを終えたバルダリス総督は、公邸に移動して、執務室にケンタスを呼び出して、総括を行うのだった。
部屋の中には役員机しか置かれていないので、席に座る総督の対面に直立する形での対話となる。いつものように僕は室内警護を任された。
「しかし困ったものだ。どのように対応すればよいのやら」
普段から朗らかな表情をしている人なので、さほど困っているようには見えなかった。
「それほど慌てることではないかと思います」
驚いた顔をして見上げる総督にケンタスが説明する。
「代理総督によって秘密が暴露されたので、あたかも重大な事実が発覚したように感じ取りましたが、冷静に考えると、すべて海を渡る前に起こり得ることとして既に想定しておりましたので、実は、逼迫した状況は何一つ変わっていないと考えられるわけです」
総督が大きく頷く。
「言われてみれば、その通りだ」
だからケンタスの表情に変化がなかったわけだ。
「ここで総督閣下が本国へ帝国軍の派兵を求めれば、ガルマ国はそれを侵略の意志ありと見做し、先端を開く口実として利用する恐れもあります。必要以上の軍用船の就航は、襲撃と受け取られても仕方ありませんので」
敵国に戦争の大義を与えてしまうわけだ。
「それを狙っている可能性もあるわけだな」
そこでバルダリス総督がハッとする。
「まさか、代理総督も罠を仕掛けた側ではあるまいな?」
「どうして昨日会ったばかりの男の言葉を信じることができましょう」
「そうであったな」
「あくまで可能性の一つでありますが」
そこでケンタスが握った拳に力を入れる。
「ただ、私はジジの名を引き合いに出されたことに憤っております。マクスは『裏切るな』と口にする男ではありませんし、ジジは暗殺を恐れて黙っているような男ではありませんので」
似ても似つかない二組だ。
「となると、ガルマの外交官とグルである可能性があるわけだな」
「確かなのは、代理総督は誠実な男ではないということです」
総督が首肯する。
「総領事については、どう考える?」
「実は、最初に暴露したのは、総領事の方なのです」
「ああ、そうであったな」
「もしもグルならば、彼の方が立場は上だと考えられます」
ケンタスが思い出す。
「これはユリスに聞いたのですが、オーヒン人は敵と味方を使い分けて接するそうなのです。『怒らせ役』と『謝る役』を使い分けることで、『謝る役』が味方であるかのように思い込ませて、相手からの信用を得るわけです」
総督が納得する。
「今回でいえば、総領事が『謝る役』というわけか」
事実なら、とんだ茶番だ。
「では、どのように対処すべきか?」
ケンタスは既に答えを用意していたようだ。
「『味方役』を必要とした総領事の狙いがハッキリとしませんので、ここはしばらく泳がせて様子を見るべきだと考えます」
総督が首肯する。
「ならば、信頼に値する男として接すれば良いのだな」
「閣下のお芝居、ありがたく拝見したいと思います」
「客席から石を投げられなければ良いのだが」
二人とも爽やかに微笑み合っているが、とても年内に戦争が起こるとは思えない雰囲気であった。
「アラン・シプルフ」
総督が思い出す。
「あの男が、あれほどまでに愛国心に満ち溢れているとは思わなんだ」
「それは違います」
否定が早い。
「あの男は確かに怒りを見せましたが、一度も『国』という言葉を使いませんでした。二回ほど口を開きましたが、いずれも『我々』という言葉を使っているんです。彼にとっては『国』よりも『自分』が大切なのでしょう」
総督が首肯する。
「グルである可能性は?」
それも想定済みの質問なのか、すぐに答える。
「それは分かりませんが、考えられるとしたら、シプルフが頼りないから、総領事が『味方役』になったのかもしれませんね」
事実なら、周りは敵だらけということか。
その日のうちにミクロスとガレットの二人と情報を共有して、ケンタスから今後の対応について指示が出されるのであった。
その夜、ミクロスがケンタスの部屋を訪ねてきた。警備棟の中でも上級士官が使う部屋なので、他の者に会話を聞かれる心配はない。こういうのは初日に確かめていた。
「なぁ、ケンタスよ」
ケンタスは机に蝋燭を立てて『天書』と呼ばれる宗教本を読んでいたので、ミクロスは彼の寝台に腰掛けて、僕は自分の寝台で話を聞いているところだ。
「ガルマ国の外交官と腹の出た中年オヤジ三人がグルだとして、じゃあ、奴らの狙いは何なんだ?」
本から目を離して答える。
「ガルマ国は、どうしても我が国に先制攻撃をさせたいのでしょうね。外敵の侵略から国を守ったとなれば、国が一つになりますし、勝利すれば指導者は救国の英雄となります。王家はそれを必要としているのかもしれません」
つまり国民からの支持を得るために我が国を利用したいと考えているわけだ。
「で、どうするつもりだ? 総督には答えなかったそうだが、考えてはいるんだろう?」
僕も知りたい。
「まずは現行法で対応するしかありません。クルナダ国との条約に、共同管理している土地で紛争が起きた場合、我が軍に協力する義務がありますので、その責務を果たしてもらうのです」
付け加える。
「カグラダ府というのは見て来た通り、ここら一帯の『貿易倉庫』が重要拠点で、港のある漁村には価値がありません。我が国にとっては大事な場所でも、ガルマ国にとっては飛び地となるので、あの土地を得るためだけに出兵することはないんですよね」
クルナダ国内の土地の一部だからだ。
「それでも奪いに来るというならば、それはクルナダ国との全面戦争を意味します。ですから我が国としては、クルナダ国に守らせなければなりません。つまりガルマ兵の進軍を阻止する役目は、クルナダ国にあるということですね」
ミクロスが首を捻る。
「頼りになるのかよ?」
なるとは思えない。
「ガルマ軍の兵力が分からないので、そこは明日特使との会談があるので聞いてみますが、大事なのは、クルナダ人にクルナダの土地を自分たちで守らせることにあります。我が国が支援するのは、その後でなければならないのです」
ガルマ国は、その順序を入れ替えたいというわけだ。
「ガルマ国の戦力予想ですが、カグマン・クルナダの連合軍では勝ち目はないが、我が国との海戦ならば勝てると予測しているのかもしれませんね。それを正確に予測できるのは、デモン・マエレオスしかいませんが」
もう既にデモンとの戦いが始まっているのかもしれない。
「ですからポイントは、クルナダ国に我が国との約束を守らせることです」
と言ったものの、珍しく不安な表情を見せるのだった。
翌日、朝の早い時間にクルナダ国の特使が役所を訪ねてきた。所内には来客用に応接室と貴賓室の二つの部屋があるが、彼が案内された部屋は、事務机と六脚の椅子しか置かれていない応接室の方であった。
特使の上官にあたる外務官ならば貴賓室で、王族ならば公邸に招くところだが、相手が窓口役の担当官ならば、過剰な接待は厳禁となるので、応接室での仕事となるわけだ。
カグマン島方面担当の外交官は二人いて、海を渡る担当官を分かりやすく区別して特使と呼ぶ。
今回は現地の担当官ではなく、前任者に問題があったとして、後任に選ばれたマオロ・ベナルチ特使が謝意を伝えにきたのだった。
赤い髪色をしたアステア系クルナダ人で、真面目そうな三十代の男だ。そう見えるのは、彼が黒のガウン、つまり聖職者が羽織るローブを身に纏っているからかもしれない。
「総領事」
ベナルチ特使を案内してきたザロッタ総領事が退室の挨拶をしたところで、バルダリス総督が呼び止めた。
「なんでございましょう?」
「貴官にも同席してもらいたい」
「小官も宜しいのですか?」
「面識のある者がいた方が助かる」
「そういうことでしたら、是非とも立ち会わせて頂きます」
早速芝居を取り入れた。
「貴官は補佐官の隣へ」
座り位置はバルダリスとシプルフとケンタスが並んで座り、その正面にベナルチと補佐官と総領事が座った。特使の護衛は入室を許可されていないので、室内警護は僕一人である。
「改めて、貴国の皆様にお詫び申し上げます」
ベナルチの謝罪から始まった。
「前任者のウーベ・コルーナにつきましては、その死後、反逆罪として極刑に処されたことを証明すべく、口頭、及び文書として持参しました故、どうぞ、お収めください」
そう言って書類を提出するが、これは暗殺に失敗したから反逆者となっただけで、成功していたら英雄として祭り上げられていた可能性もあるので、我が国にとっては価値のないものであった。
その証拠に、バルダリス総督は書類を受け取ろうとする素振りすら見せなかったからである。代わりにシプルフ通商担当官が受け取ったが、本来ならば総督の仕事を奪った越権行為である。
「帝国宰相、ユリス・デルフィアス閣下は暗殺未遂事件で沈没した大型船の賠償を求めています。速やかに同等の船、もしくは造船に掛かる費用をお支払いください。どちらを選ぶかは、貴国にお任せいたします」
コルーナの処刑記録など、どうでもいいということだ。
「弊国が沈没船と同等の大型船を保有していないことは、総督閣下もご存知のことと思われますが、かといって造船費用を捻出するというのは、これもまた難しい話でございます」
払いたくないという、強い意志を感じる。つまり、上から支払いを拒否するように命令を受けているということだ。
「総督閣下もご存知の通り、弊国は常に近隣諸国と緊張状態にありまして、軍事費の転用は国内法で厳しく禁じられておりますので、予算を組み替えて賠償金を捻出するのは、事実上、不可能なのです」
思わず、「知るか」と口にするところだった。
「では、大型船と同等の補償をしてもらうということで、複数の中型船を譲渡していただく他ありません。この場合、何隻になるかは協議を重ねる必要がありますが」
これ以上の譲歩はない。
「弊国の恥部を晒すようで居た堪れない気持ちでありますが、我が国には中型船を停留できる港が限られております故、無闇に増やすこともできず、常に余裕のない状態で稼働させているのです。その中型船を手放すとなると……」
絶対に賠償する気はないようだ。
ここでシプルフが口を挟む。
「ただでさえ、船は沈没が多いと聞きますからな」
「その通りでございます」
「貿易船の回転操業が停止すれば、国民が飢えると」
「まったく、その通りでございます」
ここで異を唱えたのが総領事だ。
「話が、あらぬ方向に進んでおる。我々はフィンス国王陛下暗殺未遂事件によって生じた補償の話をしているのですぞ? これでは、まるで陛下がクルナダ国民を苦しめようとしていると聞こえるではないか」
総領事は、本物の味方かもしれない。
「弊国は、いいえ、小官にそのような意図はございませんので、どうか、ご理解ください」
特使は謝ったが、シプルフは謝らずに抗弁する。
「しかし、国民の生活を蔑ろにしていいはずはない。船を譲渡したとなれば、港の労働者から不満も出るでしょう。そうなれば共有地区で揉め事が起こるかもしれない。ウーベ・コルーナのせいで、とは思わないでしょうからな」
これには総領事も首肯する。
「一理ある」
バルダリス総督がまとめる。
「補償問題は、今日一日で解決することは難しいようだ」
それだと時間稼ぎに成功した特使の勝ちとなる。
「ケンタス、貴官の意見は?」
答えを用意していたかのように即答する。
「なにも船に限ることはございません。査定に時間は要しますが、国民生活に支障をきたすことなく、我が国が価値ある物と判断すれば、頂いてしまえばよいのです。幸いにして、支払う気持ちは確認できましたので、本日はそれで充分かと存じます」
逆転勝利だ。
「そうだな、賠償に合意が得られただけでも有意義な一日となった」
後できっとゴネるだろうが、それはまた別の話である。
「ケンタス、他にも確認しておくことはないか?」
ここまで何一つ特使を援護できていない相手補佐官と違って、我が国の特別補佐官は優秀だ。
「これは軍部を交えての協議となりますが、その前にベナルチ特使個人がどのように認識しているのか確認を取りたいので伺います」
どんどん圧力を掛けていく。
「ガルマ国がカグラダ府の我が領土へ侵攻するには、その前にクルナダ国の領土へ足を踏み入れなければなりません。それ故、我が国としても、敵兵が目前に迫るまで抗戦できないわけですが、貴国に弊国の領土を守る意志があるのかお尋ねしたいのです」
特使が即答する。
「もちろんでございます。こうしている今も国境警備隊が汗を流して貴国の領土を守っておりますので、敵兵どころか、山賊すら近寄らせることはありません」
三日前に武装集団に襲われたばかりである。
「赴任されたばかり、しかも海を渡って来られたので、異国に対して不安に感じることと思われますが、現在ガルマ国とは友好的な関係を築いておりまして、戦争が起こることはないかと」
そこで笑みを浮かべる。
「あぁ、いえ、正直なところ、カグラダ府一帯には鉱物資源もありませんし、それこそ貴国にとっては価値があっても、港を持つガルマ国には、戦争を仕掛けてまで奪い取るような場所ではないのです。ですから、どうぞ、ご安心を」
ガルマ国の外交官は「年内に戦争がある」と言った。しかしクルナダ国の特使は「戦争は起こらない」と断言した。
「それを聞いて安心しました」
「それは良かった」
ケンタスは、それ以上は追及しないのだった。




