第四話(224) 永遠の誓い
翌日、ケンタスはミクロスとガレットを連れ出して、オーヒン市内にある警備局証拠品保管庫を訪れていた。
裁判に必要な押収物を保管してあるということで、かなり厳重に警備されている。建物の外観は留置場と変わらない。それもそのはず、古い留置場を改装して利用しているからだ。
虫やネズミが寄りつかないように、食糧や水の持ち込みは厳禁である。入管時には検査を受けて、入管記録も残る。
廊下の左右には同じ部屋が並んでおり、見分けがつかないので、保管場所を把握している警備兵に案内してもらった。二人一組で行動するのが、ここでのルールのようだ。
「こちらです」
ケンタスが求めたのは海賊団からの押収物だ。ただし大事な証拠品は別に保管されてあるので、案内された部屋にあるものはどれも不用品のはずだ。現に、木箱が四方に積まれているだけであった。
「何を見つけようってんだ?」
「衣服や装飾品があればいいのですが」
ケンタスの答えにミクロスが呆れる。
「お前、まさか海賊になろうってんじゃないだろうな?」
「その、まさかです」
ミクロスは冗談で言ったが、ケンタスは本気だった。
「どういうことだ?」
真面目なガレットが問い詰める。
「潜入捜査で必要になるかもしれないと思ってさ」
「本当だな? 海賊になるわけじゃないんだな?」
「ならないよ、約束する」
「よし、ドラコの弟を信じることにする」
ガレットにとってドラコは絶対の存在だ。
「しかし潜入捜査といってもな、まさか、コルピアスの財宝が見つからないって情報を本気で信じてるわけじゃないよな?」
浪漫を抱きそうなミクロスは、意外と現実主義者であった。
「その真偽をハッキリさせるためにも捜査が必要なんです。野良の海賊が奪って豪遊してくれるなら危険はありませんが、役人に化けた海賊の手に渡ったら大変なことになりますからね。なにしろ軍資金としては桁違いなので」
ケンタスは更に現実的だった。
「で、衣服の他に何を探せばいいんだ?」
それだけで事の重大さを理解するミクロスも流石だ。
「自分のサイズに合った装飾品があるといいのですが」
それから木箱を開けて、衣服を見つけると、その場で試着するのだった。女のガレットもその場で着替えていた。
ちなみにミクロスやガレットは、いつでも走れるようにと、常に布のさらしを身体に巻いている。乳首が衣服で擦れるのを防ぐためだ。
下着の概念は少なくとも三千年以上も前からあるが、製品として定着したのは最近で、起源はやはり戦争の発明品ということになる。
「おお、みんな様になってるじゃねぇか」
僕も含めて四人全員が着替え終わったところだ。
ケンタスも納得した表情を見せる。
「俺たちの場合、見た目も潜入捜査にピッタリなんです。大陸系は半島でも優遇されていますから、茶色い髪の海賊はあまり見ないそうですからね。いたとしても役人や豪商に化けていますから」
ミクロスが首肯する。
「あっちもあっちで潜り込んでるってわけだな」
「そういうことです」
着替え直して廊下に出ると、警備兵が四人に増えていた。その誰もが目を輝かせてガレットを迎えるのだった。
「あの、お時間を頂いてもよろしいでしょうか?」
上官らしき男が声を掛けるも、その声が震えている。
「ガレット・サン隊長に直接お礼が言いたく参じました。パナス皇太子殿下の救出成功を、持ち場を離れられない部下に代わりましてお礼申し上げます。ありがとうございました」
ガレットの表情は変わらない。
「あれはドラコの作戦の一部だ」
その謙虚な姿勢にも、警備兵らは心打たれた表情を見せるのだった。
一方で、ミクロスは面白くなさそうな顔をしていた。
「お前ら、オレ様にもなんか言うことがあるんじゃないか?」
「あっ、いや、その」
「オレのこと知ってるよな?」
「はい。色街でお見掛けしたことが」
ミクロスが赤い鼻を真っ赤にさせる。
「知ってるなら、何か言うことがあるだろう」
「あっ」
思い出したようだ。
「役場町でお酒を奢っていただきました」
「あっ、小官もです」
「俺もその中にいました」
「その節は、ありがとうございました」
その後、ミクロスが全員に説教すると言いだして、僕たちは先に帰らされてしまった。説教といっても、酒を呑みながら自慢話を聞かせるのだろうが。
途中三人で食事をしたので、オーヒン市内の兵舎に帰ってきた頃には日が沈んでいたが、ヴォルベがガレットにお別れの挨拶をしたいということで、ケンタスがそれに付き合うのだった。
誰もいない夜の食堂に行くと、テーブルに置かれたランプの明かりを見つめるヴォルベの姿があった。
僕も座るように勧められたので、同じ席に着いた。ヴォルベとケンタスが横に並び、僕はガレットの横に座った。
「ヴォルベは何回アタシと別れの挨拶をすれば気が済むんだ。アタシが知る限り、これで十回目だぞ? いや、もっとか?」
怒ってるけど、これが彼女の普通だ。
「いや、今回だけは特別なんだよ」
「いや、それも毎回言ってるからな」
「いや、その中でも特別なんだよ」
「いや、その言葉も前に聞いたことがあるんだよ」
ガレットの記憶なら間違いない。
「いや、でも、今回は海を渡るんだぞ? 心配して当然じゃないか」
「ヴォルベ、アタシの言葉を忘れたのか?」
そこで公子は反論をやめた。
「アタシは何度も『ドラコの作戦は終わってない』って言ったぞ? ドラコの作戦とは、ヴォルベを守ることだ。だからアタシの心配じゃなくて、オマエは自分の心配をしなくちゃいけないんだよ」
ドラコの目的は何だったのだろう?
「ドラコの作戦は、今も生きているんだからな」
それからケンタスの求めに応じて、ヴォルベが潜入捜査のコツを教えて、それからコルピアスに関する情報を提供するのだった。
「ドクター・アナジア……」
会話の途中でケンタスが修行者の名前に引っ掛かりを覚えたが、ヴォルベも詳細は知らないとのことだった。
その夜、ベッドの中で目を閉じながらも、ガレットのドラコに対する忠誠心について考えていた。
プライベートでは女系皇族の子孫を遺し、一方、仕事では男系皇族の命を救った男である。ドラコの忠誠心はどこにあったのだろうか?
劇作家ビナス・ナスビーの新作では、フェニックス家に忠義を尽くす男として描かれているが、本当のところは本人にしか分からない。
だから僕も勝手にドラコの心を当て推量してはいけないのだ。それは僕が考えたドラコにすぎないのだから。
知りたければ本人から直接話を聞くしかないが、そのドラコは、もう、この世にいない。
翌日、ケンタスは旧・コルピアス領で、現在は帝国軍が駐留している練兵場を訪れるのだった。
軍の施設を訪問する場合は事前に申請が必要で、それで許可が下りたこの日に訪れたわけである。今回は二日前の申請なので、かなり早い方だ。
現在は軍務官の公邸として利用されている旧・コルピアス邸を訪れた理由は、遺品を確認するためであった。
「これだけですか?」
「ここら辺は戦争中に荒らされましたから」
下級士官に隣接する役所の保管庫に案内してもらったのだが、私物はほぼ盗まれたということで、狭い倉庫の中には木箱が二箱ほど積まれているだけであった。
「この木箱の中には何が?」
「すみません、分かりません」
「開けても?」
「構いませんが、あまり期待されない方が」
ケンタスが木箱を丁寧に開ける。
そして、中から薄い冊子を取り出すのだった。
見えている部分に文字があるが、僕には読めなかった。
「ああ、それなら知っています。しかし、残念ながら価値のある古文書の類ではありませんでした。学者が調べたそうですから」
ケンタスが赤子を扱うかのように冊子を木箱に戻す。
「大陸からの修行者だ」
「え?」
「とてつもなく価値のあるものです。皇宮で保管しなければならないので上官を、いや、軍務官閣下に伝えてください」
「はっ」
すると急いで報告しに行くのだった。
「どういうこと?」
「アナジアだ」
戦時中、オーヒン城に出入りしていたという修行者の女のことだ。
「これは島の古代文字ではなく、大陸文字なんだ。しかもガルディア人やアステア人が使用している文字ではなく、おそらくは東にあるウルキア文字なのさ」
その仮説が確かなら、ものすごく価値がある。皮肉なことに、その価値を知らないから賊に盗まれずに済んだというわけだ。
「もしかしたらコルピアスの宝の地図を読めるかもしれない」
宝の在処を文字で示していたということだ。
「なぜウルキア文字だったのか、考えられるとしたら、それはアナジアがコルピアスに誰も読めないウルキア文字を暗号にすればいいと吹き込んだんだ。後で文字を読むことができる自分たちが横取りするためにね」
そこで思い出す。
「そういえば、キンチ国王陛下も、ハクタの新王宮に大陸からの修行者が出入りしていたと言っていたな。あれは誰だったか、そう、アニーティア。カグマン国の王宮にも出入りしていた女だ」
僕も黒紫色の髪をしたウルキア人がハクタの魔女のお気に入りだったと聞いたことがあった。
「俺たちは、とんでもない敵を相手にしているかもしれないぞ?」
戦争の陰にウルキアの修行者あり。
「コルピアスの財宝が世界地図を塗り変えるかもしれない」
重要文書の移管手続きを見届けてから、市内に帰ろうとしたところで、ケンタスに面会を求める来訪者がいるとの報告を受けた。
百人以上の茶会ができるほど広い公邸の中庭に行くと、その来訪者はケンタスを見て、笑顔で手を振るのだった。
「カレン!」
そう言って、ケンタスが子供のように駆けつけるのだった。いや、正直に言うと、犬のようにだ。
「どうした?」
「来ちゃった」
頬を紅く染める彼女の名は、クミン・フェニックス。カグマン王の実の姉である。それが護衛も付けずに一人で前科持ちの兵士と会えるのは、彼女がワガママで有名だからだ。誰も逆らえない、あのユリスでも。
「よく、会いに来られたな」
「うん。お城の人にお願いしたの」
カレンは侍女という設定だが、ケンタスが王女であることを知っていると、彼女だけが知らない。誰が真実を告げるか、みんなで押し付け合っているそうだ。あの、ユリスでも。
「会いに来てくれて、ありがとう」
「そう言ってくれて、ありがとう」
二人を見守る赤いバラは美しいが、それに映える、生粋のカグマン人だけが持つ王女の長くて綺麗な茶色い髪は、もっと美しかった。
「私たち、次はいつ会えるの?」
「再会したばかりなのに、もう次の話?」
「だって、今度の任務は危険だって聞いたから」
「だから俺が行くんだ」
王女は不満顔だ。
「ケンじゃなくて、ペガじゃダメだったの?」
「アイツは会議で名前すら出てこなかったよ」
「ん、もうっ、役に立たないんだから」
ペガス……。
「最近ね、モンクルスに腹が立って仕方がないの。だって、モンクルスが後継者に指名しなければ、ケンが危険な任務に就くこともなかったでしょう? ほんと、余計なことをしたんだから」
ケンタスが弱り顔だ。
「剣聖もまた、別の誰かに指名された一人だったような気がする」
「どういうこと?」
ケンタスはモンクルスと二人きりで会話をしたことがある数少ない生き証人の一人だ。
「『黒金の剣』の由来には諸説ある。しかし、そのどれもが創作だと分かった。現在は『モンクルスの剣』と呼ばれているが、一人だけ、それを『魔黒石の剣』と呼んでいた男がいた。それがモンクルスなんだ」
初耳だ。
「山で見つけたというのは本当だが、じゃあ、誰が剣聖に『魔黒石の剣』を与えたかという話になる。そこで気になるのが、大陸からの修行者だ。証言によると、彼女たちは首から黒い石を垂らしていたというんだよ。それが魔黒石なんじゃないかってさ」
ここでウルキアの修行者と繋がった。
「しかし、わからない。彼女たちの目的が、一切、解らないんだ。モンクルスの味方なら俺たちの味方だが、戦争でオーヒン国を勝たせようとしていたなら俺たちの敵だからさ」
王女がポツリと、
「魔女なんじゃないの?」
「女の勘か」
と言って、ケンタスは笑うのだった。
「笑うけど、変な女に引っ掛かったらダメだよ?」
「大丈夫だ、テオに監視されてるから」
「え? 監視がないと自制できないの?」
「いや、そういう意味じゃなくて」
「じゃあ、どういう意味?」
「ごめん、言い方を間違えた」
「言い直して」
軍隊より酷な命令だ。
「カレンだけを愛し続けると誓います」
「誓いの証は?」
そこでケンタスが僕を見る。
「テオ、すまないが、後ろを向いてくれないか?」
監視生活で初めての命令だ。
「永遠に誓います」
「確かに受け取りました」
振り返ると、二人とも顔を真っ赤にして見つめ合っているのだった。




