第三話(223) 救国の勇者たち
「ようっ、ケン」
ジジが会わせたい人物とは、友人のペガス・ピップルであった。
「なんだ、ペガか」
ケンタスの反応は冷淡なものだった。
「なんだはないだろう」
「期待した俺がバカだったよ」
ペガスとは一か月前に会ったばかりである。しかも一週間も兵舎に滞在するものだから、食堂の職員にすら疎まれる始末だ。
友人同士が並んで腰掛けて、それを正面の席でジジが微笑んでいるという、この光景は三人が子供の頃から変わっていないと聞いている。
「せっかく見送りに来たっていうのによう」
「お見送りっていうのは、何回もすることじゃないんだよ」
イライラしているケンタスが花茶の匂いを嗅いで、自分を落ち着かせようとしている姿がおもしろかった。
「俺はな、責任ある仕事をしている友人が、こうも頻繁に会いに来ると、ちゃんと仕事をしてるのかって、逆に心配になるんだよ。ボボのように通訳の仕事で忙しくしている方が、よっぽど安心できるんだ」
ボボは、ケンタスとトリオを組んでいた盟友だ。部族語を話すことができるため、現在は北部で通訳の仕事を任されている。
「それは、おれに対する公平な評価ではないな。単独での越境が許されるということは、上官、つまり国から信頼に値する人物だと評されてるわけだからな。ケンには許可が下りないから、おれの方から会いに来てやってるんじゃないか」
僕がケンタスの側から片時も離れないのは、前科のあるケンタスを監視する意味もある。自分を例外とせずに、軍規に則って、忠実に従っているわけだ。彼の場合は寝食も一緒にさせるので、自分に厳しすぎるけど。
「それより、北部に変化はないか?」
「ひと月で変わるわけがないだろう」
「そうか、それならいいんだ」
ぺガスはハトマ女王の首席補佐官から信頼されているので情報は正確だ。
「といっても、安心はできないけどな」
「どういうことだ?」
「お前が島から離れている間に、また戦争が起こるかもしれないってことだよ」
「それを回避させるのが、ペガの仕事だ」
「むちゃ言うなよ」
ぺガスの演説が始まりそうな予感。
「実際に北部で暮らしてみて分かったんだけど、おれたち南部の人間は、北の大地は女帝ウインが統治していたから、女王が国を治めた方が上手くいくと考えて、それで部族出身のハトマを国王にしただろう?」
ユリスの決定だが、亡くなった妻の意向だったと聞く。
「でも、そんな単純な話ではなかったんだな。原住民の中には、ウインの直系であるマリン・リングこそが、この島の絶対女王であると信じて疑わない人たちがいるんだ。彼らにしてみたら、ハトマはフェニックス家側の人間でしかないんだよ」
ジジも北部で暮らしていたので、大きく頷きながら話を聞いている。
「おれたちが生きている間は戦争を避けられたとしても、死んだ後のことまでは分からないぞ? ウインの子孫を守るためなら命は惜しくないと考える部族も少なくないからな」
そのマリン・リングの一人娘はドラコの子供で、つまりケンタスの姪なので、なんとも複雑な話だ。
「ケンタスよ」
複雑な事情を知るぺガスが悪い顔をする。
「お前は男系のフェニックス家と女系のリング家が戦うことになったら、どっちの味方をするんだ? なぁ、答えろよ」
性格の悪い男だ。
「兄貴なら子供のために戦うだろうが、俺の子供ではないからな」
「つまり、カレンのために戦うということか」
カレンとはケンタスの想い人のことだが、正体はフェニックス家の王女さまだ。つまり兄弟で決して相容れることのない、異なる系譜の女を好きになってしまったわけだ。
ドラコとケンタスほど数奇な運命を持つ兄弟は存在しない。ただし兄の方は、もう、この世にいないけど。
「お前、カレンのことはどうするんだ?」
「なんとかするさ」
「そればっかりだな」
「今はカレンと結婚する方法が思いつかないからな」
前科持ちの下級騎士では、王族との結婚は不可能である。
「おぅ、ケンタスじゃねぇか!」
寝起きのマクスが現れて、立ち上がろうとするケンタスを制する。
「挨拶はいいからよ、みんなでゲームしようぜ」
ということで、ジジの奥さんのアキラや僕も呼ばれて、ゲーム大会が開催されるのだった。
翌日の午後、オーヒン市内の役場町にある兵舎に戻ると、ケンタスに来客があるとの報せを受けた。
来賓室に出向くと、ヴォルベ・ハドラ、旧姓ヴォルベ・テレスコが待ち構えているのだった。ガレットと共に幼帝を救ったが、それよりも戦争での百人斬りが有名である。
原住民の血が混ざった赤紫の髪色を持つ異端児だ。現在はカグマン王の補佐官でもあるので、部外者でも帯剣が許されている。その剣は、ドラコの剣と呼ばれているのであった。
長椅子が二脚しかない部屋なので、二人は対面式で腰掛ける。話を切り出したのは、ヴォルベの方だ。
「昨日、ユリスから話を聞きましたが、僕は予定通り、軍港での出航式に参加すればいいわけですね」
「ご協力、感謝します」
最速記録を塗り替えて出世した公子が深刻な表情を見せる。
「従弟のフィンスには僕や父上がいるから大丈夫ですが、あなたに守られていたユリスは、モンクルスの後継者を親友のバルダリス総督に貸し出すわけで、それが心配でならないのです。帝国宰相の身に何かあれば……」
ここ数年でも暗殺未遂事件が二度も起こっている。
「閣下は『人材を育てる機会と考える』と仰っておられました」
「ユリスらしいですね」
ケンタスがドラコの後継者に尋ねる。
「南部の状況に変わりはありませんか?」
南部では七政院の権限が絶大だが、その院政の中にも権力闘争がある。
「はい。それが、驚くほど平和なんです。理由は、ハクタ国のキンチ国王が七政院の自治領区からの徴兵を強化してくれたからです。現在は王宮軍としてハクタ軍と共に演習を行っています」
ハクタの魔女がいた頃は分離した新王宮を守っていたが、敗戦後はカグマン国の王宮だけしか残らなかったので、そこを守るために援護しているわけだ。
「キンチ国王や七政院が手の平を返したように協力的になっているのにも理由があります。それは外国と手を組んでいるハクタの豪商が想像以上の脅威となっているからです。つまり、対立軸が移ったわけですね」
外国の中には海賊も含まれる。
「それともう一つ、やはり経済なんです。彼らは価値のあるものを可能な限り貯め込んでおきたいと考えます。それには貨幣経済の安定が必要です。安定させるには、貨幣自体を均一にせねばなりません。それにはどうしたって北部の銀山が不可欠となるのです」
土地を奪うとか、そんな簡単な話ではない。造幣は国策事業なので、地元の原住民に恩恵がなければ継続事業になりえないからだ。
「要するに南部の大貴族は、ユリスの帝国府に対抗するよりも、支援した方が長期的には得をすると判断したわけですね。いやらしい話ですが、結局はお金なんですよ。そして、それは間違っていないのです」
公子は僕と同じ考え方を持っているようだ。
「故郷の人間を悪く言うのは心苦しいですが、ハクタには平気で外国に国を売る役人や商売人がいます。自分さえ良ければ、いや、むしろ、それが世の中のためになっていると思っているのです」
公子がハッキリと首を振る。
「しかし、それは違う」
それから真っ直ぐ見つめる。
「僕たち島の人間には、守らなければならないものがあります。それが、たった一つの王宮、それだけです」
公子はこのようにして南部の大貴族を説得していったのではなかろうか。いや、その前に、キンチ国王のおかげと言いながら、その国王を説得したのが彼なのかもしれない。かつて「魔王子」と称されたヴォルベなら、ありえない話ではないからだ。
「本来ならばケンタスではなく、僕がフィンスの謀殺を企てたクルナダの連中を懲らしめに行かなければならないのですが、ハドラ家の人間ということもあり、母上から自重するように叱られてしまいましたので、同行できないことを許してください」
やっと十七歳らしい素顔を見せるのだった。
「敵は海の向こうだけとは限りませんから」
「ああ、そうでしたね」
「公子は大切な故郷をお守りください」
「任せてください」
そこでガッチリと固い握手を交わすのだった。
「公子に伺いたいことがあるのですが」
「なんでしょう?」
「ハクタの役人や豪商について知りたいのです」
「それはキグス閣下に聞いてください」
ドラコ隊の副隊長のことだ。
「ランバも来てるんですか?」
「昨日から王城にいます」
「そうですか」
「今は僕よりもハクタに詳しい」
ということで、翌日、オーヒン城に向かうのだった。
ユリスは城内の貴賓室を用意したそうだが、ランバ・キグスはそれを固辞して、隣接する兵舎の士官部屋を希望して、そこに逗留していると聞いた。
「ご無沙汰いたしております」
「固い挨拶は止めてくだされ」
そう言って、士官室を訪れたケンタスを照れくさそうな笑顔で出迎えるのだった。髪色が白いのは老いではなく、北方移民をルーツに持つからである。
大貴族ですら手出しできないフェニックス家の荘園地に対して、大規模な手入れをしたことで有名な人物である。
ドラコが「モンクルスの再来」と呼ばれていたこともあり、似たような関係性から、ランバは一番弟子だった「エムル・テレスコの再来」と呼ばれている。
どうしてこのような二つ名が広まったかというと、南部でドラコを主人公とした舞台が上演されているからだ。
「お掛けくだされ」
「失礼します」
ランバは士官席には座らず、二脚しかない長椅子に対面式で腰掛けるのだった。つまり主従の関係はないということだ。
「お子さんは元気ですか?」
「おかげ様で、すくすくと育っております」
と、ここから子供の話が長く続いた。
しかも、話がつまらない。
頃合いを見計らって、ケンタスが話を変える。
「ハクタといえば、今回の通商交渉を担当するアラン・シプルフについて知ってることはありませんか? もちろん既に申し分のない人物だと調べはついているのですが」
ランバが首を捻る。
「さて、それはどうでしょうな。これはハクタに限りませんが、役人は履歴を綺麗に見せて、裏ではあくどいことをしている者もおるのです。敵国の王宮に出入りしていたコルピアスが、そうであったではござらんか」
ドラコ隊として貴族の不正を調査していたので説得力がある。
「シプルフ家は名家でございますが、オーヒン国のコルピアス家と共存共栄してきたことを忘れてはなりませぬ。また、ハクタ時代のデモン・マエレオスが交易担当を留任させたことも忘れてはなりませぬぞ」
戦争をするような敵国同士の間柄でも、役人同士は繋がりがあるから恐ろしい。
「デルフィアス宰相閣下にしても苦渋の決断だったのでしょうな。海路貿易の仕事を一手に担っていたハクタ人を交渉の席から外せば反発必至の状況ですからな。それだけ総督府が不正の温床となっていた証左ではございますが」
断言したということは証拠があるということだ。だから既定路線だった人事を刷新するわけだが。
「あっ、そういえば」
そこでランバが思い出す。
「コルピアスで思い出しましたが、いや、確たる証拠はござらんが、どうも、コルピアスの財宝が見つからないという話ですな。それで海賊同士が揉めていると耳にしました」
それが本当なら大変なことだ。コルピアスが三十年以上掛けて貯め込んだ金銀財宝は、半島に存在する国々を全部まとめて買うことができるといわれているからだ。これはコルピアス本人の言葉で、実際に側近が耳にしたそうだ。
「どうでしょうね」
ケンタスは懐疑的であった。
「コルピアスは殺されました。つまり用済みとなったから口を塞いだわけですよね? そう考えると、すでに奪われたと思われるのですが」
ランバが頷きつつも、付け加える。
「いや、まだ取り調べ中ではございますが、実はコルピアス殺害の現場にいたとする男が、命を狙われているから匿ってくれと逃げてきたのです。それで情報を渡すから恩赦を与えてくれと要求してきました」
コルピアスは愛人に殺されたという話だ。
「恩赦を与えるかは情報を精査してからだと言ったら、実行犯の名を告げたのです。それがまさしく側近しか知らぬ愛人の名で、それで男の条件を呑み、財宝が不明になっている話を引き出したわけでございますな。残念ながら、実行犯の女はすでに殺されたようですがな」
仲間割れが起こったか、あるいは用済みとされたか、または男の言葉通り、財宝の在処を示す情報の取得に手違いがあったか。
「しかし、宝の地図は確かに入手したと話しています。それで見つからないということは、始めからなかったか、既に別の者に奪われていたか、またはコルピアス自身が認識を誤っていたかの、いずれかでしょうな」
ケンタスが首肯する。
「なるほど、それが我々に対する妨害の理由かもしれないわけですね」
「充分、お気をつけくだされ」
デモンと相対する交易交渉の他にも、コルピアスの財宝を狙う役人や豪商や海賊にまで注意しなければいけなくなったということだ。
ケンタスとガレットとミクロスだけで乗り越えることができるのだろうか? さすがに不安になってしまった。
「ただの落書きかもしれませぬが、これを隊長の弟君にお渡しします」
最後にランバは、男が持参した宝の地図の複写をケンタスに手渡すのであった。そこには地図ではなく、見たことのない記号が羅列してあった。




