第二十二話 荘園の子どもたち
翌朝、目を覚ますとボボの姿がなかった。ケンタスの話では、日が昇る前に山の方へ水を汲みに行ったとのことだ。同じ湧水でも飲んでいい水と悪い水があるので見極めが大切だ。
摘んできた木苺は酸っぱくて食べられた物じゃないが、花の蜜を吸い出してから口に含むと丁度いい甘酸っぱさになる。その状態でパンを齧れば爽やかな朝食の出来上がり。
「今日中に峠を越えるのは無理だろうな」
ケンタスが馬上で旅程の組み方に悩んでいた。
「ハクタで見せてもらった地図だと、少なくとも後二日は掛かるんじゃなかったか?」
と確認してみた。
「町で売られているような地図は距離感が滅茶苦茶で参考にならないって兄貴が言ってたな。島の地形も様々で、どれも正確な地図ではないという話だ。ハクタの州都官邸に行けばマシな地図があるかもしれないが、軍用地図だから見せてもらえないだろうな」
地図と海図は領土を示す大事な証書となるので比較的正確だ。
「オーヒン国で買うとなると高くて手が出ないんじゃないか?」
「ああ、見るだけでも金を取られそうだ」
「商人の町って言うからな」
これが俺たちのオーヒンに対する勝手なイメージだった。
「ここから先は土地の人に話を聞こう」
「無料で利用できるものは利用しなくちゃな」
ということで、無理をせずに集落が見えたら素直にお世話になることにした。それでも目指す先に山が見えているので、明日か明後日にはオーヒン国の首都に辿り着けるはずである。
国道に戻って馬を歩かせていると、昨日は見掛けなかった商用馬車を確認することができた。護衛をしっかりとつけており、複数の商人が一団となって行動していた。おそらく組合のような団体での移動だろう。
個人が賊から身を守るにも限界があるので、組合が生まれるのは当然の話だ。流通面でリスクが高いほど得られるリターンも大きいので狙い目と考える商人は多い。交易ルートを組合で押さえれば、個人や競争力の弱い他の組合も排除できるのでいいこと尽くしだ。
そこで問題になっているのが賄賂という話だ。ニュースの泉で拾った情報だが、交易を独占してはいけない、などという法律は存在しないため、力をつけた組合はやりたい放題という話だ。
ただし、力を持ちすぎると国に睨まれる可能性があると聞く。税金の支払いで揉めてしまうと、最悪の場合は交易権の剥奪や商人としての身分まで取り上げられるので、そうなると再起不能だ。
妨害をするのは大抵ライバルとなる組合が多いと聞く。独占している組合を潰すために、村長よりも権限が大きい人事権を有する地方長官辺りに金を掴ませるのだ。古典的なやり口ではあるが、普遍的にして、効果的なやり方でもある。
そこから更に権力を確保するために貴族との縁組を増やして地盤を強化するやり方が昔からある。最近だと豪族とは別に、豪商が生まれつつあるのは肌で感じる部分ではあった。
それは統一戦争が終わって急速に貨幣経済が安定したから、余裕を持った人たちも急速に増えたためでもある。また、戦争で儲けた人たちもいただろうし、そこで旧体制と新体制が丁度ぶつかる時期に差し掛かったわけだ。
人類の歴史上、今後を左右させるような最も重要な時代に生きているのではないか、という実感があるのはそのためだ。ケンタスは『激動の時代が始まりそうな予感がする』と言っていた。
それだけに今の俺たちに歴史を変えられるだけの力がないことが残念でならなかった。俺たちが出世できたとしても、それこそ行商人の警備職に就職するのが関の山だからだ。
「あれは何だろうな?」
ケンタスが見つめているのは、俺たち三人を後ろから追い越して行った一台の荷馬車だ。荷台には交易品ではなく人が乗っていた。内訳は十人近くの子どもと二人の大男である。母親らしい女の姿はないので家族ではなさそうだ。
さらに注視すると、子どもたちは五歳から十歳くらいで、毛色が違うので兄弟姉妹というわけでもなさそうだった。服装もバラバラで、要するに『子ども』ということくらいしか共通項を見出せなかった。
「貧困層の子どもだな」
「ああ」
ケンタスが不安げな顔で相槌を打った。
嫌な予感がする。
また好奇心が疼くのではないだろうか?
「ちょっと、尾けてみよう」
やっぱりだ。
「速足で追いついたら距離を保つんだ」
ということで、荷馬車を尾行することとなった。ケンタスのバカ野郎はまたしても寄り道するようだ。それでも親父の教えがあるので従うしかなかった。
子どもを乗せた荷馬車は街道からどんどん逸れて行き、山間部へと入っていった。見えてきたのはボボの村とそっくりな離村だった。田畑があって、川の氾濫や土砂災害から守られそうなところに家屋が並んでいるという、まさに理想的な集落だった。
一点だけボボの故郷と違うのは、村の中心に立派な建物が建っていることだ。何て呼称すべきか迷うところだが、教会とは違うし、直感的に聖堂という言葉がピンときた。その聖堂の周りに手を伸ばしても届かない壁が四方に張り巡らされているのである。
だから地上にいる俺たちから見えている部分は建物の二階部分と青銅の鐘が吊るされてある三階部分だけだった。正面の入り口は大きな扉で閉ざされているので、中の様子は一切見ることができない。
囲いの中は広く、聖堂の両端に兵舎のような建物の屋根だけが見えていた。それはつまり壁の中で共同生活を送っている者がいるということだ。目的は分からないが、立派な石造りの建物が建てられていることから貧農とは無縁のようである。
しかし大金を稼げるほどの基幹産業があるとは思えなかった。自給自足の生活が送れるほど田畑も広くないし、どうやったら腕のいいレンガ職人に建築を依頼できたのか謎だった。午前中だというのに村人の姿もなく、本当に薄気味が悪いのだ。
建物の数から人口は五百人に満たないことは推察されるが、実際に住んでいるかどうかまでは断言できなかった。それくらい辺りがシーンとしているのだ。ボボの故郷のように子どもの声もなければ、赤子の泣き声も聞こえてこないのである。
「中に入って行ったな」
子どもを乗せた荷馬車が聖堂のある敷地へと入って行ったのを、俺たち三人は村の入り口で見届けた。見張りがいるというわけではないが、何となく近寄りがたい雰囲気があったので足を止めてしまったのだ。
「ケンよ、これからどうするんだ?」
ケンタスが馬上で思案する。
「よし、行ってみよう。なるべく早い方がいいな」
「行くのか?」
「ああ、その前に水筒の水を飲み干せ」
と言うので、三人で水を一気に飲み干した。
それから聖堂に向かって馬を歩かせた。
門の前で馬から降りて、ケンタスが扉を思い切り叩いた。
「御免下さい」
ここもケンタスに任せることにした。
「御免下さい。旅の者です」
しばらくすると扉が開かれた。
中から出てきたのは中年の法衣服姿の男だった。
「何用か?」
穏やかそうな神牧者だ。
「王都から来た旅の者です。このように切らしてしまったので、飲み水を頂けませんか?」
とケンタスが空の水筒を振って見せた。
「それでわざわざここへ?」
少しだけ警戒されたようだ。
「はい。人里を求めていたところ、偶々目についた馬車を追い掛けて来て、ここへ辿り着いたので」
「ふむ。水なら幾らでも差し上げるが、ここら辺は川の水を飲んでも問題ないぞ?」
「そうでしたか、それは王都と違って羨ましい環境ですね」
胡散臭い会話に、つい笑いそうになった。
「見たところ新兵のようだが、差し支えなければ旅の目的を教えてくれんか?」
「はい。我々は王宮の任を受け、カイドル州へ向かっている途中でございます」
それを聞いて法衣服の男が目を見開いた。
「カイドルへ? それはまた遠い所までご苦労なことだ」
ハクタ州の外れに住む者でもカイドルは遠い異境の感覚があるということだ。
「しかしながら、国道からは随分と逸れて来たものだ」
「もし良ければ、今晩こちらに泊めていただくことはできませんか?」
まさかの提案だ。
「いやいや、この村に宿泊所は設けておらんのでな、それはできない相談だ」
「そうですか」
初めから泊まるつもりはないが、落ち込んだ振りはしておいた方がいいだろう。
「国道に戻ってオーヒン方面に行けば旅の宿があるのでな、そちらへ行くがよろしい」
断られたが、親身になってくれる人だった。
「荷馬車の子どもたちは、この村の子たちですか?」
「村の子」
質問内容が唐突だったようで、一瞬だけ間が空いた。
「うん、まぁ、それはこれからの話だろうな」
「どういうことですか?」
神牧者が慈悲深い顔をする。
「あの子らはみな孤児でな、それでこの村の領主様が引き取っておられるのだ。将来立派な人間になるようにと、これから神の教えを授けるところだ。どんな子であろうとも、神の教えさえ授けてやれば、父なる神は必ずお救い為されるでな」
「そうですか」
やはり予想した通り宗教施設だったようだ。
「オザン村へ行くなら早く出た方がよろしかろう。今時分からでは日没までに間に合うかどうか分からぬでな。水はそこら辺にある井戸を利用されるがよろしい。それと、この村は領主様の私有地なのでな、戻られる時は許可証を持参するように」
ということで、扉を閉められてしまった。次の村へ行くまで時間がないということで、急いで水を汲んで、馬にも水を飲ませてから村を出た。収穫らしい収穫はないが、見聞を広げるためには悪くない寄り道だったと思う。
男が『戻って来る時には許可証を持参するように』と言っていたが、つまりこれは『勝手に入って来るな』と言いたかったのだろう。壁に囲まれた敷地だけではなく、村全体が私有地というのは驚きだが、荘園と考えれば不思議ではなかった。
建物にフェニックス家と村の領主の旗が並列して掲げられていたことから、同等の身分があるということが分かるので、おそらく王家の血を引く分家の一族が村を統治しているのだろう。お金を貯め込んでそうに見えたのはそのためだ。
荘園にも時代や地域によって様々なタイプが存在するが、この村の場合は王家の血を引く分家なので、たぶん納税義務はないはずだ。それどころか、俺たちの親兄弟が納めた税金が流れている可能性がある。
それでも孤児を引き取って教育しているわけで、この村の場合は国教となっている太教だが、その教育を施しているだけでも、税金の使い道として無駄ではないように思える。慈善事業に当たるが、それを労働と捉えてもいいくらいだ。
ここが宗教の素晴らしいところである。ダブン村の村長さんも親切な人だったが、世話を焼く人が奉仕の気持ちを抱いて行動できるのが信仰の力だ。孤児を引き取るなど簡単にできる事ではないので、尊敬の念を抱かずにはいられなかった。
恵まれない子どもたちの受け皿になることができるのが宗教の偉大さだろう。そもそも欠陥があるものなら、これほどまで浸透しないはずである。時代と共に変わり、歴史を飲み込みながら、新しい解釈が増えていくが、本質は変化していないはずだ。
村の第一印象では不気味だと感じたが、それは俺の勘違いだったようである。法衣服の男も終始穏やかで親切に語り掛けてくれたし、あのような人がいるなら、子どもたちを安心して任せられるというわけだ。
「あそこにいるのはアキラじゃないのか?」
遠目が利くケンタスが馬上で呟いた。
確かに街道との合流地点に人影が見えた。
「そうだな」
ボボにも見えたようだ。
これで間違いない。
「俺たちを待ってる、ってことはないよな?」
素朴な疑問だ。
「それだとオレたちがここへ戻って来ることを知っていたということになるぞ」
ケンタスの言うことは尤もだ。
「なんか怒った表情をしてないか?」
俺にはそんな風に見えた。
「ああ、オレたちのことを睨んでいるようだ」
ケンタスも同じ印象のようだ。
「おい!」
声が届く距離になったところでアキラが声を上げた。
「これは奇遇だな」
アキラは俺の言葉を無視した。
「ケン、どうしてマクチ村なんかに行ったんだ?」
どうやらアキラはケンタスと話がしたいようだ。
マクチ村というのは、さっきの村のことだろう。
「答えろ!」
「どうしてって、荷馬車を見掛けて気になったから見に行っただけさ」
アキラと合流したが、急いでいるので馬を歩かせながら相手をする。
「本当だな?」
「ああ」
「信じていいのか?」
アキラが念を押した。
その様子にケンタスが微笑む。
「勝手にしろ。それはアキラの自由だ」
その言葉に悩んでいる。
「分かった。だったらオラはもう少し様子を見るよ」
「正直な子だな」
と言って、ケンタスが笑うのだった。
「マクチ村の客ではないんだな?」
「水を汲みに行っただけさ」
と、そこでケンタスの顔が険しくなった。
「客ってなんだ?」
問い詰めてもアキラは答えなかった。
「あそこの村に売り物になるような物は無いように見えたが?」
さっきまでの表情から剣幕が消え失せた。
アキラが急に下を向いて黙るのだった。
それを見て、ケンタスは何かを察したようだ。
しかし、何も言わなかった。
「聖堂には入っていないということだな?」
それがアキラには大事なことのようだ。
「ああ」
ケンタスが誓いを立てたかのように答えた。
「でも馬車は見ただろう?」
「そうか、やはり売り物というのは子どもたちのことか」




