第四十一話(217) ぺガスのその後
「ペガスよ」
俺の名前を呼んだのは酔っ払いのミクロスだ。
「オレ様のおかげで最高の結婚式になったな。これだけ盛大なパーティーは王族でも滅多にないぞ? いや、史上最高の結婚式なんじゃないのか? どうせオマエなんかお返しできないんだから、一生、恩にきれよな」
コイツをぶん殴ってやりたいと思った。俺とモモの結婚式はオーヒン市内の大聖堂・別館の大広間で行われていた。千人は収容可能な会場で、そこで俺とモモは新郎新婦として壇上に座らされ、立食形式で飲み食いしている奴らにお礼を言わされているというわけだ。
それが四日も続いていて、さらにあと三日も続くという。なぜなら今日はオーヒン国のオークス・ブルドン王が来場し、明日はカイドル国のハトマ女王が来場予定で、明後日にはハクタ国のキンチ国王が来て、明々後日にはカグマン国のフィンス国王が来るからだ。
それらすべてが俺の知らないところで勝手に決まっているのである。ミクロスからは「オマエは会場で座っているだけでいい」と言われたが、本当に殴りそうになってしまった。そんな奴を出世させたユリスに対しても腹が立って仕方がなかった。
そもそも、俺は会場で食い散らかしている酔っ払いどもの全員を知っているわけじゃない。俺の結婚式だというのに、なぜか知らない奴がやって来て、会場にいる知らない奴らと盛り上がり、それで知らないまま帰って行くのだ。
ドラコは俺をバカにしないから大好きだったけど、ドラコ隊の隊士はクズばかりだということがよく分かった。主役の俺よりも、初日に副隊長のランバ夫妻が子連れで来場した時の方が盛り上がりやがったので、全員まとめてぶん殴ってやりたいと思った。
四人の国王が初めて一堂に会するということで、ユリスも結婚式の前日から大聖堂に泊まり込んで仕事をしていた。会場に来たオーヒン国の貴族連中の相手を務めては、本館の執務室に行って政務をこなすのだ。
宰相閣下も別館の会場と本館の執務室を行ったり来たりの毎日なので大変だと思うが、それでも俺の結婚式を仕事に利用しているので、帝国府の最高権力者でもあるユリスであっても、やっぱりぶん殴ってやりたいと思った。
「いやあああああああ!」
会場で悲鳴が上がった。どうせまた料理人として会場入りしているジェンババが作った昆虫料理を見て、貴族のご婦人が驚いたのだろう。それを見て喜んでいるジェンババのクソジジイもぶん殴ってやりたいと思った。
北方部隊を率いるソレイン・サンが、ここぞとばかりに来場者の女を口説きまくっていた。初日から違う女を取っ替え引っ替えしては、日に何度も入退場を繰り返すのだ。俺の結婚式で破廉恥な真似をしやがって、女好きのソレインもぶん殴ってやりたいと思った。
ルークス・ブルドン王太子殿下もモテモテだった。彼の場合は自分から口説きに行かなくても、貴族や豪商の方から自分の娘を紹介しに列を作るのだった。今まで遊んでいただけなのに、人生が上手くいっているので、ヤツのこともぶん殴ってやりたいと思った。
「おい、酒が足りねぇぞ!」
幹事のミクロスに怒鳴られたのは、新兵時代を王宮で共に過ごしたカニス・ラペルタだ。奴の父親が失職したのを機に士官候補から雑用兵に成り下がり、今はミクロスの命令で俺の結婚式で給仕係をしていた。それにはスッキリした気分を味わえた。
といっても、給仕係をしていることではなく、それがどれだけ重要な仕事かも分からずに、不貞腐れた態度で仕事をしているため、もう二度と顔を合わせることがないと思えたので、それでスッキリしたというわけだ。
翌日、カイドル国のハトマ女王と共にユリスの補佐官だったフィルゴ・アレスが来場した。そこで二年振りに再会を果たしたユリスが彼を抱きしめた時、会場にいる酔っ払いの兵士らが涙を流した。
フィルゴ以上の補佐官は存在しない。ユリスの側近であり続けるということは、優秀であり続けなければならないが、それでいてユリス以上の地位を望んではいけないという、信念と仁義がなければ務まらない仕事を淡々とこなしているからだ。
現在はハトマ女王の補佐官としてカイドル城を再建している最中のようだ。他にも基幹産業になり得る鉱脈の発見に心血を注いだり、北部に適した農作物を試したりと、一刻も早く税金を納められる土地にしようと奔走していると聞いた。
どうして俺がフィルゴに詳しいかというと、昨秋からカイドル国に赴任しているからだ。ユリスの配慮で、警備局の主任としてモモが暮らしているセタン村で常駐勤務ができるようにしてもらったのだ。
セタン村はソレインの管轄ということもあり、平和そのものなので、時々首都官邸に出向いては、フィルゴから雑用を請け負っているというわけだ。だからフィルゴ特別補佐官には感謝の気持ちしかなかった。
さらに翌日、ハクタ国のリアーム・キンチ将軍、ではなく、キンチ国王が来場した。この日ばかりは誰も酒に手を付ける者はおらず、朝からピリピリとした雰囲気が絶えることはなかった。軍閥の長でもあるので、ユリスですら緊張した様子だった。
というのも、キンチ将軍は昨秋からずっと機嫌が悪いらしく、それが愛息のレオーノ大将の許婚をヴォルベ・テレスコに取られたことが許せないということで、側近のランバですらどうすることもできないらしく、手の打ちようがないとのことだ。
レオーノはハクタ国の次期国王でもあるので、ハクタ国内では海賊団の撲滅と同じくらい、レオーノのお嫁さん探しが重要案件になっているらしい。彼と釣り合うのはクミン王女しかいないけど、それも断られて、キンチ将軍は大激怒したそうだ。
そのクミン・フェニックスが翌日に来場したけど、なぜか、というか理由は分かっているが、結婚式の会場から主役であるはずの俺と、新郎の親友でもあるケンタスとボボが締め出されてしまった。
クミン王女は『カレン』という俺たちの幼なじみという設定をこれからも続けていくつもりのようだ。カレン以外の全員にその茶番はバレているというのに、王族の権力を行使して強引に続けようというのである。
「なぁ、ケンタスよ」
俺たち三人は本館の客室に監禁されているところだ。
「カレンのことだけど、これからどうするつもりだ?」
「彼女が王女でいる限り、どうにもならないよ」
そのスカした態度に腹が立った。
「カレンはお前のことが好きなんだぞ?」
「好きという感情だけではどうにもならないさ」
その他人事のような態度にも腹が立った。
「カレンのことが好きじゃないのか?」
「愛が罪になる時代だからな」
このキザ野郎をぶん殴ってやりたいと思った。
「じゃあ、諦めるということか?」
「オレの問題じゃないんだ」
もう、コイツの屁理屈はたくさんだった。
「終わっちまうんだぞ? それでもいいのか?」
「カレンがオレを諦めきれたらな」
この勘違い野郎をぶち殺してやりたいと思った。
しばらくしてから別館に戻ると、すでにクミン王女の姿はなく、広間ではヴォルベ・テレスコが話題の中心になっていた。モンクルスの愛弟子だった父親が有名だけど、公子も最年少記録を塗り替える勢いで出世しているので、息子も充分すごい男だ。
ただ、こちらのオーヒン地方では『公子』ではなく、『魔王子』という呼び名が定着してしまっていた。未だに『大泥棒』とか、『大悪党』とかと呼んで、悪名の方を信じる者が少なくないくらいだ。情報伝達とか噂とは所詮そんなものである。
「おお、ケンタス」
俺たちの姿を見て手招きしたのはミクロスだ。
「ちょっと来い!」
一応は上官なので駆け足で向かった。広間の中央では、ヴォルベを中心に五百人以上の輪ができていた。九十九人のドラコ隊も勢揃いしていた。ドラコ以外、未だに戦死者を出していない最強の戦闘集団だ。虫歯に負けないことも大事なのである。
今日は結婚式の最終日ということもあり、ジジの姿もあった。再会したとき隣に女を連れていて、一瞬『誰だ?』と思ったが、それがドレスアップしたアキラだとは紹介されるまで気がつかなかった。
「おい、二人の剣を持ってこい!」
ミクロスが部下に命じた。
「本当にやるんですか?」
訊ねたのはヴォルベだ。
「ビビってんじゃねぇだろうな?」
公子も酔っ払いのミクロスに絡まれて困っている様子だ。
ケンタスが訊ねる。
「何をしようっていうんですか?」
ミクロスが酒を呷る。
「オレ様が幹事を引き受けた結婚式も今日で終わりだろう? でも、まだ物足りなくてな、それで最後にドデカイ余興を思いついたってわけよ。これからケンタス、オマエはヴォルベ・テレスコと、ここで決闘をするんだ。真剣に戦ってもらうからな」
ケンタスが訊ねる。
「真剣にって、剣で戦えっていうんですか?」
「あたりめぇだろが」
当たり前ではない。
「いや、これは面白い戦いなんだよ。ケンタスの武器は『モンクルスの剣』だろう? そんでヴォルベの武器は『ドラコの剣』だ。でもケンタス、オマエの兄貴はドラコで、ヴォルベの親父さんはモンクルスの愛弟子だ。そこら辺でどちらが強いのか話し合っていたら、議論が熱くなっちまってよ、それなら取りあえず戦ってみて、そいで一応の決着をつけようってことになったんだ」
そこで二本の宝刀が運ばれてきた。
「よし、二人とも剣を持て」
ヴォルベは手に取ったが、ケンタスは取らなかった。
ケンタスが念を押す。
「公子、よろしいのですか?」
「僕は手合わせできたらと思っています」
ヴォルベの顔は自信に満ちていた。
「ならば引く理由はございません」
そこでケンタスも剣を取った。
両者、間合いを取る。
二人の間にランバが立つ。
下手したら死ぬって、分かってるのだろうか?
場内が静まり返った。
二人が剣を構える。
ランバが距離を取った。
「始め!」
勝負は一瞬だった。
「勝者、ケンタス・キルギアス!」
公子の喉元への寸止めの一突き。
ヴォルベは身動き一つできなかった。
というより、ケンタスの動きが早すぎるのだ。
やや、反則に近い。
ランバの掛け声と同時に動いたように見えたからだ。
試合後も、そこら辺の判定を巡って議論が集中していた。
試合が終わった後、ヴォルベ・テレスコが俺のところまで酒を注ぎに来てくれたので、そこで俺はケンタスとの一戦について聞くことにした。こういうのは本人に聞くのが一番だからである。
「あれが僕の実力です」
意外にもあっさりと完敗を認めた。
「考えてもみてください。喉元への寸止めの一突きなんて、それ自体が並の人間にできることではないんです。あの時ケンタスは、僕の身体が硬直して動けないということを見抜いていたんですよ。だから喉を狙っても良いと判断したのでしょう。微妙な判定にしてくれたのは、彼なりの配慮だったのかもしれない」
そこまで狙ってできるとも思えなかった。
「始める前に軽く身体をほぐすのを見て、それだけで『勝てない』と思ってしまった。いや、正確には『勝つ方法が分からない』と思ってしまったんです。対峙して構えた時には、もう身体が動かなくなっていましたからね。どうやっても二手目でやられる未来しか想像できなかったので」
公子が自己分析する。
「そもそも僕はこれまで何度も戦場で命を助けられています。生き残ったのは、本当に偶々としか思えません。それでもケンタスと手合わせしたかったのは、はっきりと『自分は弱い』と自覚したかったからなのかもしれない。でも良かった。僕はもう挑まれた決闘を受けていい人間でないと分かりましたからね」
次にケンタスについて分析する。
「ボボから話を聞きましたが、ケンタスもこの二年間でかなりの場数を踏んできたようです。しかし窮地という窮地はなかったと言っていました。本当に強いと、ピンチすら招くことがないのでしょうね。無敵とは、そういうことなんだと思います」
晴れやかな表情で続ける。
「僕たちの決闘では裏で賭けが行われていて、僕の方が有名だから人気は高かったらしいけど、ドラコ隊の全員がケンタスに賭けていたように、見る人が見れば、試合をするまでもなく、結果は分かっていたみたいですね」
そんなことよりも、俺の結婚式で賭け事に興じた全員をぶっ殺してやりたいと思った。




