第四十話(216) エリゼのその後
レオーノキンチがエリゼとの婚約を解消したということで、その翌日、居ても立ってもいられず、急いでハドラ領へと向かうことにした。夜明け前に発ったので、昼前には到着することができた。
エリゼは現在、母親と一緒に役場町にあるハドラ家本邸で暮らしていた。ダリス猊下に王宮襲撃の首謀者としての容疑が掛かったため、領内の治安が悪化した時期もあったけど、暫定的にサッジ・タリアス神祇官が領主を務めたため、混乱は避けられたようだ。
エリゼと会うのは旧・コルヴス領で救出に成功した時以来なので、久し振りというわけではないけれど、僕もオーヒン国での裁判があって忙しく、ちゃんと話すことができずに別れたことを気に病んでいたところだった。
本邸の門番に到着を告げると、すぐにマナ夫人に話を通してくれて、帯剣を許された状態で門を潜らせてもらい、警備責任者にドラコの剣を預けると、夫人とエリゼが待つ貴賓室へと案内してくれるのだった。
その間にも、会う人すべてが僕のことを知っているばかりではなく、丁寧に感謝の言葉を述べられるので、その都度亡くなられたダリス猊下へのお悔やみの言葉を返さなければならなかった。
慣れない礼服に身を包んでいるので窮屈に感じているけれど、邸の人ばかりではなく、すべての領民が喪章を着けていたので、母上に言われた通り、ちゃんとした服装で出掛けて良かったと思った。
「突然の訪問をお許しください」
僕だけ立ったまま挨拶を続ける。
「本日はお嬢様に結婚の申し込みをしに参りました」
エリゼと並んで長椅子に座るマナ夫人が微笑む。
「あなたはどうして、それほどまで人生を生き急ぐのでしょう?」
性分としか答えようがなかった。
「それは今の夢を早く叶えてしまえば、次はもっと大きな夢を見ることができるからです。いいえ、夢でなくても構いません。課題でもいいのです。とにかく早く課題をクリアして、次にもっと難しい問題に取り組みたいと思ってしまうのです」
マナ夫人が笑う。
「エリゼとの結婚は『課題』ということかしら?」
「いいえ、違います。エリゼとの結婚は、僕の夢です」
「でも、課題でもあると?」
「本音を言わせていただければ、それは間違った言葉ではないと思っています」
「主人は言いにくいことを正直に告白する人間を大切にしました」
名家の令嬢との結婚に嘘はつけない。
「ハドラ家は名君を喪いました。さらに二人のご子息まで亡くされています。ですが、それで没落するような家系ではないことは承知しています。重ねて申し上げると、私の家柄とは不釣合いであることもすべて承知しているのです」
嘘はダメだ。
「お嬢様には私よりも相応しい家柄の男は他にもたくさんいると思います。それでも私を選んでほしいのです。お嬢様と結婚すれば領地を手に入れられることは分かっています。それだけではなく、ダリス猊下が所有されていた物すべてが手に入ります。それを考えないというのは、やはり嘘になってしまいます」
このまま続けても大丈夫だろうか。
「陛下の警護主任を務めておりますが、その上でハドラ領の領地を手に入れることができたら、他の領主とも対等に渡り合うことができ、現在の院政をもっとより良いものへと変えられる自信もあります。それだけ打算的に考えてしまうのが、私という人間なのです。そこはどうしたって隠しようがありません」
隠し事をしたまま結婚してはいけない。
「ですが、成り上がりたいだけならば、野心を心に秘めたまま生きることだって可能です。それは従弟のフィンスを『独裁者』にすることも、自分にはできたような、そんなシナリオも思い描くことが可能だからです」
僕には色んな道があった。
「そんな悪童にならなかったのは、教会の子どもだった父上を受け入れた母上がいたからだと思っております。母上のおかげで女性を、いえ、人間を信じることができました。それはつまり、他人を心から愛せるということでもあります」
エリゼを見る。
彼女も僕のことを見ていた。
告白する。
「ハドラ家の資産は魅力的ですが、そのハドラ家が霞むくらい、エリゼにはもっと魅力があります。僕がエリゼと結婚したいのは、エリゼのことが好きだからです。他の誰にも渡したくないから、急いで結婚を申し込みにきました。エリゼを守っていくためにも、領地を、そして国を守っていきたいんです」
夫人と向き合う。
「どうか、エリゼとの結婚をお許しください」
夫人が答える。
「あなた以上にハドラ家の当主が務まる男がどこにいましょう」
やはり男は成功がすべてだ。
それからマナ夫人は夕食の時間になるまで僕とエリゼを二人きりにしてくれた。そこで改めてエリゼに花束を渡すことができた。北部では、花は昆虫の物なので摘んではいけないという決まりもあるけれど、南部生まれの僕にとっては気持ちを表現する大事なものだ。
「ヴォルベ、ありがとう」
そう言って、花束を受け取ってくれた。
そこで改めて彼女の前で膝を折る。
「エリゼ、僕と結婚してくれるね?」
「もちろんだけど、お願いする順番が間違ってない?」
「いや、僕は元々ご両親の前でプロポーズするって決めていたんだ」
「それはどうして?」
「エリゼの人生にとって大切な瞬間を見てもらいたくてさ」
「わたしは、そんな優しい人の妻になれるのね」
差し出された手に口づけをした。
それから座ってゆっくり話をすることにした。
「僕がオーヒン国でスパイ活動をしていた時、酷い男に騙されたと思ったはずなのに、よく信じてくれたね。お父上から形見をいただいたから良かったものの、あれがなかったらと思うと、信じてもらえたかどうか分からなかった」
エリゼが否定する。
「そんなことないのよ。わたしは最初から最後までヴォルベのことを信じていたの。いいえ、疑う気持ちは少しもなかったわ。だって、ヴォルベはわたしのヴァージンを大切にしてくれたでしょう? それは愛する女性を大切に思う純粋な男心ですものね。だから『ああ、この人はわたしのことを大事にしたいんだ』って思うことができたの」
エリゼに触れる男は全員殺すって心に決めている。
「でも、嫌いにならなかったかい? ほら、僕は君のお兄さんと話す時、立場を明確にするため、あえて乱暴な口の利き方をしていたからさ。それで実際に『妹に股を開かせろ』なんて下品な言葉を使ってしまった。それで逃げ出したことがあったじゃないか」
それを聞いたエリゼは顔を赤くするのだった。
「あれはあまりに不意の出来事で、でも、嫌いにはならなかった。嫌いになるどころか、むしろ嬉しかった。わたしのことを欲しいと思ってくれたということだから。そういう気持ちを持ってくれていて、安心できたの」
僕は周りの大人からかなりの早熟だと言われているが、エリゼに比べたら、いや、世の中の女たちと比べたら、僕なんて半熟どころではないような気がした。結婚式を挙げるまでエリゼのヴァージンを守ってあげられるか不安になってきた。
「でも不安はあったかな? だってヴォルベったら、気持ちを知りたいって言っても、ちゃんと『好き』って言ってくれなかったんだもん。だけどやっと口にしてくれたから、今はもう安心」
実際に言葉にすることが、それほど大事なことだとは思いもしなかった。
「そうだ、お礼を言いたかったんだ」
強引に話を変えることにした。
「セトゥス家の別荘で看病してくれてありがとう。いま考えると、あれは自白剤というか、意識を朦朧とさせるキノコか野草を食べさせられたと思うんだ。ほら、僕は『金の王冠』を隠し持っていたからね」
エリゼが振り返る。
「あれはお母様がね、途中からセトゥス夫人を警戒して、ほら、ケーキが手製というのは分かるけど、取り分けるのは使用人に任せればいいわけじゃない? 社交界では暗殺とか、毒殺とか、謎の事件を面白がって話す人が多いから、それでお母様は夫人の振る舞いに違和感を覚えたの。社交界に足を運ぶって、すごく大事なことなのよ」
そういえば母上も怖がりのくせにドロドロした愛憎や殺生を描いた神話が大好きだ。
「あっ」
エリゼが何やら思い出す。
「うわ言で言っていた『ガレット』って誰?」
どうして女は余計なことを思い出すのだろう?
後日、両家での話し合いが首都官邸で行われ、女の出産は命懸けということもあり、やはりエリゼが満年齢で十八を迎えるまで先延ばしとなった。それでも周りと比べたら早い方なので、僕としても我慢するしかなかった。
他にも、僕がハドラ家に婿入りする形になるので、テレスコ姓からハドラ姓を名乗ることが決まった。両家が釣り合っていれば並列させることができるけど、テレスコ家は領地もないので苗字を棄てなければならないというわけだ。
それに関して両親はもちろん、僕としても何の拘りも持っていないので一切の抵抗がなかった。それくらいハドラ家というのは特別で、むしろハドラ姓を名乗らせてくれることに感謝し、家名に泥を塗らないようにと母上からキツく言いつけられたくらいだ。
それと、これも打算的な話になるけれど、名前にテレスコが入っていると門前払いする貴族連中も、ハドラ姓だけなら会わざるを得なくなるので、そういう意味でもテレスコ姓を棄てることに意味があった。陛下の護衛ではなく、同じ席に着く必要があるからだ。
テレスコ家に関しては六つ上にガイルがいるので、その兄貴に頑張ってもらうしかない。大陸に渡ってから一度も便りがないけど、僕よりも変わり者として有名だったので、いつかきっと大陸で名を挙げてくれると、僕は信じている。
「ねぇ、ヴォルベ」
「なんだい、エリゼ」
僕たちは今、気持ちのいい秋晴れの日が続いているということで、ハドラ領内の高原に二人きりでピクニックに来ているところだ。エリゼとは週に一度は会うようにしていて、この日は前からお出掛けするって決めていたのだ。
「一つ聞いてもいい?」
「ああ、いいよ」
原っぱに座るエリゼは僕だけを見ていた。
僕もエリゼのことしか目に入らなかった。
「本当にガレットとは何でもないの?」
「当たり前だろう?」
すでに紹介済みである。
「彼女は僕を見張っているだけだ」
「よかった」
安堵する彼女が愛おしく感じた。
「焼きもちを妬いてくれるエリゼも可愛らしいから、意地悪したくなる気持ちもあるけど、好きな人を悩ませるのは嫌だから、そういうことはしないって決めているんだ」
そう言うと、エリゼが笑顔をくれた。
「エリゼ、好きだよ」
「わたしもヴォルベが好き」
そこで初めて口づけを交わした。お目付け役のホロムとガレットに見られているだろうけど、まるで気にならなかった。それはこれから、こういった生活が死ぬまで続いていくからである。
それから年が明けて春を迎えた時、僕の元にぺガス・ピップルとモモの二人から結婚式の招待状が届いた。ミクロスが幹事となりオーヒン国の大聖堂で盛大なパーティーを開くということで、エリゼが「行きたい」と言うので一緒に行くことにした。
それが王宮まで伝わり、というか僕がフィンスに話したのだが、するとクミン王女まで「行く」と言い出し、誰もワガママな彼女を止めることができず、そこでぺガスとケンタスの家族だけではなく、なぜかフィンスまで一緒に行くことになってしまった。




