第三十六話(212) ユリスのその後
それから三日後、ユリスはガタ族のハトマという酋長と会談するために、中立地として選ばれたリング領の旧・カイドル城へと向かった。ミクロスの他にも、ヴォルベ・テレスコや、俺たち三人も警護として同行した。
リング領といえば、死んだドラコの子どもを産んだマリン・リングが領主を務めている土地で、そこにドラコ隊が身を隠していたということもあり、旧・王城へ到着すると、ミクロスを中心にして歓喜の輪ができた。
仲間外れにされたミクロスをからかう者や、ドラコの剣を受け継いだヴォルベを称える者や、活躍できなかったケンタスに同情する者や、怪力として名を馳せたジジの噂話をする者や、ジェンババの作戦を再検証する者など、話題は尽きなかった。
ガタ族のハトマとの会談は城内で一番広い祝宴の間で行われた。ユリスがもてなす側で、料理や飲み物、ステージで行われた舞踏や歌など、すべてに意味があるそうだけど、一言でいうと最大限の歓待でもてなしたというわけだ。
それを俺たち三人はユリスの後背に立ち、飲まず食わずで警護しながら眺めていた。三年目の新兵だから仕方ないとはいえ、一個下のヴォルベがユリスの隣に座っているので、少しだけやりきれない気持ちがあった。
「それでは報復はないと考えてよいのですね?」
ユリスと向かい合って座っているハトマが警戒しつつ、念を押すのだった。
「お約束いたしましょう」
ユリスが公言した。
ソレイン・サンが通訳を務めていた。
「それを聞いて安心しました」
言葉通り、ハトマは胸をなで下ろすのだった。
「大変失礼な話ではございますが、陛下がご健在だとの報せを受けた時、みな言葉を失くしました。オガ族が仕掛けた戦争とはいえ、わたくしたちガタ族も無関係ではありませんでしたから。仮に関与していなくとも、相手側はそう都合よく考えてはいただけませんものね。ですから、誰もが戦になると考えたわけです」
ユリスの背中が強張っている。
「実を申しますと、『報復せよ』という声はないわけではないのです。分家を根絶やしにされた本国の家元からは催促の伝令が絶えませんからね。しかし、ここで兵を北進させれば、その機に乗じて内戦を企てることも考えられますので、本音を申しますと、報復したくとも報復できないというわけです」
今度はハトマの表情が強張る。
「それでは国内が平定されたら、改めて報復行為に及ぶということですか?」
「それは貴女次第だと申し上げておきましょう」
ユリスが身を乗り出す。
「我が国には過激派から穏健派まで異なる考えを持つ政治家が幅広い地域に存在していますが、それは北方部族も同じだと思うのですね。貴女と約束を交わしても、好戦的な者が上に立ってしまえば、こちらとしても相応の措置を取らざるを得なくなるわけです。そこで私は貴女にカイドル国の国王になっていただきたいと考えているのです」
その発言には同席している者たち全員が驚くのだった。
「わたくしがカイドルの国王に?」
要請されたハトマが一番驚いている。
「それはまた、ご冗談でございましょう?」
「いいえ」
ユリスの横顔は真剣だ。
「島を一つにしようと思えば、公平に税金を納めさせなければなりませんからね。しかし現状オーヒン以北の地ではそれが困難なのです。人間というのは現金なもので、税負担が優遇されているとの情報が出回れば、必ずそちらに流れてしまうものです。北部には冷害があり、南部には日照りの恐れもありますから、必ずしも経済政策によって人が移動するとは限りませんが、それでも北部にはまだまだ豊かな土地があるので、北部侵略は必ず起こるでしょう」
ユリスの声に熱がこもる。
「そのような野蛮な行いを、さも偉業であるかのように吹聴し、土地を奪う盗賊の集団にすぎないのにも拘わらず、北征の英雄として祭り上げる風潮を、私は終わらせてしまいたいと考えております。それには貴女のお力が必要というわけです。島国というのは自然と種の交配が進むものですので、慌てて、焦って、一度に、一つになる必要はないと思うのです。それを急くから争いが起こるのでしょう」
いつの間にか大広間が静まり返り、ユリスの声だけが響いていた。
「私たちがすることは、ただ一つ。ゆっくりと、時間を掛けて、島を一つにする、そのための、準備を整えてあげることなのです。現在は主に四つの地域と国に分かれていますが、それがやがて南北二つになり、ついには一つの国にするのが最終目標ですが、その目標が達成されるのは千年後とか、二千年後でも構わないのですよ。それくらい余裕を持って統一させればよいのです」
ここ最近ユリスとケンタスが頻繁に二人きりで話をしていたが、その影響もありそうだ。
「島の周辺にも有人島がいくつもあり、我々本島との住民の間で幾度となく問題が起きていますが、彼らの生活を脅かすことなく、守ってあげるのも我々の務めではありませんか。そのためにも、急いで一つにならないことです。我々島国の人間ほど多様性を甘受できる種族はおりませんし、世界に向けても理想をお見せすることができます」
この場には様々な民族と、異なる出自を持つ人間で溢れている。
「オーヒン国が我々に勝てなかった敗因は、おそらく修行者の一団が関与していると思われますが、その者たちが大陸や半島から一度にたくさんの移民やら難民やら渡航者を受け入れてしまったことだと思われます。慌てる必要などなかったのですよ。造船技術の向上で、一度に多くの渡航者が流入可能となりましたが、一度に大量の移民を受け入れれば混乱をきたすに決まっているではありませんか。それを役所仕事の苦労を知らぬ修行者の一団が他人事のように政策を推し進めたのです」
姿を消したドラコ殺しの容疑者でもあるアナジアら修行者の存在が問題になっていた。
「我が国は積極的に海外貿易を行っているので、決して閉鎖的というわけではありません。渡航者が往来すれば、自ずと種の交配は進むでしょう。そのように自然に委ねてしまえばいいのです。不自然に移民を連れて来るから、島内の少数部族が僻地へと追いやられ、あげくには滅ぼされてしまうというわけです。とはいえ、これからも誰もやりたがらない過酷な仕事をさせるために移民政策を推進する政治家は何人も生まれてくるでしょう。すでにオーヒンは移民の都となっていますし、今さら時間を巻き戻せるわけではありません。ならば現実を受け入れて、前向きに対処するしかないではありませんか」
俺たちが尻拭いしなければならない世代というわけだ。
「移民というのは必ず不満を覚えますし、不平を溢して、実際に反対の行動にも出ます。また、世の中のすべての人たちが善良というわけではありませんし、ですから、私はオーヒン国で密航者や犯罪者を取り締まるので、貴女にはカイドル国の統治をお任せしたいというわけです。ゲミニ・コルヴスの助言者だったシスター・アナジアの掲げる理想は、決して間違っていなかったのかもしれませんが、急ぎ過ぎたことは確かです。ですから、我々は彼女の理想をゆっくりと実現させようではありませんか。ゆっくりでいいのです」
そこで場内から割れんばかりの拍手が起こった。
「アナジアのことは、わたくしもよく知っています」
ハトマが懐かしそうな顔をする。
「デルフィアス陛下とは相対する立ち位置でございましたが、思い返してみると、不思議と見据える先の景色は同じだったように感じますわね。アナジアも若いのに、まるでこの世界を端から端まで見てきたかのような人でした。違う点があるとすれば、陛下はご自分以外の者に積極的に仕事を任せようとされますが、あの子はなんでも自分でやりたがるんです。それが決定的な違いでしょうかね」
ユリスが居ずまいを正す。
「見据える先の景色は、貴女にも同じように見えていると信じております。北方の平定を貴女にお任せしたい。カイドル国を引き継いでいただけますか?」
ハトマが頷く。
「そこまで仰るなら、お引き受けするしかありませんわね」
そこでハトマが首を傾げる。
「しかし、また、なぜわたくしなのですか? 国王候補は他にもたくさんおりましょう?」
ユリスが答える。
「それは亡くなった妻のアネルエが、生前にオーヒン国から北東地域を経由してカイドル国まで旅をしたことがあったのですが、その時に貴女のことを知る機会があったようで、結婚後に『ガタ族にはハトマという素敵な酋長がいる』と言うのですね。そのことがいつまでも頭に残っていて、それで部下に調べさせたところ、申し分のない人物と判断して、こうしてご足労願ったというわけでございます」
俺の記憶が確かならば、ユリスが妻の死を公言したのは初めてだ。つまりそれは愛妻の死を受け入れたということになる。何がキッカケで心境に変化が起こったのか分からないけど、前に踏み出したような気持ちを感じた。
それからカイドル国を実行支配しているオガ族との和平交渉をハトマに一任することで合意し、まだ名前すら決まっていないが、新帝国からはユリスの補佐官であるフィルゴ・アレスを代理人に立てることで話がまとまった。
その翌日、ヴォルベがリング領に預けていたというフェニックス家の『金の王冠』がユリスの元に届けられ、王の間において正式にヴォルベ・テレスコに騎士の称号が与えられた。十六歳という未成年での授与は記録にないらしい。
それに合わせて、ヴォルベからの要望により、ドラコ隊のマヨルとミノルの二人の兄弟にも褒美が贈られた。それがセトゥス家の領土にある牧場を丸ごと貰えたものだから、他の隊士から袋叩きにあった、って、それは隊士らの冗談で、みんな笑顔で祝福していた。
それからユリスは他の隊士にも感謝を述べて、ドラコの功績を称え、セトゥス領をキルギアスの領土とし、それをドラコ隊の隊士ら全員に捜査権付きで土地への移住を認めると約束するのだった。
これは新帝国の帝都をオーヒン市に定めるための布石でもあるのだろう。ドラコ隊は今一番島で恐れられている自警集団でもあるので、ドラコ領にすることで周辺地域に睨みを利かせることができるわけだ。特に今はジジの怪力が恐れられていた。
人間の噂というのは面白いもので、ジジが弓を構える兵士の正面に突入して、槍で矢を払ったとか、丸太を振り回して、五千人以上の敵兵を崖の下に突き落としたとか、そういう有り得ない話が当たり前のように伝わるから話半分で聞かなければならないのだ。
カイドル国の女王となったハトマを見送ると、俺たちもすぐにリング領から引き揚げた。中立地として場所を提供してくれたマザー・リングは姿を見せず、ユリスも会えなくて残念がっていたけど、その気持ちを手紙で伝えたのだった。
オーヒン城に帰ると、人質から解放されてオガ族の元へ送り届けたはずのロオサが、なぜか城門前でユリスを乗せた官馬車を出迎えたのだった。一度はユリスを殺そうとした女なので、護衛の俺たちも厳戒態勢を取らざるを得なかった。
「寄るな!」
しかし俺たち護衛を制止したのが、ユリス本人だった。
城の衛兵も困惑している。
するとユリスがロオサに歩み寄り、なぜか抱きしめるのだった。
それを見た千人以上の兵士らが複雑な表情を浮かべていた。
「命令に背いて、ごめんなさい」
ロオサが謝ると、ユリスが頭を撫でた。
「謝ることはない。命令したことを後悔していた」
ロオサがユリスを見上げる。
「本当でございますか?」
ユリスが微笑みながら頷く。
「ああ、他のどこでもなく、君の許へ帰りたいと思った」
ユリスに手を握られたロオサがはにかむ。
「ロオサはどこへも行きたくありません」
「それはすまなかったね」
ロオサの頬に涙が伝う。
ユリスがその涙を拭ってあげる。
「これからも帰りを待っていてくれるかい?」
ロオサがコクリと頷く。
「陛下のお側にいさせてください」
俺は一体、何を見させられているのだろうか?
衛兵たちもポカンとした顔を浮かべるのだった。




