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第三十四話(210) 魔女裁判

 思い出した。どうしてボボが私のことを知っているかというと、二年前に彼ら三人がカイドル州の州都官邸を訪れた時に私の方から会いに行ったことがあるからだ。ぺガスの方はミルヴァが記憶を消してくれたけど、ボボの方は記憶を消せなかったのだ。


 それは私がミルヴァに内緒で会いに行ったからで、ちゃんと話していれば、彼女は三人の記憶をしっかり消去したはずだ。人間の記憶など、ミルヴァが声を掛ければ簡単に消したり作り変えたりすることができるからだ。


 それよりも問題なのが、正体を見破られただけではなく、誘拐されたアネルエだと見抜いたのに、彼女が生きていたことに三人とも驚いていないことだ。つまり彼ら三人は誘拐事件が自作自演だと看破しているという証でもある。


「こんな夜更けになんですの?」


 ミルヴァは余裕たっぷりだ。


「兵隊さんなら就寝規則を守らなければなりませんわね」


 それを聞いたペガスとボボがまどろみ、ふらふらしながら聖堂内を彷徨って、壁に背をもたれて座り込み、ついには寝入ってしまうのだった。これがミルヴァの催眠魔法だ。彼女は普通の会話の中に詠唱魔法を織り交ぜることができるのだ。


「なるほど」


 ケンタスには催眠魔法が効かなかったようだ。


「こうして兄さんを死に至らしめたというわけですね」

「何のことかしら?」

「今のは催眠術なんでしょう?」

「そんなものが、この世にあるとでも?」


 ケンタスが明り取りの窓を見上げる。


「『夜更け』と呼ぶには明るすぎます」

「兵舎に着く頃には真っ暗になっているでしょうに」

「貴女は『こんな夜更けに』と言ったんだ」

「聞き間違いか、言い間違いの、そのどちらかですわね」

「いや、貴女にとって言葉選びは重要な意味があるはずだ」

「だとしても、それで現実に眠らせることができるとでも?」

「貴女には、その力がある」

「そのように申されても、あなたは眠っていないじゃありませんか?」


 そこで一旦、会話が途切れた。

 ケンタスが推論を述べる。


「同じ条件下でも結果に個人差があるということは、すべての人に同じ術を掛けられるわけじゃないということだ。言葉に引っ掛かりを覚えたら、オレのように魔術は効かなくなる。違いますか?」


 またしても見抜かれてしまった。


「あなた、それ本気で言っているの? わたくしのことを魔術師とか、魔法使いとでも思っているみたい。あなたのような人がいるから、大昔から魔女狩りが後を絶たないのね。わたくしを魔女だと決めつける前に、自分が火あぶりになる姿を想像するといいんだわ」


 予想していたけど、やはりケンタスに火炎魔法は通じなかった。


「その言葉で兄さんを殺したのか?」


 ケンタスが剣を構えた。

 このままでは殺されるかもしれないと思った。

 距離はあるけど、逃げられるとは思えなかった。


「わたくしにドラコ・キルギアスが殺せたと?」


 そこで笑いながら首を振る。


「いいえ。ドラコがわたくしに殺されるものですか。どうやって殺したというのです? 雷を落としたとでもいうのですか? それとも熱湯に溺れさせることができたとでも? ドラコは誰もが認める剣士なのですよ? 石像のように身体の自由が効かなければ別ですが、そうじゃなければ指一本触れることすら叶わないでしょうに」


 ミルヴァの連続攻撃はケンタスに一切通用しなかった。


「どうやらお前は兄さんだけじゃなく、オレも殺そうとしているようだ」

「殺そうとしているのは剣先をこちらに向けている、あなたではありませんか」


 この戦いは、いつ終わってもおかしくなかった。


「それは証拠をこの目で確かめたかったからだ。兄さんは剣を握ったまま殺されていたと聞いた。だから同じように剣を抜いたんだ。でも、まさか本当に言葉一つで殺せるとは思わなかったけどな」


 完全に看破されてしまった。


「いいでしょう。その恐れ知らずな勇気を称えて、ドラコを殺したことを認めようではありませんか。あなたのお兄さんが剣を握ったまま死んでいたのは、その剣が焼けるほど熱かったからなんですよ? あなただって、鉄が熱に弱いことはご存知でしょう?」


 ケンタスに火傷した様子は見られなかった。

 ミルヴァが慌てる。


「銀だって、金だって、銅だって、熱に弱いの。熱に熔けない金属はないのに……、どうして、どうして火傷しないの」


 ケンタスが剣先を額に押し当てる。


「これは『モンクルスの剣』だ。『黒金の剣』とも呼ばれていて、それは長らく創作上における架空の小道具だと思われていた。しかし、実在していたんだ。『黒金』は現代の高炉技術では熔かせない。そう聞かされたら、暗示に掛かるわけないだろう? 剣聖は『隕石の落ちた地に突き刺さっていた』と教えてくれたからな」


 モンクルスがまだ生きていたことに驚いたが、剣の由来にも驚いた。『黒金の剣』が初めから完成されていたことと、黒石で作られていることから、やはりこの島には私たちの他にも魔法使いが存在していることが分かったからだ。


「どうやら、わたしの負けのようね」


 ミルヴァが完敗を認めた。


「『大法廷』が、お前を待っている」

「誰がわたしを裁けるというの?」

「法が裁くに決まっているだろう?」

「笑わせないで」

「そんなつもりはない」

「この世界にわたしを裁けるまともな法などあるものですか」

「法は完全じゃないさ」

「あなたもおかしな罪で捕まったものね」

「でも、出頭しないとダメなんだ」

「不完全を承知で身を預けるというの?」

「そうだ」

「どうして?」

「完全なものにするためさ」

「バカげてる」

「今はそうだろうな」

「これからもよ」

「だから完全に至る過程に身を投じなければいけないんだ」

「法なんて国王の気分次第じゃない?」

「だから国王を法で裁ける時代を造るんだろう?」

「では、そんな時代が来たら出頭しましょう」

「それはダメだ」

「わたしを裁ける時代じゃないの」

「お前が裁かれることで新しい時代に近づくことができる」

「それはわたしの担うべき役割じゃないわね」

「法に人を選ばせてたまるものか」

「魔女裁判になるだけよ」

「なに言ってんだ!」


 ケンタスが怒った。


「お前は兄さんを殺したんだぞ?」

「あなただって人殺しじゃない」

「職務権限を行使したまでだ」

「ずいぶんと都合のいい法ですこと」

「都合が良ければ捕まっていないさ」

「やっぱり法なんて欠陥だらけじゃない」

「そうだな」

「それでも法に従えというの?」

「そうだ」

「死刑判決だったかもしれないじゃない」

「そうであっても、オレは逃げなかった」

「冤罪だとしたら?」

「それでも逃げない」

「法の方が間違っているのよ?」

「それでも逃げちゃいけないんだ」

「バカバカしい」

「それが人類を新しい時代に導くからな」

「どうせ、口だけなんでしょう?」

「オレが批判しかできないような情けない男に見えるか?」


 彼は自首をして、しっかりと刑期を勤め上げた。


「あなたはどうしてもわたしを裁きたいようね」

「オレが裁きたいわけじゃない」

「でも裁きを受けさせたいわけでしょう?」

「復讐を望まぬだけありがたいと思え」

「いいわ。だったらケンタス、あなたがわたしを裁くといいわ」

「オレは裁判官じゃない」

「でも、他の誰よりも信用できる」

「目的はなんだ?」

「あなたから無罪を勝ち取るだけ」

「有罪は確定している」

「そうかしら?」

「兄さんの殺害を認めたじゃないか?」

「そうね」

「だったら有罪だ」

「そこが分からない」

「分からないものか」

「いいえ。まるで分からない」

「オレに心神喪失は通用しないぞ?」

「そうじゃないのよ」

「何が分からない?」

「あなたのお兄さんもたくさんの人を殺してきたじゃない?」

「軍所属の捜査員だったからな」

「盗賊を何人も殺したって」

「それが仕事だ」

「裁判は受けたの?」

「越権行為で処分を受けている」

「それだけ?」

「それだけとは?」

「大勢の命を奪ったのよ?」

「殺した相手は強盗殺人を犯した凶悪犯だ」

「ザザ家を襲撃した際は女や子どもも殺している」

「だから他の捜査員に死傷者が出なかったのだろう」

「女や子どもを殺す必要があった?」

「現場は必要だと判断した」

「女はともかく、子どもに罪があると思う?」


 そこでケンタスが一瞬だけ言葉に詰まった。


「味方を一人も死なせないのがドラコ隊だ」

「そのためなら罪のない子どもを殺してもいいと?」

「それが人身売買の被害者である子どもを救うためならな」

「ドラコに殺された子どもが、それで納得して許すと思う?」

「誰であろうと死者の代弁などできるものか」

「それはそうね」

「味方を死なせては、どんな言い訳も届かないのだからな」

「だから子どもを殺した罪は問わないと?」

「そんなことは言っていない」

「でも、お兄さんに罪はないんでしょう?」

「兄であるかは関係ない」

「嘘よ」

「刑事責任を問われたら応じるように促していたさ」

「どうかしら?」

「いや、兄さんは査問会議や軍法会議から逃げたりしない」

「それも死者の代弁よ?」

「そうだな」

「あなたの主張では、ドラコは必ずしも正しかったわけじゃないということね」

「ちょっと待て」


 そこでケンタスが右手で制止を求める。


「これは兄貴の裁判ではないぞ?」

「わたしの無罪を立証するには大事なことなのよ」

「今度は殺した兄さんまで利用するつもりか?」

「これはね、判例みたいなものなの」

「兄貴は有罪だけど罪に問われなかったから自分も見逃せと?」

「その反対よ」

「反対とは?」

「わたしはね、ドラコに問われる罪はないと思っているんですもの」

「兄さんの罪の所在について言及したのは、お前だぞ?」

「でもね、あなたとは主張や論点が異なるの」

「兄さんは無罪だから、自分も無罪だと言いたいわけだな」

「そうね」


 ミルヴァが過去を振り返りながら話す。


「オーヒン国と南部の連合軍が戦ったのは今年の夏で、数日前にその戦争が終結したわけだけれど、開戦の時期については人によって見解が異なるの。八月一日を開戦日とする見方が多数を占めるでしょうけど、でもね、戦争があった今年の八月だけを切り取って歴史を語ることなんてできないのよね」


 ケンタスが黙って聞いている。


「人によっては南部が分断した二年前から戦争の兆候があったとの見解を示す人もいるでしょう。でも、真実はオーヒン国が建国された三十年以上前から戦争が起こることは分かっていたのよ。いいえ、それどころか二百年以上前から南北で戦争が繰り返されてきたんですもの、千年後の歴史書には今年の夏までずっと戦争をしていたと記されるでしょう。しかも、それが間違っているとも言えないのよ」


 ケンタスは口を挟まなかった。


「何が言いたいかというと、ドラコがザザ家を襲撃したのも、大別すれば戦争の一部だったと言いたいわけ。実際に殺されたイワン・フィウクスが他国の領土を侵犯していた事実もあるし、ゲミニ・コルヴスも独立国の宰相でありながら、王国領の領主との癒着があったんですものね。戦争というのはね、原因となった起点まで遡らないと、『なぜ戦争が起こったのか?』という、後から生まれた人たちの疑問に答えてやることができないのよ。中には年表を眺めるだけで謎を解いてしまう歴史学者もいるでしょうけど、大抵は戦勝国の主張に黙殺されるだけなのよね」


 ケンタスは口を閉じたままだ。


「そこでドラコ・キルギアスの話に戻るわけ。彼は南部が戦争に勝利したことで、晴れて『戦争の英雄』になることができたけど、負けていたら、ただの反逆者、それもゲミニ・コルヴスが投資していた荘園地を襲撃した実行犯でもあるから、ジュリオス三世と同じように、殺戮の虐殺者として歴史書に名を刻まれていたことでしょう」


 そこでミルヴァが首を振る。


「いいえ、あなたのお兄さんだけではないわ。ユリス・デルフィアスにしても、ランバ・キグスにしても、ミクロス・リプスにしても、彼らが行った戦争では民間人にも犠牲者が出たので、しかもザザ家との戦争よりも規模が拡大されているわけだから、ユリスの方がドラコよりも多くの罪のない子どもの命を奪った、または見殺しにしたということになるわね。それでも勝ったから、彼らは『戦争の英雄』として称えられるのよ」


 あの優しいユリスですら、人を殺しているというのは紛れもない事実だ。


「ドラコにとってザザ家の襲撃は戦争だった。しかも絶対に勝たなければならない戦争だと分かっていたから、子どもがいると知りつつも、根城を一気に攻め落とすことにしたのね。そうしなければ、民間人への犠牲が出ると予想できたのよ。あなたのお兄さんは間違いなく天才。それも『戦争の天才』よ」


 それは褒め言葉なのだろうか。


「わたしのロジックがお分かりいただけたかしら? やろうと思えば、いつでもオーヒン国を勝たせることはできたのよ? 今からだって南部の連合軍を撃退することは可能なの。でも、そうしなかった。南北が統一されるなら誰が覇権を握ろうと構わないから。戦争に負けた途端に『一方的に植民地にされた』と厚顔無恥な主張をする人たちや、『我々も被害者だ』と立場を反転させて賠償金をせしめる人たちや、内戦の犠牲者まで敗戦国による戦死者に数える人たちなど、わたしはそういう、みっともない人たちのようにはなりたくない。だからケンタス、あなたに裁きを委ねたいの。それでもわたしが有罪だと言える?」


 ケンタスが熟慮に熟慮を重ねて考えている。彼はどんな判決を言い渡すのだろうか? ビーナはドラコではなく、ケンタスの方が天才だと言っていた。無事にこの場を切り抜けることができるかどうかは、彼の判断に懸かっている。


「貴女は根本的な部分で一つ大きく誤解していることがある。確かに現代における戦争というものは、戦勝国側の人間が敗戦国側の人間を戦犯として一方的に裁くだけではなく、戦勝国側の残虐非道な行いは一切咎められることがないし、それらを敗戦国側の歴史書に記述させることすら許されない。それは現代に限らず、千年後も二千年後も変わることがないだろう」


 ケンタスは話しながらも、私たちに逃げる隙を与えてはくれなかった。


「それは人間の暮らしぶりが飛躍的に向上した割に、思考力においてはそれほどの進化を見せていないからだ。五百年前や千年前に生きていた哲学者は現代においても偉大だけれど、彼らに匹敵するような偉人を、現代は輩出することができただろうか? どこかにいるかもしれないが、戦争の価値観を変えられるような人は未だ出てきていない」


 ビーナは『ケンタスが革命を起こす』と言っていた。


「知識を共有する技術や生産性が向上すれば、昔よりも、そしてオレたちが暮らす現代よりも『頭が良く見える人』は爆発的に増えるかもしれない。それでも彼らは、どうしたって過去の偉人たちよりも偉大にはなれないんだ。それはオレたちがそうであるように、どうしても『革新的なアイデアを持つ人の登場を待たなければならない』という人類共通の悩みがあるからだ」


 ケンタスはこれからどんな偉業を成し遂げるのだろうか。


「だから戦争における罪と罰に関する価値観は、これから先も変わることを期待しない方がいいだろう。兄さんにしても、ユリスやランバやミクロスにしても、数年後に戦争が起こって、敗残兵によって組織された独立国が勝利してしまうと、それだけで評価が一変してしまうだろうからな」


 そこはミルヴァと同じ考えのようだ。


「世の中の評価というのは、それくらい頼りなく、不確かなものなんだ。オレだって、いつ敗戦国の人間と呼ばれるか分からないわけだから、そこに己の絶対的な価値を委ねてはいけないというわけだ。侵略者に対抗して敗れてしまうと、戦勝国となった侵略者に戦犯として裁かれる訳だから、どうしたって、そんなものに価値など見出せるはずがないんだ」


 彼はまるで私たちのような視点を持っているかのような男だ。


「兄さんが戦争で無辜むこの命を奪ったことは紛れもない事実だ。それを身内だからといって否定したり擁護したりしてはいけない。それと同じように、戦勝国だからといって、民間人を虐殺したことが許されるわけでもない。ただし、許されないからといって、兄さんや、戦勝国の長であるユリスに全責任を押し付けてしまうというのも間違っている。なぜなら戦争というものは、勝ち負けに係わらず、国に戦争をさせた時点で、その責任の所在は国民が負わねばならないからだ。つまり戦勝国の国民であるオレたちにも、逃れられない罪があるということだ。勝ち負けに罪の所在を委ねてしまうと、勝つまで戦争を繰り返してしまうからな」


 彼は罪の本質を理解しているということだ。


「だから、オレは兄さんやユリスがまったくの無罪だとは思わないんだ。当然、カグマン人であるオレ自身も同罪だ。つまり貴女の考えとは正反対なので、オレの考えでは貴女にも戦争責任があるということになる。勝ったからといって、無罪放免というわけにはいかないんだよ。戦争に関わった時点で、オレたちと同じように、無辜の命を奪った罪を償わなければいけないんだ」


 彼は罰の本質まで理解しているということだ。


「しかし貴女の誤解は、そういうことではない。オレが軍部の一兵士としてお前を逮捕する理由は、戦争犯罪を裁くためではなく、誘拐事件を調べていた捜査員である兄貴を殺したという、殺人容疑による逮捕なんだ」


 すべてを戦争のせいにはさせないということか。


「兄さんは亡くなられたハドラ神祇官によって捜査権を持つ特別警護官に任命されていた。その兄さんが誘拐事件の犯人を追って向かった先がマエレオス領だ。マエレオス領といえばフェニックス家の荘園地なので、兄さんにしてみれば自国の領土ということになる。そこで犯人によって殺されたということは、自国の領土で捜査中に殉職したということになるんだよ。警備兵ではなく、官職である警護官殺しともなれば、現行法においては重罪だ。つまりお前がしている誤解とは、これが『魔女裁判』ではなく、警官殺し、つまりは第一級殺人の罪に問われていると認識していないことなんだ」


 おそらく、いや、確実に詰んだ。


 ミルヴァが頷く。


「よく分かりました」


 なぜか声色を変えた。


「それでケンタス、あなたはどうなさるおつもり?」

「逮捕して拘置所まで連行する」

「わたくしが拒否したら?」

「警護官殺しを野放しにするものか」

「お断りします」

「ならば職務権限を行使して斬るまでだ」

「誤認逮捕からの殺人で、あなたの方が捕まるんじゃなくて?」

「そんなことにはならない」

「わたくしがドラコを殺した証拠はどこにあるというの?」

「別人に成りすましていたお前の死体が何よりの証拠だ」


 だから、もう終わりなのだ。


「あなたに、わたくしは斬れません」

「オレに斬れないものはない」

「わたくしはアネルエ・デルフィアスなのですよ?」


 それで声色を変えていたわけだ。

 ケンタスが剣を構える。


「それがどうした?」

「フェニックス家の王妃なのですよ?」

「兄さんはそれで金縛りになったわけか」

「あなたに王家の妃を殺せるかしら?」


 そう言って、ケンタスに背を向けるのだった。

 そのまま聖堂の出口に向かう。

 その背に向かって、ケンタスが叫ぶ。


「止まらねば、斬る!」


 ミルヴァがケンタスの警告を無視する。


「動くな! これが最後の警告だ!」


 そこでミルヴァが振り返る。


「わたくしはフェニックス家の王妃です」


 対峙するケンタスが告げる。


「オレが目指しているのは、法の下の平等が確立した社会だ」


 ケンタスが剣を振り上げて、ミルヴァの許へ斬りつけに向かうのだった。


「やめて!」


 思わず、叫んだ。

 その瞬間、耳が静寂で痛くなった。

 何が起こったのだろう?

 ミルヴァが立ち止まったまま固まっていた。

 向かい合っているケンタスも固まったまま動かない。

 ミルヴァが片足だけで立っている。

 ケンタスは……、浮いている?

 二人に近づいてみることにした。

 ミルヴァに触れても動かない。

 まるで時間が止まったみたいだ。

 いや、みたいじゃなくて、止まったのだ。

 ケンタスの脈が止まっている。

 それなのに身体は温かいまま。

 二人とも死んだわけではないようだ。

 私が叫んだことで、時間が止まった?


 ……ということは、

 時間を支配する魔法が備わっていたことになる。

 私が『時の支配者』ということ?

 魔法使いの中でも最高ランクだったということ?

 どうしよう?

 この瞬間、世界中、いや、この世のすべてが止まってる。

 どうやって時間を動かせばいい?

 分からない。

 その前に、ミルヴァを助けないと。

 そこでミルヴァを抱えて運び出すことにした。

 おんぶしようと背負ったところで床につんのめる。


「マルンったら、アンタなにしてんのよ?」


 見上げると、出口に懐かしい友人が立っていた。


「ああ、ビーナ、あれ? 動けるの?」

「魔法使いなんだから当たり前でしょう」

「でも、ミルヴァは、ほら」

「彼女が殺されそうになったから、大魔法士様が時間を止めたんでしょう?」

「あ、ああ、そうなんだ」

「アンタ、まさか自分が時を止めたなんて思ってないよね?」

「へへ、まさか」

「アンタにそんな能力があるわけないでしょう?」


 久し振りの再会だけど毒舌は相変わらずだった。


「でも、私たちがここにいるって、よく分かったね」

「マホが教えてくれたから」

「マホ?」


 そこで戸口にマホ本人が姿を現すのだった。


「マホちゃん!」


 五十年以上前と変わらぬ顔を見た瞬間、喜びが爆発した。

 抱きしめると、マホも強く抱きしめてくれた。

 黙って去ったのに、怒っていなかった。

 何事にも動じない、あの頃のマホのままだ。


「どうしてマホがここにいるの?」

「ミルヴァが死ぬから迎えにきたの」


 感情のないマホの喋り方も変わっていなかった。


「ってことは、死んじゃったの?」

「もう魔法は使えない」

「普通の人間になったんだ?」


 そこでビーナが口を挟む。


「そうそう、人間には魔法使いは殺せないんだって。そりゃそうだよね、人間界もワタシたち魔法使いが創ったんだから、自分たちの世界を壊されるように創るわけないもの。でも、ミルヴァのように、稀に、本当に珍しいことらしいけど、人間に正体を見破られて殺されると、大魔法士のテラア様が時間を止めて、誰かに迎えに行かせるんだってさ。それがマホと」


 そこで後ろを振り返る。


「ジャンボリーだったというわけ」


 戸口に目を向けると、マホの背後に巨大な女が立っていた。


「ジャンボリーって、え?」


 私の記憶では、九つ年下のオチビちゃんだったはずだ。


「そう、あのジャンボリー」


 ビーナも見上げるほどの身長だった。

 マホが指示を出す。


「ミルヴァをお願い」

「お任せください」


 返事をすると、ジャンボリーは軽々とミルヴァを持ち上げるのだった。


「ミルヴァをどこへ連れて行くの?」


 マホに訊ねた。


「彼女に相応しい場所に送る」


 またしてもビーナが解説する。


「つまりね、魔法使いにとって人間界に送られるということは、人間が死後に天国か地獄に行かされるようなものなのよ。多くの人は天国に憧れるけど、地獄の方がお似合いの人もいるでしょう? それと天国が息苦しい人もいるでしょうし、地獄の方が住みよく感じる人もいる。つまりミルヴァにとっても送られた先が天国か地獄かは、やっぱり本人次第ということになるの。まぁ、ミルヴァのことだから、魔法が使えなくても何とかなるでしょうけどね」


 そこでマホがジャンボリーに告げる。


「さぁ、行きましょう」


 と言って、背を向けるのだった。


「待って」


 呼び止める声に、マホが振り返る。


「私はどうしたらいいの?」


 それには答えなかった。


「私を連れ戻すんじゃないの?」

「わたしは何もしない」


 やっぱりマホはマホだった。

 ビーナが手を振る。


「じゃあね、ワタシはもう少し魔法使いのままでいる」


 マホが手を振り返す。


「それじゃあ」


 ビーナも連れ戻されることはなかった。


「じゃあね、マホ」


 私ももう少しだけ魔法使いのままでいようと思った。それはミルヴァが果たせなかった島の南北統一を最後まで見届けたいと思ったからだ。ここで去ったら、お芝居のエンディングを見逃すようなものだ。


 誰も知らないだろうけど、島が一つになれたのは、間違いなくミルヴァが最初の一歩を踏み出したからだ。そこだけは絶対に誰にも否定させるつもりはない。それを明かせないのが残念だけど、私が知っている、それだけでも充分だ。

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