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第三十三話(209) オーヒン国の三悪人

「マルン」


 私の名前を呼んだのはミルヴァだ。


「オーヒン城はもう終わりでしょうから、わたしたちも念のために避難しましょうか」


 ユリス・デルフィアスが五千の兵を率いて私たちのいるオーヒン城へ向かっているとの報せを受けたのは昨日のことだけど、それから半日経過した朝となった現在まで、攻め入られることはなかった。


 おそらくだけど、ユリスも王城に衛兵が二千人弱しかいないことに驚いているのではなかろうか? 総勢二十万人以上が激しい戦闘を行った島の歴史上最大の戦争が、最後はたった五千人で詰ますことができたのだから。


 ゲミニ・コルヴスの元に届いた報せによると、消えた衛兵や城下町の町人らは、こぞってオークス・ブルドンの元へ駆けつけたそうだ。つまり逃げ出したのではなく、彼女たちは自分たちの王様を守りに行ったというわけだ。


「避難しなければ、私たちも裁かれてしまうの?」


 鏡台に向かって化粧の出来を確認しているミルヴァが首を捻る。


「さぁね、どうかしらね?」


 化粧をして『アナジア』から別人へ変装しているので、その可能性は低いということか。


「私も化粧しなくて大丈夫?」

「あなたの顔なんて誰も憶えてないんだから大丈夫よ」


 それでも一応、目から下を布で隠すようにと言われた。


「ふふっ」


 ミルヴァの思い出し笑いだ。


「それにしても可笑しかったわね。アント・セトゥスの、あの逃げ足の早さ。気がついたら、いつの間にかいなくなってるんですもの。まぁ、城に残れば処刑されるだけでしょうから、仕方なくもあるんだけどね」


 さすがネズミオヤジだ。


「追い詰められた鼠が次にどんな行動を取るのか見に行きましょう」


 ということで、セトゥス領の本邸へ向かった。



 しかしセトゥス親子は本邸に戻らず、というよりも、すでにユリスの部下によって土地・建物が差し押さえられており、所有物が次々と運び出されている状況なので、戻るに戻れないわけだ。


 これはオーヒン国が不可侵条約を一方的に破棄したということで、逃走資金を押さえるために財産権の没収が適用されたのだろう。人間同士の約束が当てにならないことは人間自身が一番よく分かっているので、こういう平和条約は形だけでしかないのだ。



「ああ、やっぱり、ここね」


 ミルヴァがアント・セトゥスの隠れ家を見つけ出した。そこは彼が『牧場長』と呼ばれていた時に住んでいた家だった。酪農で島一番の成功を収めた男が最後に行きついた先は、やはり自分たちの牧場だったわけだ。


 三十年以上前にコルピアスやデモンと知り合って、事業が急成長を遂げたけど、本来は妻と二人で動物の世話をする牧夫にすぎない男だ。それが一万五千を超える私兵を雇えるほどの領主になったけど、雇った兵士を動かす才能はなかったということだ。


 彼は何に負けたのだろうか? 財産持ちになったけど、お金に溺れたようには思えない。立ち回りを得意とし、利になりそうな人物を見分ける力は確かだ。現にユリスさえ生きていなければ、彼らの天下だったのだから。


 ということは、やっぱり最初の人生の分かれ道である、ミルヴァを裏切って、パルクスを暗殺したことが間違いだったと考えるしかなさそうだ。人生の大半は成功者として送れたので悪くはなさそうだけど、最後が惨めだと、やはり哀れだ。


「近づいてみましょう」


 ミルヴァの後に従うことにした。見張りが少なかったので、隠れ家の裏手に回ることができた。ボロボロの家なので、板の継ぎ目に隙間ができており、そこから家の中の様子を見ることができた。


「……どうしてこんなことに」


 セトゥスの妻が悲嘆に暮れていた。

 ベッドに腰掛ける彼女を夫が慰める。


「まだ諦めることはない。手は打ってあるのだ」


 そこで息子のサウルが隣に立つ男を見た。

 老執事が促されるように報告する。


「たった今、ヴォルベ・テレスコを捕えたとの報せを受けました」

「それは真か?」


 アント・セトゥスの目が輝いた。


「旦那様に嘘は申しません」


 そこでサウルが指を鳴らす。


「それでは父上、ブドウ酒で乾杯しましょう」


 と言って、老執事にブドウ酒を頼んだ。

 指示を受けた老執事が台所へ向かった。


「しかし乾杯するには、まだ早いのではないか?」


 父親の言葉を息子が否定する。


「ヴォルベの身柄さえ押さえれば、こっちのものです」

「うむ。しかし公子に如何ほどの価値があるか」

「それは交渉してみないことには分かりませんね」


 そこへブドウ酒を持った老執事が戻ってくる。

 そして、そのままブドウ酒が入った陶器グラスを配るのだった。


「父上、乾杯の言葉をお願いします」


 息子に促されてアントが立ち上がった。


「我々セトゥス家はここから始まったのだ。財産と呼べるものはヤギしかおらんかった。酪農家というのは、動物の命さえ繋いでやれば何とかなるものだ。幸いにして領民や家畜は無事のようだからな。役所仕事はクビになるだろうが、経営権だけは手放すつもりはない。これからは事業主として再出発しようではないか」


 ネズミオヤジの顔が自信に満ちている。


「ふんっ、どうせ私の知識と経験を頼りに泣きついてくるのだ。王家の貴族どもめが、奴らに獣医学の何が分かる? 畜産の何が分かる? 乳製品の何が分かるというのだ? バターの作り方すら知らぬではないか。そんな白痴に国家元首が務まるものか。これからは経営の時代だ。来たるべきセトゥス家の時代に乾杯しよう」


 そこで三人がブドウ酒を飲む。

 するとアントだけ苦しみ始めるのだった。

 喉をかきむしる父親に息子が冷淡な眼差しを向ける。


「父上、すみません」

「な、なぜ?」

「実はヴォルベを人質にすることができませんでした」


 ネズミオヤジが苦しそうだ。


「なにも殺すことはなかろう」


 妻がブドウ酒を飲み干す。


「アンタはもう自害することでしか家の役に立てないんだよ」

「おまえの差し金か?」

「入婿が生意気な口を利くもんじゃないよ」

「誰が領土を守ってきたと思ってるんだ」

「偉そうに経営を語るなら、せめて読み書きくらいは学ぶんだったね」

「それが理由か」

「アンタの筆跡はワタシのものなんだから、最期に立派な遺書を書いてあげるからね」


 パルクスを暗殺したのも、この本家筋の女だったのだろう。


「サウルよ、女には気をつけろ……」


 そこでアント・セトゥスは息絶えるのだった。それが人生を通じて得た教訓だったということか。男社会の院政で、やり手の女にいいように使われてしまう男は珍しくなかった。ネズミオヤジの一生は、この女に利用されるように働かされた一生だったようだ。



「行きましょう」


 そう言って、ミルヴァがその場を後にした。

 私もその後を追って森の中へと向かった。


「二人を見逃すの?」

「見逃すもなにも、どうせ処刑されるに決まってるじゃない」


 と言いつつ、杖に跨った。


「決まってるんだ?」


 と私も跨って、ミルヴァの背中にしがみついた。


「それはそうよ、傭兵軍団を組織して王国領に攻め込む一族を見過ごすわけないでしょう? 一万五千人を動員できる豪族なんて、負けたら滅ぼされて当然なのよ。ダンナを生かしておけば、ひょっとしたら上手く立ち回ることができたかもしれないのに、土壇場で表舞台に顔を出すからいけないの」


 悪妻も愚息も最後は自分たちの毒にやられたということか。



 続いての移動先はコルピアス領だ。


「酷い有様ね」


 ミルヴァが雲の上から地上を見下ろして呟いた。


「味方同士で殺し合ってるように見えるけど?」

「見えるんじゃなくて、殺し合っているのよ」


 よく見ると、山賊に変装させた兵士の顔もあった。


「はぁ」


 ミルヴァが溜息を漏らす。


「自業自得ね。自分の兵士に略奪を命じたら、自分の領土が狙われてしまったんですものね。それも当然よ、この辺りではコルピアス領が最も裕福なんですもの。逃亡兵が結託して盗んだはいいけれど、分配でもめて殺し合いになったんでしょうね」


 そこで再び溜息を漏らす。


「あの割られた板ガラス、わたしがどれだけ苦労して大陸から運んできたか知らないのでしょうね。こんなんだから技術があっても、板ガラスを作るのが嫌になるんだわ。価値に見合った世の中にならないと普及させるなんて無理なのね」


 唐突に、小さく悲鳴を上げた。


「中庭だけど、見える? あれ」


 私はミルヴァほど目が良くなかった。


「コルピアスの奥さんが死んでる。それもレイプされた後に殺されたみたい」


 あの奥さんは確か、もう六十近いはずだ。


「さすがに、これを自業自得とは、言えない」


 そこでミルヴァは口を閉じてしまった。私には見えていないけど、気持ちは一緒だ。強姦されて殺されるべきはカイケル・コルピアス自身であって、その奥さんではないからだ。レイプだけは犯罪者に同じ苦しみを与えられないのが残念だ。


 人間社会は私たち魔界と違って、男が法律や宗教の教義を決めてしまうので、レイプは軽犯罪に分類されてしまうのだ。それどころか犯罪にならない場合の方が多いくらいだ。それくらい未成熟というか、道徳観念が希薄なのが人間社会だ。


 レイプする男よりも『たぶらかした女が悪い』と言って責める、という情けない実情がある。男の、しかも犯罪者の理屈なのに、それを女まで同じような考えを持つから救いようがない。


 戦地ではレイプや売春が当然のように行われるが、石を投げられるのは売春婦だけだ。レイプ犯が戦争犯罪人として裁かれたことは、今のところ人類の歴史では一度もなかった。これは男が作った宗教によって全人類が洗脳されているからだろう。


「さて、コルピアスの隠れ家に行くとしましょうか」


 そう言って、ミルヴァが向かったのはゴヤ町だった。ちょうど戦地となったキナイ峠とオーヒン市の中間にある港町だ。そこの高級宿が立ち並ぶ宿屋街にタヌキオヤジが潜伏しているとのことだ。



「ここ」


 ミルヴァが案内してくれたのは、月極めの賃貸宿だった。


「ここにコルピアスが借りている部屋があって、その隣の部屋をわたしも借りたの。壁は厚いから人間には隣室の会話は聞こえないんだけど、わたしには聞こえる。だけど、念のため部屋に入ったら大きな声は出さないようにしましょうね」


 と言って、建物の中に入った。隣室といっても出入り口が別なので、コルピアスの護衛と顔を合わせることはなかった。それもそのはず、この賃貸型の高級宿はミルヴァが建てた物件なので、初めからスパイ活動できる構造にしてあるわけだ。


「ああ、やっぱり愛人と一緒だったみたいね」


 私はミルヴァよりも耳が遠いので、壁に耳をつけて、やっと隣室から響く女の喘ぎ声を聞くことができた。長年連れ添った奥さんよりも、コルピアスは若い愛人の元へ駆けつけたというわけだ。



「ねぇ、こんな大事な時に、こんなところにいて平気なの?」


 情事が終わった後、若い女が言った。


「大事な時だからこそ、お前に会いに来たのではないか」


 この日のコルピアスは、やけにキザだ。


「奥さんが心配じゃあ、ないの?」

「生憎と骨董品には興味がなくてな」

「ひどい」

「年代物に価値があるのは酒と男だけだ」


 セリフの一つ一つに腹が立つ。


「でも、お邸には貴重なお宝がたくさんあるんでしょう?」

「どれもガラクタばかりだ」

「可哀想な奥さん」


 そこで間ができる。


「一つだけ、板ガラスだけは惜しいことをしたな」

「価値があるんだ?」

「誰もその価値に気がつかんだろうがな」

「それは残念ね」

「まぁいいさ、大陸に渡ればいくらでもくれてやる」

「一緒に連れてってくれるの?」

「もちろんだとも」

「うれしい」


 そこでクチュクチュと気持ち悪い音が聞こえてきた。


「でも、大陸に渡って暮らしていけるの?」


 そこでコルピアスが大笑いする。


「このわしを誰だと思っておる?」

「だあれ?」

「海賊王とは、このわしのことだぞ?」

「すごーい」

「どことは言えんが、南の島に財宝を隠してある」

「本当に?」

「だから何も心配することはない」

「南の島といってもたくさんあるでしょう?」

「まぁ、そうだな」

「どこに隠したか分からなくならない?」

「地図がある」

「盗まれたりしない?」

「盗もうとした奴を全員始末したところだ」

「その地図って、今も持っているの?」


 少し間があった。


「なぜ、そんなことを知りたがる?」

「そんなの、アタシも狙ってるからに決まってるでしょう」


 そこでコルピアスの呻き声が響いた。


「充分な報酬を支払ってやったじゃないか」

「勘違いしないで」


 若い女の声が低くなった。


「アンタが生きていると困る連中がたくさんいるんだよ」

「刺客というわけか」

「最期に気持ちよくしてやったんだから、アタシでよかったでしょ?」

「裏切りおって」

「それは違う。アンタがしくじったのさ」

「だが、財宝は渡さんぞ」

「それはどうかしらね?」


 少し間が開く。


「おい、やめろ、それに触れるな」

「アナタが視線で地図の隠し場所を教えてくれたんじゃない」

「頼む、助けてくれ」

「アタシも骨董品に興味はないの」


 そこで止めを刺された呻き声が聞こえた。どうやら、それがカイケル・コルピアスの最期だったようだ。長年連れ添った奥さんを見殺しにした日に殺されたので、一応は報いを受けたことになるのだろうか。


 それでも彼を殺した女の正体や、彼女を雇った組織の実体が不明なので、どうにもモヤモヤした気持ちが残ってしまう。ただ、コルピアス本人も言っていたように、海賊王という言葉は大袈裟じゃないので、その筋の敵は多かったはずだ。


 だからというわけではないが、三十年来の願望であった報復が達成されたにも拘わらず、ミルヴァも無感動といった感じだった。これは報復行為が無意味だとか、思ったよりも呆気ないとか、そういうことではなく、やはり自分で手を下さないから空虚なのだろう。


 やはり報復というのは、自分がどれだけ苦しんだのか、相手に分からせなければ意味がないものだ。その点を踏まえると、コルピアスは若い愛人に裏切られたと思い込んで死んだので、壁を隔てたミルヴァには物足りないに違いない。


 報復に限らず、罪人に罰を受けさせるなら、やっぱり直接手を下さなければならないようだ。命というのは尊いもので、命を大切にと考えるならば、奪った命は命で償わなければならない。というよりも、人間の場合は命以外では償いようがないのだ。



 それからミルヴァは愛人を殺すでもなく、コルピアスの財宝を横取りするでもなく、隣り部屋に行ってコルピアスの死体を確認すると、特に何をするでもなく、その足でオーヒン市内にある大法廷へと向かうのだった。


 この島には大きく分けて三つの裁判所があって、一つ目は事実確認をするだけで一方的に判決を言い渡す簡易裁判所で、二つ目は異議申し立てが可能な一般裁判所で、三つ目は貴族を専門に裁く『大法廷』と呼ばれる裁判所がある。


 三つ目の『大法廷』だけ傍聴が可能となっているため、ミルヴァが『ドクター・アナジア』としてのコネを活用して、ゲミニ・コルヴスの裁判を何とか傍聴することができたというわけだ。


 裁判が行われる会場は多目的施設となっており、屋外型の半円形劇場には五千人が収容可能で、演説やディベート大会の他にも、演劇や歌劇なども上演される。ただし貴族しか入場できないので大衆の目に触れることはなかった。


 もしもビーナの芝居が、ここの王立劇場の舞台で上演されていたら、おそらくはゲミニも観劇しただろうし、そうなるとすぐさま上演禁止にしただろうから、たったそれだけのことでも歴史が変わっていた可能性があった。


 被告人としてゲミニ・コルヴスが入廷した時に、第二代国王選挙で反対票を投じた貴族たちから罵声を浴びせられていたけど、ビーナが書いた本さえなければ、オーヒン城を死守できただろうから、そんな屈辱を受けることもなかったわけだ。


 一方で、ユリス・デルフィアスが入廷した時には地鳴りのような拍手が沸き起こるのだった。手を振っただけで声援が送られて、裁判官の席に着いて木槌を叩くと、一斉に会場内が静まり返るのだった。


「判決を言い渡す」


 ユリスの声は階段席の最後尾の列に座る私にもよく通っていた。


「被告、ゲミニ・コルヴスを死刑とする。本法廷が最高裁であるが故、今後、この判決が覆ることはない。処刑は速やかに行うとするが、その前に、被告には一つだけ質問に答えてもらわねばならないことがある」


 そこで隣に座っているヴォルベ・テレスコの方を見た。


「以前、公子との会話で、王家に伝わる三種の神器の内の一つである『金の剣』を所有していると公言されたそうだが、その所在について改めてお訊ねしたい。できれば処刑が行われる前に、返還に応じていただけると助かるが」


 被告席のゲミニが壇上にいる裁判長を見上げる。


「裁判長殿、これだけは断言させてもらいましょう。いいですかな? このわしが死ねば、二度と『金の剣』が王宮に戻ることはありますまい。このわしを処刑するということは、王家の宝物を無下に扱うということになりますぞ? それでも、このわしの処刑をお望みか?」


 ユリスが訊ねる。


「では、あくまで返還には応じないと?」

「当然でございましょう。どこの世界に自ら命綱を切る者がおりますか」

「死刑判決は覆らぬと申したはずだ」

「ユリスよ、貴君に、このわしは殺せぬよ」


 被告席のゲミニの方が余裕たっぷりだ。


「陛下」


 そこでヴォルベ・テレスコが発言する。


「この男は口を割りません。それは陛下御自身が『金の剣』の価値を誰よりも理解していると、ゲミニ・コルヴスは知っているからです。皮肉な話ではございますが、他でもない陛下御自身によって、この男の生命が保証されているというわけでございます」


 被告席のゲミニが天を仰ぐように笑う。


「さすがは公子、このわしと同じ発想をしただけあって、よく理解しておる。しかしだ、わしは貴君と違って、玉体を前にして、決して膝を屈したりはせんぞ? 野望に生きればよいものを、それでは父親同様、忠犬と変わらぬではないか。尻尾を見抜けなかったのは不覚だが、犬であることが分かってしまえば、もう興味も失せたわ」


 公子が言い返す。


「宰相閣下、あなたの敗因を教えて差し上げましょう。それは自分がそうだからと、相手も同じだと決めつけてしまったことです。野望を語る私のことを信じて疑わなかったのは、陛下に対する忠誠心を、これっぽっちも持ち合わせていないからで、あなた自身がそうであるように、そんなものは出世のための見せ掛けだと決めつけてしまったからなのです。そんなあなたに誰が忠誠を誓うというのですか?」


 そこで積年のうっ憤を晴らすように傍聴席が沸いた。


「私は兵役を終えたら回顧録を執筆しようと考えていますが、宰相閣下のこともしっかりと記録に残したいと考えております。マークス・ブルドンは島で一番大きな城を築いたが、ゲミニ・コルヴスには人望がなかったため、わずか二年で城下町から人が消えたって、ちゃんと書き残して差し上げますからね。そうなれば千年後も、二千年後も、あなたは笑われ続けることになるでしょう」


 ゲミニが一笑に付す。


「奴隷が書いた本など、誰が複写するものかね」


 これは残念だけど、ゲミニの言葉は現実だ。


「では、その仕事を奴隷に身を落としたご子息にやってもらいましょう」


 そう言うと、ヴォルベが舞台の下手に合図を送った。その合図を受けて、看守がゲティス・コルヴスを入廷させた。ゲティスは真っ裸で、足首には鉄球のついた鎖が繋がれているのだった。


「これは、なんていうことを」


 ゲミニが抗議する。


「ユリスよ! 話が違うではないか! すべての罪は、このわしにあるのだ。それで納得したではないか! 我々の計画を事前に知っていた南部の協力者を一人残らず教えてやったのだぞ? 貴様は約束を反故にするつもりか?」


 ユリスではなく、ヴォルベが答える。


「これはデルフィアス陛下のご意思ではありません。私が陛下からコルヴス宰相閣下の処刑と『金の剣』の回収を同時に行うようにと命令を受けたので、このような手段を用いたのです」


 ゲミニが激昂する。


「同じことではないか!」


 ヴォルベがクールに否定する。


「まったく違います。デルフィアス陛下は私にコルヴス宰相閣下との約束を絶対に破ってはならないと強く念を押されました。しかし、私はその陛下のご命令を無視すると決めたのです。もちろん陛下のご命令には忠実であらねばなりませんので、いずれは処分を受けることになるでしょう。ただし『大法廷』が開廷中ですので、それはコルヴス宰相閣下の裁判が終わってからということになります」


 ゲミニが悔しがる。


「詭弁はたくさんだ。同じことであろう」


 公子が首を振る。


「お分かりになりませんか? 降伏文書を守らぬということは、我が国の沽券に係わる問題です。その約束を反故にしてまでゲティス前国王の命を奪うということは、私自身も処刑を免れることはできません。つまり今の私は『金の剣』のために命を懸けているということです。この世に命を懸けるだけの忠誠心が本当に存在するのかどうか、死ぬ前に、宰相閣下にもお見せして差し上げようではありませんか」


 そう言うと、舞台下手に合図を送った。その合図を受けて、複数の看守が拷問でよく見る器具を運び入れるのだった。ゲティスは天に祈りを捧げているが、父親のゲミニはそれが意味のないことのように見ているだけだった。


「さて」


 ヴォルベが拷問器具を取る。


「コルヴス宰相閣下が『金の剣』の在処を話す前に、ご子息が失血死やショック死してはいけませんので、まずは手始めに爪を一枚ずつ剥いでいくとしましょう」


 ハッタリではなかった。


「次に尻の皮をきれいに剥ぎ取ります。そうしてやると、椅子に触れただけでも苦痛を感じますからね」


 それもハッタリではなかった。


「今度は睾丸を二つとも切り取ってしまいま――」

「わかった!」


 叫んだのはゲミニだ。


「教える。だから頼むから、息子だけは助けてくれ」


 この段階では、ヴォルベにゲティスを処刑する覚悟があったかどうか分からなかった。それでもゲミニが制止したのは、やはり血脈を途絶えさせたくなかったからなのだろう。ヴォルベはそれも分かっていたということだろうか。



「相変わらずユリスは甘いわね」


 帰り道で、ミルヴァが呟いた。


「国王を生かしておくなんて」


 そうとは限らない。


「でも、それで多くの情報を手にすることができたでしょう?」

「ゲミニが本当にすべてを喋ったと思う?」

「でも、ユリスは合意した」

「だから甘いと言ってるの」

「でも、確かにそうだけど」

「血を絶たないということは、元凶を理解していないということなのよ」

「でも、ゲミニが処刑されたら、ゲティスには何もできない」

「人間にとっての血脈ってね、そういうことじゃないのよ」


 私にはゲティスが野望を抱くとは思えなかった。


「ユリスもヴォルベも分かっていない。ドラコ・キルギアスだったら、『金の剣』を取り返して、ゲミニを処刑した上で、息子のゲティスも殺していたでしょうね。ゲミニ・コルヴスが現王政に対して危険な反逆者だと見抜いたでしょうから。つまりテロリストとは一切交渉しなかったはずなのよ」


 正当防衛とはいえ、そのドラコを殺したのがミルヴァだ。


「こういうのって、百年後か二百年後に災いをもたらすのよね」


 嫌な予感ほど当たってしまうものだ。



「シスター・アナジア、あなたに会いたいという方たちがお堂でお待ちですよ」


 昼過ぎに寝宿にしているオーヒン市内の大聖堂に帰ってくると、出迎えてくれた修行者が客の来訪を告げた。『方たち』という言い方からして複数なのは確かだけど、客が誰なのかは予想がつかなかった。


「あっ、お前は召使いのエルマじゃないか!」


 聖堂に行くと、日焼けした禿頭の兵士が私を指差して叫んだ。


「ちょっと待て、ということは、隣にいるのはアネルエ王妃じゃないか?」


 ミルヴァの正体を見破ったのはペガス・ピップルだ。


「やはり『アナジア』とは、あなたのことでしたか」


 そう言って、ケンタス・キルギアスが黒い剣を鞘から抜くのだった。

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