第三十二話(208) 推理
「おい、ペガ!」
俺の名前を呼んだのはミクロス様だ。大隊長様はソレインに代わって一万五千の兵を率いて、キナイ峠の麓にいるオーヒン軍の後衛部隊に奇襲を仕掛けて、見事に大勝を収めたところだった。
「いつまで敵の軍服を着てんだ? 早く着替えねぇと、今度は味方に殺されちまうぞ」
追加の支援部隊を急襲して、身ぐるみを剥ぎ、その敵軍の軍服を着て、敵の後衛を背中から夜襲を仕掛けるというのがジェンババの作戦だ。卑怯で、卑劣かつ、秀逸なる作戦を考えさせたら、やはりこの世で右に出る者はいないのである。
「隊長!」
そこへ部下の兵士が走ってきた。
「大隊長と呼べ」
「すいません。大隊長」
ユリスのことは好きだけど、ミクロスを出世させたのは間違いだと思った。
「やはりコルピアス司令官の姿がどこにもありません」
「捕虜の話では、間違いなく基地にいたそうじゃねぇか?」
「いなかったと証言している者もいます」
「コルピアスは司令官だぞ?」
「ハクタ方面に逃げたと言う者もいれば、海を渡ったと言う者もいます」
「つまりオレらをかく乱しているわけだな」
「小賢しい男ですね」
「だが、戦争に負けるとまでは思ってなかったはずだ」
「オーヒン軍が勝つ流れでしたからね」
「慌てて逃亡の準備を始めたってことだ」
そこでミクロスが俺の肩に手を置く。
「ペガス、お前はコルピアスの顔を知ってるんだったな?」
「はい、二年前に見たことがあるので」
「よしっ、お前もコルピアスの捜索に当たれ」
「大隊長!」
そこへ相棒のルパスが走ってきた。
「ランバ・キグス長官とジジ隊長が、こちらに向かっています」
「そうか、ならば会議を開くのが先だな」
「では、早速準備に取り掛かります」
「ちょっと待て」
そう言って、踵を返したルパスを呼び止める。
「会議室の席順だが、オレ様に一番目立つ席を用意しろよな。オレを中心にして、左に統合されたカグマン軍の上級大将を並べて、右側にカイドル軍の部隊長をずらりと並べるんだ。会議を仕切るのはオレだから、オレ様の椅子だけ壇の上にあってもいいな」
こういうところがミクロスのダメなところというか、好きになれないというか、嫌いになってしまう部分だ。自分が身分差に苦しんだ経験があるのに、高い地位に就いたらそのことを忘れて、椅子にふんぞり返るのだ。
「おい、ミクロス」
ドラコ隊のロニー・キングという殺し屋みたいな男が命じる。
「そこは副隊長の席だぞ? さっさとどかねぇか」
「オレはユリスに全軍の指揮を任されたんだぞ?」
「それはドラコ隊の副長よりも偉い立場なのか?」
その言葉に、ミクロスは顔を顰めながら席を離れるのだった。結局、上座を空席のままにして、カグマン軍と旧・ハクタ軍とカイドル軍による合同軍事会議が始まった。昨日、八月八日の時点で降伏勧告を受け入れたので、すでに戦争は終わっているという認識だ。
会議はキナイ峠の麓にあるダブン村の大きな宿舎の食堂で行われているけど、集まっている人たちの顔を見ると感慨深いものがあった。ランバとジジとミクロスはドラコ隊の中心メンバーで、他にも諜報活動をしているメンバーも揃っていた。
三十年前はモンクルス隊のメンバーが活躍した戦争だったけど、今回は間違いなくドラコ隊が勝利に導いたといっても過言ではないだろう。ソレインも含めて、みんなドラコ・キルギアスがスカウトした人たちだ。
それなのに、この場にドラコがいないというのが寂しかった。ドラコ隊のメンバーが時折、空席のままにした上座を見つめるのは、そこに在りし日のドラコを想像しているからだろうか。勝利に沸かない彼らの姿を見ると、そんな切ない気持ちになってしまうのだ。
「とにかくだ」
ミクロスが進行する。
「コルヴス親子の身柄はユリスが確保したから、残るコルピアスとセトゥスの身柄を押さえることが先決だ。デモン・マエレオスのように取り逃がしたってんじゃ、シャレになんねぇからな」
それは初めて聞いた。
「特にコルピアスは色んな組織や団体だけじゃなく、ハクタの役人とも深い繋がりがあるからな。敵国と通じていた支援者の名前を吐かせるために、なるべく生かして捕まえてほしいというのがユリスの希望だ」
そこでランバが発言する。
「ハクタ方面の捜査は小官が引き受けよう。おそらくではあるが、城が陥落した以上、出国も考えているだろうから、港の警備を強化せねばなるまい。すでに渡航制限をしておるが、これからも積み荷のすべてを厳しく検査せねばならんだろうな」
それを受けてミクロスが発言する。
「しかしな、港の警備を強化するったって、海岸線にずらっと兵士を並べるわけにはいかないんだぜ? 逃げようと思えばどこからだって逃げられるんだ。その前に、すべての人員をコルピアスの捜索につぎ込んだ方がよくねぇか?」
ロニー・キングが発言する。
「半島にあるアジトに向かうにしても、喉が渇くこの時期の渡航が一番危険だということは、他でもないコルピアスが誰よりも理解している。小舟を利用するにしても、それは大型船に乗り換えるためだろうな。だから中型船以上の運航には捜査員を三人以上は乗船させた方がいいかもしれんぞ?」
それを受けてランバが発言する。
「デルフィアス陛下ならば、オーヒンの海上警備隊をそのままお使いになることも考えられる。それに、まずは数万人の捕虜を連行せねばならんのだ。そちらを最優先にしなければ、暴動の鎮圧に新たな血が流れることも考えられますぞ?」
そこでソレインが発言する。
「その暴動ですが、実はもうすでに起こっていて、オーヒン軍の逃亡兵が大挙して村を襲っているとの報告を受けています。そいつらにとっては敵が誰かは関係なくて、自国に引き返して侵略行為を行っているんですよ。だから、それを鎮圧するためにも人員を割いてほしいというか、おれは部族出身の兵だけでも率いて討伐しに行くつもりです。じゃないと、アイツらそのまま山賊になっちまいますからね」
それを受けてロニー・キングが発言する。
「オーヒン軍はまともに兵糧を用意せずに十万の兵を遠征させたというではないか。飢えれば兵士がどうなるか分かっていたであろう。ケダモノになることを承知で出兵させたということだな。兵士も人間だ。その人間を野蛮にさせたのは誰という話だ。やはり出兵計画に賛同したオーヒンの高官らには責任を取ってもらわねばなるまい」
そこでジジが発言する。
「僕はオフィウ王妃とマクス王子をオーヒン城に連行するために、一度ハクタの王宮に戻らなければなりません。どうしても安全にお連れしたいという希望があったので、フィンス国王にわがままを聞いてもらいました。だから協力はできそうにありません。僕だけ勝手な願いをして本当にごめんなさい」
それを受けてミクロスが発言する。
「気にすんなって。こっちはオレたちに任せとけ。丸太をぶん回した大男がいたって聞いてるぞ? お前一人でオーヒン軍の侵攻を一日遅らせたっていうじゃねぇか。あれで本隊の到着が間に合ったんだろう? これでドラコ隊は一生食いっぱぐれることはねぇんだ。わがままの一つくらい、オレ様が許してやるよ」
みんな所属している組織の看板の価値を高めるために命懸けで戦っているわけだ。みんなが同じ思いとは限らないけど、どうして大人たちが実体の見えない『組織』のために仕事をするのか、なんとなく分かったような気がした。
それからランバとジジは旧・ハクタ国に戻り、ソレインは討伐隊を率いてコルピアス領に向かって、ミクロスは敗残兵をオーヒン国に送り返す任務に就いた。一部の部隊は戦場となったキナイ峠で武具や装備品の回収をしばらく続けるそうだ。
俺はというと、コルピアスの顔を知っているということで、オーヒン港に行くように命令を受けた。コルピアスらしき男を捕まえたので、それを確認してこい、というわけだ。行かなくても、オーヒン港で捕まっている時点で偽者だと分かるが、行くのが仕事だ。
港にある留置場へ行くと、予想通り、コルピアスとは似ても似つかない男を面通しさせられた。おそらくだが、コルピアスが自分の替え玉として捕まるように金を握らせたのだろう。なぜなら、コルピアスと同じ階級章を着けた軍服を着ていたからだ。
仕事を終えて、市内の兵舎に戻ろうとしたところで、船着き場に懐かしい顔を発見した。
「よう、ペガじゃないか」
目の前の視界が歪んだ。
「久し振りだな」
「ケンタス!」
二年振りの再会だった。
「ただいま」
俺はその黒く日に焼けた笑顔をぶん殴ってやりたいと思った。
「おかえり」
でも、それしか言えなかった。
「少し背が縮んだんじゃないのか?」
「バカ野郎、お前の背が伸びたんじゃないか」
ただでさえ大きかったのに、二年振りのケンタスはジジの耳くらいまで背が伸びていた。
「ボボも元気だぞ?」
その言葉に、後ろにいるボボが黙って頷いた。
コイツの日焼けした顔もぶん殴ってやりたいと思った。
「お前、なんか喋れよ」
でも、それしか言えなかった。
「ああ、うん、この二年間は二十年くらいに感じたな」
「あのな、そういうのは二十年以上生きた人間が言うことだ」
「いや、単純に一か月が十か月に感じるような毎日だった」
俺はそういう反論や屁理屈が大っ嫌いだ。そこでこの二年間、この島で何が起きたのか、港の堤防に腰掛けて説明することにした。コイツら二人の二年が二十年なら、俺たちの二年間は二百年分の価値がある。それは決して大袈裟ではなく、本当のことなのだ。
人類の歴史というのは停滞や衰退が普通の状態で、時々急加速することがあって、それがトータルで進歩しているように見えるだけだ、とジェンババが仮説を立てていた。爺様が言うには、文明を維持するだけでも凄まじい進化の力が加わっているとのことだ。
「つまりだな」
説明しているうちに、腹が立って仕方がなかった。
「俺たちは、もう二度と訪れることのない大出世のチャンスを逃しちまったんだよ! ケンよ、お前がやったことは南北戦争とは関係のない、ケチな盗人を七人退治しただけじぇねぇか。しかも越権行為で懲役を食らうっていう間抜けっぷり。それがなければドラコ隊のメンバーのように戦争の英雄になれたかもしれないんだぞ? そう思うと、俺は情けなくって、悔しくって、恥ずかしくって、ぶん殴りたくなるんだよ……」
ケンタスが呟く。
「そうか、それは大変だったな」
はっ?
「それだけか?」
「それだけって、大変だと言ったじゃないか」
「ドラコが殺されたんだぞ?」
そこでケンタスが首を捻る。
「本当に死んだのか?」
「死体をこの目で見てんだ」
ケンタスが納得しない。
「オレの兄貴は、ドラコ・キルギアスだぞ?」
信じられないのも無理はないか。
「ジジだって確認してるんだ」
そう言うと、反論を止めるのだった。
「ジジは可哀想になるくらい落ち込んでたぞ?」
「弟のオレよりも兄貴と一緒にいる時間が長かったからな」
そういうことじゃねぇ。
「これが劇場でやってる芝居なら、兄貴の復讐に燃えて千人斬りの大立ち回りをするような、そんな見せ場なんだよ。そのタイミングを逸したということは、つまりお前は主人公になり損ねたわけだな。昔からよく言う、『主役の器じゃない』ってヤツだ」
言いたいことを言ったのでスッキリした。
「それはそれで幸運だったのかもしれないな」
ケンタスが強がる。
「いや、戦争の英雄にならなくてよかった。今はそう思える。なぜなら、一度でも戦争によって英雄扱いされたら、その後の人生もずっと戦争人としか見てもらえなくなるからな。戦勝国であり続ければ、それほど恵まれた環境はない。しかし、これからはもう少し複雑な時代になるような気がするんだ」
いつもの夢想だ。
「これまでの時代は戦争で武勲を立てた者しか名前が残らなかった。それはそれで仕方がなかったと思う。でも、これからは戦争の勝利者だけが偉人になるわけではないと思うんだ。現に大陸では哲学者や天文学者や数学者が歴史に名を残しているだろう? その流れは間違いなく、この島にも及ぶはずなんだ。オレたちは古い時代の英雄ではなく、新しい時代の先駆者になればいい」
またしても常人が思いつかないような発想をしやがった。
「新しい時代を創るには、古い時代の価値観、つまりは戦争の英雄にならなくてよかったんだよ。ペガは劇場でやっている芝居を例に出したが、同じように例えると、オレたちは古臭い芝居の主役ではなく、今までになかった新しい世界観を持った芝居の主役になれるチャンスをもらえたということになる。もちろんオーディションがあって、それに選ばれたらの話だけどな」
そうか、成人したばかりなのだから焦る必要はないというわけか。
「戦争の英雄を描いた芝居がいつまでも廃れないように、これからも戦争がなくなることはないだろう。何千年先の未来でも、それは変わらないと思う。でも、これからは戦争の英雄以外にも、多くの偉人が生まれては、歴史に名を残すような時代になる。色んな人に、色んな価値が生まれる、いや、そういう人はこれまでにも存在していたが、これからは認められやすい時代になる、いや、認められる時代を手繰り寄せるんだ」
島一番の剣士がこれを言うから、ケンタスはおもしろいのだ。
「オレがいない時に島の歴史が大きく変わったけど、それを『時代に選ばれなかった』と考えるか、それとも『時代の方がオレに合わなかった』と考えるかは、すべてはこれからの生き方次第だ。オレは自分が新しい扉を開けることができる人間だと信じている。今のところは『都合よく』とはいかないけれど、見てろよ? 都合というのは頭を使って合わせるものなんだ」
ケンタスの口から『努力』と聞かないのは、やって当たり前だからなのだろう。
「オレたちの人生はまだ始まったばかりだ。島の歴史の転換点には立ち会えなかったけど、これから起こる世界の歴史の転換点にはまだ充分間に合うさ。それをこの目で見てみようじゃないか。この二年間よりも、もっとおもしろいことが起こるはずなんだ。ただ、オレたちの少年時代は間違いなく終わったけどな」
まだ未来を諦めていないことを知って、少しだけ安心することができた。俺はケンタスが歴史に名を残すと信じている。少年時代の終わり。そう、人は、実現させたい未来があって、踏み出した時、簡単に少年時代を捨てられるものだ。
明日以降もオーヒン港での仕事を命じられていたので、この日は港内にある警備局の兵舎で泊まることとなった。ケンタスとボボも明日改めて領事館に報告しに行くということで、久し振りに三人部屋で一緒に夜を過ごすことができた。
「すまないが、兄貴が死んだ時の状況をもう少し詳しく聞かせてくれないか?」
ベッドに腰掛けたケンタスがそう言うので、兄であるドラコの殺害状況を克明に話してやることにした。それはミクロスやジジから聞いた話や、ランバの報告をまとめたハンス・マエレオスの話も併せた話だ。
「――つまり全身の大火傷が致命傷だったわけだな?」
ケンタスが念を押すように訊ねた。
「うん、間違いないよ。俺が服を脱がせて、火傷以外に刺し傷がないか調べたんだから」
「剣が固く握られていたということは、死後硬直していたということになるな」
「ああ、指が解けなかったからな」
「ということは、剣を強く握ったまま火傷を負ったっていうことになるぞ?」
「それにどんな意味があるんだ?」
「死んだ後に握らせたわけではないということだ」
「そりゃ、殺害した犯人と対峙していただろうからな」
「衣服が焼けていないことから火器の使用はなかった」
「ああ」
「縛られたような痣もなかったわけだな?」
「ああ、でも」
そこで思い出した。
「火傷とは別に濃い斑点が現れていたけどな」
「それは死斑だ」
ケンタスは事件捜査の基本をドラコから教え込まれているので詳しいわけだ。
「つまり殺害現場は邸の中である可能性が極めて高いということだ」
「そんなことが分かるのか?」
「ああ、実際に検死をしたわけじゃないから断定はできないけどな」
そこでケンタスが忠告する。
「念のため断っておくが、こういうのは犯罪者に知恵をつけることになるから、文字に残すのは禁止だぞ」
だから昔の人間は頭が悪いと思われるのだ。
「それで殺害状況から何が分かるんだ?」
「邸の居間で大火傷を負わせるなんて不可能だっていうことだよ」
「つまりハクタの魔女は、本物の魔女だったということか?」
「いや、それも違う」
ケンタスがオフィウ・フェニックスの犯行を否定した。
「今のオレたちには証明できないだけで、物理的には起こり得ることなんだろう」
「ああ、時々、この世界に現れるっていう、超文明を持つ奴らの仕業か?」
そういったロマン歴史学というものがあると聞いたことがあった。
ケンタスが腕を組む。
「兄貴が殺された、この殺人事件を単独犯の犯行として手掛かりを追っても犯人を捕まえることができないだろう。この事件を解決するには、兄貴が追っていたアネルエ王妃陛下誘拐事件の犯人も一緒に追う必要があるんだ。おそらくだが、真相に気づいたことで消されただろうからな」
そこでユリス・デルフィアスの妃であるアネルエ王妃陛下誘拐事件の詳細についても、もう一度丁寧に説明してやった。ずっとユリスの警護をしていたので、事件の発生から経過まで教えることができた。
「リンゴ園の暗殺未遂の時と同じ矢が使われていたわけか」
ケンタスは誘拐事件ではなく、その直前に起こったキナイ峠でのユリス暗殺未遂事件に注目した。でも、あれはミクロスの判断によって、ユリスもアネルエ王妃も無事にお守りすることができて、被害は官馬車が大破しただけで済んだのだ。
「官馬車を失ったことで、ユリスに何が起こった?」
ケンタスが訊ねた。
「現場を調べたり、代わりの馬車を用意したりするため、日程が延びたな」
「やはり、そうか」
「といっても、一日か二日だぞ?」
「それで誘拐事件が起こったんだ」
「結果論だけどな」
「いや、リンゴ園の時も日程が延びたんだよ」
「あれは怪我をしたアネルエ王妃の帰りを先延ばしにしただけだろう?」
「両方とも、それが目的だとしたらどうなる?」
急にケンタスが真相に近づいたような顔つきになった。
「つまり暗殺を完遂させることが目的ではなく、未遂こそが狙いだとしたら、今まで見えていた世界が逆さまだったということに気づかないか? 要するに、アネルエ王妃陛下誘拐事件の犯人は、アネルエ王妃陛下自身なのさ」
自由のない王妃が犯人?
「なぜ自作自演までして死んだことにしたかったのか? それは一年後の計画を知っていた、または一年後の計画を立てた張本人だからさ。一年後に建国されたばかりのカイドル国で何が起きた? ほら、ユリスが暮らしている首都官邸が全焼しただろう? そこで想定外の事故を避けるために、死んだことにしたかったのさ」
確かに弓矢による攻撃ほど不慮の死に遭いやすいものだ。
「アネルエ・セルぺスが、この島で起きた一連の不可解な事件の首謀者だとしたら、すべての疑問に納得がいくんだ。兄貴の死をデモン・マエレオスになすりつけようとしたが、これはデモンのスケジュールや、行動パターンや、行動範囲や、移動速度まで把握していなければできないことだ。それがマエレオス領に滞在していたアネルエにはできるんだよ」
そういえば、彼女は元々デモンの長男と婚約していた。
「一年後のオガ族による王都襲来もそうじゃないか。話を聞く限り、首都官邸や、市街地の警備状況を把握していないと、奇襲なんて仕掛けられやしないんだ。人員配置や、警護マニュアルなど、実際に知らなければ立てられない計画だ。それが官邸に住んでいたアネルエ・セルぺスにはできるんだよ」
彼女が首謀者で間違いなさそうだ。
「オレたちが捜し出さなきゃならないのはコルピアスやセトゥスではなくて、オレたち島民を戦わせるように仕向けたアネルエ・セルぺスなんだ。ハンス・マエレオスの話では、ハクタの王宮には『アニーティア』という修行者が出入りしている一方で、ルークス・ブルドンによると、『アナジア』という修行者がオーヒン城に出入りしているんだったな? さすがに見た目の印象と年齢が異なるので、アネルエ・セルペスと同一人物であると断言することはできないが、関係しているのは確かだろう」
三者が同一人物なら、デモンが騙されるはずがない。
「そう、まさにオレたちは戦わされたんだ。いや、正確に言うと、戦争を望む者に、戦争を仕掛けやすくするために誘発したんだな。それで真っ先にカグマン国と密な協力関係にある新生カイドルを滅ぼしたんだ。それによって後背の敵がいなくなったオーヒン国が南部に攻勢を仕掛けることができたからな。つまり、アネルエがそれぞれの国の支配者に戦争をするよう、その気にさせたわけだ」
まさに影の首謀者だ。
「ジェンババと手を組んだユリスが逆転勝利を収めたこの状況は、アネルエ・セルぺスにとってどのような事態なのだろうか? その考え次第では、まだまだ終わっていないということになる。そういう意味でも早く見つけ出して、真の降伏勧告をしなければならない。彼女を降伏させなければ、誰もが安心して暮らせる平和な世界は訪れないだろうからな」
概ね納得がいく説明だが、腑に落ちない点もある。
「しかしな、ケンよ、アネルエにドラコが殺せるか?」
そこでケンタスはベッドに仰向けになるのだった。
「兄貴が剣を抜いていたということは、斬れると判断したことは確かだな」
「でも、剣に血は付着してなかったぞ?」
「ハハ島では呪詛が信じられていた」
「呪いで人が殺せると?」
「それも科学的に起こり得ることなのかもしれない」
「おいおい、勘弁してくれよ」
そこでずっと黙っていたボボがボソボソと喋り出す。
「神さまを名乗る人間が現れたら胡散臭く感じるが、呪術師、または魔法使いが存在するとしたら、その方が信じられるかもしれないな。それくらい不思議な体験を、オイラたち二人はしてきたんだ。だからケンタスも常人にはできないような推理ができたんだろう」
いや、ケンタスは生まれた時から天才だ。
そのケンタスが同意する。
「神はいなくても、魔法使いはいる。オレもその方が現実的だと思っている。おそらくだが、魔法使いのことを、オレたち人間は神と混同しているのかもしれないな。ただ、神々の世界がそうであるように、魔法使いにも時々邪神のような突然変異が生まれてしまうのかもしれない」
前言を撤回する。
やっぱりケンタス・キルギアスはバカだ。
それも撤回する。
ケンは誇大妄想が激しい大バカ野郎だ。




