第二十話 勇者の条件
生と死を分かつものとは一体なんだったのだろうか? 先発した捜索隊は全滅したが、後発の捜索隊は約半数の五名が生き残った。皆一様に幻を見たと言い、また、その幻は人それぞれ異なった形として現れたようである。
なにはともあれ、兄貴が無事で良かった。亡くなられた人にも家族は存在しているし、その中には故人を亡くして悲しむ友人だっているに違いない。しかし、それとこれとは話が違うのだ。俺にとっては、兄貴が生きている、ただそれだけが嬉しいのである。
兄貴と一緒に入った牧夫が湖のほとりで脱走した馬の群れを見つけたので、生き残った者でガサ村へ連れて帰ることにした。残念ながら命を落とした者たちの遺体を運ぶ余裕は一切なかった。
数日もすれば完全に白骨化し、持ち物でしか身元を確かめる方法はなくなるだろう。墓に入れてあげることすら叶えてあげられないが、それでも今の俺たちには村へ帰るという選択しか考えることができなかった。
それはまだ自分たちが無事に生きて村へ帰ることができると思えなかったからでもある。というのも、幻を見た後で全員が心に病を抱えてしまったからだろう。またいつ幻覚に襲われるか分からないので、必要以上に周りを怖がるようになってしまったのだ。
周囲の者がそのような状態に陥ってしまったので、余計にケンタスの気丈な振る舞いが異様に見えてしまうのだ。アイツ一人だけが何事もなかったかのような顔をして先頭を歩いているからだ。時々振り返る顔を見て、なぜか怒りを覚えてしまった。
急こう配の山道を登り終え、後は緩やかな下り坂だけとなったところで少し休憩することとなった。全員が急いで村に帰りたいと思っているに違いないが、馬の群れを率いているので休まないわけにもいかなかった。
「なぁ、ケンよ、少し話があるんだが、ちょっといいか?」
俺にはどうしても確かめたいことがあった。
「いいよ」
と返事を貰ったので、兄貴や牧夫から離れたところで話をすることにした。ボボにも一緒に聞いてもらった方がいいと思った。なぜなら、場合によっては二人で懲らしめる必要があるからだ。
「ここにしよう」
俺たち三人がもたれ掛かったのは、中に人が住んでいるのではないかと思われるくらい太い幹をした巨木だった。昔はもっと大きな木がたくさん生えていたと聞くが、近頃は滅多にお目に掛かれなくなったという、って、そんなことはどうでも良かった。
「なんだよ、改まって、お礼ならいらないぞ」
とケンタスは宣いやがった。
コイツは幻から俺を救ったと思ってやがるが、そうではない。
「時間がないから本題から入るぞ。俺が幻となって現れた兄貴の首を切り落とすことができたのは、『兄貴は剣なんか振り回すはずがないから躊躇せずに斬ることができた』と思っていたが、それは『結果的にそう思った』ってことに過ぎないと、さっき気がついたんだ。本当はその直前にケンが俺の幻と対峙しているのを見たから、俺はすんなりと幻覚だと判断できたような気がするんだ。もしもその様子を見ずに、突然俺の前に兄貴の幻が現れていたら、まともな判断なんて出来っこなかっただろうさ」
ケンタスが同意する。
「そうだな。それで多くの者が命を落としたわけだからな」
そこで訊ねる。
「夢か幻だと知っていたから助かった。うん、今はそれで納得している。となると、そこでだな、別のことが気になるんだ。それはケン、お前のことだよ。俺は直前に幻を見たが、お前はどうなんだ?」
「オレは見てない」
この男は、その答えの意味するところを分かっていないようだ。
「それが、どうした?」
急に話すのが怖くなった。
ケンタスが穏やかな表情で俺の顔を覗き込む。
「ペガ、それがどうしたんだ?」
このバカは何も分かっていないようだ。
「つまりだな、お前は俺の幻が目の前に現れた時、それが幻かどうか分からなかったっていうことだよな? 本物の俺はお前の背後にいたんだから、俺と幻を見比べることすらできなかったんだ。あの時、幻の俺を本物の俺だと思わなかったのか?」
「本物だって思ったさ。というより、幻だなんて思えるはずがない」
「……だよな。ということは、お前はあの幻を本物の俺だと思いつつ殺したわけだ。防戦して受け身に回ることなく、ためらうことすらせずに急所を突いたんだ。夢の中の出来事みたいだから深く考えなかったが、今はどうしてもそれが引っ掛かるんだよ」
ケンタスが水筒の水で一息つく。
「一突きで殺さなければ殺されると思ったんだ。いや、思うという感覚ではなかったな。とにかく一突きで止めを刺すことに集中していた。あの場で死なないためには、そうするしかなかったんだよ。もしも一瞬でも隙を見せていたら、もしくは躊躇していたら、オレも死んでいった者たちと同じように命を落としていただろう。心的ショックで心臓が止まるか、驚きと恐怖で息ができなくなるか、いずれにせよ、幻に殺されていたさ」
ケンタスの言いたいことは分かる。
分かるけど、すんなり受け入れられることではなかった。
「俺たちは友達だぞ?」
「そうだ」
「兄弟よりも一緒にいる時間が長いんだ」
「親よりもな」
「誰よりも大事な存在じゃなかったか?」
「その気持ちは変わらない」
「それなのに、よく殺せたな」
どうしても責めずにはいられなかった。
「断っておくが、あれが幻ではなく、本物のぺガでも、オレは躊躇することなく、お前を殺していたぞ。大事な人だから、という理由で黙って殺されるわけにはいかないんだ。正気を失ったと判断したから斬ってやったのさ」
「正気が戻るかもしれないと考えなかったのか?」
「本気で殺しに来る相手に余裕を持てるほど、オレには経験があるわけじゃないんだ。負けて後悔しないように剣術に励んできたんだからな。一つしかない命を守るということは、言うほど簡単なことではないんだ」
「それが友達でもか?」
「友達でもだ。むしろ友だからこそ、一思いに幻を打ち砕くことができたのかもしれない。オレの前に現れた幻が……、たとえばカレンならば、いかなる理由があっても斬れないので、あそこでショック死していたかもしれないな」
生まれて初めて弱点を耳にしたかもしれない。
「ぺガス」
ケンタスが今まで見たことがないような眼差しで俺を見つめた。
「お前もオレに対して同じことをしてくれないか? オレが正気を失って理由もなく人を殺そうとした時、しっかりと首を刎ねてほしいんだ。司法制度の確立とは程遠い現代で、信じられる裁きはお前の剣だけだからな。ボボにもペガと同じことを頼みたい。オレが無辜の命を奪うような人間に成り果てたら、その時は自慢の弓で射抜いて欲しいんだ。その代わり、ボボにも同じことをするので覚悟しておいてくれ。世の中を変えたい、と願うということは、自分が過ちを犯した時の事後処理まで考えないといけない、ということなんだ。それが新たな法を作ることの必要条件なんだと思う。自分は間違いを犯さない、と思っている人間に法律を語る資格はないからな」
「約束しよう」
とボボはあっさりと誓いを立てた。
ケンが微笑む。
「ボボなら分かってくれると思ったよ」
ボボは相変わらずの無表情だ。
「ただし、これは危険な思想でもある。革命家は革命家によって殺される、なんてことになりかねないからな。オイラたち三人で結束しているうちはいいが、そこに第三者が介入すると三位一体のバランスが崩れるんだ。そのうち二対二になったり、三対一になったりして内側から内部崩壊を起こすんだ。オイラのウチの近くにあった村が丁度そんな感じだった。革命を目指したはずが、結局は村人同士で殺し合うことになって全員が罪人となった。そんな愚かな結末を迎えるのは、オイラ御免だからな。革命家という響きに酔いしれるだけの人間にはなりたくないんだ。そんなことに命を賭しても、家族や村の人間は喜んでくれない。なによりもオイラが気持ちよくなることができないからな」
ボボの言葉から決意のようなものが感じられた。
「でも、ケンは違うだろう? ケンの口から『革命』なんて言葉は出なかった。徴兵を受け入れ、上官の命令に従い、機会を窺いながら、契機を掴もうとしているんだ。のろまな正攻法ではあるが、新しい国を末永く維持させようと思ったら、それしかない、という結論になる。それを踏まえてオイラは約束するよ。友を裁く勇気を持ち、友に裁かれることを受け入れる。一番心配なのは、おっちょこちょいのぺガスだが、オイラとケンがついていれば大丈夫だろうさ」
ボボの話を聞いていると、耳が熱くなった。ケンタスやボボはそこまで覚悟していたというのに、当の俺が浅薄な考えしかできないために、危うく一人で勝手に不信感を募らせるところだったからだ。
「ペガはどうなんだ?」
ケンタスに訊ねられても、すぐには言葉を返すことができなかった。本当に俺は早とちりの天才だ。神様はなぜもっと別の才能をくれなかったのだろうか? 被害妄想に憑りつかれるのが俺の悪いところだ。
思えば、ケンタスほど俺の事を考えてくれている人間はこの世にいないのである。俺よりも俺の事を大切に思ってくれているくらいだ。それなのに俺ときたら、相手の立場でものを考えることをしなかった。
疑うだけならまだいいが、ボボと一緒にとっちめてやろうとしていたわけだ。きっと俺のような自分のことしか考えられない人間が、ケンタスのような改革者の邪魔をして足を引っ張ってしまうのだろう。
とはいえ、ここで素直に謝りたいところだが、反省すら口にできないのが俺の欠点だ。妙に落ち着いているボボのせいで、最近は余計に惨めに感じるようになってしまった。そんな俺が言葉にできるのは笑えない冗談だけだった。
「約束したいところだが、俺がお前に剣術で勝てるわけがないだろう? その時はどうすればいいんだ? 首を刎ねようと思って近づいても返り討ちに遭うだけじゃないのか? だから誓いを立てても、結局死ぬのは俺一人のような気がするんだよな」
俺の言葉に、ケンタスは考え込む。
「なるほど、そこまで考えていなかった」
表情からは、それが冗談か本気か区別がつかなかった。
とりあえず話を続ける。
「なんでそう思ったかって、死ぬ間際にジュリオス三世の名前を口にした男がいたからなんだ。そりゃ、いきなり目の前に暴君が現れたら腰を抜かすだろう? つまり三人で誓いを立てたって、結局は力の強い者が最後に生き残ってしまうんだよ。だから平等に誓いを立てているように見えて、実は俺一人だけ完全に不平等な契約になっているんだよな」
「まだ息があった者もいたのか?」
とケンタスが話の本筋以外のところに食いついた。
「ああ、俺が下りで斜面を転げた時だ。気がつくと死体の横で寝ていたんだが、まだ息があったんだよ。でも呼吸困難に陥っていて、声を絞り出すのがやっとという感じだったな。心臓発作ではなく、息ができないようだった。それから間もなく息を引き取ったから、斬られる直前までそこら辺を暴君がうろついていたということになる。他人の幻まで見えるのだから、目を開けるのが早かったら、俺まで狙われていたかもしれないんだ。こうして思い出すと、想像しただけで怖くなるよ」
「その男は幾つくらいの年齢だ?」
どうやらケンタスの好奇心を刺激したようだ。
「さあね、三十にはなっていないと思うが」
「だとしたら、どうしてその男は幻をジュリオス三世だと思ったんだ? 同時代の人間ではないし、彫刻やコインに肖像が描かれているわけでもないだろう? 名を名乗る幻も存在したのだろうか?」
確かに尤もな疑問だ。
「それは俺も思ったが、ジュリオス三世といえば悪魔の代名詞でもあるからなあ」
ケンタスが頷く。
「うん。確かに思い込みでそう思ってしまったのかもしれない。しかし戦争で勝ち負けが逆転していたら、その顔が大量のコインに刻まれていたかもしれないんだ。そう考えると、勝者であることが必ずしも正しいとは思えなくなるな」
それから他人が見た幻に興味を持ったケンタスは、休息時間を利用して生き残った者たちに話を聞きに行った。もちろん俺やボボも同行した。全員の話を聞き終えたケンは以下のようにまとめた。
「幻には様々な人物が現れるようだ。親や子どもだけではなく、死んだ恩人や関係のない馬泥棒が現れた人もいる。しかし生き残った人たちには、オレたち三人を除いて、ある共通点が存在していた。それは幻に対して武器を持って立ち向かわなかったことだな。背中を向けて逃げた人だけが生き残っているというのは偶然じゃないはずだ。死んでいた者たちは剣を抜いていただろう? 結果論になるが、逃げれば良かったんだよ。ただし、オレたち三人のように剣を抜いても斬ることができれば死なずに済んだようにも思う。でも、そこから先は想像になってしまうな。斬る覚悟ができない状態で目の前に大切な家族が現れたら、何もできなくても仕方がないもんな」
俺の兄貴の元には死んだ三男が幻となって現れたそうだ。兄弟喧嘩をしたことがない兄貴だから逃げることができたが、もしも馬泥棒が現れていたら立ち向かっていたと思うので、今頃死んでいたかもしれないわけだ。
「なあ、ケンよ、どうしてこんな現象が起こったんだ?」
ケンタスがかぶりを振る。
「さあな。幻を見ること自体が理屈じゃ解明できないことだから上手く説明できないな。天使や悪魔を連れて来いと言われても不可能なのと一緒で、幻を見ていない者に説明しても理解してもらえないだろう。口承では大昔から魔法を扱える人の存在が語られてはいるが、実際にそんな人を見たことがないのと一緒で、やっぱりすんなりと信じられることではないんだ。それでも森に魔法が掛けられていたと考える方が納得できる部分ではあるけどな。ただし、百人隊の失踪に関しては別件のようだな。今は色んなことが同時に起こっている気がして整理できない状況だ。でも、その神隠しのような事件も魔法が関係しているのかもしれないから、無関係だとも言い切れないところがもどかしいよ」
急に訳が分からない世界に連れて来られた気分だ。まるで神話の世界から魔法使いが転生してきたような、そんな錯覚に囚われてしまうのだ。俺たちが見せられたのは、その魔法使いが起こした魔術のせいなのかもしれない、なんて思ってしまう自分がいる。
どんなに荒唐無稽だと思われても、幻を見て、その幻に殺された人を目の当たりにしてしまうと、想像の中だけだとばかり思っていた世界が現実となる。そもそも夢と現実の境界線など、生と死で区切られているだけだからだ。
「また突然、幻に襲われたりしないだろうな?」
そう呟いても、ケンタスやボボは何も答えなかった。
「さて、そろそろ出発するか」
ケンタスの合図で休息を切り上げることとなった。再び幻に襲われる恐怖を抱きつつも、それに勝るくらい空腹に襲われていたため、ガサ村へ着く頃にはすっかり頭の中が食い物のことしか考えられなくなっていた。
「飯にしよう」
空腹だったのはケンタスも一緒だったようだ。兵舎の料理番が急いで作ると言ってくれたが、どうにも我慢ができなかったようで、手伝うために勝手に調理場の方へ行ってしまった。決断は慎重だが、行動はせっかちという、ちぐはぐな部分があるのも特徴の一つだ。
「こいつは美味そうだ」
と言って飯をかき込もうと思ったが、食堂で一緒に食べている生き残りの牧夫がお祈りをしているので、俺たちも祈りを捧げてから飯を食うことにした。こういうのは時と場所と場合によっては重要な行為になるので素直に同調しておいた方が無難なのである。
献立だが、パンと豆のスープと葉物野菜のサラダは定番だったが、メインのキジの香草焼きはスペシャルだった。良質な高タンパクを食むという行為だけで、身体が勝手に喜ぶのだった。
ここガサ村は高官のドラ息子が試験を受けに来るので、兵舎には似つかわしくないベテランの料理番が存在しているというわけだ。王都の兵舎ですら新兵自ら調理をするというのに、ハクタ州は色々な面で甘やかされているような気がした。
「クトゥムさんに挨拶をしてから別れよう」
食事を終えたのですぐにでも村を出たいところだが、ケンタスが兄貴に挨拶をしてから別れようと言い出したので、厩舎で待つことにした。兄貴は待つ必要はないと言っていたのだが、ケンは責任者への報告が気になったようだ。
そもそも兄貴がガサ村へ呼ばれたのは馬の個体を識別するためではあるが、それは方便にすぎないのだろう。実際は馬泥棒に関与していないか取り調べるためである。基本的に牧夫など言われたことに従うより他にない職業なのだ。
これは牧夫の中に悪質なグループが存在しているから疑われるわけだ。国へ納入した馬を盗んでは足がつかない業者へ売り捌くという闇のルートを作るから、善良な市民でもある兄貴まで疑われるのだ。
「どうでした?」
戻って来た兄貴にケンタスが訊ねた。
「俺の方は問題ないよ。納めた馬が全部見つかったからな。まぁ、テストを受けた兵士や捜索隊の死亡報告でそれどころではない状況だったというのが率直な感想だ。先発した捜索隊の中には上級指揮官もいたみたいで、本部の中は騒然としてたな。幻を見たと言う話を何度も繰り返し話したんだが、信じてもらえたようには感じなかった。いくら怒鳴られたり、凄まれたりしたって、実際に見てしまったのだから同じように答えるしかないんだ。他の者だって同じだろうよ」
兄貴がうんざりした顔をしている。
「それよりケンよ、大変なことになってるぞ。これは直接聞いたわけではなく、立ち聞きした話なんだがな、消えた百人隊を知ってるよな? その精鋭部隊だが、その指揮を執っていたのがドラコだったというじゃないか」
ケンタスの兄貴が左遷させられるまで指揮していた部隊が消えたということだ。
「それでお前の兄貴はオーヒンで査問に掛けられるという話だ。行ってどうなるということではないが、お前たちも早く信書を渡しに行った方がいいんじゃないのか? それに幻を見ているからな。ここの役人連中に捕まるのも厄介だろう」




